歩兵戦車Mk.IVチャーチル (A22)
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+開発
1939年9月1日、ドイツ軍の「ポーランド侵攻作戦」(Unternehmen Weiß:白作戦)の発動により第2次世界大戦が勃発したが、イギリス陸軍はドイツ軍との戦闘で第1次世界大戦と同様な塹壕戦が発生すると見越し、同月にマティルダII歩兵戦車の後継として低速で窪みや塹壕を超えることができ、当時の対戦車砲に耐えうる重装甲を施した突破戦車のような新型歩兵戦車「A20」の開発を、ベルファストのHWHI社(Harland
& Wolff Heavy Industries:ハーランド&ウォルフ重工業)に命じた。
A20歩兵戦車の当初の要求仕様は、まさに第1次世界大戦時の菱形戦車そのものだった。
履帯は車体全面を取り巻き、しかも超壕用の材木が取り付けられるように履帯にはフェンダーが取り付けられていなかった。
乗員はなんと7名で、武装は車体左右側面に設けられたスポンソン(張り出し砲座)に2ポンド(40mm)戦車砲と機関銃が装備されることになっていた。
1940年6月にはA20歩兵戦車の2両の試作車が完成し様々な試験が行われたが、変速・操向機のトラブルに悩まされ結局不採用ということになってしまった。
ところが折しも、ヨーロッパ大陸に派遣されていたイギリス軍がフランスに侵攻してきたドイツ軍に惨敗し、ほとんどの装備を放棄して命からがらダンケルクから撤退してきた。
これによってようやくイギリスの危機感も決定的なものとなり、国土防衛の機運が高まってきた。
そういった折、アメリカのジェネラル・モータース社の傘下にあったルートンのヴォクソール自動車が、A20歩兵戦車の改良計画をイギリス戦争省に提案している。
提案によるとA20歩兵戦車の規模を少し小さくして車重を軽くし、変速・操向機に掛かる負担を軽くして従来のトラブルに対応すると共に、量産が早期に開始できるようにするというものであった。
ヴォクソール自動車で若干の設計変更を施されたA20歩兵戦車には新たに「A22」の開発番号が与えられ、早くも1940年11月には「歩兵戦車Mk.IV」(Infantry
Mk.IV)としてイギリス陸軍に制式採用され、500両の生産が発注された。
A22歩兵戦車の量産はヴォクソール自動車を中心に、9社で組まれたプロジェクトチームで実施されることとなった。
時のイギリス首相であったウィンストン・L・S・チャーチルは1941年2月に、「A22歩兵戦車は他の戦車に比べて性能が優秀であるから生産を最優先せよ」と指示した。
同年6月にはA22歩兵戦車の最初の生産型14両が引き渡され、この戦車の推進役として大きな役割を果たした首相に因んで「チャーチル」(Churchill)の愛称が与えられた。
チャーチル歩兵戦車の外観は菱形戦車に砲塔を搭載したような形で、超壕性の要求のせいで全長が長く、それに比べると全幅が狭かった。
車体は防弾鋼板をリベットまたはボルトで接合して作られており、装甲厚は最大4インチ(101.6mm)と群を抜いた強力さであった。
イギリス戦車にしては珍しく車体の左右側面に脱出用ハッチが設けられていたが、これは原型となったA20歩兵戦車に設けられていたスポンソンの名残である。
武装は鋳造砲塔に50口径2ポンド戦車砲と7.92mmベサ空冷機関銃、車体前面に25口径3インチ(76.2mm)榴弾砲を装備していた。
当時2ポンド戦車砲には榴弾が用意されていなかったので、この組み合わせはチャーチル歩兵戦車に装甲貫徹力と榴弾能力の両方を与えることになった。
エンジンは、ヴォクソール自動車の子会社であるルートンのベッドフォード車両製の水平対向12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力350hp)を搭載していたが、これはトラック用の直列6気筒液冷ガソリン・エンジン2基を連結したものだった。
このエンジンは容積と重量の割には出力は低く調整が難しく、チャーチル歩兵戦車のエンジンの信頼性はイギリス戦車の中でも最低であったといわれるが、車載状態でのトルクが大きく、実戦ではしばしば敵の裏を掻く登坂力を示した。
チャーチル歩兵戦車の最大速度は路上で15.5マイル(24.94km)/h、路外で8マイル(12.87km)/hであった。
サスペンションは11組の2列に並んだ小型転輪をコイル・スプリング(螺旋ばね)で独立懸架しており、それぞれが別個のユニットとして整備・交換が可能であった。
またチャーチル歩兵戦車の操縦装置は、例を見ないハンドルバー式であった。
これは、ハダーズフィールドのデイヴィッド・ブラウン社製のメリット・ブラウン変速・操向機(前進4段/後進1段)と組み合わされて、超信地旋回を可能としていた。
チャーチル歩兵戦車はすでに原型が存在していたとはいえ、開発を急いだために初期の生産型には非常に多くのトラブルが発生している。
1942~43年にかけてはこれらのトラブルの原因究明や手直しに時間が消費されており、初の実戦参加は1942年8月19日に実施された「ディエップ上陸作戦」(Operation
Jubilee:五十年祭作戦)となった。
結局この作戦は失敗に終わり、投入された30両のチャーチル歩兵戦車は全て失われている。
その後はイギリス本国で熟成が進められ1942年10月には北アフリカ戦線に送られ、その後イタリア、ノルマンディーと転戦してゆく。
一時は、イギリス陸軍の3個機甲旅団がチャーチル歩兵戦車を装備していた。
任務は歩兵戦車本来の歩兵支援で、対戦車戦闘に投入されることはほとんど無かった。
開発初期こそトラブルの多発したチャーチル歩兵戦車であったが、戦時中にも関わらず熟成期間を比較的長く取ることができたため、結果として最も成功した歩兵戦車となった。
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+型式
チャーチル歩兵戦車は、全部で8型式が生産された。
最初の生産型であるMk.Iは鋳造砲塔に2ポンド戦車砲、車体に3インチ榴弾砲を装備しており、ディエップ上陸作戦とチュニジアで実戦に参加した。
さらにわずかな数が1944年、イタリアでの「ゴシック・ライン突破作戦」に参加している。
Mk.II(Mk.IAと呼ばれることもある)は、車体の武装を3インチ榴弾砲から7.92mmベサ機関銃に変更したもので、1,127両が生産された。
Mk.II CS(Close Support:近接支援)は砲塔に3インチ榴弾砲、車体に2ポンド戦車砲を装備して近接支援能力の向上を図ったものだが、数両の製作に留まった。
1942年3月に登場したMk.IIIは、特徴的な角張った溶接砲塔に43口径6ポンド(57mm)戦車砲Mk.IIIを装備していた。
このMk.IIIでチャーチル歩兵戦車の副武装は、砲塔と車体の7.92mmベサ機関銃各1挺に確定した。
またそれまでは剥き出しであった履帯に、フェンダーが装着されるようになった。
1942年中頃に登場したMk.IVでは砲塔は再び鋳造製に戻ったが、主砲は同じく6ポンド戦車砲である。
後期生産車の一部は50口径6ポンド戦車砲Mk.Vを装備したが、これは砲口に装着された平衡錘で簡単に識別可能である。
Mk.Vは18.7口径95mm榴弾砲を装備したCSタイプで、砲口に平衡錘を装着していた。
これはトーチカ、掩蔽壕、建造物を相手とした戦闘で中隊の攻撃能力を高めるためにあった。
チャーチル歩兵戦車の全生産数の1割が、このCSタイプに充てられた。
1943年1月に登場したMk.VIは、イギリス製の砲口制退機付きの36.5口径75mm戦車砲を装備した最初のチャーチルである。
それ以外の点では、Mk.IVとほぼ同じである。
実際には、Mk.IVから改修されたものも多かった。
Mk.VIIはやはり75mm戦車砲を装備していたが、最大装甲厚を従来の4インチから6インチ(152.4mm)に強化したことで防御力が一新された。
装甲の強化と車幅が若干拡げられたことにより戦闘重量は40tに達し、路上最大速度は12.5マイル(20.12km)/hに低下した。
車体側面の脱出用ハッチは、それまでの角形から円形へと変更されている。
Mk.VIIの砲塔は新設計のもので、鋳造と溶接の併用式であった。
車長用には背の低いキューポラと、ブレイド式の直接照準機が与えられていた。
だがMk.III~Mk.VIで弾片の咬み込みが生じて問題となった、砲塔前面の四角く窪んだ防盾部はMk.VIIでもそのままであった。
後には開口部の左右両端が分厚く盛り上げられて、この対策とされている。
Mk.VIIIはMk.VIIのCSタイプで、Mk.Vと同じく95mm榴弾砲を装備していた。
これに加えて旧型車両を最新仕様に強化するための、幾つもの改修プログラムが施行された。
Mk.IIIおよびMk.IVの車体に増加装甲を加えてMk.VII仕様としたものはMk.IX、同様にMk.VIの装甲強化車体にMk.VIIの砲塔を載せたものはMk.Xとなった。
さらに、Mk.Vの装甲強化車体にMk.VIIIの砲塔を載せたものはMk.XIとされた。
これらの改修はさらに旧型砲塔で主砲だけを換装したもの、車長用キューポラのみの装着改修など様々なヴァリエーションがある。
これら各型以外にも火焔放射戦車「クロコダイル」(Crocodile:クロコダイル科に属するワニ類の総称)、装甲工兵車AVRE、戦車回収車AVR、架橋戦車ARKなどが数タイプずつ作られている他、数多くの特殊車両がチャーチル歩兵戦車をベースに開発されており、総生産数はヴァレンタイン歩兵戦車に次ぐ5,640両に達している。
チャーチル歩兵戦車は戦後も1950年に勃発した朝鮮戦争で使用され、1965年まで実戦部隊に配備されていた。
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<チャーチルMk.I歩兵戦車>
全長: 7.442m
全幅: 3.251m
全高: 2.489m
全備重量: 38.0t
乗員: 5名
エンジン: ベッドフォード 4ストローク水平対向12気筒液冷ガソリン
最大出力: 325hp/2,200rpm
最大速度: 24.94km/h
航続距離: 193km
武装: 50口径2ポンド戦車砲×1 (150発)
25口径3インチ榴弾砲×1 (58発)
7.92mmベサ機関銃×1 (4,950発)
装甲厚: 15.24~101.6mm
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<チャーチルMk.IV歩兵戦車>
全長: 7.442m
全幅: 3.251m
全高: 2.489m
全備重量: 39.626t
乗員: 5名
エンジン: ベッドフォード 4ストローク水平対向12気筒液冷ガソリン
最大出力: 350hp/2,200rpm
最大速度: 24.94km/h
航続距離: 193km
武装: 43口径6ポンド戦車砲Mk.IIIまたは50口径6ポンド戦車砲Mk.V×1 (84発)
7.92mmベサ機関銃×2 (6,925発)
装甲厚: 15.24~101.6mm
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<チャーチルMk.VII歩兵戦車>
全長: 7.442m
全幅: 3.251m
全高: 2.743m
全備重量: 40.643t
乗員: 5名
エンジン: ベッドフォード 4ストローク水平対向12気筒液冷ガソリン
最大出力: 350hp/2,200rpm
最大速度: 20.12km/h
航続距離: 193km
武装: 36.5口径75mm戦車砲×1 (84発)
7.92mmベサ機関銃×2 (6,975発)
装甲厚: 19.05~152.4mm
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兵器諸元(チャーチルMk.I歩兵戦車)
兵器諸元(チャーチルMk.III歩兵戦車 初期型)
兵器諸元(チャーチルMk.III歩兵戦車 後期型)
兵器諸元(チャーチルMk.IV歩兵戦車)
兵器諸元(チャーチルMk.V歩兵戦車)
兵器諸元(チャーチルMk.VII歩兵戦車)
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<参考文献>
・「パンツァー2003年1月号 イギリス陸軍チャーチル重戦車 その開発とバリエーション」 白石光 著 アルゴ
ノート社
・「パンツァー2001年6月号 チャーチル重戦車 インアクション」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2018年1月号 歩兵戦車チャーチルMk.I/II」 吉村誠 著 アルゴノート社
・「パンツァー2018年2月号 歩兵戦車チャーチルMk.III/IV」 吉村誠 著 アルゴノート社
・「世界の戦車イラストレイテッド3 チャーチル歩兵戦車 1941~1951」 ブライアン・ペレット 著 大日本絵画
・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「グランドパワー2011年8月号 チャーチル歩兵戦車の特殊バリエーション」 白石光 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2020年7月号 イギリス歩兵戦車発達史」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2016年12月号 チャーチルの開発と構造」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年2月号 チャーチルの派生型」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2011年4月号 チャーチル歩兵戦車」 白石光 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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