Sd.Kfz.233 7.5cm自走砲
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+概要
従来、偵察大隊が装備する装甲車は最大でも2cm機関砲しか装備していなかったので、対戦車戦闘や火力支援は全く不可能であった。
しかし、東部戦線において偵察大隊の火力不足が問題となったため、8輪装甲車の車体を用いて開発されたのがSd.Kfz.233 7.5cm自走砲である。
本車はSd.Kfz.231装甲偵察車の砲塔を撤去し、戦闘室上部をオープン構造にするという形で設計された。
主砲はIII号突撃砲短砲身型と同じく、エッセンのクルップ社製の24口径7.5cm突撃加農砲StuK37を装備しており、これは操縦手席前面装甲の右側をカットして配置された。
砲架は元々突撃砲型なので床に設置されており、照準機もIII号突撃砲と同じSfl.ZF1であった。
当初防盾は主砲の前部のみであったが、生産中に側面にも装甲板が追加され乗員の保護が図られた。
砲の旋回角は左右各12度ずつ、俯仰角は-10~+12度であった。
携行砲弾は榴弾、徹甲弾、成形炸薬弾合わせて32発で、この他副武装として、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34または、デーベルンのMLJG社(Metall
und Lackwarenfabrik Johannes Großfuß:ヨハネス・グロースフース金属・漆器製作所)製の7.92mm機関銃MG42、およびエアフルトのエルマ製作所製の9mm機関短銃MP38が1挺ずつあり、これらの携行弾数はMG用が1,500発で、MP用が192発であった。
乗員は車長、砲手、操縦手の3名で、全体寸法が全高2.25mであること以外はSd.Kfz.231と同じであり、戦闘重量は8.58tであった。
Sd.Kfz.233の生産はエルビンクのシッヒャウ社のみで行われ、1942年10月にSd.Kfz.231から10両が改造され、同年11月から1942年中にかけて9両、さらに1943年中に100両の計119両が生産された。
車体製造番号は、85615~87267である。
1942年10月に完成した最初の10両は前面装甲厚が15mmであったが、11月以降の生産車では前面装甲厚は30mmに強化され、併せてエンジンも出力増大型が用いられた。
Sd.Kfz.233は、装甲通信大隊へ支援車両として配備された。
本車の登場と、続く新型8輪装甲車Sd.Kfz.234/2プーマの開発により、II号戦車L型ルクスの生産が期待されながらも少数に終わったことの要因になったものと思われる。
確かに装甲こそ脆弱ではあるが速度、火力性能共にSd.Kfz.233やプーマの方が優れており、当然の帰結であったのだろう。
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<Sd.Kfz.233 7.5cm自走砲 初期型>
全長: 5.85m
全幅: 2.20m
全高: 2.25m
全備重量: 8.58t
乗員: 3名
エンジン: ビューシンクNAG L8V 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 150hp/3,000rpm
最大速度: 85km/h
航続距離: 300km
武装: 24口径7.5cm突撃加農砲StuK37×1 (32発)
7.92mm機関銃MG34×1 (1,500発)
装甲厚: 5.5~18mm
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<Sd.Kfz.233 7.5cm自走砲 後期型>
全長: 5.85m
全幅: 2.20m
全高: 2.25m
全備重量: 8.58t
乗員: 3名
エンジン: ビューシンクNAG L8V 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 180hp/3,000rpm
最大速度: 85km/h
航続距離: 300km
武装: 24口径7.5cm突撃加農砲StuK37×1 (32発)
7.92mm機関銃MG34またはMG42×1 (1,500発)
装甲厚: 5.5~30mm
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兵器諸元(Sd.Kfz.233 7.5cm自走砲 後期型)
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<参考文献>
・「パンツァー2014年1月号 AFV比較論 M8 vs Sdkfz.231装甲偵察車」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年5月号 ドイツ8輪重装甲車シリーズ」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ装輪装甲車」 アルゴノート社
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「グランドパワー2000年6月号 ドイツ8輪重装甲車(1)」 佐藤光一 著 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(4)
装輪式装甲車輌:1904~2000」 デルタ出版
・「グランドパワー2012年1月号 ドイツ8輪重装甲車」 後藤仁 著 ガリレオ出版
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