XM803戦車 |
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+開発
戦後第2世代MBTであるM60戦車を実戦化した1960年代の初めに、アメリカ陸軍は次期MBTの開発計画をスタートさせようとしていた。 この計画に対して、当時のアメリカ国防長官であったロバート・S・マクナマラは、軍事費の軽削減を目的として他国との共同開発を指示し、この結果、アメリカ政府と西ドイツ政府との間で次期MBTの共同開発協定が結ばれたのは1963年8月1日のことであった。 同年末には両国間の基本仕様もまとまり、細かい調整を行った後の1964年9月から本格的な開発が行われることになった。 この計画はアメリカでは「MBT-70」(Main Battle Tank 70)、西ドイツでは「KPz.70」(Kampfpanzer 70)(いずれも「70年代型主力戦車」を意味する)の呼称が与えられることになり、1966年には試作車の製作も開始されている。 MBT-70/KPz.70は開発当初から従来の戦車とは異なり、各部に革新的な技術が盛り込まれていたのが大きな特徴であった。 まず1,500hp級の高出力ディーゼル・エンジン、自動変速・操向機、油気圧式サスペンションの採用に加えて、自動装填装置の採用による乗員3名化や、空間装甲の導入、砲塔内操縦手席、高精度のFCS(射撃統制装置)と夜間暗視装置、軽合金の多用など、確かにそれまでの戦車とは一線を画する内容の新世代MBTであった。 しかし戦略、戦術共に異なる国家間の共同開発には様々な問題が生じることも当然であり、アメリカ側がMBT-70/KPz.70の主武装に、アメリカ製の「シレイラ」(Shillelagh:棍棒)対戦車ミサイルを射撃可能な152mmガン・ランチャーを推したのに対し、西ドイツ側は反対の意を表して、「デルタLASH」と呼ばれるシステムの一環として、通常弾である装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)に加え、レーザー・セミアクティブ誘導弾(LASH)の射撃も可能な120mmデルタ砲の搭載を求めた。 また、アメリカ側が開発していた新世代の軽量型可変圧縮式ディーゼル・エンジンと、自動変速・操向機が、期待に反して開発中にトラブルを多発し、このため西ドイツ側は、機関系に国産のものの採用を決めることになった。 このように、共同開発といいながらもMBT-70とKPz.70は細部の仕様が大きく異なっており、さらに、計画開始時より製造コストがうなぎ登りに上昇してしまった。 結局1969年末に、西ドイツ政府はコスト高を理由に計画からの脱退を表明し、続いてアメリカ政府も1970年1月20日に計画の中止を公表して、MBT-70/KPz.70計画は姿を消すことになった。 こうして西ドイツと袂を分かったアメリカであったが、仮想敵であるソ連はすでに125mm滑腔砲を備えるT-64戦車を実戦化し、さらに当時、その発展型と考えられていたT-72戦車を開発していたために、これらに対抗することが可能な新型MBTの必要性は以前と変わらなかった。 このため考えられたのが、数年間に渡って開発を進めてきたMBT-70戦車の基本レイアウトを踏襲し、コンポーネントを全て国産とすることでコスト低減を図り、併せて、重量軽減などの改良を盛り込んだ新型MBTを単独開発することであり、これは1970年のMBT-70/KPz.70計画終了直後からスタートした。 西ドイツがKPz.70戦車の開発で得たノウハウをベースとして、全く新たな戦車開発に取り組んだのに対して、アメリカは依然としてMBT-70戦車に固執していたのである。 このため、開発当初は「MBT-70廉価版」なる呼称で呼ばれていたが、その後「MBT-70/XM803」と改称され、最終的に「装軌式戦闘車152mmガン・ランチャー XM803」の呼称が与えられた。 当初、2両の試作車が製作発注されたXM803戦車であったが、最終的に1両のみが完成したに留まった。 そして、試作車による試験の結果は満足すべきものであったというが、すでに実用化されていたM60A2戦車と、M551シェリダン空挺軽戦車のガン・ランチャー・システムは、完全なものとはいい難かった。 加えてユーザーであるアメリカ陸軍自体が、通常砲に比べて機構が複雑で信頼性が低く、目標までの着弾に時間が掛かる、ガン・ランチャーという兵器そのものに対する興味を失ってしまい、それに追い打ちをかけたのが高額な製造コストであり、結局1971年12月に計画のキャンセルが告げられた。 そしてこれは、1972年6月30日付で公式なものとして通達が出され、ここにXM803戦車計画は終了した。 |
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+車体の構造
XM803戦車の車体は、MBT-70戦車の基本レイアウトを踏襲しながらも各部には大きな変更が盛り込まれ、外見こそ酷似していたものの全く別車に仕上げられていた。 車体後部の機関室には、MBT-70戦車の試作車で用いられていたアラバマ州モービルのコンティネンタル自動車製の、可変圧縮式V型12気筒空冷ディーゼル・エンジンAVCR-1100-3(最大出力1,475hp/2,800rpm)に、一部変更を加えたAVCR-1100-3Bエンジンが収められた。 このエンジンは、当時としては俄然他を圧する高出力の機関であったが、反面、MBT-70戦車でも新機軸故の問題が多発し、改良が加えられたとはいっても基本的にはほとんど変わらず、その根本的な解決が図られないままに搭載したため、当初から前途多難であることは明らかだった。 時を同じくしてコンティネンタル社は、最大出力1,500hpのガスタービン・エンジンAGT-1500の開発も進めており、XM803戦車への搭載が考えられていたものの、結局これは実らずに終わった。 このAGT-1500ガスタービン・エンジンは、続く新世代MBT M1エイブラムズの機関として採用されることとなる。 AVCR-1100-3Bエンジンは、MBT-70戦車に搭載されたコンティネンタル社製のAVCR-1100-3ディーゼル・エンジンの改良型で、インディアナ州インディアナポリスのGM(ジェネラル・モータース)社アリソン変速機部門製の、油圧・機械式変速・操向機XHM-1500-2B(前進4段/後進4段)と組み合わされたパワーパック形式として、機関室に収められた。 前進/後進共に全く同じ速度で走行することが可能で、いずれも1速の場合のみ油圧式で作動し、2〜4速は遊星ギアを用いた機械式で作動するという、斬新な機構が導入されていたのが特徴であった。 また自動変速機構を備えており、操縦手はギア操作に関して前進、ニュートラル、そして後進のいずれかを選択するだけで、後は速度の増大に合わせ変速機が自動的に切り替わり、操縦手のワークロードを大きく軽減していた。 MBT-70戦車で車体前面右側に装備していた、前方監視用のTVカメラはコスト削減を目的に廃止されたが、機関室内に収められた燃料タンクや、同じく左右に装着された格納式スノーケル・パイプなどはMBT-70戦車と全く変わらなかった。 ただしスノーケル・パイプは、MBT-70戦車では後方に倒れる形で収容されたのに対し、そのまま縮めることで格納されて内部に収める方式に改められ、その長さも半分以下に短縮された独自のものが用いられた。 これはMBT-70戦車とは異なり、スノーケル・パイプよりも深い河川を渡河する際には、車長用キューポラのカニングタワーを立て、その下部後方にY字形のパイプを介して、スノーケル・パイプ収容部に空気を供給するという方式を採ったためである。 XM803戦車は、MBT-70戦車と同様に可変油気圧式サスペンションを備えていたが、コストの削減を目的として各部に簡易化が図られた新しいものが、MBT-70戦車向けの油気圧式サスペンションを手掛けたミシガン州カラマズーの国立ウォーター・リフト社により開発された。 片側6個のアルミニウム製転輪配置は変わらず、転輪と誘導輪はそのまま同じものが用いられたが、鋼製の上部支持輪は片側2個に減り、それぞれのサスペンションが備えている油圧ピストン作動筒が、MBT-70戦車の2本から1本に減らされ、同様に4基を備えていた制御装置も3基に改められた。 これもコスト削減の一助であることは、いうまでもない。 この与圧装置を減じたことにより、前方2基のサスペンションをそれぞれ1基ずつの制御装置でコントロールし、後方4基ずつのサスペンションを、制御装置1基でコントロールするという方式に改められた。 それぞれのサスペンションは、MBT-70戦車向けとして開発された3,000psi(204気圧)を発揮する、油圧装置3基により作動用のオイルが送られ、砲手席に設けられた3本のレバーにより操作された。 この油気圧式サスペンションにより床面と地上との間隔は、最低15.2cmから最大63.5cmまで調節することが可能だったが、通常の走行時には53.3cmにされたという。 またこの油圧装置は、サスペンションの作動に合わせて自動的に誘導輪を前後することで、履帯の緊張度を正常値とするための、誘導輪調節作動筒への油圧供給にも供されていたのはMBT-70戦車と変わらない。 XM803戦車の履帯はMBT-70戦車向けに開発された、西ドイツのディール社製のT170履帯がそのまま流用されたとする説と、幅を622mmとわずかに短縮した専用のものが用いられたとする説があり、はっきりしたことは不明である。 さらに、MBT-70戦車には存在しなかったサスペンション保護のためのサイドスカートが、フェンダーに取り付けられて標準装備となったのもXM803戦車の特徴である。 |
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+砲塔の構造
XM803戦車の砲塔は、基本形や武装など多くをMBT-70戦車から受け継いでいたが、各部にコストの削減を目的とした変更が見受けられる。 まずその基本形だが、全体的なレイアウトはMBT-70戦車のものをそのまま引き継ぎ、前、後部に分割された砲塔前部に乗員3名を集中配備して、砲塔後部に自動装填装置と主砲弾を収めるというスタイルも変わらない。 また基本砲塔となる部分を鋳鋼製とし、その前部周囲に圧延鋼板を溶接して、後部は砲塔下端に鋼製のプレートを溶接、前、後共に周囲に圧延鋼板を間隔を空けて装着した空間装甲構造を採り、上面のみ圧延鋼板の1枚式とされた。 また前部砲塔と後部砲塔の間には、0.1インチ(2.54mm)厚の隔壁がボルトで固定されていた。 砲塔における最大の変更箇所は、車長用キューポラの反対側に装備されていた、車内から操作する起倒式の86.4口径20mm機関砲M139が廃止されたことである。 この変更に伴い、車長用キューポラ右側に備えている全周旋回式昼/夜間視察照準機と一体化する形で、メリーランド州ハントバレーのAAI社(Aircraft Armaments Inc:航空機武装社)製の、12.7mm重機関銃M85のマウントを設けるという極めて単純な方式に改められ、当然ながら操作は車内から車長により行われた。 同様に車長は、砲塔後部の左右側面に4基ずつを備えている発煙弾発射機の操作も担当した。 砲塔上面には前方左に操縦手用のキューポラが、右中央には車長用キューポラが、そしてその前方にやや右にオフセットして砲手用ハッチがそれぞれ配され、操縦手と車長には後ろ開き式の三角形ハッチを、砲手には後ろ開き式の横長楕円形ハッチをそれぞれ備えて、操縦手には3基、車長には7基の固定式ペリスコープが装着されていた。 また、操縦手用のペリスコープは中央部のものが、夜間視察を可能とする赤外線対応型との交換式とされた。 さらに、車長用キューポラの右側には視察照準機が、その前方にあたる砲手席部分には主照準機が設けられていた。 XM803戦車の操縦室は、MBT-70戦車と同様に独立したカプセル式とされ、任意に車体の軸線を基準として4方向への角度を選択できた。 それは軸線と平行に前方を指向する0度と、後方を向く180度、左右それぞれ56度で、左右への可動位置を必要としたのは、操縦手の中央視察用ペリスコープが破損した場合、その左右に設けられている視察用ペリスコープを用いて前方の視界を得るためであったのは、MBT-70戦車と同様である。 また、この中央に配されたペリスコープは昼間用の通常型と、夜間用の赤外線型を必要に応じて交換するという方式が採られ、いずれの中央用ペリスコープにも洗浄液吹き付け機構と、小さなワイパーを備えていた。 操縦手用キューポラに備えられているハッチは車長用ハッチと共通で、前方に配された操縦装置は通常時において電気的、いわゆるムーブ・バイ・ワイアーが用いられたが、故障などへの対処としてバックアップの機械的伝達装置も備えていた。 ただし機械的操縦機構を用いる場合は、自動的にキューポラが前方を向いた位置にロックされる機構が組み込まれており、これもMBT-70戦車と変わらない。 砲塔のリング径は292cmとされ、砲塔下方に直径254cmで178mm厚のアルミニウム製バスケット基部が装着され、基部上部は内側直径198mmで、やや下方に絞られた形でバスケット本体が補強板により固定され、その高さは63.5cmで、車体床板との間に15.2cmの間隔が空いていた。 また、バスケットの周囲は補強板の周囲が開口され、金網が張られていたがこれは軽量化を目的としていた。 さらにこれまた軽量化のため、バスケットの床板中央には円形の開口部が設けられていた。 この砲塔バスケットもまた、MBT-70戦車と同一である。 また砲塔リング内には、高張力型アルミニウム材を用いた軽量ベアリングが収められた、鋼製収容部が設けられており、その結果として開口部自体の直径は256.5cmとなる。 MBT-70戦車の試作車では、バスケット下方にあたる床板に脱出用ハッチを設けており、前述のバスケット中央に設けられた開口部は、この脱出用ハッチを使用するのがその第一義となっていた。 しかし試験の結果として、狭い開口部からハッチを開けるという操作は極めて困難な作業であり、開くまで約30分もの時間を要したのに対して、砲塔上面のハッチから乗員全てが脱出するのに要した時間は約4分だったため、床板の脱出用ハッチは未装備とされた。 ただし、砲塔バスケット自体をそのまま流用したために、中央の開口部が残されたわけである。 |
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+武装の構造
XM803戦車の主砲は、他のコンポーネントと同様にMBT-70戦車のものを踏襲していたが、各部にコストダウンが図られた専用の廉価バージョンが用いられていた。 基本的には、M60A2戦車とM551空挺軽戦車で導入された、通常弾と対戦車ミサイルの双方を発射可能な17.5口径152mmガン・ランチャーを長砲身化した、MBT-70戦車向けの30.7口径152mmガン・ランチャーXM150E5を原型とした、XM150E6が搭載された。 XM150E5からの変更部分だが、温度の影響により主砲の砲身が歪むのを補正するために、砲身の周囲に装着されているサーマル・ジャケットが必要最小限の薄さにまで改められ、標準装備とされていた砲身の歪み感知機材は廃止された。 それによるコスト減がどの程度かは不明だが、それなりの効果はあったようである。 砲塔の中央部に配された152mmガン・ランチャーXM150E6は、油圧式の砲安定装置が組み込まれて、俯仰および左右動射撃精度向上を図っていた。 さらに、砲安定装置には弾道コンピューターが電子的に結合され、レーザー測遠機、傾斜角検知センサー、大気状態検知センサーからの各種情報と、目標の移動未来位置を砲手用照準機に表示するという機能を備えていた。 また大気状態に関するデータは、車長用の照準機にも表示する機能を備えていたが、これらは全てMBT-70戦車のものを踏襲しており、さすがに戦闘能力の要なので、この部分にはコスト減は図られなかった。 またM60A2戦車とM551空挺軽戦車で、射撃後に砲身内に生じる薬莢の残滓が、砲身内の次弾の暴発や誘爆など様々な問題の原因となったことを受け、急遽開発された尾栓残留物除去装置(CBSS)は、MBT-70戦車では最初から装着され、XM803戦車もそのまま受け継いでいた。 これまたMBT-70戦車から受け継いだGM社製の自動装填装置は、砲塔後部のバスル中央部に収められていた。 当然ながらその装填部は主砲と同軸に配されており、その左右には12発ずつの主砲弾が収容された。 加えて、砲塔バスケット前部には主砲弾6発が立てて収められ、さらに1発が横に置かれ、さらにバスケット後部と機関室防火壁の間となる床板には12発を立てて、7発を横に置いて収めており、その総数は50発となるのでわずか2発ではあるが、MBT-70戦車より搭載数が増加していた。 また、いずれの砲弾ラックにも緩衝材が取り付けられて、被弾時への対処を図っており、さらに、バスケット前部の砲弾ラック周囲には鋼板製のカバーが装着されていた。 XM803戦車の副武装は前述のように、車長用キューポラ右側に備えている全周旋回式昼/夜間視察照準機と一体化する形で、AAI社製の12.7mm重機関銃M85のマウントを設けていた他、主砲の同軸機関銃として、イリノイ州のロックアイランド工廠製の7.62mm機関銃M73を装備していた。 12.7mm重機関銃M85は、戦車用の対空機関銃として開発されたもので、自動・反動利用式、リンクベルト給弾方式の空冷機関銃である。 重量29.5kg、全長1,384mm、銃身長830mm、腔線8条、右転(381mmで一回転)、銃口初速866〜899m/秒、最大射程5,829〜6,652m、発射速度は最大1,050発/分である。 7.62mm機関銃M73は戦車の主砲同軸用に開発された、自動・反動利用式、リンクベルト給弾の空冷機関銃で、重量14.1kg、全長1,219mm、銃身長609mm、腔線4条、右転。 銃口初速は823〜853m/秒、最大射程は2,890〜3,200m、有効射程は直接目標に対して800m、発射速度は500〜625発/分である。 |
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<XM803戦車> 全長: 9.39m 車体長: 7.32m 全幅: 3.70m 全高: 3.24m 全備重量: 51.7t 乗員: 3名 エンジン: コンティネンタルAVCR-1100-3B 4ストロークV型12気筒空冷ターボチャージド・ディーゼル 最大出力: 1,475hp/2,800rpm 最大速度: 64.4km/h 航続距離: 644km 武装: 30.7口径152mmガン・ランチャーXM150E6×1 (50発) 12.7mm重機関銃M85×1 (900発) 7.62mm機関銃M73×1 (6,000発) 装甲厚: |
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<参考文献> ・「パンツァー2005年2月号 MBT70/Kpz.70の再評価」 白石光 著 アルゴノート社 ・「グランドパワー2014年8月号 MBT70の開発と構造」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2018年7月号 M1エイブラムス(1)」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版 |