T-40水陸両用軽戦車
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+概要
1939年よりモスクワの第37(自動車)工場設計局(主任技師N.A.アストロフ)は、T-38水陸両用軽戦車シリーズの後継となる新型水陸両用戦車の開発に着手した。
この計画は「オブイェークト020」の開発呼称を与えられ、内部容積を広げて浮力を確保した全溶接構造の車体に、小振りの円錐形の全周旋回式砲塔を搭載する重量6t弱の水陸両用戦車として設計された。
T-37およびT-38水陸両用軽戦車シリーズは、ソ連が1931年にイギリスのヴィッカーズ・アームストロング社から参考品として購入したA4水陸両用軽戦車のスタイルを踏襲していたが、オブイェークト020のスタイルはこれらとは全く一線を画したスマートなものに変化していた。
武装は、1939年5〜9月にかけて日本軍と武力衝突したハルハ川戦役(ノモンハン事件)等での運用経験から、対陣地・軽装甲車両用に効力のあるものが求められ、各種機関砲の搭載が検討されたが、浮航性能の確保を優先するため最終的に機関砲の搭載は見送られ、12.7mm重機関銃DShKTと7.62mm機関銃DTを砲塔防盾に同軸装備することとなった。
12.7mm重機関銃DShKTは、1938年に艦船等の対空・自衛用に開発・採用された12.7mm重機関銃DShK(1939年当時は「DK」と呼称)を戦車搭載用に改修したもので、鋼芯徹甲弾を用いた場合、射距離300mで厚さ8mmの均質圧延装甲板(傾斜角30度)を貫徹する威力があり、地上の軟目標に対する最大有効射程は3,500mに達した。
しかし現実には戦車はもちろんのこと、装甲兵員輸送車クラス以上の装甲車両に対して有効な威力を持つとはいい難かった。
また防御力についても、運用者側からの「少なくとも小銃弾と同口径の重機関銃弾の集束に抗堪できるようにして欲しい」との要望を受け、車体と砲塔の前面で13mmの装甲厚が確保された他、全体形は避弾経始を考慮したものとなった(これはハルハ川戦役において8mm程度の装甲厚しか持たないソ連軍装甲車の多くが、日本軍の九二式重機関銃の7.7mm徹甲弾で撃破された教訓からと思われる)。
しかしながら、これも各国で1930年代以来普及していた37mm口径クラス以上の対戦車砲には何ら抗堪性を発揮できない、戦車というには貧弱な防御力といえた。
サスペンション・システムは、T-37およびT-38水陸両用軽戦車シリーズで用いられたフランスのルノーAMR軽戦車と同様のシステムに代えて、新たにトーションバー(捩り棒)式サスペンションが採用された。
このトーションバー式サスペンションは、スウェーデンのランツヴェルク社が1934年に開発したL-60軽戦車において初めて実用化されたもので、足周りがすっきりしている上に、機能面でもそれまでのいかなる戦車用サスペンション・システムよりも優れていると思われた。
というのは、サスペンションの幹となる捩り加工をした鋼製のバーは車体底に収まり、車体側面の外部に出ているのは転輪とそのスウィングアームのみで、構造的に可動範囲を広げることが可能であると同時に、防御面でも弾片による破損が起き難く、泥や雪が詰まったり草木も絡まったりし難いという特質を持っていたからである。
トーションバー式サスペンションの優秀さは、現在も戦車を始めとする装軌式車両のサスペンション・システムの主流となっていることからも明らかである。
ソ連は1930年代後半にランツヴェルク社からL-60軽戦車を参考品として購入し、そのトーションバー式サスペンションは、優れた冶金技術を蓄積したレニングラード(現サンクトペテルブルク)の第100キーロフ工場でコピーされ、1938年頃より各種の試作戦車やその後のSMK重戦車、KV重戦車に採用されるところとなったが、アストロフら水陸両用戦車の開発陣の目にも留まり、オブイェークト020に採用されることになった。
一般に、水陸両用戦車の活躍の場である河岸は軟弱地の上に水辺植物が密生しているという、とかく複雑な履帯式走行装置の足を絡め取りがちな条件があり、トーションバー式サスペンションはこうした間題をクリアし易いと見られたのである。
パワートレイン関係はT-38までの水陸両用戦車よりも大幅に改善・強化され、出力85hpのGAZ-11 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンを搭載して路上最大速度45km/hを発揮できた。
浮航方式はT-37水陸両用軽戦車シリーズ以来の水中スクリュー方式(4枚羽)で、6km/hの速度で河川を渡渉することができた。
車体内部の基本的レイアウトは右側がエンジンや変速・操向機等のパワープラント、やや左寄りに戦闘室・乗員区画が配置されたもので、このように左右に車体内部を区切るのはT-37やT-38以来のソ連製水陸両用戦車の設計手法であった。
1940年、オブイェークト020は「T-40軽浮航戦車」(Legkiy Plavayushiy Tank T-40)としてソ連軍に制式採用された。
本車は同年後期より第37工場で量産が開始されたが、1941年1月1日の時点でソ連軍に引き渡されたT-40水陸両用軽戦車はわずかに5両だけとなっており、本格的量産は1941年に入ってから開始されている。
T-40水陸両用軽戦車の量産は1942年初め頃まで続けられ、浮航性能を潰して追加装甲により防御力を強化したT-40S軽戦車(”S”はスィチョプトゥヌイ=”乾燥地”の頭文字)181両を含め、総数666両が作られた。
T-40水陸両用軽戦車は1941年6月22日に開戦した独ソ戦から実戦に投入されたが、戦闘で本車とまみえたドイツ軍は「装甲、武装共に貧弱でごく限られた戦闘能力しか持たず、交戦するのは容易である」と評している。
しかし一方で本車の浮航能力については、「橋梁の整備が貧弱な東方戦場にあっては偵察行動を容易にするために有用な能力といえる」と評している。
独ソ戦においてT-40水陸両用軽戦車は、ドイツ軍が評するように装甲、武装共に貧弱であるにも関わらず、本来の開発目的である偵察任務よりも、緒戦の大損失によって不足がちだった戦車兵力の穴を埋めるものとして闇雲にドイツ軍に対する反撃作戦につぎ込まれ、失われていった。
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<T-40水陸両用軽戦車>
全長: 4.11m
全幅: 2.33m
全高: 1.905m
全備重量: 5.5t
乗員: 2名
エンジン: GAZ-11 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 85hp/3,600rpm
最大速度: 45km/h(浮航 6km/h)
航続距離: 300km
武装: 12.7mm重機関銃DShKT×1 (500発)
7.62mm機関銃DT×1 (2,016発)
装甲厚: 6〜13mm
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<T-40S軽戦車>
全長: 4.11m
全幅: 2.33m
全高: 1.905m
全備重量: 5.5t
乗員: 2名
エンジン: GAZ-11 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 85hp/3,600rpm
最大速度: 45km/h
航続距離: 300km
武装: 12.7mm重機関銃DShKT×1 (500発)
7.62mm機関銃DT×1 (2,016発)
装甲厚: 6〜13mm
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<参考文献>
・「グランドパワー2016年1月号 ソ連軍軽戦車の系譜(14) 水陸両用戦車(9)」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2016年2月号 ソ連軍軽戦車の系譜(15) 水陸両用戦車(10)」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2016年3月号 ソ連軍軽戦車の系譜(16) 水陸両用戦車(11)」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(上)」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「グランドパワー2001年9月号 ソ連軍軽戦車(1)」 古是三春 著 デルタ出版
・「パンツァー2005年10月号 第二次大戦のソ連軍偵察戦車」 柘植優介 著 アルゴノート社
・「世界の戦車
1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
・「ビジュアルガイド
WWII戦車(2)
東部戦線」 川畑英毅 著 コーエー
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「図解・ソ連戦車軍団」 斎木伸生 著 並木書房
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研
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