+概要
Sd.Kfz.251/17はSd.Kfz.251装甲兵員輸送車に、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の65口径2cm対空機関砲FlaK38を搭載した、高射砲部隊用の対空自走砲である。
極初期にはSd.Kfz.251装甲兵員輸送車A/B型をベースに、戦車砲型の55口径2cm機関砲KwK38を搭載した車両もあったといわれているが、一般的にはC型ベースが最初とされており、最初に量産されたのは戦闘室中央に特別な台座を設置して、その上に2cm対空機関砲FlaK38を搭載した車両であった。
この車両は1942年半ば頃に製作されており乗員は6名で、対空機関砲搭載のためのクリアランスを得るために側面装甲板を張り出させたデザインとし、全周旋回が可能なようになっていた。
また、その部分を左右に展開して作業用プラットフォームにすることも可能で、そのためにフェンダー上にあった雑具箱は前方に移動し、数も2個に減らされた。
また、同じデザインで対空機関砲を搭載せずに、Fu.8無線機とフレームアンテナを装備した指揮用車両も2両だけ製作された。
Sd.Kfz.251/17の初期型とされているこの車両は生産数が10両と少なく、最近の資料ではこの車両をSd.Kfz.251/17として分類せず、機甲師団ヘルマン・ゲーリング傘下の高射砲連隊の単なる改造車両とする説もある。
次に開発されたのはだいぶ簡略化した構造の車両で、1tハーフトラック(Sd.Kfz.10)の対空自走砲型を模したものであった。
この車両は車体前部にフェンダーごと、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車の装甲ボディを流用していたが、シャシーは非装甲で基本的にSd.Kfz.251/17というより、3tハーフトラック(Sd.Kfz.11)の派生型として分類すべき車両であった。
装甲ボディは、操縦手席後ろでカットしてオープンデッキとされていた。
装甲キャブはデッキ幅に合わせて幅の広い新型になっており、後部は開放式であった。
デッキはシャシーよりも後方に延長されており、上部には専用ブラケットがあって、2cm対空機関砲FlaK38は野戦台座ごとそこに固定された。
車体側面は格子で組まれたフェンスになっていて、左右に展開して作業用プラットフォームにすることができ、後部は弾薬収納庫になっていた。
この車両は、1943年中頃にSd.Kfz.251装甲兵員輸送車C型ベースで試作され、ケムニッツのアウト・ウニオン社(Auto Union:自動車連合)で、1944年3月〜1945年2月にかけて604両がD型ベースで生産された。
このタイプが、一般にSd.Kfz.251/17の中期型とされている。
続いて開発されたのがSd.Kfz.251装甲兵員輸送車D型をベースに、新型砲架の2cm機関砲KwK38を搭載したタイプであった。
これは、車内に取り付けられたH型のフレーム中央に比較的小さな円筒形状の台座があり、そこに取り付けられた砲架と砲手用シート2個から成る装備であった。
初期生産車では砲架の前に小型の防盾が取り付けられていたが、後期生産車では後部のみを開放式として砲架の周囲を囲む防盾に変更されており、砲自体も2cm対空機関砲FlaK38に換装されている。
砲は全周旋回可能で、−5〜+60度の俯仰角を得ることができた。
この方式は、何より車体に特別な改造を必要としない点が優れていた。
この車両は1944年末に登場しているが生産数については不明で、8輪装甲車Sd.Kfz.234に同型砲架を搭載した車両も試作されている。
このタイプがSd.Kfz.251/17の後期型とされており、実用化された最後の型式となった。
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