Sd.Kfz.6/3ディアナ7.62cm対戦車自走砲
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+開発
日独と三国同盟を結び、1940年6月10日にイギリス、フランスに対して宣戦布告したイタリアは、当時同国が統治していた北アフリカのリビアに駐留させていた第5軍および第10軍を、イギリス軍が駐留するエジプトに侵攻させた。
しかし、これを向かい撃ったイギリス軍にイタリア軍が大敗したことで、同盟国のドイツは予期していなかった北アフリカでの戦いを強いられることになった。
そして急遽北アフリカ軍団を編制して装備と将兵を北アフリカに送り込んだが、そこで問題になったのがイギリス軍にマルタ島を抑えられていることで、イタリアから北アフリカに対する海路輸送を無傷で行うことが極めて困難だったのに加え、東部戦線でソ連軍と激しい戦闘を繰り広げていることから、戦車や自走砲などの補給を充分に行うことができず、特に対戦車兵器の不足は当初から問題だった。
その対処として考えられた策の1つが、製作が容易でかつ自走能力を備える既存車両の対戦車自走砲化であった。
すでにフランス侵攻作戦においてI号戦車B型の車体を流用し、チェコ製の4.7cm対戦車砲を搭載した対戦車自走砲を投入していたし、ソ連侵攻作戦で遭遇したT-34中戦車への対抗として、より強力な火砲を備える対戦車自走砲が急遽実戦化されていたので、この考えは極めて妥当なものだった。
そしてドイツ陸軍兵器局は1941年8月11日付で、北アフリカへの派遣軍向けの自走式対戦車兵器として改造が容易なトラック、もしくはハーフトラックを母体とし、デュッセルドルフのラインメタル社製の60口径5cm対戦車砲PaK38もしくは、ソ連軍から鹵獲した48.4口径76.2mm師団砲F-22(M1936)を搭載する車両を20両製作し、試験終了後は速やかに北アフリカに派遣することを決定した。
この決定に従い兵器局第6課は基礎研究に着手し、その中からまとめられたのが、車体サイズと走行性能からベース車体は5tハーフトラックBN l 9bとし、専用車体に改造した上で、76.2mm師団砲F-22にドイツ独自の改良を加えた7.62cm野戦加農砲FK296(r)を搭載するという常識的な案だった。
そして、ベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)と契約して実際の作業を委ね、1941年秋には試作車が完成した。
この完成期日に関しては明らかではないが、1941年9月13日付で兵器局第6課が送付した報告書において、ツォ
ッセンのクンマースドルフ車両試験場で9月11日に実施されたFK296(r)搭載5tハーフトラックの射撃試験が記されているので、8月末もしくは9月に入って間もなく完成したものと思われる。
残念ながら試作車の写真は残されていないようだが、同じく5tハーフトラックをベースとし、ラインメタル社製の57口径3.7cm対空機関砲FlaK36を搭載したSd.Kfz.6/2対空自走砲と同様に、操縦室後方を平板式の荷台とし、この上に防盾と開閉式の脚、そして車輪を装着した状態でFK296(r)を搭載した。
ただし脚はオリジナルではなく、アルケット社の手で荷台に収めることができるように先端部が切断されており、その結果として約380kg軽量化されたという。
また、荷台の周囲には装甲板が装着されてオープントップ式の箱型戦闘室が形成されたが、戦闘室の前面は左右に小さな装甲板を備えるだけで、中央部は大きく開かれて主砲の射界を確保したため、主砲の操作員を守るのはオリジナルの防盾だけだった。
いずれにせよ、この試作車のレイアウトはそのまま生産型に踏襲されたと思われる。
主砲の射撃試験にはソ連軍から鹵獲した弾薬44発が用いられ、左右の最大旋回角である30度ずつに振った状態や、最大俯角の-7度での射撃試験も実施され、射撃の反動は車体がわずかに後退した程度だったという。
またアルケット社では、主砲の射撃で生じるガスが機関系に侵入することへの危惧から、ボンネットの吸気グリル前面に装着する専用のカバーを装着した状態で試作車を引き渡したが、射撃試験ではこのカバーは外され何も問題は無かったという。
唯一、射撃時の衝撃で右側の前照灯が半壊したが相対的に問題は無いと判断され、一部を除いて改良を加えること無く量産に移行している。
射撃試験の結果を受けて兵器局は、火砲の開発を司る第4課に対して駐退機の改良を求める一方で、アルケット社には荷台の最後部に置かれた主砲弾薬庫の上端から、60cm上方にあたる車体後面の中央部に開口部を設けて、下開き式の小さなドアを装着することが指示された。
これは、砲身の交換の便を考慮したものと思われる。
また戦闘室の左右側面には、戦闘に際し主砲弾薬の装填の便を図って前開き式の大きなドアを備えていた。
1941年9月17日には第2次射撃試験が実施され、この試験ではソ連製の弾薬20発に加えてドイツ製弾薬も射撃に供された。
その数字は明らかではないが、ドイツ製弾薬はソ連製よりも射程が向上したといわれる。
この2度に渡る射撃試験を経て兵器局第6課は、アルケット社との間に9両の生産型の製作契約を結び、同じくブラウンシュヴァイクのビューシンクNAG社にも5tハーフトラックの車体9両分が発注されたが、この発注には機関系も搭載した状態とすることが当初から求められていたと考えられる。
完成した車体は10月15日にまず5両が、続いて25日に残る4両が到着し、早速対戦車自走砲の製作が開始された。
1941年12月13日付でアルケット社が送付した報告書では、荷台の周囲を4.5mm厚の装甲板で囲んで戦闘室を構成し、7.62cm野戦加農砲FK296(r)は防盾と脚、そして車輪を備えたままで荷台に載せたが、戦闘室の内部に収まるように脚を切断した状態で固定板を介して荷台に固定し、車輪の前後にあたる部分にも固定プレートを装着したと作業の実際を伝えている。
なお、これらの改造で対戦車自走砲に変身した5tハーフトラックは、当然ながら戦闘重量がオリジナルの8.5tから11.2tへと大きく増大することになった。
主砲のFK296(r)は自走砲化に際して、最大仰角が牽引砲の+75度から+20度へと大幅に減少したが、最大俯角は牽引砲の-5度から-7度へと若干増大している。
旋回角については牽引砲と変わらず、左右各30度ずつとなっていた。
また荷台の後方には主砲弾薬庫が設けられ、榴弾と徹甲弾合わせて100発が収められ、乗員は操縦室内の左側に位置する操縦手に加えて、主砲を挟む形で戦闘室内の右側前方に車長が、左側前方には砲手が位置し、その後方に装填手と2名の弾薬運搬手が配された。
また車体の後方に、主砲弾薬40発を収容したSd.Ah.32 2輪トレイラーを牽引することも可能であった。
1941年12月初めには生産型9両が完成し、「7.62cm FK296(r)搭載装甲ハーフトラック Sd.Kfz.6/3」の制式呼称が与えられ、同時にドイツ軍の車両としては珍しく、「ディアナ」(Diana:ローマ神話の月の女神で処女性と狩猟の守護神、ギリシャ神話のアルテミスにあたる)という愛称も用意されている。
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+部隊配備
北アフリカ派遣前にあたる1941年11月13日付のK.St.N.(戦力定数指標)1149において、ディアナに関する編制が通達された。
それによると3両で1個小隊を編制し、第1~第3小隊で1個中隊とし、各小隊の傘下に弾薬などの輸送を主任務とする3tトラック1両を編制に加え、併せて小隊本部にオートバイと軽乗用車を1両ずつ配することとされた。
ただし、その人員配備については不明である。
ディアナは1941年12月7日からイタリアへの輸送が開始され、翌42年1月5日に第一陣として6両がリビアの首都トリポリに上陸した。
この6両のディアナは、1月13日付で第90軽アフリカ師団の傘下に配された第605戦車駆逐大隊の第3中隊として配備され、戦闘室の側面に識別のため白で1~6の数字が記入された。
そして1月23日から始まるイギリス第8軍の攻撃に呼応して戦闘に投入されたが、その戦闘状況に関しては不明である。
ただし、脆弱な装甲にも関わらずこの際の戦闘で失われた車両は無く、2月23日には残る3両のディアナもトリポリに到着し、7~9の番号を記入して第605戦車駆逐大隊と合流し、3月8日には第3中隊に所属する9両のディアナ全車の戦闘投入が可能となった。
しかし、強力な火力とは裏腹に脆弱な装甲故に被弾にはなすすべも無く、1942年3月31日の報告では全車が無事だったものの、4月3日の報告では8両に、4月20日には7両とその数を減らしていき、5月25日から始まるヴェネツィア作戦では、同じ第605戦車駆逐大隊傘下のI号4.7cm対戦車自走砲を装備する第1中隊に2両が、第2中隊には3両が分散配備され、第3中隊のディアナ装備数は2両に減じた。
そして6月5日までの戦闘で2両のディアナが失われ、その後も断続的ではあるが喪失は続き7月1日には2両、8月31日に1両、そして12月2日に最後の2両が失われ、アフリカからディアナの姿は消えた。
しかし、わずか9両という生産数と4.5mmという非力な戦闘室の装甲厚を考えると、強力なイギリス軍の前によくぞ1年近くも生き残ったと驚かされる。
なお戦闘の最中の1942年6月1日付の戦力報告書では、FK296(r)と同じくソ連軍から鹵獲した76.2mm師団砲F-22をベースとするものの、大幅な改造を施してラインメタル社製の46口径7.5cm対戦車砲PaK40の弾薬を使用できるようにした、48.4口径7.62cm対戦車砲PaK36(r)にディアナの主砲を換装したとしている。
この換装に伴い戦闘重量は従来の11.2tから10.5tに減じ、弾薬運搬手が1名減らされて乗員数が5名となり、併せて戦闘室の耐弾性も7.7mm徹甲弾に抗堪できるよう強化されたという。
この報告内容から考えられるのは、北アフリカにおいてディアナの主砲をFK296(r)からPaK36(r)に換装する作業が実施されたということだが、戦闘室の装甲強化に関してはよく分からない。
ただし資料によってはディアナの主砲をPaK36(r)、戦闘重量を10.5t、乗員数を5名、戦闘室の装甲厚を10mmとしているものが存在するので、これが主砲の換装と戦闘室の装甲強化を実施した後の諸元なのかもしれない。
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+構造
ディアナのベース車体となった5tハーフトラックは元々、36口径7.5cm野戦加農砲FK16nAと28口径10.5cm軽榴弾砲leFH18の牽引を目的として、ミュンヘンのクラウス・マッファイ社が1934年に開発、ビューシンクNAG他数社が1934~43年にかけて合計3,683両生産した牽引力5tの軽ハーフトラックで、実際にディアナに改造されたのは1941年2月から生産に入った5tハーフトラックの最終生産型BN l 9bである。
BN l 9bは走行能力の強化を目的にエンジンが、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL54TUKRM
直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量5,420cc、出力115hp/2,600rpm)に換装されていた。
エンジンの換装に加えてボンネット最前部に配された吸気グリルがさらに絞り込まれ、上端部の湾曲もわずかではあるが増えていた。
また、前作BN l 8で採用された転輪のトーションバーが横1列から上下配置に改められ、誘導輪のトーションバーが廃止された。
またシャシー後方の牽引ウィンチが、牽引力が2.5tに増えた強化型に換装された。
さらに車体長が、BN l 8の6.16mから6.33mに増大している。
以上がBN l 8とBN l 9/9bの変更点で、BN l 9と9bは基本的には同仕様だったが、一部にわずかな変更点も存在する。
まずBN l 9bでは前輪の操向機構ギアと油圧装置が変更され、さらにフェンダー形状が少々簡易化され、シャシー後端に備える牽引用のピントルも強化型に換装されている。
ディアナはこの5tハーフトラックBN l 9bの操縦室後方を平板式の荷台とし、この上に防盾と開閉式の脚、そして車輪を装着した状態で、48.4口径7.62cm野戦加農砲FK296(r)を搭載した。
ただし脚はオリジナルではなく、戦闘室の内部に収まるように先端部を切断した状態で固定板を介して荷台に固定し、車輪の前後にあたる部分にも固定プレートを装着した。
また、荷台の周囲には4.5mm厚の装甲板が装着されてオープントップ式の箱型戦闘室が形成されたが、戦闘室の前面は左右に小さな装甲板を備えるだけで、中央部は大きく開かれて主砲の射界を確保したため、主砲の操作員を守るのはオリジナルの防盾だけだった。
戦闘室の左右側面には、戦闘に際し主砲弾薬の装填の便を図って前開き式の大きなドアを備えていた。
また荷台の後方には、榴弾と徹甲弾合わせて100発を収容する主砲弾薬庫が設けられ、弾薬庫の上端から60cm上方にあたる車体後面の中央部には、主砲の砲身交換に使用する下開き式の小さなドアを備えていた。
ディアナの主砲である7.62cm野戦加農砲FK296(r)は、ソ連軍から鹵獲した野砲にドイツ独自の改良を施したもので、ソ連製のBR-350A徹甲榴弾(重量6.3kg)を使用した場合、砲口初速690m/秒、射距離500mで75mm、1,000mで67mmの均質圧延装甲板を貫徹することが可能であった。
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<Sd.Kfz.6/3ディアナ7.62cm対戦車自走砲>
全長: 6.33m
全幅: 2.26m
全高: 2.98m
全備重量: 11.2t
乗員: 6名
エンジン: マイバッハHL54TUKRM 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 115hp/2,600rpm
最大速度: 50km/h
航続距離: 317km
武装: 48.4口径7.62cm野戦加農砲FK296(r)×1 (100発)
装甲厚: 4.5mm
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<参考文献>
・「パンツァー2011年11月号 ドイツ軍の半装軌式牽引車 Sdkfz.10からsWS牽引車まで」 久米幸雄 著 アルゴ
ノート社
・「パンツァー2010年10月号 ディアナ ソ連製野砲を搭載したロンメルの無骨な女神」 遠藤慧 著 アルゴノート
社
・「戦闘車輌大百科」 アルゴノート社
・「グランドパワー2010年10月号 ドイツ7.62cm対戦車自走砲」 後藤仁/国本康文 共著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2021年10月号 5tハーフトラック」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ドイツ陸軍兵器集 Vol.4 突撃砲/駆逐戦車/自走砲」 後藤仁/箙浩一 共著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.1 AFV:1939~43」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「世界の戦車パーフェクトBOOK 最新版」 コスミック出版
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