+概要
ウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社が開発した小型装軌式運搬車ブレンガン・キャリアは、イギリス連邦軍では好評で幾つかの派生型が作られた。
わずかな仕様の違いで幾つもの型式の車両を少数ずつ生産するのは効率が悪いので、1939年になるとブレンガン・キャリアをベースに、専用キットを付け替えるだけで各種用途に転用できるユニヴァーサル・キャリアが開発された。
ユニヴァーサル・キャリアは、基本的な車体構造はブレンガン・キャリアそのものであったが、車体後部に箱型のオープントップ式装甲キャビンが設けられており、兵員や貨物、弾薬等の搭載を容易に行えるようになった。
ユニヴァーサル・キャリアはMk.I〜Mk.IIIの基本型が作られているが、これはいずれも大きな構造的な変更は無く細部改修に留まっており、一部のブレンガン・キャリアは、ユニヴァーサル・キャリアの就役と共にユニヴァーサル・キャリアのMk.I規格に改修されている。
ユニヴァーサル・キャリアは1939年4月に最初の発注が行われ、翌40年から終戦まで生産が続けられた。
全型式合計の生産台数はイギリスで約35,000両、カナダで24,000両、オーストラリアで5,600両、ニュージーランドでも約500両が生産されて、総生産台数は65,100両にも達する。
ユニヴァーサル・キャリアの実戦場への登場は北アフリカ戦線からで、1941年以降、イギリス連邦軍のある所どこでも目にされるポピュラーな車両となった。
1942年以降は、新たに登場した王立造兵廠製の6ポンド(57mm)対戦車砲の牽引車としても用いられた。
またソ連にも多数がレンドリース供与され、1943〜45年の間に東部戦線でもその姿がよく目撃された。
これだけ多数普及した小型装軌式車両は他に例が無かったが、そのため工場で作られたものの他に、現地改修で様々なヴァリエーションが生み出されている。
特に武装面での改修が目立ち、銃座に装備された固有武装である、エンフィールドロックのRSAF(Royal Small Arms Factory:王立小火器工廠)製の7.7mmブレン軽機関銃の他に、車体後部のキャビンにピントルマウントを増設して7.7mmヴィッカーズ機関銃や、アメリカのブラウニング火器製作所製の12.7mm重機関銃M2を搭載したり、王立造兵廠製のML
3インチ迫撃砲を搭載したタイプがあった。
ソ連軍にも、12.7mm重機関銃DShKや14.5mm対戦車銃を搭載したタイプが見られる。
また一部のユニヴァーサル・キャリアが、フランス戦末期から大陸に投入されていたためドイツ軍に鹵獲され、これらにラインメタル・ボルジヒ社製の45口径3.7cm対戦車砲PaK36を後部エンジン・デッキ上に搭載した改修型が、フランス警備のドイツ軍部隊に装備された。
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