42式15cm装甲自走ロケット弾発射機
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+開発
第2次世界大戦においてドイツ陸軍は当初、牽引型の41式15cmロケット弾発射機を運用していたが、続いてSd.Kfz.251装甲兵員輸送車に、より大型の28/32cmロケット弾発射機を載せて自走化した車両を製作した。
この車両は牽引型のロケット兵器に比べて汎用性が高かったため、ドイツ陸軍はより本格的な自走式ロケット兵器の開発に着手した。
検討の結果、ドイツ陸軍兵器局第6課は1943年初めにそのベース車台として、民生用3tトラックから開発された簡易型ハーフトラック「マウルティア」(Maultier:ラバ)を流用することを決め、チェコのブルノ兵器廠との間に41式15cmロケット弾発射機10門を搭載する装甲ボディの開発および生産契約を結んで、本格的な作業が開始された。
その一方で、ソ連軍から鹵獲したBM-8自走多連装ロケット・システムと82mmロケット弾GRS-82をコピーした車載型の8cmロケット兵器も製作され、同じ車体に載せて比較試験が行われている。
ドイツ陸軍はこの8cmロケット弾の搭載を推したのだが、アドルフ・ヒトラー総統の独断により、結局15cmロケット弾搭載型が生産されることになった。
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+試作車の構造
車台にはそのままマウルティアのものが流用され、架設された装甲ボディは前/側/後面8mm、上面6mm、上下に5門ずつを並列に並べた41式15cmロケット弾発射機のランチャーと、その砲架を載せる全周旋回式小砲塔が全周10mmとされ、1943年2月に完成した試作車ではSd.Kfz.251装甲兵員輸送車に酷似する、操縦室から戦闘室後面装甲板までを平面の上面装甲板で塞ぐというスタイルが採られていた。
操縦室の前面には、内側に防弾ガラスを収めた起倒式の鋳造製ヴァイザーが左右に備えられ、側面には細いスリットが開口されていた。
また、操縦室の直前にあたる機関室上面には空気排出用のダクトを設け、さらにダクトの前方にはヒンジ2カ所で前に開く台形の点検用ハッチが設けられた。
また装甲ボディの前面は上下に分割され、ラジエイターへの空気を導入するためにこの分割部分に段差を設けて開口部を配していた。
前部車輪から車体後方にかけてフェンダーが装着され、このフェンダーと上方に傾斜した戦闘室の側面装甲板の間にあたる側面部分を鋼板を用いて箱型に成型し、外側に3枚の蓋を取り付けることで内部を収容スペースとしていたのは、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車D型と同様である。
ただしこの試作車の登場時期の方が早いので、アイデアを踏襲したのはSd.Kfz.251装甲兵員輸送車D型ということになる。
操縦室の後方には左右開き式の弾薬再装填用ハッチを設け、その後方にあたる部分に上下5連装の15cmランチャーを取り付けた砲架と、それを載せる8角形の小砲塔が搭載された。
また前傾している車体後面の装甲板中央に、左開き式の乗降用ハッチを備えていた。
なお、完成した試作車には武装親衛隊の登録番号「SS214006」が記入されており、本車が当初、武装親衛隊向けの兵器として考えられていたことを示している。
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+生産型の構造
試作車の試験の結果などは明らかにはされていないが様々な問題が生じたようで、生産型では各部に大きな変更が加えられることになった。
まず車体前面装甲板は単純な1枚式に改められ、その中央に開閉式の縦型シャッター6枚を備えるダクトを設けて、ラジエイターへの空気量増大が図られた。
また操縦室の直前に設けられた空気排出用のダクトは、排出される熱気が操縦手の視界を妨げ、さらに車内温度の上昇に繋がると考えられたのか、機関室側面に台形の張り出し部を設けて、ここから車外に逃がすという方式に変更された。
加えて、上面に設けられた点検用ハッチは整備の便が悪かったようで、左右開き式で大型化された新しいものに換わった。
さらに操縦室前面部分までの装甲板接合方式が、リベットから溶接に変更されたことも相違点の1つである。
戦闘室部分のレイアウトは変わらないが、操縦室上面から戦闘室後面装甲板までを一体とした箱型構成では、ランチャーの位置が高過ぎて再装填の際の作業がやり難いと判断され、操縦室の後方で一段下げられた形状に改められた。
このために、操縦室部分が突出する形となる独特のスタイルを形成することになった。
傾斜した後面装甲板は変わらないが、中央に設けられた乗降用ハッチは左右開き式に変更され、その下方には左右それぞれ乗降用ステップが新設され、左側のステップには足掛けも設けられている。
さらに操縦室前面の鋳造製視察ヴァイザーは、同じく内部に防弾ガラスを備えるものの、より単純な1枚板に換わり、側面のスリットに代えて前面のヴァイザーの左右幅をやや縮めた視察ヴァイザーが装着された。
また操縦室の上面中央には、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車などのものを流用したと思われる対空機関銃架を備えていたが、これは試作車でも同様であった。
この改良された装甲ボディを備えた車両に、前述のBM-8自走多連装ロケット・システムをコピーした8cmロケット弾とランチャーを装備した車両が試作されているが、この試作車の操縦室後面は前方に傾斜してはおらず、直立した装甲板が用いられていた。
おそらくこの形状でまず改良試作車が製作され、試験の結果により生産型の操縦室後面装甲板を前方に傾斜させたものと推測される。
車体後方に搭載された41式15cmロケット弾発射機のランチャーは全周旋回が可能だったが、操縦室の後面装甲板に噴射ガスが直接当たることを避けて、射撃時には旋回角が270度に制限された。
また俯仰角は最大+80度とされたが、再装填の便を考慮して−12度まで俯角を与えることが可能だった。
上下に分けられた状態で5本ずつの15cmランチャーを装備したが、上下それぞれのランチャーは前方で内側どうしが固定ボルトで止められ、後方部分と砲架直後にランチャーを収める円形の開口部を設けた金属板を設けることで、ランチャー自体の剛性強化が図られていた。
ランチャーの後方には砲架が設けられて小砲塔と溶接で接合されたが、この砲架前方には戦闘室内から伸びる点火コードをそれぞれのランチャーに分けるボックスが装着されており、左側のボックス直前には小砲塔左側から突出した俯仰機構を収めるパイプから伸ばされた、くの字形の操作支柱が取り付けられていた。
また小砲塔の前面には左右開き式の視察用クラッペが設けられ、同様に側面と後面には視察用のスリットが開口されていた。
15cmロケット弾の射撃は、前方から見て左上から順に上方のランチャーが1、6、2、7、3番、下方のランチャーが8、4、9、5、10番の順で発射され、全弾の射撃には約17〜20秒を要したという。
乗員は操縦室内に操縦手と副操縦手兼無線手の2名が収まり、戦闘室内には装填手1名が配された。
右側の副操縦手席の前方にはf型無線機とそのラックが設けられ、戦闘室後方の内壁左右には15cmロケット弾のラックが前後に分けて配され、左右各10発ずつを収容した。
装甲化により戦闘重量は弾薬や燃料、乗員3名を収めた状態で8.5tと、通常の非装甲輸送型マウルティアよりも増大し、路上最大速度は40km/hに、航続距離は整地で130km、不整地で80kmとそれぞれ低下している。
しかし、それまで牽引型だった15cmロケット弾発射機を自走化した意義は極めて大きなものがあり、1944年春からは、5tハーフトラックSd.Kfz.6の後継として開発された、s.W.S.(Schwerer
Wehrmachtsschlepper:重国防軍牽引車)にベース車台を変更した改良型に生産が切り換えられた。
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+生産と派生型
本車の生産は1943年3月から開始され、4月には「42式15cm装甲自走ロケット弾発射機」(15cm Panzerwerfer 42 auf
Selbstfahrlafette)の制式呼称と、「Sd.Kfz.4/1」の特殊車両番号が与えられた生産型12両が引き渡された。
以後1943年5月に2両、6月に28両、7月に18両、8月に29両、9月に30両、10月に30両、11月に38両、12月に33両、1944年1月に30両、2月に30両、3月に20両の合計300両が完成し、1944年6月に後述する弾薬運搬車から20両が本車に改造されたというのがこれまでの通説となっていた。
しかし最新の資料によると、1944年8月1日の時点における装備数報告書において本車332両の装備が報告されており、生産型の登場から1年以上を経ていることからその期間内で損失が生じていることは間違いなく、とすると実際の生産数はこの通説よりも多いことは間違いない。
この42式15cm装甲自走ロケット弾発射機は兵器としては充分な能力を備えていたが、精度は今ひとつなものの短時間で大量の弾薬を送り込むというロケット兵器の性質を考えると、この20発という収容数では弾薬が少な過ぎるため、行動を共にする専用の弾薬運搬車も並行して生産された。
なおこの弾薬運搬車には制式呼称が用意されずに、「Sd.Kfz.4/1」という42式15cm装甲自走ロケット弾発射機と同じ特殊車両番号のままで運用されている。
この弾薬運搬車は基本的には42式15cm装甲自走ロケット弾発射機と同じ車両だが、戦闘室上面に15cmランチャーを搭載する小砲塔部分を載せている装甲板に換えて、開口部を持たない単純な装甲板に取り替えるという容易な変更で輸送車化された。
これから分かるように、開発当初から同一車体で武装型と輸送型を並行して生産することが考えられていたと推察できる。
戦闘室内には武装型と同じく左右内壁に10発ずつの弾薬を収めていたが、これに加えて中央部に10発の弾薬を収めるラックが新設され、合わせて30発の15cmロケット弾を収容できた。
この弾薬運搬車はこれまで289両が生産されたといわれてきたが、最新の資料によると300両が発注され、1943年6月に32両、7月に80両、8月に88両、9月に100両を完成させるというスケジュールが立てられていたもののそれは果たせずに、1943年10月に完成した46両を皮切りに11月に18両、12月に22両、1944年1月に54両、2月に7両、3月に7両の合計159両の生産に留まったという。
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<42式15cm装甲自走ロケット弾発射機>
全長: 6.00m
全幅: 2.20m
全高: 3.05m
全備重量: 8.5t
乗員: 3名
エンジン: オペル3.6リットル 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 68hp
最大速度: 40km/h
航続距離: 130km
武装: 10連装41式15cmロケット弾発射機×1 (20発)
7.92mm機関銃MG34またはMG42×1
装甲厚: 6〜10mm
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<参考文献>
・「グランドパワー2012年7月号 ドイツ軍の簡易型ハーフトラック ”マウルティア・シリーズ”」 箙浩一 著 ガリレ
オ出版
・「グランドパワー2010年9月号 3tハーフトラック Sd.kfz.11の派生型」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年10月号 ドイツ軍ロケット兵器のメカニズム」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2011年5月号 5tハーフトラック Sd.kfz.6 & s.W.S.」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2004年8月号 ドイツ軍ロケット兵器」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.4 火砲、ロケット兵器:1939〜45」 稲田美秋/箙浩一 共著 ガリレ
オ出版
・「パンツァー2004年3月号 戦場を支えたドイツの’ラバ’ マウルティア」 宗村明 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年5月号 Sdkfz.4/1 パンツァーヴェルファー42」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2012年8月号 ドイツAFVアルバム(368)」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
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