巡航戦車Mk.III (A13)
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+概要
巡航戦車Mk.IIIの開発のきっかけとなったのは、1936年9月にモスクワで実施されたソ連軍の大演習を見学したイギリス陸軍のA.P.ウェーベル少将の報告からであった。
彼がモスクワで見たものは演習場を縦横無尽に走り回るBT快速戦車で、これがアメリカのクリスティー戦車をベースに開発されたものであることが彼のその後の報告で明らかになった。
これらの報告を受けた当時の機械化局長補佐であったジファード・L・Q・マーテル陸軍少将は、この戦車こそイギリス陸軍が必要としている戦車であることを確信し、機械化局長(ジョン・V・カーデン准男爵は1935年12月に航空機事故によって死亡、後任はA.E.デイヴィッドソン陸軍少将)並びに、造兵局長であったヒュー・エリス陸軍大将が進めていた歩兵戦車計画に抵触することとなっても、クリスティー戦車をイギリス陸軍に導入するつもりであった。
また、ソ連軍がBT快速戦車に航空機用エンジンを搭載していることに感銘を抱いたマーテルは、イギリス陸軍のクリスティー戦車にも航空機用エンジンを搭載することを企図し、イギリス空軍が必要としなくなったアクトンのD.ネイピア&サン社製の「ライオン」(Lion)航空機用W型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力500hp)を600基準備した。
しかし1936年10月には、この案は費用が掛かり過ぎるとして却下されている。
これによって焦ったマーテルはソ連からBT快速戦車を購入することも考慮したが、さすがにこれはあきらめた。
結局マーテルは、BT快速戦車の原型となったクリスティー戦車の設計者であるアメリカ・ニュージャージー州ローウェイのUSWTL社(U.S. Wheel
Track Layer:合衆国装輪・装軌車両製作所)の社長、ジョン・ウォルター・クリスティー技師に直接コンタクトを取ることにした。
クリスティー戦車は3両製作されており、1両目はアメリカ政府によって買い上げられたがその後の開発は途絶しており、2両目はソ連政府に買い上げられこれがBT快速戦車に発展した。
ライオン・エンジンを戦車用に転用する案が否決された1936年10月、機械化局長補佐(装輪式車両)のクロフォード陸軍中佐の提案により、マーテルはナフィールド協会に対しクリスティーに対するアプローチと、フィルムを含む資料および残された3両目のクリスティー戦車の購入を要請している。
この接触に対するクリスティーの回答は本人から直接電話でイギリス戦争省に入り、話は順調に進展しクリスティー戦車はニューヨーク港で船積みまでされ、輸出はスムーズに進展するかに見えた。
しかしこの戦車は、交渉がまとまる直前に借金の抵当に入ってしまっていたのである。
戦争省はこの抵当権を買い上げようやく輸出まで漕ぎ着けたが、今度はアメリカ政府当局者から横槍が入り、クリスティー戦車は軍事機密であるとして輸出許可が取り消されてしまった。
そこでイギリス側は一計を案じ、「農業用トラクター」としてようやく輸出申請許可を取り付けている。
それでも最終的には各部品は船積みの際バラバラにされ、木箱には「グレープ・フルーツ」のラベルが貼られて偽装されたという。
こうした様々な紆余曲折を経て、1936年11月17日にようやくクリスティー戦車は機械化戦争研究所に運び込まれ、11月20日には戦争省でカウリーのモリス自動車の社長であるナフィールド卿(ウィリアム・R・モリス男爵(後の子爵))との会合が開催されている。
ナフィールド卿はすでにクリスティー戦車に関するパテントと、車両の開発に関する権利を買い取っていた。
また1935年にNMA社(Nuffield Mechanizations and Aero:ナフィールド機械・航空産業)という会社を立ち上げており、新設された工場ではクリスティー戦車を国産化した新型中戦車の製作が実施されることになっていた。
なおこの年にイギリス陸軍が戦車の分類方法を変更したため、この戦車は「中戦車」(Medium Tank)から「巡航戦車」(Cruiser Tank)にカテゴリーが変更されることになった。
1936~37年にかけての冬は、輸入したクリスティー戦車のトライアル(性能評価試験)が実施されている。
このトライアルの結果戦争省の機械化戦争小委員会が出した答申によると、クリスティー戦車には必要に応じた再設計が必要で、具体的には砲塔に2ポンド戦車砲を搭載することと5~6インチ車幅を拡げること、もう10インチ全長を延ばし車高を5インチ高くすること等、変更点が細かく指摘されている。
実際オリジナルのクリスティー戦車が搭載していた砲塔は1名用で、装備していた武装も機関銃1挺のみであった。
それらの指摘以外は戦争省の面々も納得したようで、このトライアルでクリスティー戦車は80km/hの路上最大速度を記録し、その走行性能を遺憾なく発揮している。
これらの結果、ナフィールド卿はいよいよ新型巡航戦車の開発に確信を持った。
クリスティー戦車を国産化した新型巡航戦車には「A13」の開発番号が与えられ、1937年1月には早くも2両の試作車の設計がNMA社で完了している。
オリジナルから変更されていた点は、基本装甲厚を14mmとしたため重量が2t増加し12tとなったことや、エンジンおよび点火系、燃料ポンプの更新等で履帯は新たに設計されたものになり、クラッチやブレーキ、配管類も新たに設計し直されている。
また、オリジナルでは履帯を取り外して転輪だけで高速走行が可能なように設計されていたが、A13巡航戦車では装輪走行機構は採用されていない。
これは、故障に対するリスクを最小限に抑えようとしたためと思われる。
この点ソ連軍のBT快速戦車は原型に忠実で、最終型に至るまでも装輪走行は可能となっていた。
エンジンはオリジナルのクリスティー戦車には、第1次世界大戦で航空機用エンジンとして開発されたアメリカ製の「リバティー」(Liberty:自由)V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力340hp)が搭載されていたが、NMA社ではこのエンジンのライセンス権も買い取って生産することにした。
1937年末にはNMA社の工場がバーミンガムに設立され、技術者たちはモリス自動車から抽出されている。
新たに戦車を製造するにあたって最大の問題として新興のNMA社の前に立ちはだかったのは、技術的なものではなく戦車を製造するための材料である装甲板の確保という問題であった。
イギリス国内ではすでに装甲板の割り当ては決められてしまっており、NMA社の食い込む余地は無かったのである。
このため、当面NMA社はオーストリアのウィーンから装甲板を輸入することになる。
この輸入も第2次世界大戦の勃発により途絶してしまうが、今度は戦争という非常事態がNMA社を救うこととなった。
1937年10月にはようやくA13巡航戦車の最初の試作車A13E1が完成し、11月には引き続きA13E2が完成した。
両車とも基本装甲厚は14mmで、2ポンド戦車砲を搭載していた。
3両目の試作車A13E3は、1938年2月に完成している。
これらの試作車は開発を急がれ、1938年中には「巡航戦車Mk.III」(Cruiser Mk.III)としてイギリス陸軍に制式採用されると共に、65両の生産型を1939年1月から8カ月で納入せよという発注命令が出されている。
巡航戦車Mk.IIIは最初の10両が納入された時点で機械的な初期トラブルが頻発し、1939年6月には一旦製造が中止されているがトラブルを克服した後、1939年末までには規定数の65両を納入するように再度発注が出されている。
巡航戦車Mk.IIIは巡航戦車Mk.IIと同じ砲塔を搭載していたが、巡航戦車Mk.IIIの砲塔には最初から車長用のキューポラが装備されていた。
主砲は前述のように50口径2ポンド(40mm)戦車砲を搭載しており、副武装として主砲と同軸に7.7mmヴィッカーズ液冷機関銃を搭載していた。
また巡航戦車Mk.Iや巡航戦車Mk.IIと同様、中隊本部車両用としてCS(Close Support:近接支援)タイプが製作されており、こちらは15口径3.7インチ(94mm)臼砲を搭載している。
1939年には巡航戦車の基本装甲厚が30mmに変更されており、この変更に伴って巡航戦車Mk.IIIにも増加装甲板を装着する改修が実施されている。
砲塔側面と後面に装着された増加装甲板は薄いものであったが、間隙を空けて装備するいわゆる空間装甲であった。
主砲防盾にもちょっと不細工ではあるが、外装式に増加装甲板が装備されている。
この頃の戦車で空間装甲を採用している戦車は、この巡航戦車Mk.III系列以外には見ることができないが、後にソ連軍の対戦車銃に悩まされたドイツ軍戦車にも、「シュルツェン」(Schürzen:エプロン)と呼ばれるスカートの格好で採用されている。
またこの空間装甲は後に、成形炸薬弾の威力を減少させる効果も発見されている。
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<巡航戦車Mk.III>
全長: 6.02m
全幅: 2.54m
全高: 2.591m
全備重量: 14.225t
乗員: 4名
エンジン: ナフィールド・リバティー 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 340hp/1,500rpm
最大速度: 48.28km/h
航続距離: 145km
武装: 50口径2ポンド戦車砲×1 (87発)
7.7mmヴィッカーズ機関銃×1 (3,750発)
装甲厚: 6~14mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2016年5月号 比較論シリーズ ロシアBT戦車シリーズ vs イギリス巡航戦車」 久米幸雄 著
アルゴノート社
・「パンツァー2014年3月号 独自の進化を模索したイギリス巡航戦車発達史(1)」 木田雅也 著 アルゴノート
社
・「パンツァー2011年10月号 北アフリカ/ヨーロッパにおけるイギリス巡航戦車」 家持晴夫 著 アルゴノート
社
・「パンツァー2001年3月号 初期の北アフリカ戦におけるイギリス戦車」 齋木伸生 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年5月号 J.W.クリスティーとその時代(最終回)」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「パンツァー2002年2月号 イギリス巡航戦車 インアクション」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2004年2月号 大戦間のイギリス巡航戦車」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年4月号 初期のイギリス巡航戦車」 白石光 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2020年8月号 イギリス巡航戦車発達史」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2012年11月号 イギリス巡航戦車(1)」 白石光 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「グランドパワー1999年3月号 イギリス巡航戦車Mk.I~V」 大村晴 著 デルタ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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