Strv.m/42中戦車
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+開発
スウェーデンは第2次世界大戦前に優秀な軽戦車L-60シリーズを開発しており、世界の戦車開発の先頭とはいわないまでも戦車先進国の1つではあった。
しかし第2次世界大戦の激烈な戦車戦の中で、列強の戦車は戦前とは比べ物にならない速度で飛躍的な進歩を遂げた。
スウェーデンは幸いにも中立を守り戦争には巻き込まれずに済んだが、それは一方では世界の戦車の発達の潮流に乗り遅れることにもなってしまった。
もちろんスウェーデン軍としてもそれに手をこまねいていたわけではなく、新型戦車の開発にも着手していた。
1941年にスウェーデンの戦車委員会は戦車部隊の編制拡大を提案し、それと同時にこうした部隊に必要な適当な装甲車両を開発すべきだとした。
戦車委員会は諸外国の戦車が急速に重量化している状況に鑑みて、現在配備されている軽戦車の他に20t級の中戦車を開発すべきだとした。
しかし第2次世界大戦中の当時、外国から戦車を買うことは困難だったため何とか国内開発の道が模索された。
開発会社として白羽の矢が立ったのは、L-60軽戦車シリーズを開発したランツヴェルク社であった。
新型戦車の調達は最大急務であったため、ゼロから悠長に開発している余裕は無かった。
そこでランツヴェルク社では、すでに一定の開発が進んでいたラーゴ中戦車を基に新型戦車を開発することにした。
このラーゴ中戦車は、1930年代末にハンガリー軍向けに開発されたものである。
同車はハンガリー軍に採用されたL-60軽戦車の発展型で、重量16t級の戦車となっていた。
しかし、ハンガリー軍はL-60軽戦車を補う中戦車としてチェコスロヴァキア製のT-21中戦車を採用したため、ラーゴ中戦車の開発は中止されていた。
ランツヴェルク社はこのラーゴ中戦車を全長、全幅共に拡大して20t級の戦車とすることにした。
この戦車には時代の趨勢に合わせて、スウェーデン製戦車としては初めて75mm砲が主砲に装備されることになった。
ただし、ドイツ軍やソ連軍の戦車が対装甲威力を向上させるために主砲を長砲身化していったのに対して、この75mm砲はアメリカ軍のM4中戦車と同じくらいの中砲身砲であった。
これはスウェーデン軍がまだ本格的な対戦車戦闘を経験していなかったため、対装甲威力の重要性への認識が不足していたものと思われる。
ランツヴェルク社では75mm砲搭載のため、基本的にはL-60軽戦車の構造を踏襲しつつ砲塔、車体の大型化を図った。
車体は大きく延長され、それに合わせて転輪数もL-60軽戦車の片側4個から6個に増やされた。
砲塔も75mm砲の搭載のため大型化され、特に高さが高くなっていた。
また装甲防御力、機動力の強化も図られた。
本車は1942年に「Strv.m/42」(Stridsvagn modell 42:42式戦車)として制式化されたが、スウェーデン軍はとにかく早急に戦車を必要としていたためStrv.m/42中戦車がまだ開発中であった1941年11月に、早くも第1生産ロットとして100両の生産をランツヴェルク社に発注した。
さらに、ほとんど間が空かない1942年1月には60両の追加発注を行っている。
なおこの60両についてはランツヴェルク社ではなく、ヴォルヴォ社でライセンス生産されることになっていた。
Strv.m/42中戦車の発注はさらに続き1942年6月にはさらに80両をランツヴェルク社で、そして42両をヴォルヴォ社で生産することになった。
これらを合計すると、Strv.m/42中戦車の総生産数は282両となる。
しかし次々と出される生産発注に対して、実際の量産態勢はなかなか整わなかった。
結局Strv.m/42中戦車の生産型第1号車がスウェーデン軍に引き渡されたのは1943年4月で、最終号車の引き渡しに至っては終戦直前の1945年1月になってしまった。
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+構造
Strv.m/42中戦車の車体デザインは、L-60軽戦車の拡大発展版とあってそれと良く似たものとなっていた。
車体、砲塔共に古臭い垂直面ではないものの、顕著な傾斜装甲ともなっていない。
装甲板の接合は全て溶接接合で、これはL-60軽戦車の先進性がそのまま引き継がれていた。
装甲厚は、9〜55mm(最大80mmとする資料もある)となっていた。
車内レイアウトは一般的なもので車体前部が操縦室、車体中央部が砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室となっていた。
操縦手は、車体前部左側に位置していた。
操縦手席の前面には装甲ハッチ式の視察口が設けられており、操縦手はこのハッチから出入りしたようである。
起動輪は前方で、操縦室の前方足元には変速・操向機が配置されていた。
変速・操向機は、油圧式と電動式の2種類が用いられた。
油圧式搭載型と電動式搭載型は、戦車の最後に付けられた型式記号のH(Hydraulisk=”油圧”の頭文字)とM(Motordriven=”電動”の頭文字)で区別されていた。
このうち電動式変速・操向機は、ヴォルヴォ社で生産された最初の60両に搭載されていただけのようである。
車体中央部の戦闘室には、全周旋回式の砲塔が搭載されていた。
この砲塔は巨大な75mm砲を装備するため、車体とはアンバランスなまでに背が高く大柄であった。
特に車体幅の関係で砲塔リング径を大きくできなかった分の砲塔内部容積を稼ぐためか、全周にオーバーハングするような感じに幅が広げられていた。
また主砲の俯角を取った時砲尾が干渉するのを防ぐため、砲塔上面中央部が膨らんでいた。
主砲の基部も容積と後座長の関係からか、随分前に突き出していた。
主砲の下部には駐退復座装置の装甲カバーが突き出しており、いかにも洗練されていない感じである。
防盾は変わった形状をしており左右の幅が狭く、上下に長い湾曲したものとなっていた。
その他砲塔左右側面の前寄りには視察用クラッペ、後ろ寄りには視察用クラッペ付きの前開き式の四角い乗降用ハッチが設けられていた。
砲塔上面右側には、車長用キューポラが装備されていた。
キューポラ上には前後に分割して開くハッチが設けられ、周囲には視察装置が取り付けられていた。
主砲の75mm砲は型式呼称を75mm戦車砲m/41というが、この砲の詳細は不明である。
ただアメリカ軍のM4中戦車が装備する75mm戦車砲M3と同程度の砲身長であるため、性能も同程度ではないかと思われる。
主砲の右側には同軸機関銃として、アメリカのブラウニング火器製作所製の7.62mm機関銃M1919のライセンス生産型である8mm機関銃Ksp.m/39が装備されていたが、L-60軽戦車と同じく同軸機関銃は連装装備となっており、スウェーデン軍が対戦車戦闘よりも対歩兵戦闘を重点的に考えていたことを良く表している。
当初Strv.m/42中戦車のエンジンは、スカニア・ヴァビス社製のL603 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力160hp)が2基装備された。
これは大出力の適当なエンジンが無かったからで、こういう所にもスウェーデンの工業力の限界があったようである。
なお後期生産車の一部には、L603エンジンに替えてヴォルヴォ社製のA8B V型8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力380hp)1基が搭載された。
このA8Bエンジンはヴォルヴォ社が1942年1月に受注した60両の内の5両、ランツヴェルク社が1942年6月に受注した80両の内の10両、ヴォルヴォ社が最後に受注した42両に搭載された。
L603エンジン2基搭載型とA8Bエンジン1基搭載型は、戦車の最後に付けられた型式記号のT(Tva=”2つ”の頭文字)とE(Ett=”1つ”の頭文字)で区別されている。
つまり変速・操向機の油圧式搭載型と電動式搭載型の区別と合わせると、Strv.m/42中戦車にはTM型、TH型、EH型(EM型は存在しない)の3種類があったわけである。
Strv.m/42中戦車の足周りは、L-60軽戦車の発展型といえるものであった。
転輪はL-60軽戦車と同様のスポーク式の中口径転輪で、L-60軽戦車では転輪4個と上部支持輪2個の組み合わせとなっていたが、Strv.m/42中戦車では車体が大型化したため転輪6個と上部支持輪3個の組み合わせとなっていた。
L-60軽戦車と同じく起動輪は前方、誘導輪は後方にあった。
サスペンションは、これもL-60軽戦車から引き継いだ近代的なトーションバー(捩り棒)方式となっていた。
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+部隊配備と発展型
Strv.m/42中戦車は、スウェーデン陸軍戦車旅団の重戦車中隊に配備された。
第2次世界大戦後もしばらくは運用が続けられたが、すでに大戦中から旧式であり早晩退役の運命にあった。
その後1950年代にイギリスからセンチュリオン戦車の導入が始められると、Strv.m/42中戦車はこれと代替して第一線部隊から退き、Strv.m/40軽戦車やStrv.m/41軽戦車に代わる形で各種部隊に配備された。
しかし、Strv.m/42中戦車の歴史はこれで終わったわけではなかった。
スウェーデン軍は旧式化した装甲車両を様々な改修を施して長く使い続けており、Strv.m/42中戦車も簡単に捨てる気は無かった。
スウェーデン軍は1957年に、Strv.m/42中戦車の近代化改修に着手した。
改修の中心となったのは、旧式化した武装の強化である。
参考になったのは、フランス軍のAMX-13軽戦車であった。
AMX-13軽戦車は重量15t級の軽戦車であったが、それ自体が俯仰するユニークな揺動式砲塔を採用し、旧ドイツ軍のパンター戦車の主砲を原型とする長砲身の75mm戦車砲を装備していた。
Strv.m/42中戦車では揺動式砲塔そのものは採用されなかったが、小型車体に大型砲を搭載可能な新型砲塔が製作された。
この砲塔は前後に長い卵型をしており、車体の砲塔リング幅に合わせて窄まるような形状になっていた。
これはもちろんできるだけ砲塔を小型化しつつ、大きくなった砲の後座を受け止めるためである。
搭載された主砲は長砲身の75mm砲で、型式呼称を75mm戦車砲Strv.74といった。
砲塔以外の車体には変化は無いが、エンジンがスカニア・ヴァビス社製のL607 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力170hp)2基に換装された。
その他最終減速機も改良され履帯も幅広の新型になり、主エンジンとは別に発電用の補助エンジンも搭載されるようになった。
この改造によってStrv.m/42中戦車は、AMX-13軽戦車とほとんど同レベルの近代的戦車「Strv.74」(Stridsvagn 74:74式戦車)に生まれ変わることになった。
しかも改造コストは、新型戦車を導入することに比べれば驚くほど安くて済んだのである。
Strv.74戦車の砲塔を製造したのはヘグルンド&セーネル社で、その他はランツヴェルク社である。
Strv.74戦車への改造作業そのものは、スウェーデン陸軍の施設で行われた。
改造されたのは、Strv.m/42中戦車のTH型とTM型の225両であった。
Strv.74戦車の部隊配備は1958年に始まり、スウェーデン陸軍の戦車旅団に配備された。
なおこの年からこうした旅団は全て同じ戦車を装備することになり、重戦車中隊や軽戦車中隊というふうに1つの部隊に複数の車両が装備されることは無くなっていた。
Strv.74戦車は、1960年代半ばまでは戦車旅団の主力装備として使用された。
しかしセンチュリオン戦車の後継として国産のStrv.103戦車が採用されると、玉突き式に第一線部隊から押し出されることになった。
そのためStrv.74戦車はまず独立戦車中隊に配属され、その後突撃砲中隊に配属された。
最後のStrv.74戦車がスウェーデン陸軍の編制表から消えたのは、1981年のことであった。
しかしその時もただスクラップになるのではなく、砲塔は要塞陣地の防御砲塔として転用されたという。
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<Strv.m/42中戦車TM/TH型>
全長: 6.215m
全幅: 2.34m
全高: 2.585m
全備重量: 22.5t
乗員: 4名
エンジン: スカニア・ヴァビスL603 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン×2
最大出力: 320hp
最大速度: 42km/h
航続距離:
武装: 34口径75mm戦車砲m/41×1
8mm機関銃Ksp.m/39×2
装甲厚: 9〜55mm
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<Strv.m/42中戦車EH型>
全長: 6.215m
全幅: 2.34m
全高: 2.585m
全備重量: 22.5t
乗員: 4名
エンジン: ヴォルヴォA8B 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 380hp
最大速度: 42km/h
航続距離:
武装: 34口径75mm戦車砲m/41×1
8mm機関銃Ksp.m/39×2
装甲厚: 9〜55mm
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<参考文献>
・「パンツァー2002年3月号 スウェーデンのStrv m/42、Strv74中戦車」 斎木伸生 著 アルゴノート社
・「パンツァー2012年4月号 ランツベルグ社の戦車シリーズ」 竹内修 著 アルゴノート社 ・「グランドパワー2019年9月号 スウェーデン戦車発達史」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2011年5月号 スウェーデン・アーセナル戦車博物館(2)」 ガリレオ出版
・「世界の戦車
1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「世界の無名戦車」 斎木伸生 著 三修社
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研
・「戦車名鑑
1939〜45」 コーエー
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