歩兵戦車Mk.IマティルダI (A11)
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+概要
1934年4月、イギリス戦争省直属の調査委員会より王立戦車軍団に対して歩兵支援用の新型戦車の開発が勧告され、これが「歩兵戦車」(Infantry
Tank)というカテゴリーが新設されるきっかけとなった。
この時に提案されたプランは2つあり、第1案は小型で目立たず重装甲軽武装(機関銃程度)で、安価ですぐにでも必要量が確保できる戦車、第2案は大型重装甲で大口径砲を装備し、近接してくる敵歩兵に対しては別に装備した機関銃で対抗することが可能な戦車とされていた。
どちらのプランでも機動性は重視されておらず、歩兵の行軍ペースに合わせられる程度の速度性能で充分とされていた。
またどちらのプランでも重装甲が要求されていたのは、敵の砲火を浴びることが想定されていたためで、直撃を浴びても耐えられることが条件となっていたようである。
新型歩兵戦車の設計・開発はウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社が担当することになったが、これらの2つのプランの内ヴィッカーズ社は第1案の小型歩兵戦車の方を選択し、1935年10月には秘匿呼称「マティルダ」(Matilda)として「A11」の開発番号が与えられ、当時ヴィッカーズ社の戦車設計の中心を担っていたジョン・V・カーデン准男爵の手によって設計が開始されている。
A11歩兵戦車の開発は技術的挑戦の連続となり、「A11E1」の呼称を与えられた試作車がMEE(Mechanisation Experimental
Establishment:機械化試験局)の試験に供されたのは、目標から大幅に遅れた1936年9月になってのこととなった。
生産コストを可能な限り抑えるために、A11歩兵戦車は非常にシンプルな構造でコンパクトなサイズに設計されていた。
動力装備関係は、市販されていたアメリカのフォード自動車製のV型8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力70hp)と変速・操向機をそのまま流用、ブレーキやクラッチは自社製の軽戦車のものを流用しており、サスペンションも自社製のドラゴン砲牽引車からそのまま流用していた。
サスペンションは、片側に2ユニットが配された。
各ユニットは4個の複列式転輪を2個ずつ1セットのボギーとして、リーフ・スプリング(板ばね)を介して繋いだもので、上部支持輪もサスペンション・ブラケットに組み込まれていた。
誘導輪は歯付きのもので、履帯は中ピッチのマンガン鋼製のものであった。
コスト削減のためフェンダーは設けられなかったため、足周りは全て剥き出しであった。
低く幅の狭い車体はリベット接合で組み立てられており、その装甲厚は前面で65mmにも達した。
この前面装甲板の剛性に車体の構造強度を負わせる設計となっていたので、装甲板接合用の内部フレームは設けられていなかった。
戦闘重量は11t近くあり、これはMEEが重歩兵戦車と目していたヴィッカーズ中戦車(後の巡航戦車Mk.I/Mk.II)とほぼ同じ値であった。
車重に対してエンジンがアンダーパワーであったため、路上最大速度は8マイル(12.87km)/hとかなり遅かったが、歩兵と行動を共にするのには充分であるとされた。
砲塔は1名用の鋳造製のもので、7.7mmまたは12.7mmヴィッカーズ重機関銃1挺を装備していた。
A11歩兵戦車はあまりにもコンパクトに設計されていたため、内部スペースが非常に狭く乗員の作業効率に悪影響を及ぼした。
砲塔サイズが非常に小さいため砲塔は車長の上半身を収めるだけで一杯となり、車長の前方に座る操縦手も同じく狭い車体に押し込められる形となっていた。
操縦手の頭上には乗降や視察に用いる後ろ開き式のハッチが設けられていたが、これは開放すると砲塔や機関銃と干渉して邪魔となった。
A11歩兵戦車は試験において試作車両に付き物の初期トラブルがやはり発生したが、最も酷かったのは履帯連結ピンの折損多発であった。
これは1937年4月に後部サスペンション・ユニットの取り付け位置が下げられたことで、起動輪が5インチ(127mm)持ち上げられる形となって解決された。
さらに摩耗の酷かった第7・第8転輪は、ゴム製リムから全鋼製へと材質変更された。
操縦手の視界の悪さと砲塔ハッチに関するクレームは、生産型での解決を待つこととして先送りとされたが、実際には第2生産バッチまで何も対策は施されなかった。
A11歩兵戦車の試作車と生産型の外見上の最も大きな違いは、その砲塔形状にあった。
生産型では砲塔上縁の肉盛りは廃止され、砲塔上面のハッチは観音開き式のものに改められた。
また誘導輪は歯の無いタイプとなり、上部支持輪はサスペンション・ブラケットと別体とされた。
足周りそのものは、車体との間隙が大きく取られることで車幅を拡げられている。
前照灯は、第1生産バッチでは砲塔斜め前の車体側面の高い位置に設けられていたが、最後の79両に関しては地雷処理プラウを装着するために、車体前端近くの低い位置へと移された。
ほとんどのA11歩兵戦車では車体前部の両脇に、パニア(荷カゴ)式に備品収納箱が装着されていた。
イギリス陸軍は1937年4月にA11歩兵戦車の採用を決定し、ヴィッカーズ社に対して60両の生産を発注した。
その10日後には60両が追加発注され、1939年1月にさらに19両が発注された。
1939年2月に、最初の37両のA11歩兵戦車がイギリス陸軍に引き渡された。
本車の生産は1940年8月まで続けられ、合計で139両が完成している。
なおA11歩兵戦車は同年6月になってようやく、「歩兵戦車Mk.I」(Infantry Mk.I)の制式呼称が与えられている。
フランスに派遣されていた第1機甲旅団はマティルダI歩兵戦車を77両装備しており、1940年5月に開始されたフランス戦では当初の目論見どおりドイツ軍の対戦車砲弾をことごとく弾き返し、重装甲ぶりを遺憾なく発揮したが、武装が機関銃1挺のみという打撃力の低さから敵陣への攻撃は履帯による蹂躙攻撃に頼る有様で、戦果の拡大は思うに任せなかった。
結局マティルダI歩兵戦車は装甲こそ分厚かったものの、機関銃しか装備していないため戦闘能力の不足は如何ともし難かった。
基本設計があまりにもコンパクトにまとまり過ぎていたため、改良によって性能の向上を図る余地も無かった。
このためマティルダI歩兵戦車は早々に第一線を退き、イギリス本国で専ら訓練用戦車としてその余生を送った。
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<マティルダI歩兵戦車>
全長: 4.851m
全幅: 2.286m
全高: 1.867m
全備重量: 11.177t
乗員: 2名
エンジン: フォード 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 70hp/3,500rpm
最大速度: 12.87km/h
航続距離: 129km
武装: 7.7mmヴィッカーズ機関銃×1 (4,000発)、または12.7mmヴィッカーズ重機関銃×1
装甲厚: 10〜65mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2003年8月号 イギリス陸軍独自の重戦車 マチルダ歩兵戦車の開発と構造」 白石光 著 アルゴ
ノート社
・「パンツァー1999年12月号 イギリス歩兵戦車 マチルダ」 伊吹竜太郎 著 アルゴノート社
・「世界の戦車イラストレイテッド9 マチルダ歩兵戦車 1938〜1945」 デイヴィッド・フレッチャー 著 大日本絵
画
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「グランドパワー2020年7月号 イギリス歩兵戦車発達史」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2011年12月号 歩兵戦車マチルダ」 白石光 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「ビジュアルガイド WWII戦車(1) 電撃戦」 川畑英毅 著 コーエー
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
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