+概要
T48 57mm対戦車自走砲は、ハーフトラックに6ポンド(57mm)対戦車砲を搭載した対戦車自走砲を望むイギリス陸軍の要請に基づいて、イリノイ州シカゴのダイアモンドT自動車がM3ハーフトラックをベースに開発した対戦車自走砲である。
当時すでにアメリカ陸軍は、3インチ(76.2mm)戦車砲M7を装備する全装軌式のM10対戦車自走砲の採用を計画していたので、アメリカ陸軍向けの生産は考慮されなかった。
T48対戦車自走砲は1942年4月に試作車の製作が発注され、M3ハーフトラックの操縦室の背後にシャシーフレーム直結の砲架を設けて、57mm対戦車砲M1の揺架から上を搭載した車両が製作された。
主砲に採用された57mm対戦車砲M1は、それまでアメリカ陸軍の主力対戦車砲であった37mm対戦車砲M3の後継として、イギリス陸軍の6ポンド対戦車砲を基にアメリカ独自の改良を加えたもので、1941年2月から生産が開始されていた。
50口径長と6ポンド対戦車砲よりも長砲身で、弾頭重量2.83kgの徹甲弾を使用した場合砲口初速900m/秒、射距離1,000ヤード(約914m)で68mm厚の均質圧延装甲板(傾斜角20度)を貫徹することができた。
M3 75mm対戦車自走砲の開発経験からT48対戦車自走砲への搭載にあたって、57mm対戦車砲M1には牽引型の防盾に代えて防護力を向上させた大型の防盾が装備された。
T48対戦車自走砲は、レンドリース供与専用の車両であったためにアメリカ軍制式とはならなかった。
T48対戦車自走砲の第1生産ロットは1942年12月にイギリス陸軍への引き渡しが開始されたが、当時ドイツ軍のIII号戦車やIV号戦車は次第に装甲を強化してきており、さらにドイツ軍が1942年11月から北アフリカ戦線に投入した新型戦車ティーガーIに対して、イギリス陸軍の6ポンド対戦車砲は全く歯が立たなかった。
このため、T48対戦車自走砲は火力不足という理由でイギリス陸軍にはわずか30両しか引き渡されず、それも再改造されてM3ハーフトラックに戻されている。
T48対戦車自走砲は1942年に50両、1943年に912両の合計962両がダイアモンドT自動車で生産されたが、この内の650両はソ連への供与に回され、残る281両はアメリカ陸軍向けのM3A1ハーフトラックとして再改造された。
ソ連軍はT48対戦車自走砲を「SU-57」として制式化し、各々60両のSU-57対戦車自走砲を装備する3個大隊から成る特別独立戦車駆逐旅団を編制した。
SU-57対戦車自走砲をもって初めて実戦に参加したのは第16特別戦車駆逐旅団で、1943年8月のウクライナにおけるドニェプル川渡河作戦の折であった。
第19特別戦車駆逐旅団は、1944年8月にはポーランドのバラノフ橋頭堡で戦った。
また特別戦車駆逐旅団群の一部は、1945年4〜5月にかけてのベルリン攻略とプラハ進駐に参加している。
なお、ソ連軍は15両のSU-57対戦車自走砲をポーランド人民軍に引き渡しており、それらは第7自走砲兵中隊に配備されて1944〜45年のポーランドおよびドイツ国内戦を戦った。
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