+概要
Sd.Kfz.252装甲弾薬運搬車とSd.Kfz.253装甲観測車は、Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車と同じく1tハーフトラック(Sd.Kfz.10)をベースに1939年に開発された半装軌式装甲車であるが、Sd.Kfz.250より先に量産化されている。
両車共にシャシーはSd.Kfz.250と同じものを用いていたが、上部車体が密閉式構造である点がSd.Kfz.250と大きく異なる特徴となっていた。
Sd.Kfz.252は突撃砲部隊用に開発された車両で、弾薬運搬トラックから突撃砲へ弾薬を供給するのが任務であった。
そのため、トラックよりも路外走行性能の良いハーフトラックをベースとし、最前線で行動するため装甲ボディが必要とされたわけである。
全体的なデザインはSd.Kfz.250とほぼ同じであったが、突撃砲と行動を共にする関係で車体前面の装甲厚が18mmに強化されており、これによる重量の増加を避けるため、戦闘室後部は斜めに削ぎ落とされた形状に改められており、観音開き式の大型ハッチが取り付けられていた。
車内床面には砲弾の収納ケースが装備されており、砲弾の積み降ろしは戦闘室後部の観音開き式ハッチから行われた。
乗員は操縦手と、砲弾を車外に送る弾薬員の2名であった。
戦闘室上面には乗員2名用の角形ハッチが左右に装備されており、後方へ跳ね上げ式に開くようになっていた。
戦闘室右側面前部には視察ヴァイザー、左側面前部には視察ブロックが設けられており、それぞれの下部には円形のガンポートも設けられていた。
無線機はFu.15またはFu.16を搭載し、アンテナは戦闘室上面の無線手用ハッチの右後方に立てられた。
武装は少なくとも、オーベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34が1挺装備されていたことが分かっている。
Sd.Kfz.252には、カッセルのヴェクマン社が開発した2輪式の弾薬運搬トレイラー(Sd.Anh.32/A)が用意され、通常これを牽引して行動した。
この場合、車内の弾薬収納ケースと合わせて200発の7.5cm砲弾を収容することができた。
このトレイラーは、後に多目的の運搬用に流用されている。
Sd.Kfz.252のシャシーは、デュースブルクのデマーク社の子会社である、ベルリン・シュターケンのDFW社(デマーク車両製作所)と、ビューシンクNAG社のベルリン・オーバーシャイネヴァイデ工場(旧NAG社)で製作され、装甲ボディはヴェクマン社と、オーストリア・カプフェンベルクのベーラー社が供給した。
組み立て生産はDFW社の他、1941年1月からヴェクマン社とキールのドイツ製作所も参加している。
Sd.Kfz.252の生産開始はSd.Kfz.253よりも3カ月遅い1940年6月からで、同年8月までに第1ロット分の30両が生産されている。
Sd.Kfz.252の生産は1941年9月まで続けられ合計413両が完成しているが、生産コストの問題などによりこれ以降は、Sd.Kfz.250の車体を流用した簡易生産型のSd.Kfz.250/6装甲弾薬運搬車に生産が切り替えられている。
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