ST-I駆逐戦車
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ST-I駆逐戦車
ST-III訓練戦車
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+チェコの対独レジスタンスによるヘッツァー駆逐戦車の運用
1945年5月8日にドイツが降伏したことで、第2次世界大戦におけるヨーロッパの戦いは終結し、ドイツの支配下にあった各国はそれぞれ独立することになった。
1939年にドイツに併合されたチェコはドイツ降伏後にスロヴァキアと再統合され、チェコスロヴァキア共和国(第三共和国)として再出発することになった。
チェコスロヴァキアは早速再軍備に取り掛かったが、同国にとって幸いだったのはドイツ軍のためではあるが大戦中も積極的にAFVの生産を続けており、車種こそ限定されるものの豊富な資材が放置され残されており、工場施設もそのまま手元に残されていたことであった。
しかし、戦後の混乱のために直ちにAFVの生産を開始することは不可能であり、このため各地に残されていた旧ドイツ軍のAFVを改修して使用できる状態まで戻すところから、再軍備計画がスタートした。
それら旧ドイツ軍のAFVで、戦後のチェコスロヴァキア陸軍の主力兵器となったのがヘッツァー駆逐戦車である。
1945年5月5日の時点において、まだドイツ軍がチェコの首都プラハ市内に残存し小規模な戦闘を行っていたが、この時点で3両のヘッツァー駆逐戦車(車体製造番号323627~323629)がプルゼニのシュコダ製作所に残されており、主砲こそ装備していなかったがほぼ完成状態にあった。
これを見逃す手は無く、この3両のヘッツァー駆逐戦車は早速主砲の開口部を装甲板で塞ぎ、この装甲板に小さな開口部を設けて機関銃を装備した状態で完成された。
いずれの車両も識別のため、車体左右側面のシュルツェンにチェコ語でスローガンを記入して対独レジスタンスに引き渡され、プラハ市内のパトロールに供された。
この内2両のヘッツァー駆逐戦車は、ストラトニスのプラハ放送局と中継所に立て籠もったドイツ軍の掃討に、5月6日から投入された。
さらに、プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所、旧ČKD社)にも、主砲を搭載した状態のヘッツァー駆逐戦車の完成車2両が残されており、主砲弾薬も20発が保管されていたため直ちに残敵の掃討にあたり、1両は主砲弾12発をプラハ・センターに潜んだドイツ軍に発射したといわれる。
しかし、この車両はドイツ軍に鹵獲されてしまい、残る1両の行動も不明となっている。
また、プラハ市内に放置されていたドイツ軍のヘッツァー駆逐戦車も5月9日までに4両が発見され、戦闘に供されたといわれる。
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+ST-I駆逐戦車とST-III訓練戦車の開発
前述のような戦後の混乱期を経て、チェコスロヴァキアは本格的な再軍備に着手した。
1945年10月にはチェコスロヴァキア陸軍に戦車軍団が創設され、その下に戦車旅団を編制、第1~第3旅団はソ連の戦車(T-34-85中戦車)、第11~第14旅団にはイギリスとアメリカの戦車(クロムウェル巡航戦車やM4中戦車と思われる)、そして第21、第22戦車旅団には鹵獲した旧ドイツの車両が配備された。
しかし、この時点ではまだヘッツァー駆逐戦車の再生産は行われず、その前段階として再軍備に必要となる訓練戦車の開発が10月初めにシュコダ社に要求された。
これにより、戦後におけるヘッツァー駆逐戦車の新たな途が開かれることになった。
この訓練戦車の開発は、シュコダ社に残されていた75%の完成状態のヘッツァー駆逐戦車の車体20両分を、訓練戦車に転用することを同社が提案したことに端を発するもので、最終的に開発は同社の手により行われたものの、先行生産型2両(車体製造番号64916、64917)の製作は、BMM社から元の社名に戻したČKD社(Českomoravská Kolben-Daněk)が担当することになった。
この先行生産型の第1号車は、1945年11月12日に関係者の前で走行デモンストレイションを実施した。
これにわずかに遅れる11月26日にチェコスロヴァキア国防省は、ヘッツァー駆逐戦車関連の車両に対する新たな呼称を決定した。
これによるとヘッツァー駆逐戦車は「ST-I」、マルダーIII対戦車自走砲が「ST-II」、そして訓練戦車には「ST-III」の呼称がそれぞれ与えられることになった。
これから分かるように、チェコスロヴァキア陸軍は当初マルダーIII対戦車自走砲の配備を計画していたが、実際に装備した数は極めて少なかった。
一方、本命であるST-I駆逐戦車もST-III訓練戦車と同じく1945年10月初めに開発要求が出されており、翌46年2月20日には、ST-IとST-IIIの先行生産型2両ずつを用いた試験が開始された。
この試験において判明した問題点の改良を図った生産型がそれぞれ48両ずつ発注され、ST-III訓練戦車は1946年からČKD社において生産に入り、1947年1月の生産終了までに発注された50両全てが完成した。
ちなみにST-IIIの生産型48両の車体製造番号は、65420~65467となっている。
これらのST-III訓練戦車は1948年末にまず戦車訓練学校に11両、軍事アカデミーに3両がそれぞれ引き渡されて訓練を開始している。
前述のようにST-I駆逐戦車の生産はČKD社の手で行われたが、続いてスイス陸軍向けのヘッツァー駆逐戦車であるG-13駆逐戦車を生産していたシュコダ社に対しても、1948年8月26日付でヘッツァー駆逐戦車の再生産が要求され30両が発注された。
このシュコダ社への発注分は砲兵隊向けとしての車両であり、同時に呼称も「Sh PTK 75mm vz.39/44」と改められている。
ST-I駆逐戦車の完成車は1947年末からチェコスロヴァキア陸軍への引き渡しが開始され、最終的にČKD社で120両(最初の2両は先行生産型:車体製造番号67700、67751、続く118両が生産型:車体製造番号65468~65567)、シュコダ社で30両(車体製造番号は不明)、合わせて150両が完成した。
なお、これらの車両のうち最初の20両は主砲を未装備として完成し、後に主砲搭載が行われた。
ST-I駆逐戦車は全車が新規生産されたわけではなく、ある程度の台数はオーバーホールと改修を実施した旧ドイツ軍時代の既生産車だったといわれる。
また、ST-I駆逐戦車には車体を流用した牽引型のDT-I~IIIや、火焔放射機を小型砲塔に収めて戦闘室の上部に搭載したPM-1火焔放射戦車などの派生型が存在する。
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+ST-I駆逐戦車とST-III訓練戦車の構造
ST-I駆逐戦車は基本的に、旧ドイツ陸軍が運用したヘッツァー駆逐戦車の最後期生産車と同一仕様の車両であったが、試験で判明した問題点に対する改良や独自の装備品追加などが行われているため、その外観は少々異なっていた。
まず目立つのは、車体前面中央に大型の前照灯が設けられたことで、ST-III訓練戦車では廃止されている旧ドイツ軍時代の防空型前照灯(ノーテクライト)もそのまま残されていた。
さらに、左右の前部フェンダーの直後に小さな位置表示灯が新設され、左側の位置表示灯の後方にあたる車体前面にはスピーカーが追加された。
このため、車体前部が確認できれば旧ドイツ軍時代に生産された車両か、それとも戦後の再生産車両かの識別は容易い。
また、旧ドイツ軍から鹵獲もしくは接収したヘッツァーには車体前面下部左側に「U.V.217」の鹵獲兵器番号が記入されていたので、この番号の有無によってもいつ生産された車両かを確認することができる。
ヘッツァーの標準装備である戦闘室の上部に装備されていた副武装の車内操作式機関銃は、チェコスロヴァキア陸軍では居住性を損なうことを嫌ってか廃止され、開口部は円形の装甲板をボルト止めして塞がれた。
しかし、この車内操作式機関銃が残されたままの車両も写真で確認できるため、このあたりの仕様にはバラツキがあったようである。
また、ヘッツァーでは戦闘室の左後方に装備されていた予備アンテナはST-I駆逐戦車では前方に移動しており、戦闘室の後部には独特の形状をしたスパナが装着された。
同様に戦闘室の左側面には木製のジャッキ台が、その後方にはジャッキがそれぞれ装着され、これもST-I駆逐戦車の識別点となっている。
一方ST-III訓練戦車は、車体についてはST-I駆逐戦車と同一だったが、車体前面装甲板右側の主砲開口部を塞ぐため、開口部の形状に合わせて薄い装甲板が上から溶接されていた。
この装甲板上には前面に視察ブロックを備え、上面に後ろ開き式の乗降用ハッチを持つ教官席の張り出しが設けられた。
また前面装甲板の左側には、一段窪んだ形で操縦手用の視察ブロックが設けられた。
さらに戦闘室の上部には、箱型をした固定式の指揮官用銃塔が新たに設けられた。
銃塔の前後左右の四面にはそれぞれ円形のガンポートが設けられており、この車両は操縦訓練だけでなく治安維持任務に用いることも考慮されていた。
また銃塔の前後には各2基ずつ視察ブロックが備えられており、銃塔の上面には左右開き式の乗降用ハッチが設けられていた。
さらに、試作車の試験において判明した夜間走行時における光量不足への対処として、車体前面中央に大きな前照灯が装備されたが、左側の前部フェンダーの直後に元々装備されていたノテックライトは撤去された。
また車内には木製のベンチシート2列が新たに設けられ、ここに2~3名の訓練生を収容した。
なおST-I駆逐戦車もST-III訓練戦車も、ヘッツァーの後期生産車で採用された短い消炎式のマフラーではなく、従前の横長のマフラーを装着していた車両が多かったようである。
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<ST-I駆逐戦車>
全長: 6.27m
車体長: 4.87m
全幅: 2.63m
全高: 2.17m
全備重量: 16.0t
乗員: 4名
エンジン: プラガAC2800 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 160hp/2,800rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 180km
武装: 48口径7.5cm対戦車砲PaK39×1 (46発)
装甲厚: 8~60mm
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<参考文献>
・「グランドパワー2001年11月号 駆逐戦車ヘッツァー(2) ヘッツァーのバリエーション」 箙浩一 著 デルタ出版
・「パンツァー2000年11月号 駆逐戦車ヘッツァー その開発と構造」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年8月号 ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「世界の戦車パーフェクトBOOK」 コスミック出版
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