ポルシェ・ティーガー重戦車 (VK.45.01(P))
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+VK.30.01(P)
ドイツ陸軍兵器局の長であるクルト・リーゼ将軍の提案により、戦車の開発を担当する兵器局第6課は1935年から30t級重戦車の開発計画をスタートさせ、1936年からカッセルのヘンシェル社に「DW」(Durchbruchwagen:突破車)の秘匿呼称で30t級重戦車の開発を進めさせたが、その後、兵器局第6課は30t級重戦車の開発を「VK.30.01」の計画呼称でより本格的に行うよう方針を変更し、1939年10月にシュトゥットガルトのポルシェ社とベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社にもVK.30.01の開発を要請した。
これに応じてポルシェ社は、「100型」または「レオパルト」(Leopard:豹)の社内呼称で30t級重戦車「VK.30.01(P)」の開発を進めたが、ポルシェ社は設計専門で大規模な工場設備を持っていなかったため、1940年3月6日にエッセンのクルップ社に試作車体2両の製作を発注し、1940年11月〜1941年1月にかけて完成した。
このVK.30.01(P)で特徴的だったのは、動力機構にフェルディナント・ポルシェ工学博士が考案したユニークな電気駆動方式を採用していた点である。
これはまずガソリン・エンジンを駆動させてこれにより発電機を回し、電気モーターに電力を供給して起動輪を駆動するというシステムで、従来の機械式変速機に比べてスムーズな加速と旋回ができるというふれ込みであった。
VK.30.01(P)のエンジンは、ポルシェ社が設計しオーストリア・ウィーンのジマーリング・グラーツ・パウカー社で製造された出力210hpの100型
V型10気筒空冷ガソリン・エンジンを2基搭載していた。
発電機と電気モーターはニュルンベルクのジーメンス・シュッケルト製作所が製造し、ハイデンハイムのフォイト社が製造した「ニータ」(Nita)電気式変速機により速度の制御を行った。
VK.30.01(P)のサスペンションは、転輪を2個ずつ懸架する外装式の縦置きトーションバー(捩り棒)方式を採用しており、通常のトーションバーのように車内スペースを占有せず整備も容易に行えるように工夫していた。
足周りは、片側6個の複列式中直径転輪と片側2個の上部支持輪を組み合わせており、起動輪を前方、誘導輪を後方に配置していた。
ヘンシェル社が開発したVK.30.01(H)では、接地圧を均等に分散させることを重視して複雑なオーバーラップ式転輪配置を採用していたが、整備性に関してはVK.30.01(P)のシンプルな足周りの方が優れていた。
またVK.30.01(P)は避弾経始を考慮して、ドイツ戦車としては初めて車体前面に傾斜装甲が用いられていた。
ポルシェ社が設計したVK.30.01(P)の砲塔は円筒形の3名用のもので、搭載する武装についてはクルップ社が開発を担当することになっていた。
クルップ社はVK.30.01(P)の武装として、同社製の8.8cm高射砲FlaK36を戦車砲に改修した56口径8.8cm戦車砲KwK36、もしくは同社が新たに開発を進めていた47口径10.5cm戦車砲を予定していたが、FlaK36と共通の弾薬を使用でき実戦で威力が実証されている点を考慮して、1941年4月に8.8cm戦車砲KwK36が選択された。
VK.30.01(P)用砲塔は主砲と共にクルップ社で製作されることになっていたが、結局VK.30.01(P)に砲塔が搭載されることは無かった。
VK.30.01(P)は実物の砲塔の代わりに、円筒形のダミー砲塔を搭載した状態で各種試験に供された。
このダミー砲塔は実物の砲塔と同等の重量で製作されており、砲塔上面後半部は前方に開く大型ハッチとなっていた。
VK.30.01(P)は走行試験において最大60km/hの速度を発揮し、30t級の車両としては非常に高速であったが、反面機関系のトラブルが多発し信頼性に乏しい車両となってしまった。
また1941年5月から後述の45t級重戦車VK.45.01(P)の開発が進められたため、試作車体2両のみの製作で計画は中止された。
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+VK.45.01(P)
1941年5月26日の陸軍兵器局との会議において、アドルフ・ヒトラー総統は機甲師団の先頭に立って突破口を開く役割を担う重突破戦車の開発を要求し、兵器局第6課はこの要求に基づいてポルシェ社とヘンシェル社に45t級重突破戦車「VK.45.01」の開発を命令した。
この車両は強力な火力と装甲を備え、路上最大速度は40km/hを発揮することとされた。
これに応じてヘンシェル社は、当時開発を進めていた36t級重戦車VK.36.01(H)を拡大・発展させた45t級重戦車「VK.45.01(H)」の開発を進め、これが後に「ティーガー」(Tiger:虎)として制式採用されることになる。
一方ポルシェ社も、当時「100型」の社内呼称で開発を進めていた30t級重戦車VK.30.01(P)をベースに、これを拡大することで45t級重戦車「VK.45.01(P)」を開発する方針を採り、「101型」の社内呼称を与えて開発作業を進めた。
1941年6月22日に開始されたソ連侵攻作戦(Unternehmen Barbarossa:バルバロッサ作戦)において、T-34中戦車やKV-1重戦車などの強力なソ連軍戦車にドイツ陸軍の主力であるIII号、IV号戦車が苦戦を強いられていたため、ヒトラーはVK.45.01の早急な実戦化を求めた。
特にヒトラーはポルシェ社のVK.45.01(P)に大きな期待を掛けていたため、まだ試作車が完成する前の1941年7月に早くも100両の生産を命令した。
VK.45.01(P)に搭載する武装についてはVK.30.01(P)と同様、クルップ社製の56口径8.8cm戦車砲KwK36が予定されていたが、ヒトラーがより強力なデュッセルドルフのラインメタル社製の74口径8.8cm高射砲FlaK41をVK.45.01(P)に搭載することを求めたため、兵器局第6課は1941年6月21日にポルシェ社に対し、VK.45.01(P)の砲塔にFlaK41の搭載が可能かどうか検討するように指示した。
同年9月10日にポルシェ社は不可能という報告書を提出しているが、結局ヒトラーの要望でVK.45.01(P)の最初の100両はKwK36を搭載して製作するが、101両目から新設計の砲塔にFlaK41を搭載して製作することが決定された。
VK.45.01(P)の公式呼称は「VI号戦車P型」(特殊車両番号:Sd.Kfz.181)とされ、通称は「ティーガーP1型」もしくは「ポルシェ・ティーガー」であった。
なおポルシェ社はVK.45.01(P)の設計のみを担当し、砲塔と装甲板の製作はクルップ社、車体の製作と最終組み立てはオーストリアのザンクト・ヴァーレンティーンのニーベルンゲン製作所で行うことになっていた。
1942年3月23日の会議において、ポルシェ社はVK.45.01(P)の生産数の半分をフォイト社製の流体式変速機を装備したタイプ(ポルシェ社内呼称:102型)として完成させることを提案し、これは101型と102型を9:1の割合で生産するという形で承認された。
しかし、102型の開発を進めている途中で後述のようにVK.45.01(P)の不採用が決定したため、結局102型は試作車が1両製作されたのみで開発が中止された。
VK.45.01(P)は、1942年4月20日のヒトラーの誕生日までに砲塔未搭載の試作車を完成するよう厳命されたため、製作作業は大急ぎで行われ、その甲斐あって試作車は期限ぎりぎりの4月18日に何とか完成した。
VK.45.01(P)の試作車は東プロイセン・ラステンブルクの総統本営に送られ、ヘンシェル社のVK.45.01(H)の試作車と共にヒトラーの面前で走行デモンストレイションが行われた。
この走行デモンストレイションでは明らかにヘンシェル社のVK.45.01(H)の方が高い性能を示したが、ヒトラーは相変わらずポルシェ社のVK.45.01(P)を贔屓しており1942年9月末までに60両、1943年2月末までにさらに135両のVK.45.01(P)を生産することを要求した。
実際この時期、すでに前線からの新型戦車の要求は切迫していた。
ヒトラーはVK.45.01(P)が空冷エンジンを搭載していたことから、最初の生産分を北アフリカ戦線に送ることを要求していた。
ポルシェ博士は1942年5月12日にはVK.45.01(P)の生産型第1号車を軍に引き渡すと約束しており、生産ラインの準備はすでに着々と進んでいた。
このためVK.45.01(P)は、ろくに試験もしないうちにすぐに量産が開始された。
しかし、事は順調には運ばなかった。
動力機構やサスペンションに問題が続出したため、実際にはVK.45.01(P)の生産型第2号車体が完成したのは1942年6月のことで、同年9月の段階でもわずかに5両が完成したに過ぎなかった。
その上、1942年7月にツォッセンのクンマースドルフ車両試験場で行われたVK.45.01(P)の試験結果は散々だった。
この時は改良に3カ月の猶予が与えられたものの、改善はほとんど不可能だった。
このため1942年10月末、VK.45.01(P)にはさすがに見切りが付けられ制式化は見送られた。
この時までにVK.45.01(P)は10両の車体が完成し、その内8両には砲塔も搭載されていた。
さらに前述したような事情で量産が急がれたため、VK.45.01(P)は90両分の製作部品がすでに用意されており、これは後に砲塔がヘンシェル社のティーガー戦車の砲塔として転用され、車体についてはフェルディナント重突撃砲の車体に改造されることになる。
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+構造
VK.45.01(P)の車体は、従来のドイツ戦車と同じくほぼ垂直の装甲板で構成された箱型をしていた。
砲塔リングの直径が1,850mmと大きいため、車体幅はフェンダー外端いっぱいまで拡げられていた。
面白いのは戦闘室袖部がスペースを稼ぐためか、転輪のすぐ上まで張り出していたことである。
装甲厚は前面が100mm、側/後面が80mmと非常に強力であった。
VK.45.01(P)の車内レイアウトは一般的なもので車体前部が操縦室、車体中央部が全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室となっていた。
車体前部の操縦室内には左側に操縦手、右側に無線手が位置した。
操縦手席の前方には視察クラッペが設けられており、無線手席の前方にはオベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34がボールマウント式銃架に装備されていた。
操縦手および無線手用ハッチは車体の左右側面に設けられるはずだったようだが、実際には溶接で塞がれてしまっている。
VK.45.01(P)の砲塔はティーガー戦車のものと同一で、馬蹄形の3名用のものであった。
これは元々VK.45.01(P)用にポルシェ社が設計した砲塔であるが、後にヘンシェル社のVK.45.01(H)にも流用されてティーガー戦車の砲塔となったわけである。
ただし試作段階では生産型と異なり砲塔上面が平らで、中央部だけが俯角を取った時に砲尾と干渉しないよう突き出た形状になっていた。
主砲も、ティーガー戦車と同じクルップ社製の56口径8.8cm戦車砲KwK36が搭載された。
エンジンは、ポルシェ社が設計しジマーリング社が製造を担当した出力320hpの101/1型空冷ガソリン・エンジンが2基搭載された。
101/1型エンジンは72度V型10気筒、口径115mm×行程145mmで、排気量は15,000ccであった。
VK.45.01(P)の動力機構はポルシェ博士が考案した電気駆動方式で、発電機はジーメンス社製のaGV、電気モーターは同社製のD1495aが使用されていた。
VK.45.01(P)の駆動方式はまずガソリン・エンジンを駆動させてこれにより発電機を回し、電気モーターに電力を供給して起動輪を駆動させるというもので、スムーズな加速と旋回ができるというふれ込みであった。
しかし実際は、左右の起動輪の回転が同調せずにかなり乗り心地は悪かったようである。
計画ではVK.45.01(P)は路上最大速度35km/hが予定されていたが、実際にこの速度を発揮できたかはかなり疑問である。
足周りは複列式の中直径転輪6個と前方の誘導輪、後方の起動輪の組み合わせとなっていたが誘導輪、起動輪共に歯がある星型となっていた。
上部支持輪は無く、代わりに張り出した戦闘室袖部の前後に円筒形の履帯ガイドが設けられていた。
転輪はゴム縁の無い鋼製転輪が用いられたが、これは戦略物資であるゴムの節約のためであった。
それでも単にゴム縁を廃止したのではなく内側にゴムを組み込んであり、通常のゴム縁付き転輪と同様の緩衝効果を発揮した。
履帯はスケルトン型、ダブルセンターガイド付きのシングルピン/シングルブロック式で幅は640mmであった。
サスペンションは、車内スペースの確保と整備性の向上を図って外装式の縦置きトーションバー方式が採用された。
これは軸受けの中にトーションバーを収めて前後に2個の転輪を懸架する独特のもので、外装式であるため通常のトーションバーのように車内スペースを占有せず整備性も良かったが、緩衝能力や強度に問題があった。
完成した10両のVK.45.01(P)は基本的に試験用、乗員の訓練用として使用されたが、少なくとも2両は実戦部隊に引き渡されて、フェルディナント重突撃砲を装備する戦車駆逐大隊で指揮戦車として使用されたことが確認されている。
この車両は車体前面が改良されて、フェルディナント重突撃砲と同様の増加装甲板が取り付けられていた。
操縦手の視察口には開閉式の四角形の蓋のようなものが取り付けられていて、頭上には3基のペリスコープが追加されていた。
砲塔は、生産型のティーガー戦車と同一の改修型砲塔が搭載されていた。
この砲塔は初期型のもので、後部にはIV号戦車用と似た形状の雑具箱が取り付けられていた。
なおVK.45.01(P)の電気駆動機構を利用するため、砲塔旋回機構はティーガー戦車の油圧駆動式から電気駆動式に変更されていた。
後部機関室脇には、アンテナベースが追加されていた。
また車体には、磁気吸着地雷対策のツィンメリット・コーティングが施されていた。
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<VK.30.01(P)>
車体長:
6.60m
全幅: 3.20m
全高: 3.03m
全備重量: 30.0t
乗員: 4名
エンジン: ポルシェ100型 4ストロークV型10気筒空冷ガソリン×2
最大出力: 420hp/2,500rpm
最大速度: 60km/h
航続距離:
武装: 56口径8.8cm戦車砲KwK36×1
装甲厚: 20〜50mm
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<VK.45.01(P)>
全長: 9.34m
車体長: 6.70m
全幅: 3.14m
全高: 2.80m
全備重量: 57.0〜59.0t
乗員: 5名
エンジン: ポルシェ101/1型 4ストロークV型10気筒空冷ガソリン×2
最大出力: 640hp/2,500rpm
最大速度: 35km/h
航続距離: 80km
武装: 56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (70発)
7.92mm機関銃MG34×2
装甲厚: 25〜100mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「世界の戦車イラストレイテッド6 ティーガーI重戦車
1942〜1945」 トム・イェンツ/ヒラリー・ドイル 共著
大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「ティーガー戦車」 W.J.シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「重駆逐戦車」 W.J.シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「グランドパワー2005年10月号 フェルディナント
&
VK45.01(P)図面集」 箙浩一 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年7月号 重戦車ティーガー(1) 開発と構造」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2012年8月号 ドイツ戦車の装甲と武装」 国本康文 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年7月号 エレファントの開発と構造」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1)
第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」 ガリレオ出版
・「ティーガーI
(3) 虎のメカニズム」 遠藤慧/箙浩一 共著 デルタ出版
・「ミリタリーコレクション3 ティーガー重戦車
パート1」 佐藤幸司/佐野信二 共著 コーエー
・「戦車名鑑
1939〜45」 コーエー
・「パンツァー2005年10月号 VK4501(P)物語」 稲田美秋 著 アルゴノート社
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
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