特三式内火艇 カチ
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+開発
日本海軍は、初の本格的な水陸両用戦車である特二式内火艇(カミ車)を1942年に実用化したが、カミ車は陸軍の九五式軽戦車(ハ号車)をベースに開発された車両であるため、戦闘能力は軽戦車の域を出ることは無く、強力な米英軍の戦車に対抗するにはあまりにも非力であった。
このため海軍は、当時の陸軍の最新鋭戦車であった一式中戦車(チヘ車)をベースとする、より強力な水陸両用戦車を開発することを計画した。
この新型水陸両用戦車は「カチ車」の秘匿呼称が与えられて開発が進められたが、カチ車はチヘ車と同じく主砲に高初速の一式四十七粍戦車砲を採用し、車体前面装甲もチヘ車と同じ50mmとされており、当時の日本軍戦車の中では最高レベルの火力と防御力を備えていた。
しかしカミ車の時と違って、カチ車を陸軍でも採用しようという動きは無かった。
これは後述のように、カチ車が海軍の構想した潜水艦による奇襲作戦に向けて特殊化が進み過ぎていたのと同時に、陸軍の期待した水陸両用戦車はあくまでも軽戦車相当の偵察戦車であり、海軍が指向した本格的な対戦車戦闘用の中戦車的なものではなかったからである。
外観からも明らかなようにカチ車はカミ車と同様に、潜水艦によって運搬され奇襲的に使用することが想定されていた。
しかしカチ車はカミ車に比べて内部機構が全般的に洗練されており、カミ車では脱落式となっていた車体後部のスクリューはカチ車では跳ね上げ式とされ、地面とのクリアランスを確保するようになっており、車体の前後に装着された浮航用のフロートも、1つのハンドルで2つを同時に切り離すことができるようになっていた。
またカチ車のエンジンは直径3mの円筒形の耐圧船殻に収められており、カミ車のように上陸前にエンジンを車内に搭載するような手間は省かれていた。
このため、浮上した潜水艦からの発進準備に要する時間はカミ車の30分から10分に短縮された。
なおカチ車の耐圧船殻の安全深度は100mと設定されており、母艦となる潜水艦の安全深度まで潜行可能となっていた。
もっともこうした構造に対しては、生産性が低くやや凝り過ぎだったのではないかとの設計側の反省も見られる。
耐圧船殻部の外側左右の袖部は浮上航行時の浮力を担う水密区画(潜水輸送時は開放され、自由に海水が出入りする)であったが、車体後部は円筒形の耐圧部が剥き出しとなる戦車としては特異な形状となっていた。
なおエンジンや伝送系、操縦手席などが耐圧船殻内にあるために、潜水艦の浮上後に乗員が乗り込むには車内耐圧船殻上部にボルトで固定された円形ハッチを開放する必要があり、撤去されたハッチは砲塔後面から車外に排出された。
このため、カチ車の砲塔後面ハッチは大きく開口できる設計になっていた。
1943年中に「特三式内火艇」として制式化されたカチ車は、カミ車のように実戦投入はされなかったが三菱重工業の東京機器製作所で1943〜45年にかけて19両が生産され、終戦時には横須賀鎮守府第十六特別陸戦隊第二中隊に、カミ車約20両と共にカチ車数両が配備されていたという。
カチ車が実戦投入されなかった理由については、海軍が艦艇と航空機の生産を優先したため生産がなかなか進まず、また1944年中旬以降は戦局の悪化により、本車が必要とされる潜水艦からの奇襲上陸作戦は非現実的なものとなってしまったため、完成した車両も本土決戦に備えて国内に温存することになったのである。
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+攻撃力
カチ車の主砲である一式四十七粍戦車砲は砲身長2,450mm、砲口初速810〜832m/秒、発射速度は10発/分、装甲貫徹力は一式徹甲弾を用いた場合射距離500mで65mm、1,000mで50mmとなっていた。
主砲用の47mm砲弾は、チヘ車と同じく121発が搭載された。
30発は6発入りコンテナで砲手の左側と左後方に、30発は砲塔の後部右側に、12発は車長席の右側に、7発は砲塔の後部左側に、そして42発は戦闘室の床下に置かれた。
副武装としてはチヘ車と同様、戦闘室前面左側および砲塔後面左側に九七式車載重機関銃(口径7.7mm)を各1挺ずつ装備していた。
7.7mm機関銃弾は5,000発搭載しており車体機関銃の分は銃手席の前に、砲塔機関銃の分は砲塔後部右側にそれぞれ搭載された。
砲塔の旋回と主砲の俯仰はハンドルを用いた手動式で、砲塔内には車長、砲手、装填手の3名が搭乗した。
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+防御力
カチ車の車体と砲塔はベースとなったチヘ車と同じく圧延防弾鋼板の溶接構造となっており、各部の装甲厚も基本的にチヘ車に準じるものになっていた。
カチ車の装甲厚は車体が前面50mm、側面25mm、後面20mm、上/下面10mm、砲塔が前面50mm、側/後面25mm、上面12mmとなっており、当時実用化されていた日本軍戦車の中では最高レベルの防御力を誇っていた。
なおカチ車の装甲板は海軍から提供されており、おそらく艦艇用のNVNC鋼板あるいはCNC鋼板系列が使用されたものと思われる。
海軍関係者によると、耐弾試験において射角に関係なく良好な耐弾性能を示すことに陸軍関係者が驚いていたという。
海軍は75mm厚以下の鋼板に関しては、水中防御などに使用される均質鋼板としてNVNC鋼板の製造経験が長く、また新型の銅添加鋼板であるCNC系鋼板(ニッケル添加量を抑制する低コスト鋼板として研究された)の研究を継続中だった海軍の方が進んでいた。
一方、カチ車の車体前後に装着する浮航用のフロートは3mm厚の軟鋼板製で、内部は多数の区画に仕切られており、万一の被弾の時にすぐに浮力を失わないようになっていた。
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+機動力
カチ車のエンジンは、ベースとなったチヘ車と同じく統制型一〇〇式空冷ディーゼル・エンジンが搭載された。
統制型エンジンとは単気筒の規格寸法を共通化した一群のエンジンの総称で、カチ車の気筒数は最大の12であった。
気筒直径120mm、ピストン・ストローク160mm、予燃焼式で出力240hpと、当時の日本の戦車用ディーゼル・エンジンとしては最大出力を誇っていた。
ただしカチ車はチヘ車に比べて基本車体が延長されていた上、車体前後に装備した浮航用のフロートの他、水上航行用の様々な装備のためにチヘ車に比べて重量が10t以上重かったため、このエンジンではアンダーパワーで路上最大速度は32km/hに留まった。
カチ車の足周りは基本的にチヘ車のものを延長して用いており、チヘ車では中央の4輪を2輪ずつボギーで連結して横向きコイル・スプリングで懸架していたのを、カチ車ではこのサスペンションを片側2組装着していた。
従って転輪の数は片側8個で、上部支持輪の数もチヘ車の片側3個から4個に増やされていた。
カチ車はカミ車と同様、パワートレインを車体前方の起動輪または、車体後面に設けられたスクリューに切り替える分配機を備えていた。
水上航行時には履帯への動力を絶ち、この分配機からエンジンの両側を通る2軸により2個のスクリューを回転させた。
また分配機は、車内への漏水を排出するビルジポンプの役割も果たした。
エンジンの吸排気は機関室上面から行うようになっており、水上航行時には換気筒を起てて吸気を確保するようになっていた。
水上での方向の変更は、車体後部に装着されたフロートに装備された2枚の舵をケーブルを用いて操作することで行った。
カチ車の水上航行速度は10.5km/hで、車体が大型化したにも関わらずカミ車をやや上回っていた。
上陸後にはカミ車と同じく車体前後のフロートを切り離すようになっていたが、カミ車ではフロートと共にスクリューも切り離すようになっていたのに対して、カチ車の場合はスクリューを上に跳ね上げて地面とのクリアランスを確保するようになっていた。
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<特三式内火艇>
全長: 10.30m(フロート付き)
全幅: 3.00m
全高: 3.82m
全備重量: 26.45t(フロート無し)、28.75t(フロート付き)
乗員: 7名
エンジン: 統制型一〇〇式 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 240hp/2,000rpm
最大速度: 32km/h(浮航 10.5km/h)
航続距離: 320km(浮航 140km)
武装: 一式48口径47mm戦車砲×1 (121発)
九七式車載7.7mm重機関銃×2 (5,000発)
装甲厚: 10〜50mm
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<参考文献>
・「グランドパワー2017年9月号 日本軍 水陸両用戦車」 小高正稔/鮎川置太郎 共著 ガリレオ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」 デルタ出版
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「日本軍戦闘車両大全 装軌および装甲車両のすべて」 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
・「エンサイクロペディア 世界の戦車 1916〜1945」 アルゴノート社
・「日本の戦車 1927〜1945」 アルゴノート社
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