+概要
1939〜40年にかけての第2次世界大戦緒戦における戦訓から、機甲師団と行動を共にして最前線で支援射撃を行える車両の必要性が指摘された。
当時ドイツ陸軍砲兵科にはハーフトラックが配備されてはいたものの、その数は充分とはいい難く牽引の主力は馬匹とトラックであり、機甲師団との行動は不充分だったのである。
ドイツ軍は機械化が進んだ軍隊として知られるが、それはあくまでもヨーロッパ各国軍やソ連軍と比べた場合であり、第2次大戦において真の意味で機械化を成し遂げた軍隊はアメリカ軍しか無かったのである。
そしてこの要求に従って開発されたのが、s.W.R.40(Schwerer Wurfrahmen 40:40式重ロケット弾発射機)であった。
本機材はベルリンのJ.ガスト社の手で開発されたもので、前後2カ所の鋼製パイプの左右に、それぞれ2本の固定用パイプを備えた3基のロケット弾ランチャー固定台を装着し、これをSd.Kfz.251装甲兵員輸送車の兵員室の上に載せる形で装備するという簡易なものであった。
単に車体に載せただけではロケット弾射撃時の衝撃に耐えられないので、最前部と後端の装着パイプと一体化されたパイプを除いて、ランチャー固定台に装着されている固定パイプの左右それぞれ4本は兵員室側面に備えられたクランプで固定され、射撃時の振動に備えていた。
兵員室左右にあたる部分にはランチャー固定台が垂直の状態で配され、これに木もしくは金属製の枠で作られたロケット弾ランチャーを装着し、ランチャーには28cmもしくは32cmロケット弾が収められた。
ランチャーは+5〜+45度の角度変更を任意に独立して行うことができ、ランチャー固定台には角度を示す目盛りが用意されていた。
兵員室は通常のSd.Kfz.251装甲兵員輸送車と全く同じで、シートも全て備えていたが、兵員の収容数は7名に減った。
ロケット弾の射撃は車内からの操作で行われ、10秒間隔で発射された。
また事故を避けるために射撃は後部左、後部右、中央左、中央右、前部左、前部右の順番で行われた。
28/32cmロケット弾は初速が145m/秒と遅いため射程が2,138mと短いのが欠点であったが、自走化したことでこの問題は解消されることになった。
s.W.R.40の搭載にあたっては特に車両を改造する必要は無く、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車A、B、C、D各型でロケット弾装備車が作られた。
牽引型の41式28/32cmロケット弾発射機と同様に、32cmロケット焼夷弾1発と28cmロケット榴弾5発を混合装備するのが一般的であり、主として機甲工兵中隊第3小隊に配備されて東部戦線での戦闘に投入されたが、もちろん北アフリカでの戦闘やイタリア、北ヨーロッパでも用いられている。
また、フランス軍から接収した35H(f)戦車やUE(f)装甲牽引車の両側に、各2基のロケット弾ランチャーを取り付けた車両も製作されている。
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