ヴェルデハ軽戦車
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ヴェルデハI軽戦車
ヴェルデハII軽戦車
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+ヴェルデハI軽戦車
スペイン政府は第1次世界大戦後の1923年より国軍の近代化に着手し、戦車についてはフランスよりシュナイダー突撃戦車、ルノーFT軽戦車を輸入することで戦力を整備していった。
1936年に勃発したスペイン内戦において、左派の人民戦線政府を支援したソ連はT-26軽戦車やBT快速戦車、右派の反乱軍を支援したドイツはI号戦車やII号戦車、イタリアはフィアット3000突撃戦車やCV33快速戦車をスペインに派遣したが、これらの戦車の活躍によりスペイン陸軍は戦車の重要性を強く認識することとなった。
そして内戦終結後にフェリックス・ヴェルデハ・バルダレス将軍の主導の下、スペイン陸軍は初の国産戦車の開発に乗り出した。
スペイン内戦に派遣された各国の戦車の内、ソ連義勇軍が使用していたT-26軽戦車1933年型が性能的に特に優れていると評価されたため、ヴェルデハ将軍はT-26軽戦車を基本ベースとして国産戦車を開発することを計画し、内戦で遺棄された多数のT-26軽戦車の徹底的な調査・研究が行われた。
国産戦車の主砲については、T-26軽戦車に装備されていたソ連製の46口径45mm戦車砲20Kをコピー生産したものを搭載することになった。
この砲は当時の戦車砲としては最高レベルの威力を備えており、重量1.43kgの徹甲弾を用いて砲口初速760m/秒、射距離900mで38mm(傾斜角30度)のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹可能であった。
さらに国産戦車では、主砲の最大仰角を70度まで取れるように改良されることになり、榴弾を高仰角で発射する迫撃砲的な運用を行うことが可能となった。
副武装については、当時ライセンス生産を行っていたドイツ製の7.92mm機関銃MG13を主砲の左右に同軸装備することとした。
国産戦車の砲塔はドイツのI号戦車のものに良く似た馬蹄形にデザインされ、副武装の装備方法と共に影響を受けたものと推測される。
足周りの構造についてはT-26軽戦車を模倣することになり、サスペンションの構造や転輪、起動輪、履帯の形状はT-26軽戦車に似たものが用いられた。
転輪は2個ずつボギーで連結され、そのボギー2組が1つのリーフ・スプリング(板ばね)に取り付けられた。
このユニットが片側2組用いられて、サスペンションを構成していた。
起動輪は前方、誘導輪は後方で、片側4個の上部支持輪と組み合わされていた。
エンジンはスペイン・フォード社製のモデル48 V型8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力85hp)が用いられ、T-26軽戦車の路上最大速度27km/hをはるかに上回る路上最大速度44km/hを発揮できるようにした。
一方、国産戦車の車体デザインはT-26軽戦車とはかなり異なっており、避弾経始を重視して曲面を多用した低いシルエットのものとされた。
装甲厚についてはT-26軽戦車とほぼ同じ7〜25mmとされたが、実質的な防御力は本車の方が上回っていた。
本車がシルエットを低くできた最大の理由は、その独特な車内レイアウトにあった。
車体最前部に変速・操向機が置かれ、その後方に機関室と操縦室、車体最後部に全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室が配置されていたが、このようなレイアウトの戦車は現在に至るもイスラエルのメルカヴァ戦車シリーズぐらいしか存在せず、非常に異端である。
1938年にマドリード工場で完成した国産戦車の試作車は、本車の開発を推進したヴェルデハ将軍に因んで「ヴェルデハ」(Verdeja)と名付けられた。
ヴェルデハ軽戦車は1940年まで試作車を用いて各種試験が実施され、砲塔形状を若干改良した上で同年から量産が開始された。
ヴェルデハ軽戦車の生産型には「ヴェルデハI」という呼称が与えられたが、これは最初からこの呼称なのか、後に改良型の「ヴェルデハII」が登場したことに伴って「I」を付けたのかは不明である。
ヴェルデハI軽戦車は1,000両という大量生産を行うことが計画されていたが、資材不足やインフレによる価格の高騰のために生産はなかなか進まず、結局完成したのは100両に満たなかった(一説には92両)といわれる。
結局スペインは第2次世界大戦に参戦しなかったため、ヴェルデハI軽戦車は一度も実戦に参加しないままスペイン陸軍を退役することとなった。
ヴェルデハI軽戦車は全て廃棄処分されており、現存する車両は1両も無い。
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+ヴェルデハII軽戦車
1940年からヴェルデハI軽戦車の量産が開始されたものの、当時列強の戦車が大幅に性能を向上させつつあったため、ヴェルデハI軽戦車では歯が立たなくなることが危惧された。
このため1941年にヴェルデハ将軍は、ドイツ陸軍の主力戦車であるIV号戦車を参考により強力な国産戦車を開発することを計画した。
彼はドイツの戦車工場を訪問し、またドイツ参謀本部がスペインに提供した戦車についての情報等を基に研究を重ねた。
新型戦車は「ヴェルデハII」と名付けられ、ヴェルデハI軽戦車の良い部分を全て受け継ぎながらさらに性能を向上させたものとして開発が進められた。
ヴェルデハI軽戦車は避弾経始を重視した曲面を多用したデザインと低いシルエットが特長であったが、ヴェルデハII軽戦車でもこれは受け継がれた。
ただし、ヴェルデハI軽戦車は内部容積が不足していることが欠点として挙げられていたため、ヴェルデハII軽戦車では内部容積を確保するために車体が拡大され、車内レイアウトもヴェルデハI軽戦車から大きく変更された。
ヴェルデハII軽戦車では車体前部が操縦室、車体中央部が戦闘室、車体後部が機関室という一般的な戦車で採用されているレイアウトに改められることになった。
このレイアウトの変更に伴い、ヴェルデハII軽戦車の砲塔は車体中央部前寄りに位置が変更されており、起動輪の位置もヴェルデハI軽戦車の前方配置から後方配置に改められている。
またヴェルデハII軽戦車では装甲防御力も強化されることになり、装甲厚は車体前面で40mm、砲塔前面で28mmとされた。
車体サイズの拡大と装甲強化に伴って、ヴェルデハII軽戦車の戦闘重量はヴェルデハI軽戦車の6.5tから10tに大きく増加したが、これに合わせてエンジンの強化が図られたようで、路上最大速度はヴェルデハI軽戦車の44km/hから46km/hへと逆に向上している。
ヴェルデハII軽戦車の主砲については、試作車ではヴェルデハI軽戦車と同じ45mm戦車砲が搭載されたものの、生産型ではより強力な75mm戦車砲を装備することが予定された。
この75mm戦車砲の詳細については不明であるが、ヴェルデハI軽戦車の主砲と同様に最大72度までの仰角が取れるようになっており、大口径榴弾による火力支援任務にも力を発揮できるようになっていた。
副武装については、ヴェルデハI軽戦車と同様に7.92mm機関銃を主砲の左右に同軸装備していた他、車体前面にも7.92mm機関銃が追加装備された。
しかし結局、ヴェルデハII軽戦車は試作車が1両作られたのみで量産は行われなかった。
これは、1943年末にドイツの地中海輸送船団がイギリス海軍に拿捕されるのを避けるため、スペインのカルタヘナ港に避難した際に抑留された事件が原因となっている。
この輸送船団にはドイツ陸軍のIV号戦車20両と、多数の46口径7.5cm対戦車砲PaK40およびその弾薬が搭載されていたが、スペイン政府はこれらを接収して自軍の装備に編入してしまったのである。
こうして高性能な装備を入手したスペイン陸軍は、技術的にも財政的にも困難な国産戦車の開発に見切りを付けて中止してしまった。
なおスペイン陸軍は「ヴェルデハIII」と呼ばれる発展型の開発にも着手していたが、設計段階で開発中止となってしまい詳細についても分かっていない。
ヴェルデハII軽戦車の試作車のその後の運命についてであるが、不要となった試作車は第2次世界大戦後しばらくスペイン陸軍研究所の本部に放置されていた。
ところが戦後、フランシスコ・フランコの独裁政権は世界から経済制裁の対象とされ、新型兵器の調達に支障を来すこととなった。
このためスペイン陸軍は1950年にヴェルデハII軽戦車の試作車を引っ張り出して、新型のディーゼル・エンジンを搭載する試験を実施した。
しかし、ヴェルデハII軽戦車はこの時期にはもう完全に旧式化していたためどうにもならず、その後は長らくスペイン陸軍研究所の射撃場に標的として放置された。
その後1970年代にヴェルデハII軽戦車の保存運動が起こったため、現在はトレドの歩兵学校に保存・展示されている。
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<ヴェルデハI軽戦車>
全長: 4.498m
全幅: 2.152m
全高: 1.572m
全備重量: 6.5t
乗員: 3名
エンジン: スペイン・フォード モデル48 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 85hp
最大速度: 44km/h
航続距離: 220km
武装: 44口径45mm戦車砲Mk.I M1939×1
7.92mm機関銃MG13×2
装甲厚: 7〜25mm
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<ヴェルデハII軽戦車>
全長:
全幅:
全高:
全備重量: 10.0t
乗員: 3名
エンジン: スペイン・フォード 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力:
最大速度: 46km/h
航続距離:
武装: 44口径45mm戦車砲Mk.I M1939×1
7.92mm機関銃MG13×3
装甲厚: 7〜40mm
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<参考文献>
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「世界の軍事・戦車博物館」 笹川俊雄 著 大日本絵画
・「世界の無名戦車」 斎木伸生 著 三修社
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