+概要
スペイン陸軍は、スペイン内戦の際にソ連義勇軍が使用していたT-26軽戦車1933年型を参考にして、初の国産戦車であるヴェルデハI軽戦車を開発し1940年から量産に着手した。
しかし、その後列強の戦車が大幅に性能を向上させたことにより、ヴェルデハI軽戦車が装備する45mm戦車砲では歯が立たないことが明らかになった。
そんな折、1943年末にドイツの地中海輸送船団がイギリス海軍に拿捕されるのを避けるため、スペインのカルタヘナ港に避難した際に抑留される事件が起こった。
この輸送船団にはドイツ陸軍のIV号戦車20両と、多数の46口径7.5cm対戦車砲PaK40およびその弾薬が搭載されていたが、スペイン政府はこれらを接収して自軍の装備に編入してしまった。
この事件によって、スペイン陸軍はIV号戦車などの高性能な装備を入手することができたが、反面このことが、ヴェルデハI軽戦車の発展型として開発が進められていたヴェルデハII、III軽戦車の開発中止に繋がった。
しかし、一方で強力な7.5cm対戦車砲PaK40を入手したことにより、この砲をヴェルデハI軽戦車に搭載して火力強化を図る計画が開始されることになった。
そして研究の結果、ドイツ陸軍がチェコ製の38(t)戦車をベースに開発したマルダーIII対戦車自走砲を参考に、ヴェルデハI軽戦車の車台をベースとし、7.5cm対戦車砲PaK40を搭載する対戦車自走砲を開発することが決定された。
その後1945年初めになって、ヴェルデハI軽戦車から数十両の対戦車自走砲が改造生産されている。
なお本車の制式呼称は、「C.75ATP」(Cañón autopropulsado de 75/40m Verdeja)である。
C.75ATP対戦車自走砲の外見は、マルダーIII対戦車自走砲の最終型であるマルダーIII M型に非常に良く似ていた。
これは、ヴェルデハI軽戦車とマルダーIII M型の車内レイアウトが非常に良く似ていたためで、ヴェルデハI軽戦車は自走砲のベース車台として用いるのに非常に適していた。
自走砲は戦闘室が車体後部にあるのが望ましいため、マルダーIII M型ではベースとなった38(t)戦車の車内レイアウトを大幅に変更し、機関室を車体中央部に移して、車体後部に戦闘室を設けた38(t)戦車M型車台が新規に製作されたが、ヴェルデハI軽戦車は最初からそのような車内レイアウトになっていたため、マルダーIII
M型と同様のスタイルの自走砲に容易に改修することができたのである。
C.75ATP対戦車自走砲の主砲は、ドイツのラインメタル・ボルジヒ社製の7.5cm対戦車砲PaK40をコピー生産した「75/40m」と呼ばれるもので、車体後部の戦闘区画に限定旋回式に搭載された。
この砲はオリジナルのPaK40とは細部が異なっており、砲尾が鎖栓式から隔螺式に変更されていた他、駐退復座機構も全く別物であった。
砲の旋回角は左右各40度ずつ、俯仰角は-0.5~+25度となっており、車内には24発の75mm砲弾が搭載された。
砲の周囲には、前面と左右側面を7mm厚の装甲板で囲んだ戦闘室が構成され、砲操作員を保護するようになっていた。
C.75ATP対戦車自走砲の主砲の原型となった7.5cm対戦車砲PaK40は、Pz.Gr.39 APCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾)を用いた場合、砲口初速792m/秒、射距離100mで106mm、500mで96mm、1,000mで85mmのRHA(均質圧延装甲板/傾斜角30度)を貫徹することが可能であり、当時の連合軍戦車の多くを正面から撃破できる威力を備えていた。
また、本車が榴弾を使用した場合の最大射程は6,000m、有効射程は2,315mとなっており、火力支援任務でも充分活躍することが可能であった。
しかし結局、スペインは第2次世界大戦に参戦しなかったため、C.75ATP対戦車自走砲は一度も実戦に参加しないままスペイン陸軍を退役することとなった。
現存する車両は2両のみで、スペイン陸軍アコラザダス博物館の展示車両として余生を送っている。
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