+概要
1940年5〜6月のフランスにおける対独戦で、Ju87「シュトゥーカ」に代表される航空機による地上部隊の直協支援の威力を見せ付けられたイギリス陸軍は、すぐさま自走式対空兵器の開発に着手した。
1940年中に軽戦車Mk.Vをベースとした対空戦車が2両試作されたが、この内1両は軽戦車Mk.Vの砲塔を撤去して、BSA社(Birmingham
Small Arms:バーミンガム小火器製作所)がライセンス生産した、チェコのブルノ工廠製の15mm重機関銃ZB-60を連装で装備する簡素な車両であった。
もう1両の試作車は、イギリス空軍の複座戦闘機「デファイアント」に搭載されていた、ウルヴァーハンプトンのボールトン・ポール航空機製の、7.7mm4連装機関銃を備えた動力旋回式銃塔を装備する凝った造りの車両であった。
結局、軽戦車Mk.Vをベースとしたこれらの対空戦車は試験結果が芳しくなかったため採用には至らなかったが、ドイツが増援を送った1941年2月以降北アフリカ戦線の戦局が悪化したため、イギリス陸軍は軽戦車Mk.VIをベースとした対空戦車を急遽製造して北アフリカに送ることを決定した。
すでに軽戦車Mk.Vを用いて対空戦車を開発する経験を積んでいたため、軽戦車Mk.VIベースの対空戦車は異例の速さで完成させることができた。
最初に実用化された対空戦車Mk.Iは軽戦車Mk.VIの砲塔を撤去し、戦闘室上部に箱形の構造物を設け、その上に7.92mmベサ機関銃(ブルノ工廠製の7.92mm機関銃ZB-53をBSA社でライセンス生産したもの)4挺を並列に装備した、オープントップ式の銃塔を搭載していた。
続いて実用化された対空戦車Mk.IIでは、銃塔が背の高いやや大型のものに変更されたが、それ以外の部分は対空戦車Mk.Iと同一であった。
対空戦車Mk.I/Mk.IIは合計で60両程度が軽戦車Mk.VIから改造され、1941年末頃から北アフリカ戦線に投入されたが、主武装の7.92mmベサ機関銃は速射性能こそ優れていたものの、威力と射程は充分とはいえず、目立った活躍の無いまま大多数がアフリカの砂漠でその生涯を終えたと見られている。
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