FV107シミター装甲偵察車 |
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+開発と生産
イギリス戦争省は1960年に、1956年からコヴェントリーのアルヴィス社で量産が開始された6×6型の、FV601「サラディン」(Saladin:サラセンの王で十字軍をさんざん悩ませたことで知られる)戦闘偵察車の後継となる車両についての要求仕様をまとめたが、その内容は偵察を主任務とするが単に偵察に留まらず、ある程度の歩兵支援能力を備え、対戦車戦闘能力も持たせるという一種の多目的戦闘車両とされた。 これに対して、ロンドン西方のサリー州チョバムに置かれた「FVRDE」(Fighting Vehicles Research and Development Establishment:戦闘車両研究開発局)は、「AVR」(Armored Vehicle Reconnaissance:偵察用装甲車両)というプランを提示した。 これは、半埋没式の砲塔に75mm戦車砲を装備する重量13.5tの装軌式の車両であり、砲塔の旋回範囲は左右各90度ずつで、操縦手を含む3名の乗員全員が砲塔内に位置することになっていた。 エンジンについては、当時開発が進められていたFV433「アボット」(Abbot:大司教)105mm自走榴弾砲への採用が検討されていた2種類のエンジンのいずれか、(ダービーのロールズ・ロイス社製のK60 直列6気筒液冷ディーゼル・エンジン(240hp/3,750hp)か、同社製のB81 直列8気筒液冷ガソリン・エンジン(185hp/3,750rpm))を採用する予定であった。 また当時の流行に従って車体後部左右に、ヒートンチャペルのフェアリー航空機産業と、ウェストミンスターの英国航空機(現BAEシステムズ社)が共同開発した、「スウィングファイア」(Swingfire:曲がる炎)対戦車ミサイルの起倒式5連装発射機を、前方へ向けて装備することになっていた。 さらに、本車に105mm榴弾砲を装備して砲兵部隊に配備することも検討されたらしい。 1961年、戦争省はAVRと同様の任務に用いる装輪式車両の開発も計画するが、FVRDEはこれに対してやはりAVRと同様、75mm戦車砲とスウィングファイア対戦車ミサイルを装備する重量13.6tの車両のプランを提示した。 戦争省はこれらの両プランを比較検討したが、装軌式、装輪式、それぞれに特有の長所と短所があることから、単純な比較はできないとしてサラディン戦闘偵察車の後継車両の開発計画そのものを、一旦白紙とすることを決定した。 1964年春、戦争省は改めて軽量装甲車両の開発計画「CVR」(Combat Vehicle Reconnaissance:戦闘偵察車両)を立案するが、大変興味深いことにCVR計画では、装軌式と装輪式の2つの仕様の車両を並行して開発することとされていた。 そして開発・生産・運用に掛かるコストの低減のため、CVRシリーズの車両は全て共通のエンジンを搭載することになっていた。 さらに重量を始めとする車両規模についても、当時のイギリス軍の最新鋭輸送機であるAW.660「アーゴシー」(Argosy:大型船)中型輸送機や、開発中であったHS.780「アンドーヴァー」(Andover:イングランド南部の町名)中型輸送機の積載規格に適合させることとなった。 これら2つのプランは装軌式が「CVR(T)」、装輪式が「CVR(W)」(”T”はTracked:装軌式、”W”はWheeled:装輪式の頭文字)と呼称され、全幅を可能な限り抑制し、重量は基本的に6.5~7.7t程度とすること。 高い機動力と全周からの軽火器の攻撃に対する抗堪性、および24時間の連続戦闘に乗員が耐えられるだけの居住性の確保。 そして空中からのパラシュートによる投下を考慮し、さらに車体の延長などにより、対戦車戦闘から兵員輸送までの任務に対応できる発展型を製作できることとされた。 このうち装輪式のCVR(W)は、後にFV721「フォックス」(Fox:キツネ)装甲偵察車として制式化されることになるが、この時「可能な限りの全幅の抑制」に関しては、「2.1m程度」という数値が挙げられていた。 これは、東南アジア地域のゴム農園内での本車の運用を想定した結果であり、イギリスは当時、相次ぐ植民地の喪失に悩んでいたのだが、それでもそうした地域への武力介入の意志を放棄せず、このような車両の製作を計画していたのである。 1964年8月、FVRDEは新型装軌式車両CVR(T)の構想を具体化するために、「TV15000」(Test Vehicle 15000)と呼ばれる実験車体を製作し、主に走行性能についての試験を開始した。 15000とは本車の重量15,000ポンド(6.804t)を表し、砲塔を搭載してはいなかったが、防弾アルミ製の装甲板やその構成などは、後のFV101「スコーピオン」(Scorpion:サソリ)軽戦車とほぼ同じものとなっていた。 なお前述のようにCVR(T)/CVR(W)は当初、アボット自走榴弾砲と同じロールズ・ロイス社製のエンジンを搭載する予定であったが、後にコヴェントリーのジャギュア自動車製の、J60 No.1 Mk.100B 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(190hp/4,750rpm)に変更された。 TV15000は、サスペンション機構を油気圧方式とすることで走行性能の向上を期待したが、複雑で重量を食うこの機構は本車との相性があまり良好とはいえなかった。 しかし、履帯を従来の鋼製より一割ほど軽量なアルミ合金製のものに換えたところ、最大速度が鋼製履帯装着時の30マイル(48.28km)/hから48マイル(77.25km)/hにまで、劇的ともいえる向上を示した。 1965年8月、FVRDEはさらに2つの実験用車框を製作した。 1つは車体の前半部分のみの固定式で、エンジンと冷却機構の作動状況の確認に使用された。 もう1つは、エンジンから履帯までを装着した「MTR」(Mobile Test Rig)と呼称される走行実験用で、サスペンション機構はトーションバー(捩り棒)方式となり、変速・操向機も、それまで別体であった変速機と操向機が一体化されていた。 MTRには当初は砲塔が搭載されていなかったが、後にはそれも搭載され、これが実質的にスコーピオン軽戦車の原型となった。 これを受けイギリス国防省(1964年に戦争省から改組)は、1967年9月にCVR(T)の生産担当企業を決定するための入札を行った。 落札したのはFV601サラディン戦闘偵察車、FV603サラセン装甲兵員輸送車などの開発と生産を担当したアルヴィス社で、まず17両の試作車を製作する契約が締結された。 CVR(T)の試作第1号車は1969年1月23日に完成したが、多くの場合、新型AFVの開発は予定の日程を多少なりとも超過してしまうものだが、試作第1号車の竣工は予定の期日通りだったので、本車の開発がスムーズに進行したことを伺わせる。 1969年9月、国防省は本車に「FV101」(Fighting Vehicle 101:戦闘車両101型)の戦闘車両番号と、「スコーピオンMk.1」の型式呼称を与えると共に、その存在を正式に公表した。 残りの16両の試作車も1970年の中頃までには完成し、同年5月に国防省はスコーピオン軽戦車をイギリス陸軍に制式採用すると共に、アルヴィス社と量産に関する契約を交わした。 また同年10月にはベルギー国防省が、自国陸軍向けとしてスコーピオン軽戦車を含むCVR(T)シリーズ701両を発注し、同時にベルギー国内でのライセンス生産についての協議が始められた。 スコーピオン軽戦車のイギリス陸軍向けの量産は1971年に開始され、生産型第1号車は1972年初めに完成して直ちにイギリス陸軍に納入された。 またベルギー陸軍向けの生産車は、1973年2月から納入が開始された。 こうしてスコーピオン軽戦車の量産が進められる一方で、そのファミリー車両の開発もアルヴィス社で進められた。 スコーピオン軽戦車のファミリー車両は、FV102「ストライカー」(Striker)自走対戦車ミサイル、FV103「スパータン」(Spartan:スパルタ人)装甲兵員輸送車、FV104「サマリタン」(Samaritan:サマリア人)装甲救急車、FV105「スルタン」(Sultan:イスラム教国の君主号の1つ)装甲指揮車、FV106「サムソン」(Samson:旧約聖書に登場する大力の勇士)装甲回収車、FV107「シミター」(Scimitar:三日月刀)装甲偵察車など多岐に渡っており、イギリス陸軍におけるCVR(T)シリーズの採用数は3,000両を超えている。 この中で、FV107シミター装甲偵察車は1969年末より開発に着手され、1971年7月に試作車が完成した。 シミター装甲偵察車は、スコーピオン軽戦車の車体と砲塔をほぼそのまま流用していたが、スコーピオン軽戦車が対戦車戦闘能力を考慮して、主砲に28.3口径76.2mm低圧戦車砲L23A1を装備していたのに対し、シミター装甲偵察車は対戦車戦闘能力を求められていなかったため、軽装甲車両などに対してより効果的な攻撃を行うことができる、81.3口径30mmラーデン砲L21A1を装備していたことが大きな相違点となっていた。 シミター装甲偵察車の試作車は2年ほど各種試験に供された後、1973年6月にイギリス陸軍に制式採用され、1974年からスコーピオン軽戦車と共に偵察部隊での運用が開始された。 シミター装甲偵察車は、イギリス陸軍向けとして486両が生産されて3つの編隊偵察連隊に配備された他、ベルギー(153両)、ヨルダン(不明、後にナイジェリアに5両を供与)、ホンジュラス(3両)に輸出された。 またイギリス陸軍のシミター装甲偵察車の内、後に123両がラトヴィア、23両がウクライナに供与された。 |
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+戦歴
シミター装甲偵察車の初陣は1982年に勃発したフォークランド紛争で、この時、ブルース&ロイヤルズ騎兵連隊に配備されていた4両が、スコーピオン軽戦車4両と共に派遣され実戦に参加している。 同連隊が持ち込んだ8両のCVR(T)シリーズは、フォークランド諸島奪回部隊が有した唯一の装甲車両で、歩兵の火力支援に活躍している(スコーピオン軽戦車の活躍は特に有名)。 なおこの時、最低でも1両のシミター装甲偵察車が、アルゼンチン軍が敷設した地雷によって損傷している。 しかし、乗員は無傷で被害車両はこの後、アメリカ製のHC.1「チヌーク」(Chinook:コロンビア川沿岸に住んでいた原住民の部族)大型ヘリコプターによって、機外懸吊で後方に運ばれ修理されている。 このヘリでの輸送の容易さは、本車の戦略機動性の高さを物語っているといえよう。 シミター装甲偵察車の次の実戦参加は、1991年に勃発した湾岸戦争であった。 参戦したイギリス陸軍の第16/5槍騎兵連隊に増強装備として配備されており、30mmラーデン砲のAPDS(装弾筒付徹甲弾)を用いて、イラク軍のT-55中戦車およびT-62中戦車数両(内1両は車体前面を貫徹したという)を撃破している。 また、その直後に勃発したユーゴスラヴィア内戦では、NATO軍の治安任務部隊の一員としてイギリス陸軍所属の各部隊がローテーションで派遣されたが、シミター装甲偵察車もチャレンジャー戦車やウォーリア歩兵戦闘車等と共に活動しており、車体がコンパクトなため検問所への配置やパトロール任務、コンボイ・エスコート等、他のAFVよりも多用された。 そして、2003年に勃発したイラク戦争ではその軽快さを活かして、バスラ攻略作戦では近衛竜騎兵連隊所属のシミター装甲偵察車が、海上から敵地雷原が広がるビーチに強襲上陸し、自軍がバスラを占領した後は快速を活かす形で、首都バグダッドまで進撃している。 また、後述するセイバー装甲偵察車が2004年に退役した後も、本車はイギリス陸軍が保有する唯一の装軌式偵察車両として長らく運用が続けられた。 前述のように、シミター装甲偵察車は大型ヘリによる懸吊輸送が可能なことからアフガニスタンにも派遣され、同地では新型のジャッカル装輪式装甲偵察車と共に活動した。 派遣先では汎用性こそジャッカル装甲偵察車に譲るが、火力・防御力・そして不整地走破性と攻防走の全てにおいて、シミター装甲偵察車の方が優れていることを実証している。 なお、イギリス以外で唯一シミター装甲偵察車を大量導入したベルギーは、本車を陸軍の偵察部隊に配備して運用を続けていたが、1991年のソ連崩壊に伴う東西冷戦の終結により軍備を大幅に縮小し、また残ったシミター装甲偵察車も、装輪式の偵察車両で代替する形で2005年までに全車が退役した。 こうして、まとまった数のシミター装甲偵察車を運用する国はイギリスのみとなったが、さすがに2000年代に入ると車体の老朽化が目立ってきたため、国防省は陸軍が保有する装軌式AFVの後継車両の調達を検討し始めた。 そして検討の結果2010年に、オーストリアとスペインが共同開発したASCOD歩兵戦闘車をベースに、さらなる改良を加えた車両を「スカウトSV」(SVはSpecialist Vehicle:専門車両の略、つまり「スカウトSV」は「斥候専門車両」を意味する)の呼称で導入することを決定し、オークデールのジェネラル・ダイナミクスUK(GDUK)社が開発を担当することになった。 その後2015年に国防省は、スカウトSVの呼称を「エイジャックス」(Ajax:大アイアース、ギリシャ神話に登場する英雄でトロイア戦争において大活躍した)に変更することを決定し、当初の計画では2017年から生産型のイギリス陸軍への引き渡しが予定されていたが、車体設計や試験における不具合の改修に予想以上に時間が掛かったことで、エイジャックスの引き渡し開始は2020年までずれ込んだ。 そして、一旦イギリス陸軍に引き渡されたエイジャックスも試験において不具合が多発したため、国防省は不具合の改善が図られるまで同車の調達を一旦停止することを決定した。 エイジャックスの改良には長い期間が費やされたが、2023年に入ってようやく不具合を解消する目処が立ったため、国防省は一旦停止していたGDUK社への代金支払いを再開した。 エイジャックス・ファミリーはイギリス陸軍向けとして、基本型であるIFV(歩兵戦闘車)型が245両、APC(装甲兵員輸送車)型が93両、CCV(指揮統制車)型が112両、FROV(陣形偵察監視車)型が34両、ERV(工兵偵察車)型が51両、装甲回収車型が38両、装甲修理車型が50両の、合計589両が調達される予定となっている。 なお呼称についてはIFV型が「エイジャックス」、APC型とFROV型が「エアリーズ」(Ares:アレース、ギリシャ神話に登場する戦いの神)、CCV型が「アシーナ」(Athena:アテーナー、ギリシャ神話に登場する知恵・芸術・戦術の女神)、ERV型が「アーガス」(Argus:アルゴス、ギリシャ神話に登場する100の目を持つ巨人)、装甲回収車型が「アトラス」(Atlas:アトラース、ギリシャ神話に登場する巨人神)、装甲修理車型が「アポロ」(Apollo:アポローン、ギリシャ神話に登場する芸能・芸術の神)と命名されている。 国防省はイギリス陸軍のウォーリア歩兵戦闘車をIFV型のエイジャックス、シミター装甲偵察車をFROV型のエアリーズで置き換えることを計画していたため、エイジャックス・ファミリーの調達再開の目処が立ったことと、すでに装輪式のジャッカル装甲偵察車が約500両配備されていることを踏まえ、シミター装甲偵察車を陸軍から退役させることを決定し、2023年4月までに全車が退役した。 |
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+攻撃力
シミター装甲偵察車の砲塔は、スコーピオン軽戦車のものとよく似た2名用砲塔が搭載されており、砲塔前面に主武装の81.3口径30mmラーデン砲L21A1と、副武装の7.62mm機関銃L37A2を同軸に装備していた。 30mmラーデン砲L21A1は、イギリス陸軍の軽量戦闘車両の主武装として1960年代に開発された低反動の30mm速射砲で、1966年に設計が完了し1970年初頭から量産が開始された。 因みに「ラーデン」(RARDEN)の名前は、開発に関わったハルステッドの「RARDE」(Royal Armament Research and Development Establishment:王立兵器研究開発局)の頭字語と、生産を担当した王立小火器工廠の所在地である「エンフィールド」(Enfield)のそれを組み合わせたものだという。 砲の諸元は全長3.15m、砲身長2.438m、全体重量110kg、砲身重量24.5kg、最大射程4,000m、有効射程1,000mとされている。 ラーデン砲は反動利用式の自動砲だが、装填は3発ずつのクリップで行うようになっている。 連射は3発クリップ2つ分の6発バーストまで、最大発射速度は90発/分に過ぎない。 シミター装甲偵察車の場合、30mm砲弾の搭載数は165発となっていた。 軟目標用弾薬としてL13A1 HEI(焼夷榴弾)が用意されているが、炸薬量はトーペックス2がわずかに25.6gである。 従って敵歩兵に対する持続的な制圧射撃は難しく、それについては専ら同軸機関銃を頼ることになる。 これ以外の弾薬ではL5A2 APSE(徹甲榴弾)、L12A1 TP(訓練弾)が用意されている。 その後L14A2 APDSが開発され、L5A2 APSEに代わり配備されている。 このL14A2 APDSは発射重量822g、弾頭重量300g、砲口初速1,175m/秒、1,500m以上の距離から45度の入射角で40mmの装甲貫徹力がある。 旧ソ連軍のBMP-2歩兵戦闘車の装備する80.5口径30mm機関砲2A42は、砲口初速1,000m/秒、装甲貫徹力は射距離1,500mで25mmといわれており、ラーデン砲の高い装甲貫徹力が分かる。 一方、副武装の7.62mm機関銃L37A2は、ベルギーのFN社製の7.62mm機関銃FN-MAGを王立小火器工廠でライセンス生産した7.62mm機関銃L7シリーズの派生型で、同軸機関銃としてだけでなく、マウントから取り外して乗員が射撃を行うことも可能となっている。 また砲塔前面の左右両側には、4連装(初期型では3連装)の66mm発煙弾発射機を各1基ずつ装備しており、不意に敵の戦闘車両と遭遇した場合などに発煙弾を発射して、自車の周囲に煙幕を展張することが可能である。 砲塔の内部レイアウトは、前部中央に30mmラーデン砲の機関部、それを挟んで砲塔バスケット内右に砲手用視察装置および砲手席、同左に車長用視察装置および車長席、そして後部バスル内にクランスマン無線機が置かれていた。 また乗員相互の連絡のため、車内通話装置が内壁に取り付けられていた。 なお車長は車両の指揮と外部視察を行うだけでなく、30mmラーデン砲の装填手も兼任しなければならない。 またCVR(T)/CVR(W)シリーズの車両は全て、調達価格を抑えるために砲塔の動力機構を搭載しておらず、砲手が旋回ハンドルを操作して手動で砲塔を旋回しなければならなかった。 しかし、これはあまりにも不便で肝心の攻撃能力に悪影響が出たため、1980年代初めにチェルムズフォードのマルコーニ社製の動力機構が導入された。 シミター装甲偵察車の外部視察装置は、まず車長用として、マルコーニ社製の等倍と10倍の切り替え機能付きで、上下に-14~+41度の視察範囲を持ち、85度の限定旋回式の双眼式昼間用照準機AV No.75が1組と、7個のペリスコープが装備されていた。 砲手用にも、やはり等倍と10倍の倍率を持つ昼間用照準機AV No.52が装備されていたが、砲手にはこの他に夜間用として1.6倍で28度の視野角、5.8倍で8度の視野角を持つコヴェントリーのGEC社(General Electric Company:総合電機会社)製の、パッシブ式暗視機構付き照準機II L2A1が装備されていた。 この夜間照準機は広い視野角で視察している場合、シャッターで視野を区切ることで目標を発見し易くする機能を持っていた。 また、このシャッターは30mmラーデン砲の発射機構と連動して、発砲炎で暗視装置やモニター画面が焼き付くのを防ぐ役目を果たした。 また5.8倍の倍率を選択した時には、昼間用の照準機と連動する機能を備えていた。 暗視装置を使用しない時は、装甲カバーによって保護されるようになっていた。 これらの照準機の対物鏡部には、泥汚れなどを落とすウォッシャーとワイパーが装着されていた。 なお後に、車長用の外部視察装置は昼夜兼用のものに換装され、より大型化している。 この他にも昨今のC4I化、ディジタル化に対応すべく、砲塔上面に架台を増設してGPSやデータリンク用の大型アンテナを設置するようになった。 |
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+防御力
シミター装甲偵察車は、同じくアルヴィス社が開発した前作のサラディン戦闘偵察車と同様、車体・砲塔共に圧延装甲板の溶接構造となっていたが、軽量化を図るために装甲材質がサラディンの防弾鋼板から、防弾アルミ板に変更されていた。 シミター装甲偵察車に用いられた防弾アルミ板は、アメリカのM113装甲兵員輸送車シリーズなどに用いられている7039防弾アルミ板に、特殊な熱処理を施して剛性を強化したE74S防弾アルミ板である。 その組成の詳細は不明な点があるが、アルミニウムを主体とする亜鉛とマグネシウムの合金であり、現在「超々ジュラルミン」と呼ばれるものとほぼ同じと考えて良い。 防弾能力を同一とする場合、一般的にアルミ板は鋼板の2.8倍の厚さを必要とする。 これは、シミター装甲偵察車のような小型車両では内部容積にあまり良い影響を及ぼさないが、断面積が大きい分、接合部の強度の確保が容易になるという利点がある。 本車の防弾能力は前面が旧ソ連製の14.5mm重機関銃弾の、他の面は7.62mm機関銃弾の直射に耐える。 試験では1.5mの至近距離に着弾した105mm榴弾の炸裂に耐え、また地雷の爆発では、走行装置は激しく損傷したものの、車内には全く被害が及ばなかった。 シミター装甲偵察車の砲塔形状は、正面および真横から見ると6角形、真上から見ると8角形となっていたが、これは装甲板を積極的に傾斜させることで耐弾性を高めようとした結果である。 砲塔上面には右側に砲手用照準機、その後方に砲手用ハッチ、左側に車長用照準機、その後方に車長用キューポラがあったが、このキューポラの周囲には全周に向けて7基のペリスコープが装備されていた。 また前述のように、砲塔前面の左右両側には3~4連装の66mm発煙弾発射機が各1基ずつ装着されていた。 砲塔後面には、防弾アルミ製の雑具箱が装着されていた。 シミター装甲偵察車の車体は、砲塔と同様に防弾アルミ板の溶接構造となっていたが、車体前端部のみは防弾アルミの鋳造製となっていた。 またCVR(T)シリーズは、車体後部に兵員室を備える兵員輸送型や、野戦救急型などをファミリー化することが計画されていたため、シミター装甲偵察車は通常の戦車のようにエンジンを車体後部に搭載せず、車体前部右側に搭載していた。 本車の車内レイアウトは最前部に変速・操向機を配し、その後方右側が機関室、左側が操縦室となっており、車体後部が2名用の砲塔を搭載した戦闘室、最後部が弾薬庫となっていた。 シミター装甲偵察車のNBC防御機構は、弾薬庫内に設置するようになっていた。 なお本車は、外気温が-30℃~+50℃の範囲であれば支障なく活動できた。 車体上面前部には、エンジンと変速・操向機用のアクセスパネルや吸排気グリルが設けられており、エンジンの反対側の車体前部左側に、操縦手席と操縦手用ハッチが設けられていた。 操縦手用ハッチの前方には、操縦手用の広角ペリスコープが1基装備されていたが、夜間操縦の際にはこれを、レイソムのピルキントン光電子工学製のパッシブ式暗視ペリスコープに交換した。 車体上面の後半部分のほとんどは砲塔リングが占めており、車体右側面には上部中央からエンジン排気管が後方へ向けて導設されていた。 反対の車体左側面には大型の雑具箱が取り付けられており、車体左右側面にはそれ以外にも空きスペースに斧やスコップなどの工具類が備えられていた。 車体後面には両端の上部に小さな丸い赤色の反射板が、下端中央には牽引具取付金具が装備され、その下にイギリス軍伝統の車間距離確認用の白い縦線が描かれていた。 またフェンダーの高さの車体外周部には、水上渡渉時に用いる起倒式の浮航スクリーンが装着されていた。 このスクリーンは上下に蛇腹状に展張(所要時間約5分)して使用するが、演習時でも使用することはほとんど無かったため、その後の改修でイギリス軍では取り外されている。 シミター装甲偵察車は2003年のイラク戦争に実戦参加した際には、対戦車ロケット/ミサイル等の成形炸薬弾対策として、車体や砲塔の側面に外装式の防御板を装着していたが、アフガニスタン派遣以降は、より本格的に車体および砲塔の周囲にスラット・アーマー(格子装甲)を増設するようになった。 また車体の左右にはレーザー警戒装置を、そして砲塔上部には乗員保護のためにワイアーカッターも設置するようになった。 |
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+機動力
シミター装甲偵察車のエンジンは前述のように、ジャギュア自動車製のJ60 No.1 Mk.100B 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンを搭載していた。 このエンジンの原型となったXK 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(総排気量4.2リットル、圧縮比9:1、最大出力265hp/5,400rpm)は、同社が第2次世界大戦前から開発に着手していた高級乗用車用エンジンの発展型である。 XKシリーズは、イギリス製の自動車用ガソリン・エンジンとしては卓越した高性能エンジンであり、ジャギュア・ブランドの高級乗用車はもちろんのこと、レーシングモデルにも搭載されて成功を収め、同社の主力エンジンとして長期に渡って量産された。 このため、CVR(T)/CVR(W)に搭載するエンジンの候補として注目されることとなり、厳しい条件下での稼動と低オクタン価燃料に適応させるため、圧縮比を下げて出力を減格したものがJ60 No.1 Mk.100Bエンジンである。 本エンジンの諸元は総排気量4,235cc、圧縮比7.75:1、最大出力190hp/4,750rpmで、最大トルクは32.3kg·m/3,500rpmとなっていた。 一方、シミター装甲偵察車の変速・操向機は、コヴェントリーのSCG社(Self-Changing Gears:自動変速ギア会社)が開発したTN15半自動変速・操向機(前進7段/後進7段)を採用していた。 このTN15変速・操向機は、同社がチーフテン戦車用に開発したTN12半自動変速・操向機(前進6段/後進2段)を小型化したものであり、変速は動力補助が付く足踏み式で、操向機構は三重差動式であった。 主クラッチは遠心式で、これは50ccのスクーターなどに採用されているのと同様のものであった。 ばねの力によって中心に向かって引き付けられている摩擦板が、エンジンからの回転力を受けて外側に振り出されることによって、外周にある受け側の摩擦板に押し付けられて回転を伝達する。 なおSCG社は1965年に事業を終了したため、その後はハダースフィールドのDBE社(David Brown Engineering:デイヴィッド・ブラウン工業)がTN15変速・操向機の生産とサポートを引き継いでいる。 シミター装甲偵察車の足周りは前方の起動輪、後方の誘導輪と片側5個の中直径転輪を組み合わせており、上部支持輪は装備していなかった。 転輪は防弾アルミの鋳造製で、外周にゴム縁が付いた複列式のものであった。 第1転輪と第5転輪には油圧式のショック・アブソーバーが取り付けられており、サスペンションの上下動幅は上に約100mm、下に約200mmとなっていた。 起動輪の外周部は、歯の部分を除いてポリウレタン製のカバーに覆われており、誘導輪の外周にもゴム縁が付いていた。 履帯は、マンガン鋼製のシングルピン/シングルブロック型のもので、走行寿命は約5,000kmとなっていた。 これは、結合ピンに樹脂製のブッシュが取り付けられているライブピン式で、踏面にゴムパッドが付いていた。 これらの特徴は、履帯と転輪類との摩擦の減少と騒音の低減に効果的であり、エンジンがガソリン・エンジンであることも相まって、シミター装甲偵察車の機動時の騒音は、ディーゼル・エンジンを搭載したトラックと同等程度であった。 なお前述のようにCVR(T)シリーズは、開発当初は油気圧式サスペンションを採用する予定だったのが、調達コストの低減を図るために、生産型ではより安価なトーションバー式サスペンションに変更された。 しかし足周りを工夫することで摩擦を減少させ、高性能ガソリン・エンジン、軽量な車体を組み合わせたことで、シミター装甲偵察車は路上最大速度50マイル(80.47km)/h、路上航続距離400マイル(644km)という、装軌式車両としては異例の高い機動性能を発揮した。 さらに本車は浮航能力も備えており、浮航スクリーンを展張するなど簡単な事前準備を行えば、河川を水上渡渉することが可能であった。 ただし水上航行用のスクリューなどは備えていないため、水上での推進力は履帯の回転で得るようになっており、航行速度は3.6マイル(5.79km)/hと遅い。 なお、イギリス国防省はCVR(T)シリーズの就役寿命を延長するため、1988年にCVR(T)シリーズのエンジンを、従来のJ60 No.1 Mk.100B 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンから、より燃費に優れ火災の危険性が低い、アメリカのカミンズ社製の6BTA5.9 直列6気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(190hp/2,500rpm)へ換装する、近代化改修計画「LEP」(Life Extension Program:耐用年数延長プログラム)に着手した。 エンジンの換装作業はアルヴィス社の手で行われることになり、それにあたってカミンズ社がCVR(T)シリーズ向けのエンジン改修キットを開発している。 シミター装甲偵察車を含む、イギリス陸軍の大部分のCVR(T)シリーズがこのLEP改修を受けており、新型ディーゼル・エンジンに換装された。 |
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+異母弟のセイバー装甲偵察車
前述のように、装軌式のCVR(T)と並行して開発が進められた装輪式のCVR(W)は、コヴェントリーのダイムラー社が生産を担当することになり、1965年に16両の試作車が製作発注されて各種試験に供された。 そして国防省はCVR(W)のイギリス陸軍への採用を決定し、1969年10月に「FV721」(Fighting Vehicle 721:戦闘車両721型)の戦闘車両番号と、「フォックスMk.1」の型式呼称が与えられた。 フォックス装甲偵察車の量産は王立造兵廠のリーズ工場が担当することになり、1973年5月には生産型第1号車が工場からロールアウトした。 本車はイギリス陸軍向けに180両が生産された他、マラウイとナイジェリアに合計145両が輸出されており、総生産数は325両となる。 フォックス装甲偵察車はシミター装甲偵察車と同様、砲塔に主武装として30mmラーデン砲L21A1を装備していたが、フォックスは装輪式車両であるため、装軌式のシミターに比べて不整地での走破性が劣っていた。 また、コンパクトなサイズの4×4型装甲車でありながら、車体に不釣り合いな大型の2名用砲塔を搭載したため重心位置が高く、コーナリング性が悪いことが問題視された。 結局これらの理由により、イギリス陸軍のフォックス装甲偵察車は1993年4月までに全車が退役した。 一方、CVR(T)シリーズの基本型であるスコーピオン軽戦車は、イギリス陸軍、空軍連隊、輸出向けに合計3,000両以上が生産されるベストセラーとなったが、イギリス空軍による試験において、主砲の排煙システムが不完全なため、主砲射撃時に有毒な発射ガスが戦闘室内に入り込み、乗員の健康を危険に晒すことが判明した。 このため、国防省はスコーピオン軽戦車を退役させることを決定したが、本車は前述したLEP改修を受けたばかりで耐用年数に余裕があった。 そこで国防省は、すでに退役することが決まっていたフォックス装甲偵察車の砲塔を、スコーピオン軽戦車に搭載して再利用することを考案し、こうして一部のスコーピオン軽戦車が、フォックスの砲塔を搭載した折衷型「セイバー」(Sabre:サーベル)として生まれ変わることになった。 セイバー装甲偵察車に改修されたスコーピオンは138両のみで、他の大部分の車両は1994年までにイギリス軍を退役した。 セイバー装甲偵察車は、シミター装甲偵察車とほぼ同一の車両であったが、CVR(W)の砲塔リング径がCVR(T)に比べて若干小さかったため、これを合わせるために車体と砲塔の間にリングサポートを取り付けた影響で、車高は若干ながらセイバーの方が高くなった。 またシミターが、主砲の同軸機関銃として国産の7.62mm機関銃L37A2を装備していたのに対し、セイバーはウォーリア歩兵戦闘車と同じく、アメリカのボーイング社製の7.62mmチェインガンL94A1に換装された。 チェインガンは遊底をチェイン駆動する独特の機構を持ち、たとえ不発弾があっても強制的に排莢を行うため、射撃が途絶えることは無い。 またセイバーはさらに、新型の発煙弾発射機の導入や操縦手の視察装置の改良、各種雑具箱の新型化等が盛り込まれていた。 セイバー装甲偵察車は、まず2両の試作車がスコーピオン軽戦車から改造されて、ボーヴィントンの戦車試験場において試験を行った後、1993年にイギリス陸軍に引き渡されている。 生産型の改造にあたっては、アルヴィス社において砲塔を中心とした改修キットが製作され、このキットをドニントンの基地整備工場に送り、ここでセイバー装甲偵察車への改造作業が実施された。 セイバー装甲偵察車の生産型第1号車は1994年に完成し、前述のように合計138両のスコーピオン軽戦車が本車に改造された。 しかし東西冷戦の終結や、イギリス政府の財政難によりイギリス軍全体の予算が縮小されたことに伴い、国防省はイギリス陸軍の装軌式偵察車両をシミター装甲偵察車に一本化することを決定し、セイバー装甲偵察車は2004年をもって早々に退役した。 |
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<FV107シミター装甲偵察車> 全長: 5.148m 車体長: 4.794m 全幅: 2.235m 全高: 2.102m 全備重量: 7.756t 乗員: 3名 エンジン: ジャギュアJ60 No.1 Mk.100B 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン 最大出力: 190hp/4,750rpm 最大速度: 80.47km/h(浮航 5.79km/h) 航続距離: 644km 武装: 81.3口径30mmラーデン砲L21A1×1 (165発) 7.62mm機関銃L37A2×1 (3,600発) 装甲厚: |
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<セイバー装甲偵察車> 全長: 5.148m 車体長: 4.794m 全幅: 2.235m 全高: 2.167m 全備重量: 8.13t 乗員: 3名 エンジン: カミンズ6BTA5.9 4ストローク直列6気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル 最大出力: 190hp/2,500rpm 最大速度: 80.47km/h 航続距離: 644km 武装: 81.3口径30mmラーデン砲L21A1×1 (160発) 7.62mm機関銃L94A1×1 (3,000発) 装甲厚: |
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<参考文献> ・「パンツァー2015年8月号 ユニオンジャックの尖兵 シミター装甲偵察車」 柘植優介 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2008年7月号 スコーピオン偵察車輌シリーズ」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2004年4月号 イギリスのスコーピオン/シミター装甲偵察車」 アルゴノート社 ・「パンツァー2014年3月号 ベルギー軍AFV 1970~2010」 城島健二 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2013年12月号 イギリス機甲部隊発達史」 城島健二 著 アルゴノート社 ・「世界のAFV 2021~2022」 アルゴノート社 ・「世界の戦車メカニカル大図鑑」 上田信 著 大日本絵画 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後~現代編」 デルタ出版 ・「世界の戦闘車輌 2006~2007」 ガリレオ出版 ・「世界の戦車パーフェクトBOOK 決定版」 コスミック出版 ・「世界の主力戦闘車」 ジェイソン・ターナー 著 三修社 ・「世界の装軌装甲車カタログ」 三修社 ・「ザ・タンクブック 世界の戦車カタログ」 グラフィック社 ・「戦車名鑑 1946~2002 現用編」 コーエー ・「世界の最新陸上兵器 300」 成美堂出版 |
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