試製超重戦車 オイ
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+開発
日本陸軍は、1939年5〜9月にかけて満州-外モンゴル国境でソ連軍戦車部隊と武力衝突したノモンハン事件(ハルハ川戦役)の戦訓などから、150tという破格の大重量の超重戦車の開発を計画した。
この計画は、陸軍省の岩畔豪雄大佐が正規の手続きを踏まずに独断で進めたといわれており、1941年4月に陸軍から三菱重工業に試作車の製作が発注された。
この超重戦車は分解して戦線後方まで搬送し、そこで結合し完成させるというコンセプトを採用しており、戦場に絶対的威力の移動要塞を不意に出現させることを夢見たものであった。
本車の陸軍における秘匿呼称は「大きいイ号車」を意味する「オイ車」であり、設計を担当した三菱重工業東京機器製作所の社員の間では社名の頭文字を採って「ミト車」と呼ばれたという。
なお従来の説では、日本陸軍が開発した超重戦車にはいわゆる「100t戦車」と呼ばれる車両と、「オイ車」もしくは「120t戦車」と呼ばれる車両の2種類が存在したといわれてきたが、この2種類の車両には非常に類似点が多く、また国力の乏しい当時の日本に超重戦車を2種類も開発する余裕は無かったと見られることから、実際には100t戦車とオイ車は同一の車両であったとする説が最近有力になっている。
オイ車の全体のレイアウトはイギリス軍のA1E1インディペンデント重戦車や、それに影響を受けたソ連軍のT-35重戦車と同様に、車体中央部に主砲塔を備えその周囲に副砲塔を配するという旧来の陸上戦艦の発想を踏襲したものであったが、それらの多砲塔戦車に比べてかなり装甲が厚く、砲塔の周囲と車体前面で200mmに達する重装甲が施された。
オイ車の主砲には、従来の説では九二式十糎加農砲を改修して戦車砲としたものが採用されたといわれていたが、最近の説では九六式十五糎榴弾砲の改修型を主砲塔に装備する予定であったとされている。
一方副砲には、九七式中戦車改(新砲塔チハ車)や一式中戦車(チヘ車)の主砲である一式四十七粍戦車砲が採用され、前方の2基の副砲塔に装備された。
さらに後方の副砲塔には、歩兵制圧用に九七式車載重機関銃(口径7.7mm)を連装で装備した。
オイ車は用兵側の強い要望によって開発が進められた兵器であったが、「奇襲兵器」の名の下に秘密扱いとされたため、事前に運用上の検討も技術的な創意も加えられなかったという。
1942年4月にオイ車の車体のみが完成して相模造兵廠で運行試験が実施されたが、従来型式の単純な拡大版では変速・操向機もサスペンションもその車体重量に対応できないことが判明した。
また道路の破損が甚だしいため完成させる価値が無いと判断され、開発計画は中止されてしまった。
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+攻撃力
オイ車の主砲の原型となった九六式十五糎榴弾砲は、太平洋戦争における日本陸軍の主力重榴弾砲であり、口径149.1mm、23.6口径長、最大射程11,900mであった。
装甲貫徹力については、本砲を鹵獲したアメリカ軍による射撃試験において一式徹甲弾を使用した場合、射距離500ヤード(457m)で4.7インチ(119.38mm)、1,000ヤード(914m)で4インチ(101.6mm)という記録が残っており、M4中戦車を遠距離から撃破できる威力を備えていた。
一方、副砲として装備された一式四十七粍戦車砲の装甲貫徹力は、一式徹甲弾を使用した場合射距離500mで65mm、1,000mで50mmとなっており、M4中戦車に対してはやや非力であったが、オイ車の主砲は威力が高い反面発射速度が遅いため、対戦車戦闘では発射速度の高い副砲を積極的に活用することを想定していたと考えられる。
ソ連軍が多砲塔のT-35重戦車を運用する際にも、対戦車戦闘には発射速度の高い副砲の45mm戦車砲を主力火器として用い、主砲の76.2mm戦車砲は主に榴弾による敵歩兵・陣地攻撃に用いられた。
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+防御力
オイ車の装甲厚は砲塔が前/側/後面200mm、車体が前面200mm、側面35mm(+75mmのサイドスカート)、後面150mm、上面30mm、下面20mmとなっており、日本軍が開発した戦闘車両としては最高レベルの重装甲を誇っていた。
ただしこの重装甲のためにオイ車は戦闘重量が150tにも達し、機動性が著しく劣悪になってしまったのは大きな問題であった。
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+機動力
オイ車のサスペンションは、日本軍戦車の標準スタイルであるシーソー式サスペンションを応用した拡大版が採用された。
これはコイル・スプリング(螺旋ばね)を垂直に配置し、スプリングの左右に置かれた2輪1組の転輪ボギー2組に接続されたそれぞれのスウィングアームの一端に連結されたロッドに、スプリングの上下を引っ張られる形で圧縮される構造になっていた。
オイ車のエンジンは、五式中戦車(チリ車)にも搭載されたドイツのBMW社(Bayerische Motoren Werke:バイエルン発動機製作所)製の航空機用V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力550hp)が2基搭載され、合わせて1,100hpの出力を得ていた。
しかし、戦闘重量150tに達するオイ車を機動させるにはこのエンジンでもまだ出力不足であった。
大重量に対応するため、オイ車の履帯は幅760mmという非常に幅の広いものが使用されていた。
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<試製超重戦車 オイ>
全長: 10.00m
全幅: 4.20m
全高: 4.00m
全備重量: 150.0t
乗員: 11名
エンジン: 九八式 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン×2
最大出力: 1,100hp/1,500rpm
最大速度: 25km/h
航続距離:
武装: 23.6口径15cm榴弾砲×1
一式48口径47mm戦車砲×2
九七式車載7.7mm重機関銃×3
装甲厚: 20〜200mm
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兵器諸元(試製100t戦車)
兵器諸元(試製超重戦車 オイ)
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<参考文献>
・「パンツァー2015年9月号 WORLD of TANKSの実像に迫る 「オイ車」「八九式中戦車」登場」 深川孝行 著
アルゴノート社
・「パンツァー2006年7月号 各国多砲塔戦車の歴史 日本編」 柘植優介 著 アルゴノート社
・「日本の戦車と装甲車輌」 アルゴノート社 ・「なんでこうなった!? 誰が考えた!? 世界の珍兵器大全」 ストロー=クーゲルスタイン 著 KADOKAWA
・「世界の戦車イラストレイテッド40 第二次大戦の超重戦車」 ケネス・W・エステス 著 大日本絵画
・「日本軍戦闘車両大全 装軌および装甲車両のすべて」 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
・「日本軍兵器総覧(一) 帝国陸軍編 昭和十二年〜二十年」 デルタ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」 デルタ出版
・「日本の重戦車 150トン戦車に至る巨龍たちの足跡」 カマド ・「日本と世界の珍兵器大図鑑」 ダイアプレス
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