Strv.m/41軽戦車
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+開発
第2次世界大戦が勃発した1939年9月の時点で、スウェーデン陸軍の戦車戦力の主力を占めていたのは自国のランツヴェルク社が開発したL-60軽戦車シリーズであった。
L-60軽戦車は他国に先駆けてトーションバー(捩り棒)式サスペンションを採用するなど、当時としては先進的で火力・防御力・機動力のバランスが取れた優秀な軽戦車であったが、スウェーデン陸軍は列強の戦車に対抗するにはやや力不足という認識を持っていた。
そこで、スウェーデン陸軍は戦車戦力を強化するために他国から新型戦車を導入することを計画し、1939年末にチェコのBMM社(Böhmisch-Mährische
Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所、旧ČKD社)に対して、38(t)戦車を90両生産発注した。
この38(t)戦車は元々、ČKD社がチェコスロヴァキア陸軍向けに「TNH-S」の呼称で1938年に開発した新型軽戦車で、同年7月に「LTvz.38」の制式呼称で同陸軍に採用されたものである。
チェコスロヴァキア陸軍はČKD社に対してLTvz.38軽戦車を150両生産発注したものの、チェコスロヴァキアは1939年3月にドイツによってチェコとスロヴァキアに分割併合される事態となってしまった。
ČKD社が生産中であったLTvz.38軽戦車はチェコ併合後に全てドイツによって接収され、さらに同社は「BMM社」に改称された上、LTvz.38軽戦車を「38(t)戦車」の呼称で今後ドイツ陸軍向けに生産を続行するように命じられた。
38(t)戦車はドイツ陸軍向けの生産が優先されたためスウェーデン陸軍向けの90両の生産は遅れ、その上1940年7月にこれらの車両は、「38(t)戦車S型」の呼称でドイツ陸軍に引き渡されることとされてしまった。
このためスウェーデンとドイツとの協議の結果、1940年12月にスウェーデンのスカニア・ヴァビス社の手で同陸軍向けの38(t)戦車をライセンス生産することが決定された。
スウェーデン陸軍向けの38(t)戦車には「Strv.m/41」(Stridsvagn modell 41:41式戦車)の制式呼称が与えられ、まず第1生産ロットとしてStrv.m/41軽戦車S-I型が1941年秋に116両スカニア社に発注された。
S-I型は1942年12月~1943年8月にかけてスウェーデン陸軍に引き渡されたが、この車両は本来同陸軍が1940年中にBMM社から受領するはずだった38(t)戦車S型と基本的に同様のものであり、主砲が37mm戦車砲、最大装甲厚が25mmと、第2次大戦中期に登場した戦車としてはさすがに性能的に時代遅れであった。
一方、ドイツ陸軍向けの38(t)戦車は戦訓により装甲厚の増大や車内容積の拡大などの改良が続けられており、当時機甲師団の拡充を計画していたスウェーデン陸軍は、これらの改良点を盛り込んだStrv.m/41軽戦車の第2生産ロットをスカニア社に追加発注することを決定した。
この第2生産ロットのStrv.m/41軽戦車S-II型は、1942年に122両が発注された。
しかし、S-II型の内18両は後述するSav.m/43突撃砲のベース車台に転用されたため、実際に戦車型として完成したのは104両である。
Strv.m/41軽戦車S-II型はドイツ陸軍の38(t)戦車E/F型に相当する車両であり、最大装甲厚がS-I型の2倍の50mmに強化されていたため防御力がかなり改善されていたが、主砲はS-I型と同じ37mm戦車砲のままだったため性能的に時代遅れなのは相変わらずであった。
Strv.m/41軽戦車S-II型は1943年10月~1944年3月にかけてスウェーデン陸軍に引き渡され、S-I型とS-II型を合計したStrv.m/41軽戦車の総生産数は220両となる。
Strv.m/41軽戦車S-I型は116両全てがストレングネースの第3機甲連隊に配備され、一方S-II型はショーヴデの第4機甲連隊を中心に少数がヘッスレホルムの第2機甲連隊に、予備車として第3機甲連隊にそれぞれ配備された。
なお、Strv.m/41軽戦車は原型となった38(t)戦車とは細部が異なっており、武装やエンジンをスウェーデン国産のものに変更していた。
Strv.m/41軽戦車の主砲は、ボフォース社が1938年に開発した45口径37mm対戦車砲m/38を戦車砲に改修したものを砲塔前面に装備していた。
この37mm戦車砲m/38は有効射程4,000m、発射速度12発/分で、徹甲弾を使用した場合砲口初速785m/秒、射距離800mで30度に傾斜した32mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能であった。
原型の38(t)戦車が装備していたチェコのシュコダ製作所製の47.8口径3.7cm戦車砲KwK38(t)は、同条件で30mm厚のRHAを貫徹することが可能だったので、性能的にはほぼ同等といえる。
副武装については、主砲の右側と戦闘室前面の左側に備えられたボールマウント式銃架に、アメリカのブラウニング火器製作所製の7.62mm機関銃M1919のライセンス生産型である、8mm機関銃Ksp.m/39をそれぞれ1挺ずつ装備していた。
一方Strv.m/41軽戦車のエンジンは、スカニア・ヴァビス社製の直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(S-I型が出力142hpの1664エンジン、S-II型が出力160hpのL603エンジン)を搭載していた。
なお、38(t)戦車に搭載されたチェコのプラガ社製のTNHP/S(EPA) 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力125hp)は、Strv.m/41軽戦車S-I型に搭載された1664エンジンのライセンス生産型であり、エンジンに関してはStrv.m/41軽戦車の方が本家といえる。
前述のようにStrv.m/41軽戦車のエンジンは38(t)戦車のものより出力が大きかったため、路上最大速度はStrv.m/41軽戦車が45km/h、38(t)戦車が42km/hと機動力で原型を上回っていた。
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+Sav.m/43突撃砲への改造
Strv.m/41軽戦車は、原型の38(t)戦車が登場した1930年代末の世界水準で考えると火力・防御力・機動力のバランスが取れた優秀な軽戦車であったが、前述のような紆余曲折の結果Strv.m/41軽戦車の生産開始は1942年末までずれ込んでしまったため、第2次世界大戦中に急速に進化した列強の戦車に対してはすぐに歯が立たない存在となってしまった。
これはドイツ陸軍の38(t)戦車も同様で、第2次大戦初期にはIII号戦車と共にドイツ陸軍機甲部隊の主力として活躍したものの、大戦中期以降は連合軍の新型戦車に対して歯が立たなくなっていった。
このためドイツ陸軍は大戦中期以降、戦車としては二線級となってしまった38(t)戦車を様々な自走砲のベース車台として転用した。
しかもドイツ陸軍は既存の38(t)戦車を自走砲の車台に転用するだけでなく、自走砲専用に新設計の38(t)車台を生み出したり、さらなる発展型としてヘッツァー駆逐戦車を開発するなど、38(t)戦車の車体はまだまだ戦力として活用可能な潜在能力を秘めているのは明らかであった。
そこでスウェーデン陸軍はドイツ陸軍に倣って、すでに戦力的価値が低下したStrv.m/41軽戦車を、より強力な武装を搭載する自走砲の車台に転用することを決定した。
1943年2月に、Strv.m/41軽戦車のライセンス生産を行っていたスカニア・ヴァビス社に対して、同車の車体をベースとする新型突撃砲の開発命令が出され、スカニア社はこれに応じて、1941年にBMM社から納品されたStrv.m/41軽戦車の軟鋼製試作車を改造して新型突撃砲の試作車を製作した。
この新型突撃砲は、Strv.m/41軽戦車の砲塔と戦闘室を取り去って代わりに完全密閉式の固定戦闘室を設け、ボフォース社製の27口径105mm榴弾砲m/02を限定旋回式に搭載していた。
なお資料によっては、同じボフォース社製の27口径75mm榴弾砲m/02を搭載していたとするものもある。
いずれにしろスウェーデン陸軍はこの新型突撃砲に満足の意を示し、「Sav.m/43」(Stormartillerivagn modell 43:43式突撃砲)の制式呼称を与えて量産することを決定した。
ただしSav.m/43突撃砲の生産型では、主砲をより強力なボフォース社製の27口径105mm榴弾砲Sak.m/44に変更することになった。
スカニア社はSav.m/43突撃砲を18両新規に生産した他、122両発注されたStrv.m/41軽戦車S-II型から18両が本車の車体として転用され、合計で36両のSav.m/43突撃砲が完成した。
なおスウェーデン陸軍はSav.m/43突撃砲以外にも、第2次世界大戦中にStrv.m/41軽戦車の車体をベースとする自走砲の開発を幾つか試みている。
その1つが、大戦末期の1945年に開発された15cm砲を搭載する自走砲である。
この車両はStrv.m/41軽戦車の車内レイアウトにまで手を付けて、戦車型では車体後部に搭載されていたエンジンを車体中央部に移し、車体後部を15cm砲を搭載する戦闘室としたもので、ドイツ陸軍が38(t)戦車をベースに開発した15cm自走重歩兵砲グリレK型によく似た外観の車両であった。
この自走砲の主砲に選ばれたのは、ボフォース社が試作した15cm無反動砲fm/43-45という珍しいものであった。
この自走砲の戦闘室は薄い装甲板で囲まれたオープントップのもので、無反動砲の射撃時に後方に発生する発射ガスを逃がすため、戦闘室の後方は開放されていたようである。
なお前述したようにこの自走砲はグリレK型に外観がよく似ていたが、グリレの任務が榴弾を用いた火力支援だったのに対し、この自走砲は主砲が無反動砲であることから、敵戦車を直接照準射撃で撃破することを想定していたと思われる。
いずれにしろこの自走砲は試作車が製作されただけで、結局生産は行われなかった。
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+Pvkv.3/Pvkv.4対戦車自走砲への改造
Strv.m/41軽戦車は戦後の1950年代になってもスウェーデン陸軍に在籍していたが、さすがにこの頃には戦力的価値が著しく低下しており、同陸軍の戦車戦力の中心は第2次大戦後期に開発されたStrv.m/42中戦車に移行していた。
しかしStrv.m/42中戦車もすでに旧式化が目立っていたため、スウェーデン陸軍は新たな主力戦車としてイギリスからセンチュリオン戦車シリーズの導入を開始した。
センチュリオン戦車シリーズの配備が進むにつれて、Strv.m/42中戦車はこれと代替して第一線部隊から退き、それまでStrv.m/41軽戦車が配備されていた二線級部隊はStrv.m/42中戦車に置き換えられ、玉突き式にStrv.m/41軽戦車は予備役に回された。
こうして戦車としては不要の存在となったStrv.m/41軽戦車であったが、スウェーデン陸軍はまだ本車を捨てるつもりは無く、何とかしてこの旧式戦車を延命させる方法を模索した。
これは陸軍当局が1950年6月に勃発した朝鮮戦争を皮切りに、世界が東西両陣営に分かれて再び世界大戦に突入するのではないかという危機感を抱いていたことが背景としてあったと思われる。
そしてStrv.m/41軽戦車の延命策の1つとして計画されたのが、本車をより強力な主砲を搭載する対戦車自走砲として再生するプランであった。
この対戦車自走砲の主砲には、57mm対戦車砲と75mm高射砲L/60が候補に挙げられた。
この内57mm対戦車砲については詳細がよく分からないが、75mm高射砲L/60はボフォース社製の75mm高射砲m/29をベースにドイツのクルップ社が1930年代に開発したもので、有名な同社の8.8cm高射砲シリーズの原型となった砲でもある。
いずれにしてもわざわざ新設計の砲を開発するのはもったいないので、スウェーデン陸軍が保有していた旧式砲を再利用したということである。
Strv.m/41軽戦車を対戦車自走砲に改造するにあたっては、車体部分にはほとんど手が付けられず、元々搭載していた37mm戦車砲装備の砲塔を取り去って、代わりに薄い装甲板で構成された大型の箱型構造の全周旋回式砲塔が搭載された。
この対戦車自走砲は57mm対戦車砲を装備したタイプが「Pvkv.3」、75mm高射砲L/60を装備したタイプが「Pvkv.4」と名付けられ、少数がStrv.m/41軽戦車から改造されてスウェーデン陸軍で使用された。
Pvkv.3/Pvkv.4対戦車自走砲は、小柄な車体に不釣り合いな大柄な砲塔を搭載していたため見た目はかなりバランスが悪かったが、主砲の対装甲威力は原型の37mm戦車砲とは比べ物にならないほど向上していた。
しかしスウェーデン陸軍がこれらを少数しか導入しなかったのは、何か実用性に問題があったのかも知れない。
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+Pbv.301装甲兵員輸送車への改造
前述のように、Strv.m/41軽戦車は戦後の1950年代になってもスウェーデン陸軍に在籍していたが、さすがに50年代半ばには戦力的価値が著しく低下しており、部隊配備から外されて予備装備として保管されていた。
しかしこの不要になったStrv.m/41軽戦車に目を付けたのが、スウェーデンの民間企業スヴェン・ベルガ社であった。
同社は1954年にスウェーデン陸軍に対して、戦車としての役目を終えたStrv.m/41軽戦車を装軌式のAPC(装甲兵員輸送車)として再生することを提案したのである。
当時、同陸軍はまだあまり装軌式APCの必要性を認識していなかったが、装輪式や半装軌式のAPCに比べて不整地での機動力に優れ、あらゆる地形において戦車に随伴することが可能な装軌式APCは近い将来世界的に普及するとスヴェン・ベルガ社は予見していた。
実際に1960年代にはアメリカのM113装甲兵員輸送車、イギリスのFV432装甲兵員輸送車、日本の60式装甲車など世界中の軍隊に装軌式APCが急速に普及していったので、同社の予見は正しかったといえよう。
またStrv.m/41軽戦車の装軌式APCへの転用が考えられたのには、もう1つ理由があった。
それは、Ikv.102駆逐戦車用に開発されたスヴェンスカ・フリーグムートル社製のB44 水平対向4気筒空冷ガソリン・エンジン(出力150hp)の存在である。
このエンジンは元々航空機用のもので、Strv.m/41軽戦車が搭載していたスカニア・ヴァビス社製の直列6気筒液冷ガソリン・エンジンより容積も重量も小さかったため、このB44空冷ガソリン・エンジンに換装することで、Strv.m/41軽戦車の車体に容積的かつ重量的余裕が生まれることになったのである。
Strv.m/41軽戦車を装軌式APCに改造するためのおよそ2年間に及ぶ研究の後、1957年にスウェーデン陸軍は2両の試作車の製作を発注した。
この内1両はヘグルンド&セーネル社が担当し1959年2月に引き渡され、もう1両はランツヴェルク社が担当してわずかに遅れて引き渡された。
そしてこの2両の試作車を用いて各種試験が開始されたが、まだそれほど経たない同年6月にはヘグルンド社に7両、ランツヴェルク社に3両の増加試作車の製作が発注された。
これは最初の試作車の試験成績が極めて良好だったからか、スウェーデン陸軍当局が装軌式APCの必要性に目覚めたということであろう。
増加試作車は1961年1~4月にかけてスウェーデン陸軍に引き渡されたが、陸軍当局はずいぶん完成を急いでいたようで、はるか以前の1960年6月にはヘグルンド社の設計案を採用し、同社に対して陸軍が保有する全てのStrv.m/41軽戦車の装軌式APCへの改造を発注していた。
これを受けてヘグルンド社はStrv.m/41軽戦車の改造作業を開始し、APC型の第1号車は1962年1月にスウェーデン陸軍に引き渡され、最終号車は1963年4月に引き渡された。
なおStrv.m/41軽戦車ベースのAPC型には、「Pbv.301」(Pansarbandvagn 301:301型装甲兵員輸送車)の制式呼称が与えられている。
スウェーデン陸軍が保有していたStrv.m/41軽戦車220両は、全てがPbv.301装甲兵員輸送車(およびその派生型)に改造されたことになっているが、第2次世界大戦において母国が中立を守ったとはいえ、Strv.m/41軽戦車が1960年代まで1両も欠損することなく生き残っていたのは驚きである。
ちょっと疑問なのは、前述のPvkv.3/Pvkv.4対戦車自走砲に改造されたStrv.m/41軽戦車の行方であるが、おそらくPbv.301装甲兵員輸送車に再改造されたのではないかと推測される。
なお、Pbv.301装甲兵員輸送車には指揮車型の「Slpbv.3011」(Stridsledningspansarbandvagn 3011:3011型装甲指揮車)と、観測車型の「Epbv.3012」(Eldledningspansarbandvagn
3012:3012型装甲観測車)の2種類の派生型が存在しており、Pbv.301装甲兵員輸送車が185両、Slpbv.3011装甲指揮車が20両、Epbv.3012装甲観測車が15両それぞれStrv.m/41軽戦車から改造生産されている。
Strv.m/41軽戦車をPbv.301装甲兵員輸送車に改造するにあたって、Strv.m/41軽戦車の砲塔と車体上部は全て撤去され、代わりに背の高い密閉式の箱型構造の新しい上部車体が取り付けられたが、スウェーデン陸軍はStrv.m/41軽戦車から撤去した37mm戦車砲装備の砲塔を廃棄してしまうのはもったいないと考え、基地防備用の固定砲台として再利用することを決定した。
驚くことに、Strv.m/41軽戦車の砲塔を転用した固定砲台は1990年代まで使用が続けられたという。
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<Strv.m/41軽戦車S-II型>
全長: 4.605m
全幅: 2.14m
全高: 2.35m
全備重量: 11.0t
乗員: 4名
エンジン: スカニア・ヴァビスL603 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 160hp
最大速度: 44.8km/h
航続距離: 201km
武装: 45口径37mm戦車砲m/38×1
8mm機関銃Ksp.m/39×2
装甲厚: 8~50mm
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<Sav.m/43突撃砲>
全長: 5.05m
車体長: 4.60m
全幅: 2.14m
全高: 2.29m
全備重量: 12.4t
乗員: 4名
エンジン: スカニア・ヴァビスL603 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 160hp
最大速度: 43km/h
航続距離: 180km
武装: 27口径105mm榴弾砲Sak.m/44×1 (43発)
装甲厚: 8~50mm
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<Pbv.301装甲兵員輸送車>
全長: 4.66m
全幅: 2.23m
全高: 2.64m
全備重量: 11.7t
乗員: 3名
兵員: 7名
エンジン: スヴェンスカ・フリーグムートルB44 4ストローク水平対向4気筒空冷ガソリン
最大出力: 150hp
最大速度: 45km/h
航続距離: 300km
武装: 65口径20mm機関砲m/45B×1
装甲厚: 8~50mm
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<参考文献>
・「パンツァー2001年12月号 スウェーデンのPbv.301装甲兵車」 水上眞澄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2001年6月号 スウェーデンのSav m/43突撃砲」 水上眞澄 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2019年9月号 スウェーデン戦車発達史」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年4月号 スウェーデン・アーセナル戦車博物館(5)」 ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年4月号 ドイツ軽戦車
38(t)」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2020年12月号 38(t)軽戦車」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー1999年9月号 ドイツ38(t)軽戦車」 佐藤光一 著 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版 ・「世界の戦車
1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「世界の無名戦車」 齋木伸生 著 三修社 ・「世界の戦車 完全網羅カタログ」 宝島社
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