+概要
1939年1月19日の会議において、ドイツ陸軍兵器局第6課はIV号戦車の基本設計をベースに、装甲の強化を図った65t級の重戦車「VII号戦車」を開発することを決定した。
VII号戦車は車体前面装甲80mmで、5cm徹甲弾に対する耐弾性を備え、路上最大速度は20〜25km/hが求められた。
VII号戦車には「SW」の秘匿呼称が与えられ、兵器局第6課は1月中にカッセルのヘンシェル&ゾーン社に対してSWの車体開発を発注している。
また時を同じくしてエッセンのクルップ社に対して、3種類の異なる武装を備えたSW用の木製砲塔モックアップの製作が発注された。
この際の武装要求は24口径7.5cm砲(弾丸重量6.8kg、砲口初速398m/秒)、40口径7.5cm砲(弾丸重量6.8kg、砲口初速685m/秒)、20口径10.5cm砲(弾丸重量15kg、砲口初速420m/秒)の3種類で、1939年4月には砲塔モックアップが完成した。
続いてクルップ社に対して、油圧式旋回装置を備えるSW用の軟鋼製試作砲塔1基の製作が発注された。
兵器局第6課は6月末に最終的な武装として24口径7.5cm砲を選択し、SW用試作砲塔に搭載するよう要求した。
また併せて、7基のペリスコープを内蔵する全周旋回式の車長用キューポラを装着することも求めた。
1940年3月に兵器局第6課はSW用砲塔の形状と装甲厚を、当時ヘンシェル社が開発を進めていた「DW」(ティーガーI戦車の原型となった試作車両)と共通とすることを決定した。
一方ヘンシェル社がSW用に設計した車体は当初、鉄道輸送を考慮して3分割式の構造を採用していたが、この場合一旦分解して鉄道に載せ、再度組み立てを行うのに約3週間を要することが問題となった。
このため後に兵器局第6課との会議において、車体を一体式のシンプルな構造に変更することが決定された。
SWのエンジンには、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL224 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力600hp)が採用され、路上最大速度は20km/hと試算された。
サスペンションはIII号戦車E型以降に採用されたのと同じ、先進的なトーションバー(捩り棒)方式が採用された。
65tという大重量を支えるため、転輪は片側10個がオーバーラップ式に配置され、接地圧の減少を図って履帯は800mmの幅広のものが用いられた。
1939年9月1日に兵器局第6課はSWの先行生産型を「VK.65.01」の呼称で製作することを決定し、1940年2月と3月にクルップ社に対してVK.65.01用の車体装甲板6両分と、同数の主砲を備えた砲塔の製作を発注した。
VK.65.01の最初の砲塔は1942年8月に完成することを予定しており、完成後はヘンシェル社の工場に運んで最終組み立てを行うことになっていた。
しかし1940年5〜6月のフランス侵攻における戦訓より、兵器局第6課は重量30t以上の戦車は通過できる橋梁が制限されてしまうため、戦術的な必要性が薄いという判断を下した。
そして、1940年8月にクルップ社に対してVK.65.01用車体装甲板の製作を中止させ、10月にはSW試作車用の軟鋼製砲塔の製作も中止が通達された。
一方、ヘンシェル社は1941年半ばにSW試作車の車体を完成させたが、すでに本格的な重戦車「VK.45.01」(後のティーガーI戦車)の開発が進められていたため、1942年末に兵器局第6課はヘンシェル社に対してSWの車体をスクラップにするよう命じた。
|