NI戦車(オデッサ戦車)
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STZ-5装軌式牽引車
NI戦車(オデッサ戦車)
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+開発
1941年6月22日にドイツ軍はソ連侵攻作戦(Unternehmen Barbarossa:バルバロッサ作戦)を発動させ、バルト海から黒海に至る独ソ国境に北方、中央、南方の3個軍集団320万人の兵力を展開した。
その主力はレニングラード(現サンクトペテルブルク)に向かう北方軍集団と、首都モスクワに向かう中央軍集団であったが、南方軍集団も決して侮れない戦力を持っていた。
南方軍集団の戦区にあった黒海沿岸の港町オデッサは、バルバロッサ作戦ではドイツの同盟国ルーマニア軍に与えられた攻撃目標だった。
ルーマニアは開戦前、ソ連にモルドヴァを奪われていた。
そのためソ連に対する敵愾心と領土回復の野望から、ドイツと同盟して対ソ戦に参加したのである。
ドイツはさらにルーマニアの歓心を買うため、モルドヴァの回復だけでなくオデッサを含むドニエストル川東岸、トランスニストリアを与えることを約束していた。
ルーマニア国境ではソ連軍が先に攻勢を取り、ルーマニア軍は再編制の時間を必要とした。
そのため、ルーマニア軍が国境のプルート川を渡って攻勢に乗り出したのは1941年7月2〜3日の夜のことだった。
ルーマニア第4軍は8月初めにオデッサへの攻撃を開始し、8月10日にはオデッサは包囲された。
こうした状況下で10月革命工場のP.K.ロマノフは、手元に残された牽引車や路面電車を改造して装甲を施し、急造戦車に改造することを提案した。
路面電車の改造案は却下されたが牽引車改造案が採用され、3両のSTZ-5装軌式牽引車が改造された。
STZ-5牽引車は、自動車牽引車科学研究所(NATI)が開発したSTZ-3農業用牽引車の軍用バージョンで、独ソ開戦前にすでに7,000両が完成していたといわれ、当時最も広範に用いられていた軍用牽引車であった。
当時のオデッサにどのくらいの数が配備されていたのかは不明だが、100両単位が存在したとしても不思議ではない。
STZ-5牽引車から戦車への改造要領は、極めて簡単なものであった。
牽引車の車体そのものにはほとんど手は加えられておらず、その上に被せるように装甲板が取り付けられていた。
ただし正規の装甲板は入手できないのでボイラー用鉄板で代用し、小火器弾への耐弾性を増すため木材やゴム板を鉄板でサンドイッチした構造となっていた。
車体形状は定まったものであったかどうか不明だが、ほぼ四角い箱で前方ラジエイター部分がわずかに突き出し、空気流入用のスリットが開けられていた。
操縦室部分は乗員の頭部が収まるよう左右が上に張り出しており、車体中央部に武装を装備した砲塔が搭載された。
武装は3両でそれぞれ異なり、あるものはT-26軽戦車1931年型が2基搭載する7.62mm空冷機関銃DT装備の機関銃塔の1基を搭載していた。
別のものはこれも急造された砲塔に19口径37mm塹壕砲M1915を、そしてもう1つはやはり急造砲塔に46口径45mm対戦車砲19Kを装備していたという。
この急造戦車はそれなりに有効と評価されたらしく、1941年8〜10月にかけて総計68両が生産された。
これらの戦車は最終的に、「NI戦車」と呼ばれることになった(オデッサで作られたことから一般的に「オデッサ戦車」と呼ばれることも多い)。
「NI」(キリル文字では「НИ」)とは、ロシア語で「驚かせるためのもの」を意味する「Naispug」の略語であり、NI戦車は「びっくり戦車」といった意味合いになる。
これらがNI戦車の最初の3種類のバリエーションなのかどうか、何せ急造戦車なので分かりようが無い。
むしろ1つ1つ手作りで、仕様は車両毎にバラバラであったと考える方が論理的であろう。
NI戦車は装甲防御力は期待されたよりはるかに劣っていたが、ルーマニア軍歩兵相手には予想外に効果的であった。
ろくな対戦車火器を持たないルーマニア軍にとっては、小火器弾に対する防御力を備えているだけでもNI戦車は厄介な存在だったのである。
なおソ連軍はNI戦車を運用するにあたって、実際の戦闘で使うよりも夜間などに前線後方で陽動的に動き回らせることが多かった。
そしてその騒音と見慣れないシルエットで、ルーマニア軍を疑心暗鬼にさせたという。
まさに名前通り相手を威嚇する「びっくり戦車」として活動したのであるが、実際の戦闘力は大したことない車両なのでそれが正しい使い方だったのであろう。
それを証明するように、ルーマニア軍はこの不気味な車両を積極的に攻撃しようとしなかったため、NI戦車のかなりの数がオデッサ包囲の激烈な戦闘を生き残ったという。
オデッサ陥落後、NI戦車の多くがルーマニア軍に接収されたが、1942年11月のルーマニア軍の稼働ソ連戦車のリストには、14両のNI戦車が記載されていたという。
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+構造
前述のように、NI戦車はSTZ-5装軌式牽引車を改造して製作された。
STZ-5牽引車は前方エンジンにキャブオーバー型の操縦室を持ち、車体後部がオープンの荷台となっていた。
本車は前方に誘導輪、後方に起動輪を持つリアドライブ式の装軌式車両で、ゴム縁の付いた片側4個の転輪と2個の上部支持輪で走行装置を構成していた。
転輪は2個ずつペアにして横置きコイル・スプリング(螺旋ばね)で懸架してユニットとし、それを2組アームで連結してサスペンションを構成していた。
STZ-5牽引車からNI戦車への改造要領は極めて簡単で、牽引車の車体そのものにはほとんど手は加えられておらず、その上に張りぼてを被せるように装甲板が取り付けられていた。
車体形状は定まったものであったかどうか不明だが、ほぼ四角い箱で前方ラジエイター部分がわずかに突き出し、空気流入用のスリットが開けられていた。
操縦室部分は乗員の頭部が収まるよう左右が上に張り出しており、車体中央部に武装を装備した砲塔が搭載された。
武装は車両によってまちまちで、現地で調達された様々なソ連軍火器が搭載された。
搭載火器は7.62mm機関銃DTが最も多かったようだが、37mm塹壕砲M1915や45mm対戦車砲19Kを装備したNI戦車も存在した。
車体後部はクリアランスのため、左右が斜めに削ぎ落されていた。
最後部には張り出しが設けられていたが、雑具箱かあるいは内部機器のクリアランスのためのものと思われる。
車体後部下側には、予備転輪が2個装着されていた。
NI戦車のエンジンは、STZ-5牽引車に搭載されていた1MA 4ストローク直列4気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量7,460cc、出力52hp)がそのまま用いられた。
なお資料によっては、本車のエンジンはガソリンではなく灯油を燃料にしていたと記述している。
それによると1MAエンジンの始動は手動のハンドルで行い、始動のためには始動用タンクがあって、そこにはガソリンが使われたという。
燃料搭載量は主燃料の灯油が170リットルで、始動用のガソリンは9リットルであった。
搭載燃料での航続距離は、整地で140kmとなっていた。
変速機は前進5段/後進1段で、直接後部車体フレームに取り付けられていた。
主クラッチは、単板式乾式であった。
操向機はクラッチ・ブレーキ式で、操縦手は操向レバーを操作して操縦する。
電力は単線式で電圧は6.5V、電力源として出力60WのG-32発電機を搭載していたが、無線機は搭載していなかった。
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<NI戦車(オデッサ戦車)>
全長: 4.30m
全幅: 2.30m
全高: 3.00m
全備重量: 7.0t
乗員: 2〜3名
エンジン: 1MA 4ストローク直列4気筒液冷ガソリン
最大出力: 52hp/1,250rpm
最大速度: 29km/h
航続距離: 140km
武装: 46口径45mm対戦車砲19Kまたは19口径37mm塹壕砲M1915または7.62mm機関銃DT×1
装甲厚: 10〜20mm
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<参考文献>
・「パンツァー2000年4月号 包囲下で急造されたソ連のオデッサ戦車」 水上眞澄 著 アルゴノート社
・「戦闘車輌大百科」 アルゴノート社
・「グランドパワー2021年6月号 路傍のソ連軍戦闘車輌(1)」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2021年6月号 ソ連軍軽自走砲(1)」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(上)」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「ソ連・ロシア軍 装甲戦闘車両クロニクル」 ホビージャパン
・「世界の戦車パーフェクトBOOK 最新版」 コスミック出版
・「世界の無名戦車」 齋木伸生 著 三修社
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