ジェット化による第2次世界大戦後の航空機の発達は著しく、1950〜53年の朝鮮戦争は本格的なジェット戦闘機・攻撃機時代の訪れを告げるものとなった。 在来型の対空機関砲は次第に陳腐化したシステムとなりつつあり、実際、目視照準と簡単な見越し角計算機程度では高速目標への追従は困難であった。 このためレーダー、コンピューターと組み合わせたFCS(射撃統制システム)を用いて、新しい脅威に対抗し得る能力を持った戦後第2世代の対空自走砲を各国が開発することになった。 第2世代の対空自走砲への先鞭を付けたのは、ソ連であった。 ソ連軍は1958年にアストロフ設計局(SKB-40)に対して、ZSU-57-2対空自走砲の後継となる新型対空自走砲の開発要求を出した。 この新型対空自走砲は短時間により多数弾の発射を可能にすることと、目標航空機の進路と未来位置に向けて確実かつ効率的に火網を展開できることが求められた。 アストロフ設計局は当時、PT-76水陸両用軽戦車の車体をベースに新型空挺自走砲ASU-85の開発を進めており、このASU-85空挺自走砲のシャシー・コンポーネントを利用して、レーダーFCSと23mm4連装対空機関砲AZP-23を装備する、全周旋回式砲塔を搭載した試作対空自走砲を早くも1960年に完成させた。 そして1964年頃まで実働部隊に配備して試験を繰り返し改良の上、1964年にZSU-23-4「シルカ」(Shilka:アムール川の支流の河川名)対空自走砲としてソ連軍に制式採用され、翌65年から生産と部隊配備が開始される運びとなった。 本車の存在を西側が初めて確認したのは、1965年11月にモスクワで行われた革命記念軍事パレードにおいてである。 ZSU-23-4対空自走砲の車体形状は、ベースとなったPT-76水陸両用軽戦車とは大きく異なっており箱型をしている。 車内レイアウトは車体前部が操縦室、車体中央部が全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室というオーソドックスなものである。 ZSU-23-4対空自走砲の砲塔は、お弁当箱のような大きな箱型をしている。 内部は前後に仕切られ前部に4連装の23mm対空機関砲と給弾システム、後部に乗員スペース(車長と砲手2名)とレーダー関係機材が収められている。 主武装の23mm4連装対空機関砲AZP-23は、87.3口径23mm液冷対空機関砲2A7を4門束ねたもので、2A7は基本的に牽引式の23mm対空機関砲ZU-23と同じものである。 AZP-23の発射速度は1門当たり800〜1,000発/分で、4門合わせて4,000発/分となるが通常は1〜2門しか用いず、3〜5発、5〜10発、50発以下のバースト射撃が行われる。 使用弾薬はHEI(焼夷榴弾)とAPI(焼夷徹甲弾)で、HEI 3発にAPI 1発の割合で給弾されるようになっている。 23mm対空機関砲の最大射程は7,000m、最大射高は5,100mであるが、実用上の射程は2,000〜3,000mといったところである。 ZSU-23-4対空自走砲を特徴付けるのは、そのFCSである。 本車は、世界で初めてレーダーFCSを搭載した対空自走砲であった。 システムはB-76ガンディッシュ・レーダーとアナログ・コンピューターに、バックアップ用の光学照準装置を組み合わせたもので、レーダーで目標の捜索、追跡、照準、測距を行い射撃する。 レーダーの捜索距離は20km、追跡距離は8kmである。 このシステムは非常に画期的なものであったが、唯一の欠点はこれらの動作の全てを1つのレーダーで行っていたことで、1つの目標と交戦している時は一切他の目標に対処できなかった。 ZSU-23-4対空自走砲は、他の中高度〜高高度用の対空ミサイル・システムと組み合わせて低高度制圧用に用いられるようになっており、当初は自動車化狙撃師団または戦車師団1個当たり16両が配備され、2両一組で進撃路および展開地区の要所で防空任務に就くものとされた。 2両のZSU-23-4対空自走砲は間隔150〜200mで展開し、敵地上攻撃機に向けてレーダー照準にて1回当たり1両最大120発の斉射を加えるようになっていた。 4連装23mm対空機関砲の発射速度は4,000発/分であるので、わずか2秒間弱の射撃である。 しかし、実際にエジプト軍とシリア軍が1973年の第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)で使用した際、アラブ側の後方基地を狙ったイスラエル軍の地上攻撃機に破滅的な損害を与えた。 この時の損耗率は、何と出撃機に対して30%近くにもなったのである(全てがZSU-23-4対空自走砲によるものではないが、対空ミサイルを避けて低空侵入を図ったイスラエル軍機の多くは本車の餌食になったとされる)。 このように高度なシステムに裏付けられて、破壊的な威力を持つ対空自走砲を東側が手にしたことに西側は大変なショックを受けた。 ZSU-23-4対空自走砲はチェコスロヴァキアでのライセンス生産も含め、1983年までに推定で約7,000両が生産され、未だ多数が旧東側および中東諸国で就役中である。 今日使用されているものの主力は1977年に登場した近代化改修型のZSU-23-4M対空自走砲で、搭載弾数を増大(1,000発から2,000発へ)させFCSを最新のものに改めている。 1979年に始まったアフガニスタン紛争では、ソ連軍は本車を山岳地帯の補給路におけるコンボイ・エスコートという変わった任務に使用している。 1991年の湾岸戦争ではイラク軍が、アメリカ軍を中心とする多国籍軍航空部隊の迎撃に本車を使用したが、基本的に1960〜70年代のシステムでは現代戦ではもはや役に立たなかった。 |
|||||
<ZSU-23-4M対空自走砲> 全長: 6.54m 全幅: 2.95m 全高: 3.80m 全備重量: 20.5t 乗員: 4名 エンジン: V-6R 4ストロークV型6気筒液冷ディーゼル 最大出力: 280hp/1,800rpm 最大速度: 44km/h 航続距離: 450km 武装: 87.3口径23mm4連装対空機関砲AZP-23×1 (2,000発) 装甲厚: 9.2〜15mm |
|||||
<参考文献> ・「パンツァー2001年10月号 ソ連・ロシア自走砲史(13) 対空自走砲の開発」 古是三春 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2003年4月号 AFV比較論 87式自走高射機関砲 vs シルカ」 鈴木浩志 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2009年7月号 ソ連の第二世代対空自走砲 ZSU-23-4シルカ」 三鷹聡 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2009年7月号 対空自走砲の歴史と現状」 坂本雅之 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2024年8月号 北朝鮮兵器カタログ」 荒木雅也 著 アルゴノート社 ・「世界のAFV 2021〜2022」 アルゴノート社 ・「グランドパワー2020年4月号 赤の広場のソ連戦闘車輌写真集(4)」 山本敬一 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2021年4月号 戦後のソ連軍対空戦車」 大村晴 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦闘車輌 2006〜2007」 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(2) 装軌式自走砲:1946〜2000」 デルタ出版 ・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社 ・「世界の主力戦闘車」 ジェイソン・ターナー 著 三修社 ・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版 ・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」 コーエー ・「世界の最新陸上兵器 300」 成美堂出版 |
|||||
関連商品 |