Sd.Kfz.250/1装甲兵員輸送車
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+Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車の開発
アドルフ・ヒトラーが政権を握りヴェルサイユ条約破棄を宣言した1935年に、ドイツ陸軍は半装軌式車両(ハーフトラック)をベースに兵員輸送を目的とした装甲車両の開発に着手した。
ベースとしてハーフトラックが選定されたのは、装輪式トラックでは不整地での行動に制限があること、また全装軌式車両ではコストが掛かり過ぎるという問題があり、加えて当時同様な理由から、砲兵隊の牽引用車両として各種ハーフトラックが開発生産されていたので、それを流用するのが合理的だと判断されたからであった。
最初に開発されたのは、3tハーフトラック(Sd.Kfz.11)をベースとした歩兵部隊用のSd.Kfz.251装甲兵員輸送車で、これは乗員2名の他、歩兵1個分隊(10名)を収容できるものであった。
このSd.Kfz.251に続いて、1tハーフトラック(Sd.Kfz.10)をベースに開発されたのがSd.Kfz.250装甲兵員輸送車で、こちらは定員6名のより小型の車両であった。
というのもSd.Kfz.250は歩兵部隊用の車両としてではなく、偵察部隊用の車両として考えられたものだったからである。
実際の開発はSd.Kfz.250の方が後であったが、特殊車両番号の順位からすると、構想自体はSd.Kfz.250の方がSd.Kfz.251よりも先だったようである。
Sd.Kfz.250の本格的な開発は1939年から始まっており、構想から着手までに時間が掛かっている。
これは当初、ベースになる適当な車両がまだ無かったからであった。
Sd.Kfz.250のベースとなった1tハーフトラックの開発は、デュースブルクのデマーク社(Deutsche Maschinenbau AG:ドイツ機械製作所)によって1932年から開始されている。
最初の試作車が完成したのは1934年春のことで、この車両は「D11/1」と呼称された。
D11/1は、BMW社(Bayerische Motoren Werke:バイエルン発動機製作所)製の315 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力28hp)を搭載しており、変速・操向機はZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)のものを採用していた。
履帯駆動装置の部分は短く起動輪と誘導輪の他、トーションバー(捩り棒)式サスペンションで懸架された転輪3個がオーバーラップ(挟み込み)式に配置されていた。
また、ゴムタイヤ式前輪のサスペンションもトーションバー方式であった。
乗員は2名で、車体後部は機関系の収容スペースとなっていたため、他の荷物や兵員を搭載することは不可能であった。
さらに、D11/1は重量が4tもありアンダーパワーだったため、砲を牽引する余力は無かった。
1934年中にD11/1に続いて、2番目の試作車D11/2が開発された。
これはD11/1を改良したもので重量を2.5tに減らした上、転輪も片側4個に増やして接地長を大きくしていた。
D11/2は、一応4両が製作された。
3番目の試作車D11/3は、1936年に完成した。
重量は3.5tに増えたものの、エンジンも出力42hpのBMW社製319 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンに強化され、転輪はさらに増えて片側5個配置になった。
このD11/3からフロントエンジン方式になり、乗員2名の他、兵員4名を搭乗させることが可能となった。
また全体のデザインも、後のSd.Kfz.250に継承されるものに一新されていた。
デマーク社ではこのD11/3に初めて、装甲ボディを搭載した試作車(Sd.Kfz.253装甲観測車用の)を製作しており、データ取りを行っている。
この後、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製の、HL25 直列4気筒液冷ガソリン・エンジン(出力65hp)を搭載した試作車D4の製作が計画されたが、これは実現しなかった。
この車両では、前輪のサスペンションをリーフ・スプリング(板ばね)方式にする予定であった。
1937年にはD4をさらに発展させたD6が完成し、1937~38年にかけて試験運用のため先行量産されている。
D6は前輪のサスペンションをリーフ・スプリング方式としていた他、エンジンは出力83hpのマイバッハ社製HL38TRKM 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンを搭載し、変速・操向機もZF社製からデマーク・アドラー社製に変更していた。
重量は4.5tに増加したが性能は確実に向上しており、もはや実用車両の基準をクリアするところまで来ていた。
1939年にはD6を改修したD7が最終型として製作され、「Sd.Kfz.10」(Sonderkraftfahrzeug 10:特殊車両10型)としてドイツ陸軍に制式採用された。
D7では重量が4.9tになり、エンジンをさらに強力な出力100hpのマイバッハ社製HL42TRKM 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンとし、変速・操向機もマイバッハ社製の「ヴァリオレクス」(Variorex)VG102128Hに変更された。
デマーク社ではこの他に、転輪を片側6個としたD8の開発も計画していたが、D7の成功により実際に作られることは無かった。
Sd.Kfz.10は1939年中にすぐさま大量生産され始め、一方、D7をベースとした装甲車両の開発も具体的にスタートし、デマーク社ではこれを「D7p」(pはpanzer:装甲の頭文字)と呼称していた。
装甲ボディの開発はSd.Kfz.251で実績のあった、ベルリンのオーバーシャイネヴァイデにあるビューシンクNAG社によって行われた。
D7pの試作車は1939年中に完成し、ツォッセンのクンマースドルフ車両試験場で各種試験が行われた後、「Sd.Kfz.250」(Sonderkraftfahrzeug
250:特殊車両250型)として制式採用することが決定された。
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+Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車の構造
Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車のベースとなった1tハーフトラックのシャシーは、他のハーフトラックと同様に薄い通常鋼板によるC型鋼で組まれていたが、Sd.Kfz.250の場合は側/後面8mm、下面6mm厚の装甲鋼板で構成したリベット止め構造のものに変更されていた。
後に生産されるB型車体でも、シャシー自体は変化していない。
ただしその生産後期においては、装甲板がリベット止め式から溶接式構造に変更されている。
収容人員が6名と少ないことから、装甲化による重量の増加を抑えるために、Sd.Kfz.250のシャシーは1tハーフトラックのものに比べて全長が縮められており、それに伴って転輪が片側4個に減らされていた。
このため、より大型のSd.Kfz.251装甲兵員輸送車(収容人員12名)と同じエンジンを搭載しながら、車重は2t以上軽くまとめられ、速度や機動性はSd.Kfz.251より圧倒的に優れていた。
Sd.Kfz.250に搭載されたエンジンは、1tハーフトラックと同じマイバッハ社製のHL42TRKM 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンである。
これはシリンダー径90mm、ストローク110mm、排気量4,170cc、2,800rpmで100hpの出力を得られた。
エンジン配置は車体前方部中央で、その前方に冷却ファンとラジエイターが配置されていた。
変速機はマイバッハ社製のヴァリオレクスVG102128Hで、前進7段/後進3段であった。
エンジンからの動力は、シュヴァインフルトのフィヒテル&ザクス社製のPF220乾式二重円盤クラッチを介してこれに伝達された。
ギアシフトは半自動式で各段へのシフトは手動で選択されたが、クラッチを踏むと油圧システムが開放されて自動的にギアシフトが行われた。
Sd.Kfz.250の走行装置は操向用のゴムタイヤ式前輪と、後部の履帯駆動装置から成っていた。
前輪は、左右を繋ぐシャフトが横向きに配置されたリーフ・スプリングに接続され、振り子式に可動するようになっており、ラジアルな衝撃に対処するようになっていた。
一方スラスト荷重の衝撃を吸収するため、ハブシャフトの左右から車体後部中央に向けてパイプ材が補助として三角形状に溶接されていた。
なお、前輪のタイヤサイズは6.00×20(タイヤ幅6インチ(152.4mm)、タイヤ内径20インチ(508mm))であった。
Sd.Kfz.250の操向メカニズムは、ハンドル操作によってまず動力の無い前輪のみが操向し、前輪の操向角が15度を超えると、自動的に旋回内側の履帯駆動装置の起動輪に操向ブレーキが作動し、履帯の動きを制御する仕組みになっていた。
履帯駆動装置の起動輪は前方部にあり、油圧作動によるブレーキドラムが取り付けられていた。
履帯と噛み合う12枚の歯はドラム形になっており、履帯内側の面部分と接地する外周部にはゴムパッドが取り付けられていた。
履帯形式はZpw51/240/160で、片側38枚の履板を使用した。
履板は鋼製の本体と、接地面に4個のボルトで取り付けられたゴムクッションとで構成されていた。
起動輪の歯が噛み合う部分は履板の中心線上にあり、ガイドプレートも中央に位置していた。
連結ピンにはグリース注入が必要で、そのための注入口があった。
それ故、この履帯は湿式と呼ばれている。
Sd.Kfz.250の転輪は直径550mmの鋼プレス製の複列式転輪で、補強用のリブと肉抜き穴が開けられており、外周部にソリッドのゴムタイヤが取り付けられていた。
履帯に加わる接地圧を均等にするため第1、第3転輪および誘導輪が内寄り、第2、第4転輪が外寄りにオーバーラップ式に配置されていた。
第1転輪と第3転輪は、履帯のガイドプレートをサポートするために2枚の取り付け幅が狭くなっていた。
誘導輪も第1、第3転輪と同じ構造のものが使用されていた。
これに対し、第2転輪と第4転輪は履帯の外側を押さえるため幅が広く取られており、形状も第1、第3転輪および誘導輪とは異なっていた。
履帯駆動装置のサスペンションはトーションバー方式で、左右共に前方に延ばされたクランクアームに転輪を取り付けていた。
誘導輪基部に装備された履帯の張度調整装置は車体の外側に取り付けられており、車体後方部にあるシャフトを回転することにより誘導輪位置の調節が可能であった。
ビューシンクNAG社の設計によるSd.Kfz.250の装甲ボディは、避弾経始を考慮した傾斜装甲板による多面体で構成されていた。
装甲厚は車体前面14.5mm、戦闘室前面10mm、側/後面8mm、上面6mmで、それぞれの装甲板は溶接で接合されており、機関室後部にある隔壁の前で2分割されていた。
この2つのブロックは車内でボルト結合されており、シャシーへの結合もフランジを合わせてボルトで止めるようになっていた。
Sd.Kfz.250の車内レイアウトは車体前部が機関室、車体後部がオープントップ式の戦闘室となっていた。
機関室上面には点検用の左右開き式ハッチがあり、その後方に吸気口として角型グリルが2個配置されていた。
取り入れられた空気はエンジン前方のラジエイターを通って、車体前面装甲板とシャシーとの間にある出口(車体下面)から排気された。
また機関室の左右側面上部には、通気用のハッチがそれぞれ設けられていた。
エンジン用排気管は車体左側に出され、フェンダー部に設置されたマフラーに接続されていた。
車体前面にはクランクシャフトの差し込み口があり、ボルト2つによるキャップが取り付けられていた。
戦闘室内の前方には左側に操縦手席、右側に無線手(車長)席があり、それぞれの前方と側面には防弾ガラスを備えた視察ヴァイザーが取り付けられていた。
エンジン後部にある変速・操向機は、隔壁を突き抜けてギアボックスが操縦手席と無線手席の間にまで割り込んでいた。
そのギアボックス上部には、サドル型のカバーシートが取り付けられていた。
操縦手席の前には操向用のハンドルが装備されていたが、ハンドルは1tハーフトラックの場合と違って、約90度下に傾いた状態に取り付けられていた。
無線手席の前には隊内連絡用のFu.Spr.Ger.f型無線送受信機があり、計器盤は車体の中央に位置していた。
両座席の上部にはわずかな天井があり、内側には乗員用に頭当てが取り付けられていた。
天井の外側中央には楔型防盾付きの機関銃架と、その前方に装備された円弧状の跳弾板があった。
前述したギアボックス上部のサドル型カバーシートは、この銃架を使用する銃手のためのものである。
戦闘室内の仕様は用途によって違っており、基本型のSd.Kfz.250/1装甲兵員輸送車は左側に3名掛け用のベンチシートがあり、右側には1名用の椅子があった。
各型に共通なのは後部右側下に配置された140リットル容量の燃料タンク、戦闘室後面の左側に備えられた乗降用のドア、車体後面中央の下方に取り付けられた牽引用のピントルなどである。
また通常、戦闘室後面上部にも防盾無しの機関銃架が取り付けられていた。
後部乗降用ドアの開閉機構はSd.Kfz.251装甲兵員輸送車D型にも踏襲されたもので、ドアの上部には雨避けが溶接されていた。
これらの特徴は、デザインを一新したB型車体でも基本的に変化していない。
B型車体のみの特徴としては、フェンダーと一体化した2ドア型の大きな雑具箱が戦闘室側面に取り付けられていたことや、戦闘室側面の視察ヴァイザーが単なるスリットに変更されたことが挙げられる。
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+Sd.Kfz.250シリーズの生産と部隊配備
Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車の開発は1939年に完了したが、本格的な生産は1941年になってからのことであった。
その理由は、同じD7pシリーズとして開発されたSd.Kfz.252装甲弾薬運搬車やSd.Kfz.253装甲観測車が、突撃砲部隊用に優先的に生産されたからであった。
Sd.Kfz.252とSd.Kfz.253は1941年に生産が終了し、Sd.Kfz.250はこれらにバトンタッチされる形で、ソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)開始と同じ同年6月からA型の生産が開始され、6月中に最初の39両が完成している。
Sd.Kfz.250のシャシーは当初デマーク社とビューシンクNAG社で製作されていたが、後にフランクフルトのアドラー社とコットブスのメカニッシュ製作所でも作られるようになった。
装甲板はオーバーシュレジエンのビスマルク精錬所が供給し、ドイツステンレス製作所(ハノーファー)とL&Cシュタインミューラー社(グミャースバッハ)で装甲ボディの製作が行われ、1942~43年にはオーストリア・カプフェンベルクのベーラー社によって1,075両分の装甲ボディが提供された。
Sd.Kfz.250の組み立て生産はヘルザのエヴェンス&ピストル社で行われていたが、1942年からはヴェーザー精錬所(バド・オーエンハウゼン)、ヴゥマーク社(ゲールリッツ)、ヴェクマン社(カッセル)、リッツシャー社(ハンブルク)、ドイツ製作所(キール)各社がこれに加わった。
結局、Sd.Kfz.250 A型は1943年9月までに4,250両が生産されたが、A型の装甲ボディはデザインが複雑で生産性が悪かったため、よりシンプルなデザインに変更して生産性を向上させたB型が登場することとなった。
なお以前はSd.Kfz.250の最初の生産型を、ドイツ語で「旧型」を表す「アルテ」(Alte)、装甲ボディのデザインを変更した改良型をドイツ語で「新型」を表す「ノイ」(Neu)として分類するのが一般的であったが、現在ではSd.Kfz.250は他の車両と同じように最初の生産型をA型、改良型をB型と呼称していたことが判明している。
Sd.Kfz.250 B型は装甲ボディのデザインが、Sd.Kfz.251 D型に似たより直線的なものに変更されただけで、シャシーや駆動装置等ほとんどの装備はA型と同一であった。
B型の主要装甲板の枚数は、A型の19枚から半分以下の9枚にまで減らされており、生産性は大幅に向上した。
Sd.Kfz.250 B型の生産は1943年10月から開始され、1945年春までに2,378両が完成している。
Sd.Kfz.250シリーズの総生産数は6,628両で、これはSd.Kfz.251シリーズの総生産数15,252両の半分以下に留まっているが、その理由は、Sd.Kfz.251が1個分隊の歩兵を車内に収めることができたのに対し、Sd.Kfz.250は半個分隊しか搭乗できなかったために、運用上の難点があったためと思われる。
Sd.Kfz.250は大量の派生型も含めて、ドイツ陸軍機甲師団および機甲擲弾兵師団の機甲偵察大隊へ配備された。
Sd.Kfz.250を運用する軽偵察中隊は通常、機甲師団の場合で28両、機甲擲弾兵師団の場合で18両を各々装備していた。
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+Sd.Kfz.250/1装甲兵員輸送車
Sd.Kfz.250/1装甲兵員輸送車はSd.Kfz.250シリーズの基本型で、1945年まで継続して生産され続けた。
戦闘室内左側には3名掛け用のベンチシートが設けられていたが、ベンチシートの下部は弾薬箱等を収納することができるよう中が空洞になっており、シート部分が蓋を兼ねる構造であった。
反対の右側には1名掛け用のパイプ椅子があったが、これは分解して簡単に撤去することが可能であった。
この椅子の後方、燃料タンクの上に弾薬収納庫が置かれていた。
隊内連絡用無線機のアンテナ基部は、戦闘室右側面の上部前方に引っ掛ける形式で取り付けられるのが普通で、これは他の派生型でもほぼ同様であった。
右側の前部フェンダーには斧とツルハシが装備されており、後部フェンダーにはハンマーが装備されていた。
固有の武装は、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34または、デーベルンのMLJG社(Metall und
Lackwarenfabrik Johannes Großfuß:ヨハネス・グロースフース金属・漆器製作所)製の7.92mm機関銃MG42 2挺と、エアフルトのエルマ製作所製の9mm機関短銃MP38またはMP40
1挺で、右側の内壁にはマウザー社製の7.92mm小銃Kar98k 4挺分のラックがあった。
また、MG34(MG42)機関銃用の三脚式対空銃架も装備されていた。
Sd.Kfz.250/1装甲兵員輸送車には、重機関銃型(sMG)と呼ばれる重機関銃支援分隊用のサブタイプも存在し、重機関銃型では、車体後部右側にMG34(MG42)機関銃用の34(42)型三脚銃架が追加装備されていた。
この銃架を、前方用防盾付き機関銃架の代わりに装着する場合もあった。
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<Sd.Kfz.250/1装甲兵員輸送車A型>
全長: 4.56m
全幅: 1.95m
全高: 1.66m
全備重量: 5.8t
乗員: 2名
兵員: 4名
エンジン: マイバッハHL42TRKM 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 100hp/2,800rpm
最大速度: 60km/h
航続距離: 320km
武装: 7.92mm機関銃MG34×2 (2,010発)
装甲厚: 6~14.5mm
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<Sd.Kfz.250/1装甲兵員輸送車B型>
全長: 4.61m
全幅: 1.95m
全高: 1.66m
全備重量: 5.38t
乗員: 2名
兵員: 4名
エンジン: マイバッハHL42TUKRM 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 100hp/2,800rpm
最大速度: 60km/h
航続距離: 300km
武装: 7.92mm機関銃MG34またはMG42×2 (2,010発)
装甲厚: 6~14.5mm
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<参考文献>
・「パンツァー2007年11月号 ドイツ陸軍のワークホース Sdkfz.250シリーズ」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2001年9月号 列強のハーフトラック」 伊吹竜太郎 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル
ドイツ軍ハーフトラック」 アルゴノート社
・「グランドパワー2012年6月号 ドイツ装甲兵員輸送車写真集(1)」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(3)
装軌/半装軌式戦闘車輌:1918~2000」 デルタ出版
・「SdKfz250」 山本敬一 著 デルタ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著 並木書房
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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