VFW対空自走砲
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+開発
フランス侵攻を計画していたドイツ軍は、フランスがドイツとの国境沿いに構築した要塞線「マジノ・ライン」を突破するために各種自走砲の開発を並行して進めたが、その中にエッセンのクルップ社が開発した56口径8.8cm高射砲FlaK18を搭載する車両が存在した。
「IV号c型装甲自走砲」と名付けられたこの車両は、1940年初め頃にクルップ社に3両が発注されて開発が開始されたが、最前線での戦闘に供される車両としては軽装甲で、試作車の完成前から時代遅れの感があった。
そして、1940年5~6月のフランス侵攻までに完成させることができなかったにも関わらず、本車はそのまま開発が続行された。
その後、1942年6月にクルップ社はドイツ陸軍兵器局第6課に対して、本車の主砲をFlaK18に代えてより高初速、長射程の、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の74口径8.8cm高射砲FlaK41に変更することを提案した。
この提案は兵器局第6課に承認され、任務も対地支援から対空に変更されたことを受け、その呼称も「VFW」(Versuchsflakwagen:試作対空車両)と改められた。
そして1943年4月にVFW対空自走砲の試作第1号車が、5月に試作第2号車がそれぞれFlaK41を搭載して完成し、走行試験が行われた。
しかしこの試験の結果は散々で、搭載したフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL90 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力360hp)は問題なかったものの、ZF社(フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製のSMG90変速機と、カッセルのヘンシェル&ゾーン社製のL320C操向機に関する問題が多発し、このためクルップ社はZF社製のSSG76変速機と自社製の操向機への換装を具申した。
VFW対空自走砲の試作第1、第2号車はその後も試験に供されたと思われるが詳細は不明で、試作第3号車を製作していたクルップ社工場に連合軍による爆撃が開始されたため、試作第3号車は1943年10月にマクデブルクのグルゾン製作所(クルップ社の子会社)の工場に移動し、ここで製作作業が続けられ11月初めには完成を見た。
おそらくこの試作第3号車は、最初から変速機と操向機を新型に換装していたものと思われる。
そして、1943年11月5日にドイツ空軍軽高射砲部門第4課のクレイン工学博士は、VFW対空自走砲の試作第2号車は必要無いためスクラップにするよう指示を出し、さらに1944年1月にアルベルト・シュペーア軍需大臣はVFW対空自走砲の開発を中止し、より緊急性が高い車両の開発に専念すべしとの通達を出した。
機甲部隊を敵航空機から防御するには8.8cm高射砲は全く不向きで、自走式対空車両には3.7cmもしくは5.5cm機関砲が有効との判断がその背景にあったことは間違いない。
こうしてVFW対空自走砲の3両の試作車の内1両は姿を消したが、1944年3月3~9日まで1両が、デンマークのオクスボル射撃試験場において走行および射撃試験に供された。
結果は良好で、鋭いカーブを含む整地での走行速度は40~50km/hを記録し、速度60km/hでも搭載されたHL90ガソリン・エンジンに不具合は生じなかったといわれる。
そして1944年3月に、VFW対空自走砲の1両の主砲をクルップ社製の56口径8.8cm高射砲FlaK37に換装することが命じられ、主砲換装後この車両は第304高射砲大隊(自走)に配備され、イタリア戦線に送られて第26機甲師団の傘下に入り、連合軍との戦闘に投入された。
主砲換装後のVFW対空自走砲の写真として残されているものは、このイタリア戦線に移動してから撮影されたものと思われる。
また、残る1両のVFW対空自走砲はそのままFlaK41を搭載していたが、FlaK37に換装されたのが試作第1号車と第3号車のどちらなのかは不明である。
いずれにしろ、試作第1号車も第3号車もその後の消息については分かっていない。
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+構造
前述のように、VFW対空自走砲は開発当初「IV号c型装甲自走砲」と呼ばれていたが、本車は実際にはIV号戦車とは全く別の車両であり、IV号戦車のコンポーネントは一切流用されていない。
足周りはティーガー戦車やパンター戦車と同様の、オーバーラップ(挟み込み)方式の転輪配置となっており、サスペンションも同様にトーションバー(捩り棒)方式を採用していた。
エンジンは、マイバッハ社製のHL90 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力360hp)を搭載しており、重量26tの車体を路上最大速度40~50km/hで走行させることができた。
変速・操向機は当初ZF社製のSMG90変速機と、ヘンシェル社製のL320C操向機を組み合わせていたが、後にZF社製のSSG76変速機(前進6段/後進1段)と、クルップ社製の新型操向機の組み合わせに変更された。
主砲であるラインメタル社製の74口径8.8cm高射砲FlaK41は車体上面中央に搭載され、全周旋回が可能であった。
砲の俯仰角は-3~+90度で、最大射高14,700m、最大射程19,800m、発射速度22~25発/分となっていた。
使用弾種は対航空機用の時限信管付榴弾(砲口初速1,000m/秒)と、対戦車用の徹甲弾(砲口初速980m/秒)が用意されていた。
徹甲弾を使用した場合は射距離1,000mで192mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹可能であり、対戦車砲としても絶大な威力を発揮した。
砲の前方には牽引型のものをそのまま流用した20mm厚の大型防盾が設けられており、砲操作員を保護するようになっていた。
本車はこの大型防盾と、砲の左右および後方に設けられた14.5mm厚の起倒式装甲板を用いて、メーベルヴァーゲン対空自走砲と同様にオープントップの箱型戦闘室を構成するようになっており、戦闘時には左右と後方の起倒式装甲板を水平に展開して射撃を行うようになっていた。
展開した起倒式装甲板は、砲操作員の射撃プラットフォームとして用いられた。
VFW対空自走砲の主砲弾薬は、時限信管付榴弾と徹甲弾合わせて44発(48発とする資料もある)が搭載されることになっていたが、写真を見る限り戦闘室内には弾薬の収納スペースは見当たらず、どこに弾薬を収納したのか不明である。
なお本車の乗員は車長、操縦手、砲操作員7名の合計9名となっていた。
3両が製作されたVFW対空自走砲の試作車の内1両は、後に主砲をクルップ社製の56口径8.8cm高射砲FlaK37に換装してイタリア戦線に送られているが、なぜFlaK41に比べて旧式で性能の劣るFlaK37にわざわざ換装したのかは不明である。
8.8cm高射砲FlaK37はFlaK18の小改良型であるFlaK36に、機械式アナログ計算機を内蔵した射撃指揮装置「コマンドゲレート」を追加したもので、従来の高射砲よりも対空目標への命中率が優れているのが特長であった。
しかしコマンドゲレートはFlaK41にも装備されており、射程や発射速度など全ての性能で上回るFlaK41をFlaK37に換装する必要性は感じられない。
なお資料によっては、VFW対空自走砲の試作第1号車は最初からFlaK37を装備しており、後に主砲をFlaK41に換装することが計画されたが、換装しないままイタリア戦線に送られたとしている。
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<VFW対空自走砲 FlaK37搭載型>
全長: 7.00m
全幅: 3.00m
全高: 2.80m
全備重量: 26.0t
乗員: 9名
エンジン: マイバッハHL90 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 360hp/3,600rpm
最大速度: 40~50km/h
航続距離: 300km
武装: 56口径8.8cm高射砲FlaK37×1 (44発)
装甲厚: 最大20mm
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<VFW対空自走砲 FlaK41搭載型>
全長: 9.20m
全幅: 3.00m
全高: 2.80m
全備重量: 26.5t
乗員: 9名
エンジン: マイバッハHL90 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 360hp/3,600rpm
最大速度: 40~50km/h
航続距離: 300km
武装: 74口径8.8cm高射砲FlaK41×1 (44発)
装甲厚: 最大20mm
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兵器諸元(VFW対空自走砲 FlaK37搭載型)
兵器諸元(VFW対空自走砲 FlaK41搭載型)
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<参考文献>
・「パンツァー2004年6月号 ドイツ軍対空砲88”アハト・アハト”と対空自走砲」 稲田美秋 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年1月号 ドイツAFVアルバム(373)」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年11月号 ドイツAFVアルバム(380)」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ドイツ陸軍兵器集 Vol.4 突撃砲/駆逐戦車/自走砲」 後藤仁/箙浩一 共著 ガリレオ出版
・「ドイツ試作/計画戦闘車輌」 箙浩一/後藤仁 共著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2004年10月号 ドイツ軍高射砲(2) 8.8cm FlaK41」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年11月号 ドイツ装軌式対空車輌」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年8月号 ドイツ計画戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー1999年10月号 ドイツ対空戦車」 佐藤光一 著 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版 ・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画 ・「世界の戦車パーフェクトBOOK」 コスミック出版
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