ラム巡航戦車
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+開発
第2次世界大戦が開始されると、カナダ軍もイギリス連邦軍の一員として軍備の増強に迫られることになった。
しかし宗主国であるイギリスは自軍に戦車を供給することに手一杯で、アメリカも同じ状況にあった。
そのためカナダは自国で戦車を調達しなければならず、ケベック州のMLW社(Montreal Locomotive Works:モントリオール機関車製作所)を通じて、親会社であるアメリカ・ニューヨーク州スケネクタディのALCO社(American
Locomotive Company:アメリカ機関車製作所)に支援を要請している。
当時ALCO社はM3中戦車を製造していたので、カナダでM3中戦車をライセンス生産することも検討されたが、M3中戦車は主砲を車体前部右側に限定旋回式に装備している等運用に難があったため、M3中戦車のコンポーネントを流用して、全周旋回式砲塔に主砲を装備する新たな戦車をカナダで開発・生産することが1941年1月に決定された。
新たに設計されることになったのは上部車体や砲塔で、パワープラントや走行装置等はM3中戦車のものがそのまま流用されることになった。
武装はイギリス軍戦車で使用されているものが用いられることになり、戦車としてのカテゴリーもアメリカ式の「中戦車」(Medium Tank)からイギリス式の「巡航戦車」(Cruiser
Tank)に変更された。
このカナダ製新型巡航戦車はM3中戦車よりも低いシルエットを持ち、車体中央部に大型の全周旋回式砲塔を搭載しており「ラム」(Ram:雄羊)の呼称が与えられた。
新たに設計されたラム巡航戦車の砲塔および上部車体は、アメリカ・ペンシルヴェニア州エディストーンのGSC社(General Steel Castings:総合鋼鋳物製作所)で製作されることになった。
これだけの大きさの部品を歪みや割れ無しに鋳造で一発抜きするには、それなりのノウハウの蓄積が必要だったためで、カナダ国内のメーカーでは製作できなかったのである。
ラム巡航戦車の最初の車体が作られたのは、1941年3月23日のことであった。
この車体は実射試験のため、アメリカ・メリーランド州アバディーンにあるアメリカ陸軍車両試験場に送られることになっていた。
その後、GSC社は週に2両のペースでラム巡航戦車の車体を生産していくことになる。
ラム巡航戦車の上部車体の装甲厚は前面の最も厚い部分で3インチ(76.2mm)と、M3中戦車の2インチ(50.8mm)に比べて相当に強化されていた。
また全体に丸みを帯びた形状をしており、避弾経始にも優れていた。
ラム巡航戦車の砲塔リングの直径は、M3中戦車の54インチ(1,371.6mm)より6インチ大きい60インチ(1,524mm)とされた。
砲塔リングの中心は、車体の右寄りにややオフセットされていた。
これは車体前部左側に設けられている前方機関銃の銃塔との干渉を避け、銃手の乗降に支障をきたさないためであった。
ラム巡航戦車のエンジンはベースとなったM3中戦車と同様、アメリカ・ニュージャージー州パターソンのライト航空産業製の「ワールウィンド」(Whirlwind:旋風)R-975-EC2
星型9気筒空冷ガソリン・エンジン(出力400hp)が採用された。
しかしこのエンジンは元々航空機用であり、M3中戦車にも供給しなければならないため充分な数のエンジンが確保できない可能性もあると考えられた。
そのためやはりアメリカ製の航空機用エンジンである、旧式の「リバティー」(Liberty:自由) V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力340hp)を搭載する代替案も検討されたといわれている。
1941年6月にはラム巡航戦車の最初の走行試験車が完成し、すぐさまアバディーン試験場に送られた。
これには、アメリカに対して何らかの影響を与えようとする隠された動機があったともいわれている。
ラム巡航戦車の主砲は当初から、イギリス製の6ポンド(57mm)戦車砲を搭載することが予定されていたが、イギリス側が2ポンド(40mm)戦車砲の搭載を主張し6ポンド戦車砲の輸出をストップしたため、最初の50両だけは2ポンド戦車砲を搭載して完成した。
ただしこれには、イギリスから送られる予定だった6ポンド戦車砲の砲架の設計図が予定通り入手できず、カナダで設計されることになった砲架や防盾、俯仰装置等の完成が遅れたためといった異説もある。
ラム巡航戦車に用いられた2ポンド戦車砲用砲架は、カナダで生産されたヴァレンタイン歩兵戦車用に設計されたもので、砲の俯仰をハンドルで行うのではなく砲手の肩で行うものであった。
砲塔の旋回に関してはM3中戦車の砲塔に採用されていたのと同じ、ローガンスポート油圧式動力旋回システムによって行われた。
後に主砲を換装する場合に備えて砲塔前面の装甲板はボルトで接合されており、この部分ごと主砲や砲架を交換できるようになっていた。
この2ポンド戦車砲搭載型は「ラムMk.I巡航戦車」として制式化され、第1生産ロットの1,157両のうち車体製造番号CT-39781〜CT-39830の50両が該当する(”C”はCanada:カナダ、”T”はTank:戦車の頭文字)。
ラムMk.I巡航戦車は1941年秋〜1943年夏にかけて生産され、多くが訓練用としてイギリスに送られた。
その後ジャイロ式安定化装置付きの6ポンド戦車砲を搭載した本格量産型が登場し、「ラムMk.II巡航戦車」として制式化された。
ラムMk.II巡航戦車は1942〜43年にかけて合計で1,899両が生産され、車体製造番号は第1生産ロットがCT-39831〜CT-40937の1,107両、第2生産ロットがCT-159402〜CT-160193の792両となっている。
従って、ラム巡航戦車の総生産数はMk.I/Mk.II合わせて1,949両となる。
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+車体の構造
初期に生産されたラム巡航戦車には、アメリカ軍戦車で使われているものと同じエンドコネクター付きのダブルピン結合、ラバーブロック・タイプ、6インチ(152.4mm)ピッチの履帯が採用された。
後に幅16.5インチ(419.1mm)溶接または鋳造製のラバーブッシュ付きの、いわゆるウェットピン方式の履帯も使用された。
しかし、このウェットピン式履帯は履帯長1フィート(約30cm)当たりの重量が99ポンド(約50kg)もあったため、後にイギリス軍戦車のものに近いドライピン方式のショートピッチの履帯がカナダで開発され、生産後期のラム巡航戦車に装着された。
この新型履帯はシンプルなシングルピン結合で幅は15.5インチ(393.7mm)、ピッチは4.6インチ(116.84mm)となっていた。
履帯長1フィート当たりの重量は半分以下の45ポンド(約20kg)まで軽減され、従来の履帯に比べて製造も簡単で安価であり、履帯重量の大幅軽減はラム巡航戦車に機動性能の向上をもたらした。
ただし、履板のピッチが短くなったことに伴い起動輪を歯数の多いものに交換する必要があり、履板数は以前のアメリカ式履帯が片側79枚だったのに対し、こちらは103枚にまで増えている。
この新型履帯はCDP(カナディアン・ドライピン)タイプと呼ばれ、ラム巡航戦車の後継車であるグリズリー巡航戦車(M4A1中戦車のカナダ版)にも採用されている。
ラム巡航戦車のサスペンションは、M3/M4中戦車シリーズにも採用された垂直渦巻スプリングを使ったものが最後まで使われ続けている。
このサスペンションは1組につき2個の直径16インチ(406.4mm)のゴム縁付き複列式転輪が組み付けられ、上部には複列式の支持輪が取り付けられていた。
ただしM4中戦車のそれと同じような改良が行われ、スプリング長を伸ばしてサスペンションを強化したため、スプリング収容部の真上にあった支持輪がやや後方に移されたものに替えられていた。
また転輪もM3中戦車に用いられたスポーク式のものではなく、M4中戦車と同様のディスク式のものが採用された。
ラム巡航戦車の起動輪は前部にあり、履帯のピッチに合わせて13枚もしくは17枚の歯が両側に付いた複列式起動輪となっていた。
転輪と同じ大きさの誘導輪は後部にあり、軸位置を移動させることで履帯の張度を調整することができた。
車体底部は圧延鋼板を鋼製のアングル材にリベット止めした構造になっており、車体製造番号CT-40101以降の車体には下部に脱出用ハッチが追加されている。
エンジンは車体後部に垂直からやや前方に傾けて搭載されており、冷却用のファンが冷却気をシリンダーの間に導入するシュラウドと共に取り付けられていた。
ほとんどのラム巡航戦車には、ライト航空産業製の航空機用エンジンであるR-975-EC2 星型9気筒空冷ガソリン・エンジンが搭載されていた。
このエンジンはボア5インチ(127mm)、ストローク5.5インチ(139.7mm)のロングストローク・タイプで、排気量は973立方インチ(約15,977cc)、出力は400hp/2,400rpmとなっていた。
ラムMk.II巡航戦車の後期生産車では、低圧縮比で80オクタンの低オクタン価燃料を使用できる改良型のR-975-C1 星型9気筒空冷ガソリン・エンジンに変更されているが、排気量やカタログ上の出力はEC2型と変わっていない。
エンジンの左右には燃料タンクが配されており、それぞれの前方にはオイルクーラー付きのオイルタンクが設けられていた。
燃料タンクの容量は150ガロン(約682リットル)で、航続距離は路上の場合145マイル(約233km)とされていた。
エンジンの前方にはフライホイールとクラッチがあり、そこから推進軸が前方に伸びていた。
推進軸は戦闘室の床下を斜めに通っており、砲塔バスケットの床面を押し上げる結果となっていた。
しかし、同じR-975系のエンジンを搭載しているアメリカ軍のM18 76mm対戦車自走砲ではギアを使って出力を下に降ろし、推進軸は車体底面と平行に通されていた。
その結果M18対戦車自走砲の車高は、同じエンジンを搭載しているラム巡航戦車やM4中戦車に比べてかなり低く抑えられていた。
つまりラム巡航戦車やM4中戦車は背の高い星型エンジンを搭載したために、やむを得ず車高が高くなってしまったのではなく、あえて構造を複雑にしてまで車高を低くする必要性を認めなかったため、車高が高くなることを承知でシンプルな構造にしていたのである。
プロペラシャフトは、車体前方の変速・操向機に導かれていた。
ラム巡航戦車に用いられた変速機は、変速の容易な(変速時に変速ギアの回転数が自動的にシンクロする)シンクロメッシュ付きの機械式手動変速機(前進5段/後進1段)で、出力は操向機を通り左右のケーシング内の最終減速機を介して起動輪まで導かれた。
ラム巡航戦車の後期生産車では、変速・操向機用のオイルクーラーが追加された。
ラム巡航戦車はリアエンジン/フロントドライブの駆動方式を採用していたが、この方式は前述のように推進軸が戦闘室の床面を通り全高がやや高くなるという欠点を持つ反面、車体前方の変速機が被弾時に敵弾を止める効果がある他、地雷による被害を局限する効果もあった。
またラム巡航戦車の場合は、車体前方のケーシングを取り外せば変速機、操向機、最終減速機が一体となったアッセンブリーを丸ごと交換できるという整備上の利点もあった(戦後に変速・操向機とエンジンを一体化したパワーパックが登場し、この利点は失われた)。
ラム巡航戦車の車体前部には中央に変速機が配置され、その右側に操縦手席、左側に前方銃手席が設けられていた。
ブレーキレバーは変速機の左側に付いていたが、これ以外の操作系は全て操縦手から操作し易い位置にあった。
変速機の右側には変速レバーがあり、操縦手の前方には2本の操向レバーが立っていた。
足元には右側にアクセルペダル、左側にクラッチペダルが配されていた。
操縦手席前方には視察ブロック付きのハッチがあり、頭上にはペリスコープが設けられていた。
計器盤は、操縦手席の前方左寄りにあった。
車体前部左側には前方銃手が位置し、第1生産ロットおよび第2生産ロットの最初の100両のラム巡航戦車には独立した銃塔が搭載されていた。
この銃塔の右寄りには、アメリカ・ユタ州オグデンのブラウニング火器製作所製の.30口径(7.62mm)M1919A4空冷機関銃が搭載されており、視察ブロックと2枚式のハッチが取り付けられていた。
後期の生産車では、ハッチの配置はそのままだが銃手用のペリスコープが追加されている。
そして車体製造番号CT-159502以降の車両では鋳造車体そのものの形状が変更となり、車体前方機関銃はM4中戦車に似たボールマウント式銃架に装備されるようになり、銃塔は廃止された。
ラム巡航戦車の上部車体は、機関室上面の点検用パネルを除いて一体で鋳造されていた。
初期の生産車のみ左右側面にそれぞれ左開き式のガンポート付きドアが設けられていたが、ラムMk.II巡航戦車ではガンポートが換気用のヴェンチレイターに変更され、さらに生産性を向上させるため車体製造番号CT-40131以降の車両はドアそのものが廃止された。
そして車体製造番号CT-40546以降のラム巡航戦車では、このヴェンチレイターも廃止されている。
ラム巡航戦車の上部車体後部は後方に張り出しており、張り出し部の内部には2本の消音マフラーや空気清浄機が収容されていた。
その下の下部車体後面にはM3中戦車と同様にエンジン整備用の観音開き式ドアが設けられており、その両外側からは各1本ずつの排気管が上に向かって伸びていた。
機関室上面にボルト止めされた点検用パネルは2枚で、その内の1枚には冷却空気取り入れ用のグリルが設けられていた。
スコップやツルハシ、斧やクランクシャフトといったOVM類はこのパネル上に固定され、その他の車外装備品は左右の前部フェンダー上に取り付けられた雑具箱の中に収められた。
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+砲塔の構造
ラム巡航戦車の砲塔は、前面装甲板と砲塔後面の四角い穴を除いて一体鋳造されていた。
砲塔後面の穴は主砲の砲身を交換するためのもので、普段はプレートで塞がれていた。
しかし前面装甲板自体を取り外すことができるためか、この穴は後に廃止されている。
砲塔の左右側面には視察ブロック付きのガンポートが設けられていたが、これは後にソ連軍戦車のようなテイパーの付いた円形のものに変更されている。
砲塔上面には、左側に車長用ハッチが設けられていた。
つまり車長席は砲塔の左側にあり、装填手は砲塔の右側に立つことになる。
砲手席は車長席の前方に位置し、砲塔上面のハッチは車長用のみで装填手用のハッチは無かった。
主砲の左側、砲手席の前には照準用テレスコープが備えられ、反対の右側には同軸のM1919A4空冷機関銃と、2インチ(50.8mm)擲弾(発煙弾)発射機が装備されていた。
この発射機を操作するのは主に装填手で、砲塔右側面前寄りに弾薬庫が設けられていた。
また砲塔後部には車長の対空戦闘用としてもう1挺のM1919A4空冷機関銃が、下車戦闘用の三脚と共に搭載されていた。
この他に乗員用の副武装として、砲塔内部にアメリカ・コネティカット州ブリッジポートのAOC社(Auto-Ordnance Company:自動火器製作所)製の.45口径(11.43mm)トンプソン短機関銃2挺が収容されていた。
砲塔後部のバスル内にはイギリス製のNo.9またはNo.19無線セットが搭載されており、砲塔上面には無線アンテナが立てられていた。
砲手席の足元には戦闘室の床面に発砲用のペダルがあり、床面の中央近くには砲塔旋回用の油圧ポンプが置かれていた。
戦闘室の左側後方にはホームライト単気筒発電セットがあり、排気管は防火壁を通して機関室に導かれていた。
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+完成後
1,000両以上が生産されたラム巡航戦車だが、アメリカでM4中戦車の大量生産が始められるとその必要性は急速に薄れていった。
M4中戦車はラム巡航戦車の6ポンド戦車砲より強力な75mm戦車砲を全周旋回式砲塔に装備し、装甲でもラム巡航戦車を上回っていたからである。
結局ラム巡航戦車は実戦に参加すること無く、その多くはイギリスに送られて訓練に使われている。
なおアメリカ軍では当初、ラム巡航戦車のことを「M3カナディアン」または「M3A6中戦車」などと呼んでいたが、最終的には1942年2月17日に「M4A5中戦車」と呼ぶことを決定している。
ラム巡航戦車は車体機関銃を独立銃塔に装備するなどの古臭い部分もあったが、ベースとなったアメリカのM3中戦車に比べると装甲は厚く、6ポンド戦車砲を全周旋回式砲塔に装備し、全体のシルエットは低く抑えられているなど本質的な部分では決して劣っておらず、初の国産戦車としては完成度が高かったといえよう。
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<ラムMk.I巡航戦車>
全長: 5.79m
全幅: 2.87m
全高: 2.67m
全備重量: 29.0t
乗員: 5名
エンジン: ライトR-975-EC2 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン
最大出力: 400hp/2,400rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 233km
武装: 50口径2ポンド戦車砲×1 (181発)
7.62mm機関銃M1919A4×2 (2,960発)
装甲厚: 12.7〜76.2mm
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<ラムMk.II巡航戦車>
全長: 5.79m
全幅: 2.77m
全高: 2.67m
全備重量: 29.6t
乗員: 5名
エンジン: ライトR-975-C1 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン
最大出力: 400hp/2,400rpm
最大速度: 38.4km/h
航続距離: 233km
武装: 43口径6ポンド戦車砲Mk.IIIまたは50口径6ポンド戦車砲Mk.V×1 (92発)
7.62mm機関銃M1919A4×3 (4,440発)
装甲厚: 12.7〜76.2mm
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兵器諸元(ラムMk.I巡航戦車)
兵器諸元(ラムMk.II巡航戦車)
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<参考文献>
・「グランドパワー2020年1月号 M4シャーマン戦車シリーズ(2)」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2020年2月号 世界の無名戦車(西欧編)」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年11月号 ラム巡航戦車とバリエーション」 桑原敬 著 デルタ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「パンツァー2002年11月号 ラム vs クロムウェル巡航戦車」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年11月号 カナダ陸軍のラム中戦車」 真出好一 著 アルゴノート社
・「パンツァー2010年10月号 M3中戦車リー/グラント」 荒木雅也 著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年4月号 カンガルー装甲兵車小史」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2012年3月号 カナダ軍のラム巡航戦車」 竹内修 著 アルゴノート社
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画 ・「写真集 世界の無名戦車 西欧編」 齋木伸生 著 芬蘭堂
・「世界の無名戦車」 齋木伸生 著 三修社
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
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