T-44中戦車 |
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+開発
第2次世界大戦中、ソ連軍は主力戦車であるT-34中戦車の後継となる新型主力戦車の開発に取り組んだ。 その過程でT-34M中戦車やT-43中戦車などの試作中戦車が誕生したが、これらの戦車はT-34中戦車の基本設計はそのままに部分的に小改良を加えた程度のシロモノであり、ソ連軍首脳部はT-34中戦車から生産を切り替えるほどの必要性を感じなかった。 続いて1944年2〜3月にかけて、T-43中戦車の85mm戦車砲搭載型をベースに設計の見直しを図った新型中戦車T-44(計画番号:オブイェークト136)の製作が、ニジニ・タギル所在の第183ウラル戦車工場(UTZ)の第520設計局(主任技師A.A.モロゾフ)で開始された。 設計見直しのポイントは車体の小型化および構造の単純化による車高の低減と、これで生じた重量・バランス上の配分を装甲厚の強化に転化することであった。 従来のT-34中戦車やT-43中戦車のように、フェンダー上にさらに台形状の装甲板を組み合わせる構造を止めて、単純な箱型の車体構造とすると共に、T-34中戦車のものよりややパワーアップされた出力520hpのV-44 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンを横置き配置にして搭載し、機関室の全長を切り詰めて戦闘室の容積を確保した。 またサスペンションはT-34中戦車のコイル・スプリング(螺旋ばね)を使用したクリスティー方式から、KV重戦車と同じトーションバー(捩り棒)方式に改められ、緩衝性能が向上した。 このコンパクトな箱型の車体構造と横置きのエンジン配置、トーションバー式サスペンションは、今日のT-90戦車シリーズに至るまでの戦後のソ連軍戦車の基本形となっている。 T-44中戦車は51.6口径85mm戦車砲D-5T、54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53、43口径122mm戦車砲D-25Tの各戦車砲を搭載する3つのタイプの試作車が製作された。 砲塔形状はT-34-85中戦車のものをベースに装甲厚を増し、砲塔基部のカラー部分をほとんど無くしたものとされた。 これらT-44中戦車の試作車は、車体前部左側に操縦手席を収めるバルジ部分が車体前面部より突出していたのが特徴で、このバルジ前面にヴァイザー付きスリットを持つやや大きなクラッペが設けられていた。 これは防御上の弱点となるために、T-44中戦車の生産型では単純な1枚板の前面装甲板に改められ、操縦手の前方視察は前面装甲板に開けられた内部ヴァイザー付きスリットと、上面部の乗降用ハッチ前に設けられたペリスコープによって確保された。 T-44中戦車は早くも1944年7月18日に、国家防衛委員会(GKO)によってソ連軍への制式採用が決定され、戦車生産人民委員部第75戦車工場で月産300両のペースで生産するよう命令が出された。 これは、継続中の大祖国戦争(独ソ戦)の前線で1両でも多く供給が求められている、85mm戦車砲搭載のT-34-85中戦車の量産を、UTZが主力として担っているために採られた措置である。 しかし結局、T-44中戦車は搭載砲の選定を巡る問題の決着が付かず、秋口には85mm戦車砲ZIS-S-53装備の第2次試作車が製作され、試験が開始された。 この試作車は車体もほぼ生産型同様の形状になったが、操縦手席前面の装甲板にヴァイザー付きのやや大ぶりな開閉クラッペを持っていた。 そうこうしている内、1943年8月にドイツ軍から奪回されたウクライナのハリコフ(UTZの前身であるハリコフ機関車工場の居住地)において工場が再興されたため、T-44中戦車の生産はここで開始されることになった。 1944年11月に最初の5両がラインを離れ、12月中に20両が加わった。 さらに翌45年3月までにもう60両が完成し、T-44中戦車から成る戦車旅団が編制されて実働訓練に入った。 4月のベルリン攻防戦開始時には70両が実戦投入可能な態勢に入っていたといわれ、ヨーロッパ戦線で戦争が終わった1945年5月までに計190両のT-44中戦車が完成していた。 しかしソ連軍首脳部はすでに大勢が決している独ソ戦に投入するよりも、戦後の西側陣営との新たな対決に備えてT-44中戦車を装備した部隊を温存することとし、本車を前線に送らなかった。 |
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+生産と部隊配備
生産型のT-44中戦車はT-34中戦車シリーズの履帯、大直径転輪等の足周り機構を引き継ぎながらも、車体は見違えるようにリファインされ、容積の小型化の効果で戦闘重量が31〜31.5tとT-34-85中戦車よりも軽量化されたにも関わらず、装甲厚は車体前面で120mm、側面でも75mmに達した。 砲塔の装甲厚は前/側面が90mm、後面が75mmで、車高はT-34-85中戦車の2.7mよりも30cmも低い2.4mであった。 乗員は4名で、武装はT-34-85中戦車と同じく85mm戦車砲ZIS-S-53と2挺の7.62mm機関銃DTMを装備していた。 路上最大速度は51km/hで、火力面以外ではドイツ軍のパンター戦車を上回る高性能の中戦車であった。 ただ実際の運用においては変速ギアの故障が多く、後にT-54/T-55中戦車シリーズのものとパーツ共用化が図られるまで解決できなかったようである。 T-44中戦車は1947年までに1,823両が生産され、1940年代後半から1950年代にかけて特に緊張を増していた極東方面を中心に配備された。 1960年代には近代化改修が図られて履帯やエンジン、変速機構等がT-54/T-55中戦車シリーズと同じものに交換された。 T-44中戦車は1970年代まで中ソ国境地区で使われたり訓練用に用いられた他、1980年代以降は車体を埋めた戦車トーチカとして地方の重要な空港の警備や、国境線の防備に多数が活用された。 面白いところでは、「ヨーロッパの解放」であるとか「モスクワ攻防戦」等のソ連の代表的な国策戦争映画に、ドイツ軍戦車に改造されて出演している。 T-44中戦車はT-34中戦車とは完全に一線を画した簡素で頑丈な構造と、車体の小型化を両立させた優れた戦車といえた。 しかし、搭載砲が同じT-34-85中戦車が万単位の数で完成し配備されている下では、わざわざ新たに大量生産して配備する魅力は薄いのは当然のことだった。 特にレンドリース供与の枠組みにより、アメリカから強力なM26パーシング重戦車(後に中戦車に分類替え)を入手した後になると、85mm戦車砲でこの戦後ライバルになるであろうアメリカ軍戦車の装甲を打ち破ることが困難であることは明白となった。 このため、ソ連戦車開発陣はM26重戦車打倒が可能な戦車砲を搭載する新型主力戦車の開発に努力を傾注することとなったのであり、T-44中戦車は完成と同時に過去の戦車となってしまったのである。 しかしながら、この新型主力戦車の開発は量産容易な構造を持つT-44中戦車の基本設計をベースに継続されることになったので、この面で本車は、第2次世界大戦における最優秀戦車といわれるT-34中戦車シリーズと、合計で10万両近くが生産され史上最大のベストセラーとなったT-54/T-55中戦車シリーズを繋ぐワンステップの役割を果たしたものといえる。 |
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+車体の構造
T-44中戦車の車体は、圧延防弾鋼板を溶接で組み合わせた箱型のコンパクトなものである。 各部の装甲厚は前面上部120mm、前面下部90mm、側面75mm、後面45mm(下部傾斜部分は30mm)、操縦室上面20mm、下面20mm、機関室上面(グリル部以外)15mmである。 車内レイアウトは前部が操縦室、中央部が砲塔を搭載した戦闘室、後部が機関室となっており、操縦室内には左側に操縦手席、右側に主砲弾薬庫が配置されていた。 この弾薬庫はスケルトンのラック式で、30発の85mm砲弾を収納できた。 操縦手席にはT-34中戦車と同様の折り畳み式背もたれ付き座席が配置され、その右側にバッテリー収納ボックスおよび車内通信装置、計器盤等が配置されていた。 また、ここには前方掃射用の7.62mm機関銃DTMが固定配置されており、前面装甲板に開けられた小さな発射孔を通じて射撃ができた。 操縦手はこの機関銃の操作も担当しており、アクセルペダルの横には交換用のドラム弾倉2個が搭載された。 7.62mm機関銃DTMは1928年に採用された7.62mm機関銃DTの改良型で、1944年に登場した。 銃身部の冷却フィンが省かれた他、構造が簡素化されて操作性も向上した。 T-44中戦車の操向方式はT-34中戦車と同様にクラッチ・ブレーキ式で、操縦手席前方の視界は前面装甲板のスリットに取り付けられた多層防弾ガラス付きヴァイザー(ガラス部を装甲シャッターで閉鎖可)からか、天板に取り付けられた円形のスライド式ハッチに設置されたMk.4可動式視察用ペリスコープから得ていた。 前面装甲板のスリットから通したヴァイザーの視界は左右前方60度の範囲で、操縦手用ハッチのMk.4ペリスコープは右に広めの左右計116度の範囲をカバーした。 また、左側面の装甲板には左方向の視界を得るための固定式視察用ペリスコープが配置されており、左方47度の範囲をカバーした。 T-44中戦車の戦闘室は、砲塔の旋回に連動するバスケットやターンテーブル(戦後のT-54B中戦車以降が装備)は無かったものの、T-34中戦車シリーズのように床下に弾薬箱を配置することが無くなり、充分な高さとスペースが確保されていた。 また戦闘室内には、取り出し易い位置に即用弾薬や機関銃用ドラム弾倉が配置されていた。 左右側面部にはそれぞれラックに5発ずつの85mm砲弾が配置され、装填手の背後にあたる戦闘室右後部の防火隔壁には、縦積み形式のラックに主砲の同軸機関銃用の交換用ドラム弾倉が18個、さらに隔壁中央上部に2個が配置されていた。 左側側面部には、3個のドラム弾倉と乗員自衛用のF-1手榴弾(20個程度)を収納した鋼製ケースが取り付けられていた。 なお戦闘室内左側床面には、車外へ出ることのできる脱出用ハッチが配置されていた。 戦闘室と防火隔壁で仕切られた機関室内には、前方に横置きでV-44 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンが配置され、後方には変速・操向機、左右の最終減速機、右後方の冷却ファン兼用のフリクションが配置されていた。 変速・操向機上の天板にはグリルが配され、ラジエイター、オイルクーラー、吸気機器が配置されていた。 エンジンと防火隔壁の間には、車内燃料タンク(500リットル)が配置されていた。 車体のコンパクト化の影響でT-34-85中戦車よりも車内燃料タンクの容量が45リットル減っており、航続距離もT-34中戦車に比べてかなり減少したが、燃料の不足分は外部に搭載する予備燃料タンクで補うことになっていた。 またT-44中戦車では、エンジン排気は機関室左側面に配置された消音機付き排気口から排出されるようになった。 これは、今日のT-90戦車シリーズまで引き継がれている戦後型ソ連軍戦車の特徴である。 T-44中戦車の足周りは上部支持輪無しで大直径の転輪、起動輪、誘導輪、ワッフル型の高マンガン精密鋳造製履帯(500mm幅)で構成される点をT-34中戦車の後期生産型と共通にしていたが、サスペンションはBT快速戦車シリーズ以来のコイル・スプリングを用いるクリスティー方式を止めて、KV重戦車シリーズと同じトーションバー方式を採用していた。 車体下面はトーションバーを横に渡した部分が膨らんだ形に成形されており、左右サイドも斜めに切れ上がったデザインとなっていた。 グラウンドクリアランスを少しでも稼ぎながら、地雷による爆圧を側方に逃がして被害を局限するための工夫で、後のT-54/T-55中戦車シリーズでも踏襲されている。 履帯の張度調節はT-34中戦車と同じシステムで、前面装甲部両端に配置されたボルトを大型スパナで回転させて誘導輪を前後動させて行った。 なお、履帯の連結ピンは固定のための割留めピンが無いのはT-34中戦車と同様で、車体側から通されたピンは抜けてくると、起動輪上部のすぐ際の側面板に設置されたガイド板で頭を打ち戻される。 これも、T-54/T-55中戦車シリーズやT-62中戦車シリーズまで踏襲された仕組みである(ドライピン式履帯のみ。1960年代後半から順次ウェットピン式のRMSh履帯が用いられるようになると、連結ピンも固定式となる)。 T-44中戦車は直立する側面板をデザインに採り入れたことにより、履帯上に張り出すフェンダーが車体左右に取り付けられるようになり、ここが格好の装備品搭載場所となった。 前部は整備の便宜を図るため、生産型から上部へ跳ね上げることが可能とされた。 右側フェンダー上には、前から乗員個人装備収納箱、整備用工具箱が配置され、後部には2個のドラム型予備燃料タンクが取り付けられた(各50リットル入り)。 左側フェンダー上には、前部に85mm戦車砲のクリーニングキット収納箱と予備履帯(センターガイド付きと無しのもの各2枚)が配置され、後部には右側と同様に予備燃料タンク2個が取り付けられていた。 この予備燃料タンクの内の1個はエンジン・オイル用のようで、仕様書によるT-44中戦車の車外燃料標準搭載量は計150リットルとされている。 その他の装備品としては、前面装甲板の左右に配置された牽引用フックから左右フェンダー中央部にかけて、計2本のワイアーロープが取り付けられる他、機関室後面には凍結路面走行時に履帯へ取り付けるグローサー9個が配置されていた。 こうした装備品の搭載についても、使い勝手の良さが以前のソ連軍戦車よりも考慮されたものとなっていた。 |
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+砲塔の構造
T-44中戦車の砲塔は、T-34-85中戦車の1944年夏以降の生産車とほぼ同様の構造・形状となっており、前面および周囲、それに主砲防盾が防弾鋳鋼製(砲塔部は分割鋳造・接合構造)で、上面部は圧延防弾鋼板の溶接となっていた。 T-34-85中戦車との違いは、T-34中戦車の上部に盛り上がった機関室に伴って設けられた砲塔基部のカラー部分が、フラットな機関室上面を持つT-44中戦車には必要無いため省かれた点である。 砲塔各部の装甲厚は前面・防盾と側面が90mm、後面75mm、上面15mmとなっていた。 砲塔部に配置される乗員は砲手(主砲右側)、装填手(主砲左側)、車長(左側)の3名である。 車長席には、砲塔上面に防弾ガラス付き視察スリットを周囲に5個持つ視察用キューポラが配置されていた。 キューポラ周囲の装甲厚は90mmで、上面には半円形ハッチを持つ旋回式マウントにMk.4可動式視察用ペリスコープが設置されていた。 また装填手側の砲塔上面には、T-34中戦車と同様の円形乗降用ハッチが配置されていた。 砲塔内配置はT-34-85中戦車と全く同じで、85mm戦車砲ZIS-S-53と7.62mm機関銃DTMが同軸で主砲防盾に装備されていた。 主砲の俯仰角は、−5〜+25度となっていた。 照準機は従来のペリスコープ併用方式を止め、主砲左側に配置されたTSh-16直接照準機のみとなった。 主砲の54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53は、ゴーリキー(現ニジニ・ノヴゴロド)の第92スターリン砲兵工場に置かれた中央砲兵設計局(TsAKB、主任技師V.G.グラービン)で開発されたもので、ドイツ軍の56口径8.8cm高射砲FlaK18/36に匹敵する対装甲威力を持っていた。 主砲の発射速度はT-44中戦車の場合、6〜8発/分となっていた。 副武装は主砲の右側に同軸装備された7.62mm機関銃DTMで、ドラム弾倉の交換は装填手が行い、砲塔内には即用弾が多数搭載されていた。 砲塔後部のバスルに配置されたラックに16発、右側壁面に2発の計18発の85mm砲弾と、右側後部壁面に7.62mm機関銃の交換用ドラム弾倉3個が搭載された。 車体部と合計すると85mm砲弾58発(うち即用弾28発)、7.62mm機関銃弾2,750発の弾薬搭載数となる。 砲塔と武装についてT-44中戦車の隠された特徴といえるのが、機関室のコンパクト化によって車体重心点を砲塔中央部に合致させ得たことである。 これにより主砲発射時の車体の安定性がT-34-85中戦車はもとより、先行するT-43中戦車等よりも優れたものとなり、命中精度を向上させた。 砲塔左横部の砲手席部分には、無線送受信機9RSが搭載されていた(アンテナは車長用キューポラの左前砲塔上面に設置)。 砲手と装填手にも、それぞれ外部視察用のMk.4可動式視察用ペリスコープが各1基ずつ砲塔上面部に設置され、装填手用は右側を中心に220度、砲手用は左側を中心に150度の範囲で視界が確保されていた。 このMk.4ペリスコープはスウェーデンで開発されたものをイギリスが採用し、ソ連にはレンドリース供与戦車等を通じてもたらされた優れもので、上下方向にも可動し相当広い範囲を視界に収めることができた。 その他、乗員の自衛火器として7.62mm短機関銃PPSh-41 1挺が砲塔上面部に収納される他、砲塔の左右側面中央部には拳銃を外部に向けて発射するためのプラグ式ガンポートが配置されていた。 |
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+改良型
T-44中戦車はその開発の過程で、85mm戦車砲よりも強力な122mm戦車砲の搭載も試みられた。 このタイプは「T-44-122」と呼称され、IS-2重戦車の主砲である122mm戦車砲D-25Tを改修した122mm戦車砲D-25-44Tを搭載していた。 しかし、この砲は弾頭重量だけで25kgもある巨大な砲弾を使用するため、操砲や搭載可能な弾薬数(わずか24発)に難があり、結局T-44-122の採用は見送られた。 1944年末の時点で存在した戦車砲の中で、中戦車に搭載できる可能性のある最も強力な砲は、すでにT-34中戦車をベースにしたSU-100駆逐戦車に搭載されて実績のあるD-10と、TsAKBが開発したLB-1という2種類の100mm戦車砲だった。 前者は第9砲兵工場特別設計局で開発されたものだが、この2種は両方とも海軍艦艇用の56口径100mm加農砲B-34の砲身および閉鎖機構をベースに戦車砲に改造したもので、弾道性能に全く変わりが無いものだった。 100mm戦車砲の搭載については1945年初めより各種試験が開始され、まず着手されたのはLB-1のT-34/T-44中戦車への搭載であった。 T-34中戦車については、T-34-85中戦車のオリジナル砲塔にほぼそのまま搭載したタイプと、より全体を押しつぶしたような形で、砲塔リング直径を1,680mmに拡大した大型砲塔に搭載したタイプの2種が製作され、「T-34-100」と呼称された。 しかし試験の結果、T-34中戦車シリーズを手直しした程度では100mm戦車砲の操砲に問題が生じ、その高姿勢の影響と併せてクリスティー式サスペンションで懸架された足周りは、100mm戦車砲の大きな反動をバランス良く受け止めることが不可能であると判明した。 新砲塔の方には100mm戦車砲D-10Tの搭載も試みられたが、結局同じことであった。 こうして、T-34中戦車シリーズの火力強化計画であったT-34-100の制式採用は見通しを失った。 一方T-44中戦車の100mm戦車砲搭載計画(T-44-100)は、まず砲塔設計の見直しから始められた。 第520設計局は主砲マウント部の拡張を図り、前部に向けて砲塔を大きくオーバーハングさせ、主砲防盾も幅を広げた。 併せて大戦末期の戦訓を採り入れて、対空・対地用として装填手用ハッチに12.7mm重機関銃DShKのマウントを設けると共に、対成形炸薬弾用に厚さ6mmの装甲スカートを履帯部外側にすっぽり側面部を覆う形で取り付けた。 重量の増大もほとんど無く(34t)、機動性能は良好だった。 T-44-100はLB-1搭載型とD-10T搭載型の2種の試作車が製作されたが、設計陣としては制式採用に自信があったようである。 しかし設計陣の自信にも関わらずT-44-100は運用試験の中で操砲上、砲塔容積が狭過ぎることが指摘され、結局完全に砲塔をリニューアルしたT-54中戦車(オブイェークト137)の開発へ席を譲るところとなった。 |
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<T-44中戦車> 全長: 7.65m 車体長: 6.07m 全幅: 3.10m 全高: 2.40m 全備重量: 31.8t 乗員: 4名 エンジン: V-44 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル 最大出力: 520hp/2,000rpm 最大速度: 51km/h 航続距離: 300km 武装: 54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53×1 (58発) 7.62mm機関銃DTM×2 (2,750発) 装甲厚: 15〜120mm |
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兵器諸元(T-44中戦車) 兵器諸元(T-44-100中戦車) |
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<参考文献> ・「パンツァー2014年2月号 誌上対決 パンター vs T-44戦車」 久米幸雄 著 アルゴノート社 ・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画 ・「グランドパワー2007年3月号 ソ連軍中戦車 T-44 (1)」 古是三春 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2007年4月号 ソ連軍中戦車 T-44 (2)」 古是三春 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2003年3月号 ソ連戦車 T-54/55 (1)」 古是三春 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2022年6月号 ソ連軍 T-55中戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2019年4月号 ソ連軍主力戦車(1)」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版 ・「ソビエト・ロシア 戦車王国の系譜」 古是三春 著 酣燈社 ・「世界の戦車 完全網羅カタログ」 宝島社 |
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