Sd.Kfz.234/1装甲偵察車
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+Sd.Kfz.234シリーズの開発
フランス戦が終了して一段落した1940年8月5日、ドイツ陸軍車両部監察第6課(In.6)は兵器局第6課(Wa.Pruef.6)から、新型の重装甲偵察車の開発要請を受けた。
これは「植民地用重装甲偵察車」という名目であったが、実質的に装甲偵察大隊に配備されるべきSd.Kfz.231シリーズの後継車両であった。
車両部監察第6課は、この植民地用重装甲偵察車の開発を「ARK」(8輪車両)計画として推進し、従来からある8輪重装甲偵察車Sd.Kfz.231の構造を活かしつつ改良するものとした。
シャシーはフレームに装甲板をボルト止めする構造ではなく、戦車と同様に装甲板自体がシャシーとなるいわゆるモノコック構造とされ、エンジンは航続距離を延ばすためにディーゼル型を要求した。
さらにこのエンジンは空冷型とされたが、これはおそらく水の入手が難しい地域での行動を考えてのことと思われる。
この他に前面装甲板の強化、戦闘室内の換気装置装備、Sd.Kfz.231と同等以上の渡渉能力が仕様として要求された。
兵器局第6課はこれらの仕様に基づき、シャシーおよび装甲ボディをベルリン・オーバーシャイネヴァイデのビューシンクNAG社に、エンジンをチェコ・コプジブニツェのタトラ社に開発を依頼した。
ただし試作車両は開発期間短縮のため、装甲ボディの製作をハノーファーのドイツステンレス製作所が受け持った。
ビューシンクNAG社では1941年7月から開発設計を行い、これは乗員4名で前面装甲厚は全て30mmとなり、重量約12tで、路上走行速度は80~90km/hを維持するものとされた。
砲塔の武装はオーベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の2cm機関砲KwK38と、同社製の7.92mm機関銃MG34で、これはSd.Kfz.231と同じであったが、KwK38機関砲はFlaK38対空機関砲用の長砲身(1.4m)を装備するものであった。
試作車は2両発注され、これらの内1両は1941年12月末から1942年初めに納入され、残りの1両は1942年7月に引き渡されている。
この後ドイツ軍の戦線拡大に呼応して、兵器局は新型8輪重装甲偵察車を、北アフリカや南ロシア等の乾燥および熱帯地域に適応させることにし、呼称も「8輪重装甲偵察車(Tp)」とした(TpはTropen:熱帯地型の略)。
Sd.Kfz.231シリーズは熱帯地で使用することまで考慮して設計されていなかったので、北アフリカではメカニカルトラブルに悩まされることが多かったため、新シリーズではその点も改良しようという目論見だったわけである。
このため仕様は多少変更され、前面装甲厚は22mm、エンジンは出力225hpとし、路上最大速度は85km/h、航続距離は整地で500km、渡渉能力は水深1.2mとされた(後の生産型は必ずしもこの仕様通りにはなっていない)。
この8輪重装甲偵察車(Tp)のための実験車両は、1942年から試験が開始された。
そして同年春からは、特別製タイヤによる試験も行われている。
走行試験の結果、ディーゼル・エンジンの騒音と振動はまだ実用レベルに達していないとされ、これの改良と変更がタトラ社に求められた。
この後、最初から熱帯地仕様として製作されたエンジンが、1942年6月にリビアで試験を行うため兵器局に引き渡された。
同年7月には生産型シャシーの設計が終わったが、エンジンの改良はまだ完全ではなくさらに時間を必要とした。
1942年7月1日の報告書によると、今度は8輪重装甲偵察車(Tp)の武装が、当初の構想とは違ったものに変更されたことが述べられている。
主武装はデュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の60口径5cm戦車砲KwK39/1となり、これに同軸機関銃として、デーベルンのMLJG社(Metall
und Lackwarenfabrik Johannes Großfuß:ヨハネス・グロースフース金属・漆器製作所)製の7.92mm機関銃MG42が付属した。
しかしこの時最初の構想であった、2cm機関砲KwK38と7.92mm機関銃MG34搭載の植民地用8輪重装甲車案も依然として検討されており、廃案にはなっていなかった。
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+Sd.Kfz.234シリーズの生産
ビューシンクNAG社は、500両にも及ぶ8輪重装甲偵察車(Tp)の生産契約を与えられた。
生産型8輪重装甲偵察車(Tp)=Sd.Kfz.234は1943年7月に5両完成したのが始まりで、以後は月約30両のペースで生産が行われた。
ただし、これらには砲塔は搭載されていなかった。
Sd.Kfz.234の最初の生産型は、60口径5cm戦車砲KwK39/1を搭載した「Sd.Kfz.234/2」と後に呼ばれたタイプであった。
1943年11月3日、兵器局は合計100両のSd.Kfz.234/2を生産することを発表した。
そしてさらに65口径2cm機関砲KwK38搭載のSd.Kfz.234/1と、エッセンのクルップ社製の24口径7.5cm加農砲K51搭載のSd.Kfz.234/3を50%ずつの割合で生産する予定とした。
結局、砲塔を搭載した最初のSd.Kfz.234/2は1943年12月に完成した。
しかし、砲塔用鋳造防盾の供給不足によりその後は生産が停滞し、生産が再開されたのは1944年3月からで、同年中は9月までに94両が完成している。
1943年の生産は7両なので、合計すると101両が生産されたことになる。
1944年3月にはSd.Kfz.234/1とSd.Kfz.234/3の生産割合の変更が決定され、前者が13両に対して後者が3両という配分になった。
Sd.Kfz.234/2の生産遅延の影響で、Sd.Kfz.234/1とSd.Kfz.234/3の納入開始も予定を超過し、約60両が完成したのは1944年6月以降のことであった。
そして再び1944年10月に生産割合が変更され、Sd.Kfz.234/1とSd.Kfz.234/3は9対7という配分となった。
いずれにしろSd.Kfz.234/1は1944年中に163両が完成し、1945年3月に生産中止されるまでの総生産数は約230両であった。
一方Sd.Kfz.234/3は1944年12月で生産が中止され、総生産数は88両であった。
1944年12月以降に生産予定であったSd.Kfz.234/3のシャシー約90両は、ラインメタル社製の46口径7.5cm対戦車砲PaK40搭載のSd.Kfz.234/4に使用されることとされた。
そしてSd.Kfz.234/4は1944年12月に25両、1945年4月までに64両の合計89両が生産された。
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+Sd.Kfz.234シリーズの部隊配備
Sd.Kfz.234シリーズで最初に部隊配備されたのは当初の計画通り、60口径5cm戦車砲KwK39/1搭載の8輪重装甲偵察車(Tp)=Sd.Kfz.234/2である。
1943年10月1日の通達により、25両のSd.Kfz.234/2が1個機甲偵察中隊の編制に使用されることになった。
ただし、この編制が適用されたのは教導機甲師団第130機甲偵察大隊第1中隊と、第2機甲師団第2機甲偵察大隊第1中隊のみであった。
1944年4月1日の通達では、機甲偵察大隊の本部および本部中隊に65口径2cm機関砲KwK38搭載型(Sd.Kfz.234/1)13両と、24口径7.5cm加農砲K51搭載型(Sd.Kfz.234/3)3両が配備されるものとされた。
しかしこの通達の後、最初にSd.Kfz.234を受領したSS第1機甲師団SS第1機甲偵察大隊と第20機甲師団第20機甲偵察大隊には、16両のSd.Kfz.234/2と13両のSd.Kfz.234/1、それに3両のSd.Kfz.234/3が配備されている。
さらに、6両のSd.Kfz.234/2による1個小隊が第7機甲師団第7機甲偵察大隊第1中隊に与えられ、残りのSd.Kfz.234/2は訓練部隊もしくは兵器局の実験用に使用された。
結局、1944年4月1日の通達のとおりに編制が行われたのは同年6月からで、編制順に列挙すると第116、第9、第11、第6、SS第2、第8、教導機甲、SS第9機甲師団(の機甲偵察大隊)であった。
最後にSd.Kfz.234(16両)の補充を受けたのは機甲擲弾兵師団ブランデンブルクで、この部隊はSd.Kfz.234/4の配備(1945年1月に数両)を受けた最初の部隊であった。
残りのSd.Kfz.234は、補充用もしくは新編制または再編制部隊に部分的に供給された。
1945年になるともはや通常の編制は成立しなくなり、残存車両はまばらに配備されている。
以下は、1945年にSd.Kfz.234の配備供給が行われた部隊の例である。
・1945年1月29日付: Sd.Kfz.234/1を第4機甲師団に7両配備。
・1945年2月16日付: Sd.Kfz.234/4を総統護衛師団に6両配備。
・1945年2月16日付: Sd.Kfz.234/1を総統擲弾兵師団に4両配備。
・1945年2月21日付: Sd.Kfz.234/4を機甲師団ユーターボークに3両配備。
・1945年2月21日付: Sd.Kfz.234/4を機甲師団シュレージエンに3両配備。
・1945年3月14日付: Sd.Kfz.234/1を第25機甲師団に4両配備。
・1945年3月29日付: Sd.Kfz.234/1とSd.Kfz.234/4を機甲師団ミュンヘベルクに各4両配備。
・1945年4月1日付: Sd.Kfz.234/1とSd.Kfz.234/4を特別編制護衛中隊に各3両配備。
1945年4月10日以降、最後に配備された15両のSd.Kfz.234はタイプ不明で、機甲師団ヘルマン・ゲーリングに3両、第25機甲擲弾兵師団に6両、第116機甲師団に6両がそれぞれ配備されている。
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+Sd.Kfz.234シリーズの構造特徴
ビューシンクNAG社製の8輪重装甲偵察車(Tp)=Sd.Kfz.234シャシーは、搭載武装の型式に関係なく生産の最後まで同一のものが使用された。
全体の構成はSd.Kfz.231とほぼ同じで後部にエンジンがあり、戦闘室内は前方に操縦手席、後方に副操縦手席が装備されていた。
タトラ社製のV型12気筒空冷ディーゼル・エンジン「103型」は出力210hp(200~220hp説あり)、排気量は14,825ccであった。
動力はクラッチ、6段変速機(主は3段、副により6段となる)、最終減速機を通して8輪全てのホイールに動力を与えたが、これもSd.Kfz.231と同じ構成である。
各ギアの到達速度は1段が7km/h、2段が12km/h、3段が20km/h、4段が27km/h、5段が49km/h、6段が80km/h(最大速度は90km/h説もある)になっていた。
このギアは前進/後進がリバースで使用でき、後部の副操縦装置でも全く同様に扱えた。
サスペンションはSd.Kfz.231と同形式だが、同一ではない。
ホイール間隔も違っていて、第1と第2および第3と第4ホイール間は1.3mで、第2と第3ホイール間は1.4mであった。
操向は8輪全てができ、旋回半径は通常で14.5m、最小で7.45mであった。
携行燃料は360リットルで整地で1,000km、不整地で600kmの航続距離があった。
超壕幅は2m、渡渉水深は1.2m、登坂力は30度、超堤高は0.35mであった。
タイヤは防弾仕様ではない一般的なチューブ式で、Sd.Kfz.231よりも大きい270×20というサイズのものが使用された。
装甲ボディのデザインはSd.Kfz.231をリファインした溶接構造で、ボディパーツは戦闘室後部で2分割されており、ボルトで結合されていた。
車体前面には表面硬化型圧延装甲板が使用されており、2cm徹甲弾に対する防御ができる設計であった。
側面および後面は、7.92mm機関銃弾に対しての防御しか考慮されていない。
各装甲板の厚みと構成角度は戦闘室上面5.5mm/90度、戦闘室前面30mm/35度、15mm/70度、車体前面30mm/55度&30度、車体側面8mm/30度、車体後面10mm/22度&40度、機関室上面5.5mm/88度、下面5mm/90度となっていた。
視察ヴァイザーの構成はSd.Kfz.231の後期型と全く同一で、乗員用ハッチも車体前上面と両側面にあるのみであった。
ただし、側面ハッチはフェンダーの下になってしまったので脱出用ハッチとして使用され、1枚式となった。
機関室には上部前方にほぼ車幅分の吸気グリルがあり、これには左右2ブロックに分かれた整流板3枚が取り付けられていた。
その後方は中央に排気用グリルがあり、これにも整流板10枚が取り付けられていたが、いずれの整流板も取り付け角度が変更でき、閉めることもできた。
排気用グリルの両側には点検用ハッチがあり、これでエンジンの点検を行った。
点検用ハッチは車体後面上部にもあったが、Sd.Kfz.231のように通気グリルは設置されていなかった。
大掛かりな点検が必要な時は、機関室の上面がボルト止め構造になっていたのでこれを取り外して行った。
車体後部下面にはエンジン始動用クランクシャフトの差し込み口ハッチがあり、その両サイドにはエンジン付き始動機を使うためのジョイントバーが装備されていた。
フェンダーは車体の上下接合線に合わせた大型のものとなり、側面にハッチを取り付けた雑具箱も兼ねていた。
形状は全ホイールをカバーする一体型だが、車体の前後分割線のところでやはり2分割されていた。
車体前方にはパイプ製のバンパーが装備され、通常の丸型ライトおよびノーテクライトは全て廃止され、両側(後に左側のみ)の前部フェンダーにゲルリンゲンのロバート・ボッシュ社製の管制ライトが装備された。
また発煙装置がフェンダーに装備されなくなり、代わりに燃料用ジェリ缶が多数装備されるようになった。
排気マフラーは新型となり、防熱カバーは装備されなくなった。
また右側フェンダー上面には機関室側面に、車体形状にフィットした工具箱が標準装備されていた。
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+Sd.Kfz.234/1装甲偵察車
最初の計画通り、65口径2cm機関砲KwK38を搭載した車両がSd.Kfz.234/1装甲偵察車である。
もっともSd.Kfz.231装甲偵察車を踏襲して、最初の構想は密閉式砲塔ではなかったかと思われるが、そういう記述は見当たらない。
2cm機関砲用のオープントップ式砲塔は、Sd.Kfz.250/9装甲偵察車B型や38(t)偵察戦車に搭載されたのと同型で、これはエルビンクのシッヒャウ社によって設計された。
この砲塔は元々、Sd.Kfz.250/9装甲偵察車A型用砲塔に代わる生産向上型として開発されたもので、最大の特徴は砲架の俯仰軸が砲塔の左右に取り付けられている点にあった。
それ故、この砲架は「ヘンゲラフェッテ38」と呼ばれた。
これは直訳すれば「38型懸垂砲架」だが、一般的に「38型揺動砲架」という呼び名の方が通りが良い。
この砲架の中央に2cm機関砲KwK38が取り付けられ、左側に同軸機関銃として7.92mm機関銃MG42が装備された。
そして反対側には望遠鏡式照準機TZF3a(倍率2.5倍、視野角8度)が装備されており、これは地上目標に対して1,200mまでの照準目盛が付けられていた。
この他、対空用として照準環も取り付けられていた。
砲塔の装甲厚および傾斜角は前面30mm/35度、側面8mm/35度、後面8mm/32度で、防盾は10mmであった。
砲塔内後部には左右にパイプフレームによるシートが懸架されており、右側が砲手用、左側が車長兼装填手用であった。
このフレームの間には車内通話機とFu.Spr.f無線機が取り付けられており、砲塔内の後部に無線機用のアンテナマウントがあった。
砲塔はベアリングと車輪によって砲塔リングに取り付けられており、砲手は砲架の右側にある円形ハンドルを操作し、ベヴェルギアとラック&ピニオンギアを通して砲塔を360度旋回させた。
このハンドルの後ろには右側に2cm機関砲KwK38用の、左側に7.92mm機関銃MG42用のトリガーがあった。
砲の俯仰角は、-4~+70度となっていた。
携行弾数は2cm機関砲弾が250発(10発入りマガジン)、7.92mm機関銃弾が2,400発であった。
この他、エアフルトのエルマ製作所製の9mm機関短銃MP40と、9mm機関銃弾が192発装備されていた。
Sd.Kfz.234/1装甲偵察車では小隊長または分隊長車のみにFu.12無線機が搭載されたが、Sd.Kfz.234/2装甲偵察車のように車体アンテナ基部は常設されていなかったので、この場合にのみアンテナ基部が追加装備された模様である。
Sd.Kfz.234/1装甲偵察車の全長は5.86m、幅2.33m、全高2.10mであった。
戦闘重量はSd.Kfz.234/2装甲偵察車より軽く、11.5tであった。
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<Sd.Kfz.234/1装甲偵察車>
全長: 5.86m
全幅: 2.33m
全高: 2.10m
全備重量: 11.5t
乗員: 4名
エンジン: タトラ103 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 210hp/2,500rpm
最大速度: 80km/h
航続距離: 1,000km
武装: 65口径2cm機関砲KwK38×1 (250発)
7.92mm機関銃MG42×1 (2,400発)
装甲厚: 5.5~30mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2010年9月号 ドイツ8輪重装甲車 プーマとSdkfz.234シリーズ」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2005年7月号 ドイツ8輪重装甲車 Sdkfz.234シリーズ」 稲田美秋 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年5月号 ドイツ8輪重装甲車シリーズ」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ装輪装甲車」 アルゴノート社
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「グランドパワー2013年12月号 ドイツ8輪重装甲車(2)」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年7月号 ドイツ8輪重装甲車(2)」 佐藤光一 著 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(4) 装輪式装甲車輌:1904~2000」 デルタ出版
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