+概要
TACAM R-2(Tun Anticar pe Afet Mobil R-2)は、ルーマニア陸軍がR-2軽戦車を改造して製作した対戦車自走砲である。
ちなみに「R-2」は、開戦前にチェコスロヴァキアのシュコダ製作所から126両購入したLTvz.35軽戦車の、ルーマニア陸軍での制式呼称である。
R-2軽戦車はルーマニア陸軍の主力戦車として使用されていたが、1942年末には主砲として搭載している37mm戦車砲では対戦車能力の不足が明らかになり、ソ連軍戦車に対抗できる対戦車自走砲に改造することが計画された。
そこでR-2軽戦車を改造した試作車両が、1943年7〜9月にレオニーダ社で作られた。
この車両はR-2軽戦車の砲塔および戦闘室上面の装甲板を取り払い、その上部に前面と左右側面を装甲板で囲んだオープントップ式(一部屋根付き)の戦闘室を設けて、ソ連軍から鹵獲した48.4口径76.2mm師団砲F-22(M1936)を限定旋回式に搭載したものであった。
デザイン的には、ドイツ軍のマルダーIII対戦車自走砲に良く似ていた。
なお、戦闘室を構成する装甲板はルーマニアには製造能力が無かったため、ソ連軍から鹵獲したBT-7快速戦車とT-26軽戦車から切り取った装甲板が流用されていた。
本車は間に合わせの急造車両にも関わらず、意外にも試験の結果はなかなか良好であった。
車体は76.2mm砲の発射の衝撃に充分耐え得るものであり、射撃時の安定性も申し分なかった。
弾薬はオリジナルのソ連製のものに代えて、ルーマニア製の榴弾および徹甲弾が使用されたが、砲の性能発揮に問題は無かった。
照準装置はソ連製のものに代えて、ルーマニアのIOR社製の対戦車用照準機と、ドイツ製の展望式サイトが装備された。
砲の性能そのものは野砲としては良好で、射距離3,000mでの集弾も良好であった。
しかし対戦車砲としては、ソ連軍から鹵獲したT-34中戦車を使用して射撃試験を行った結果、有効射程がわずか500〜600mしかなくこれは問題だった。
車体の性能は重量が増し、重量バランスが変わったにも関わらず、オリジナルのR-2軽戦車とほとんど変わらず良好だった。
しかし車高は2.32mに達して被発見性が高まり、また長い砲が車体前方に大きくオーバーハングしたため、溝を越える時などに砲を引っ掛けないよう注意する必要が生じた。
結局スディチで集中的に実施された試験の結果、前述したような幾つかの欠点はあったものの、本車は1943年末に「TACAM R-2」の呼称で制式採用が決定した。
「TACAM」とは、ルーマニア語で「対戦車自走砲変換型」を意味する言葉の頭文字を並べたものである。
しかし、R-2軽戦車からTACAM R-2対戦車自走砲への改造はすぐには着手されなかった。
それはR-2軽戦車が非力とはいえ、ルーマニア陸軍機甲師団の主力戦車だったため、ドイツから購入する代わりの戦車が配備されない限り、前線から引き上げることができなかったからである。
このため、レオニーダ社が40両のR-2軽戦車の改造を開始したのは、ようやく1944年2月末になってからであった。
この間若干の設計変更が行われ、主砲はこれもソ連軍から鹵獲したより近代的な39.3口径76.2mm師団砲ZIS-3(M1942)に変更された。
しかし、改造作業の遅れは致命的であった。
戦車の世界は日進月歩でこの頃には、TACAM R-2対戦車自走砲ではほとんど撃破が不可能なソ連軍の新型重戦車IS-2が前線に出現していた。
このため、ようやくスタートしたTACAM R-2対戦車自走砲への改造作業は、1944年6月末に20両が完成したところで中止された。
とはいえ、手をこまねいていることはできない。
さらに、TACAM R-2対戦車自走砲を性能強化する方策が検討された。
ルーマニア製の75mm新型対戦車砲M1943やドイツ製の8.8cm高射砲の搭載、火焔放射戦車への改造なども考えられた。
しかし結局結論が出ないまま、1944年8月のルーマニアの降伏でプロジェクトは放棄された。
完成したTACAM R-2対戦車自走砲は第63自走砲中隊に配属され、1944年7月末に第1訓練機甲師団と共に前線に投入された。
しかし結局、TACAM R-2対戦車自走砲が本来の目標であったソ連軍戦車と戦うことは無かった。
ルーマニアが連合軍への降伏に続いて対独参戦した結果、彼らは昨日まで戦友であったドイツ軍と戦うことになったのである。
TACAM R-2対戦車自走砲はドイツ軍を駆逐するルーマニア解放作戦に参加し、1944年10月26日まで首都ブカレスト、油田地帯のプロエスティ、北トランシルヴァニアの解放作戦に従事した。
なかなか激しい戦いだったらしく、この間10両のTACAM R-2対戦車自走砲が破壊されたという。
その後、生き残ったTACAM R-2対戦車自走砲は1944年11月に第2戦車連隊に配属された。
これらの車両は、1945年のモラヴィアとオーストリア攻略戦に投入された。
第2次世界大戦最後の戦闘でほとんどのTACAM R-2対戦車自走砲が失われたが、幸運にも生き残った1両は現在ブカレストの軍事史博物館に展示されている。
|