FV4601 MBT-80戦車 |
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+開発
イギリス国防省は1970年代後期に、イギリス陸軍の当時の主力MBTであったチーフテン戦車の後継車両を「MBT-80」(80年代型主力戦車)の呼称で開発することを計画し、1977年10月12日にGSR3572(施行3572)としてMBT-80の開発要求を出し、これは同年12月1日に承認された。 そして1978年12月1日付で、サリー州チョーバムに置かれたMVEE(軍用車両工学技術施設)の要求仕様762により、MBT-80の基本仕様が公布された。 そして1979年9月に、当時ダービーのロールズ・ロイス社で開発が進められていたCV12 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,500hp)と、ハダースフィールドのDBE社(David Brown Engineering:デイヴィッド・ブラウン工業)製のTN37自動変速機(前進4段/後進3段)、そして油気圧式サスペンションの装備が通達され、開発はMVEEとレーザー工業の手で進められることも決定された。 主砲は、チーフテン戦車が装備する王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲L11A5の改良型EXP-28M1、もしくはRARDE(王立武装開発研究所)において新規開発される110mm滑腔砲のいずれかを搭載し、車体と砲塔の前面にはイギリスが西側で初めて実用化に成功した「チョーバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲を導入するが、可能な限りアルミニウム装甲を多用して戦闘重量の軽減を図ることが求められ、戦闘重量の上限は60tとされた。 また展望式で、車長の操作により左右各90度の旋回半径を備える熱映像式照準機が砲塔上面右側に配され、砲塔内の右前方に配された砲手席の直上にも、展望式で安定装置付きのレーザー照準機が、それぞれグラスゴーのバー&ストラウド工業により開発されることになった。 さらに詳細は不明だが、全天候下での使用が可能なFCS(射撃統制システム)も新たに開発されることとされた。 MBT-80は当初の計画では1983年10月に試作第1号車を完成させ、1985年までに試作車8両を揃え、1987年よりチーフテン戦車からの転換訓練を開始するというスケジュールが立てられた。 その第1段階として、1970年代末期に走行試験に供されるATR(試験リグ自動車)2両が製作発注された。 第1号車ATR-1はチーフテン戦車のコンポーネントを流用し、第2号車ATR-2はイラン向けのFV4030のコンポーネントを流用して、両車とも車台前面を圧延防弾鋼板、車台後面を圧延防弾アルミ板で構成していた。 ATR-2は1979年6月に完成しているので、ATR-1は同年春頃には完成したのであろう。 ちなみにFV4030は、イラン向けに開発されたチーフテン戦車の一連の改良型に与えられた開発番号で、1970年代初めにイランから発注されたチーフテン戦車の小改良型がFV4030/1、続いて1974年初めにイランが、チーフテン戦車により大規模な改良を施した新型MBTとして発注した「シール・イラン」(Shir Iran:イランの獅子)戦車の内、シール1戦車にFV4030/2、シール2戦車にFV4030/3の開発番号が与えられた。 ATR-2のベース車体がこの3つの内どれなのかははっきりしないが、車体前面の形状やサスペンションの特徴などからFV4030/3ではないかと推測される。 またこの2両のATRに搭載するために、形状は全く異なるがチーフテン戦車と同様に、前部が防弾鋼の鋳造製、その後方が圧延防弾鋼板製の砲塔2基が製作され、ATR-1の砲塔には120mmライフル砲が装備されたが、ATR-2の砲塔には110mm滑腔砲の試作品が装備されたものと思われる。 ATR-2の車体はFV4030に準じていたものの、砲塔の形状はチーフテンともFV4030とも似ても似つかない背の高い不格好なスタイルにまとめられ、その完成度はお世辞にも高いとはいい難かった。 120mmライフル砲が分離薬莢式の砲弾を採用していたのに対し、新開発の110mm滑腔砲は通常の薬莢一体式の砲弾を採用していた。 これは、より口径の小さい一体式砲弾を用いることで砲塔内の弾薬収納スペースを節約しようというもので、それにより砲塔の高さを減じ、車長と装填手の作業スペースを増やす狙いがあった。 しかしMVEEから提出されたMBT-80の報告書には、110mm滑腔砲に対して「こんな砲は好きになれない」という記述があったという。 このように計画が進められたMBT-80ではあったが、本格的な開発に着手した1978年の時点でその開発費は1億2,700万ポンドを超えると試算されており、この高額な開発費が問題視されていた。 そんな折、1978年9月にイランでイスラム革命が勃発し、翌79年1月にモハンマド・レザー・パフラヴィー国王はアメリカに亡命し、4月1日にイラン王国は「イラン・イスラム共和国」と国名を変え、その前月の3月にはイギリス政府に対してシール・イラン戦車購入のキャンセルを通告した。 すでに前払いで購入代金は支払われていたので、イギリス政府は何も困ることは無かったが、シール1戦車とシール2戦車合わせて1,500両近くの戦車生産の仕事が失われたことは、王立造兵廠のリーズ工場とノッティンガム工場の合計2,009名の従業員と、その他関連企業の約8,000名の従業員の雇用にとって深刻な問題であった。 そこでイギリス政府は、シール・イラン戦車の海外への売り込みを図った。 そしてシール1戦車については、「ハリド」(Khalid:剣)の呼称でヨルダンが購入することになり、しかもイラン向けに当初発注されていた125両に加えて、149両が追加発注されるというおまけまで付いた。 一方シール2戦車(FV4030/3)については、イギリス国防省は1979年9月5日付でGSR3574を交付して、FV4030/3をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することを決定した。 FV4030/3は細部は異なるもののMBT-80と基本仕様が似通っており、MBT-80に比べるとやや性能的には劣っていたものの、次期MBTとして採用するのに大きな問題は無かった。 しかも、すでに購入代金を前払いでイランから入手していたため、完成までに高額な開発費を必要とするMBT-80の開発をこのまま続けるよりも、FV4030/3をベースに多少手直しをした方がコスト面では圧倒的に得であり、また王立造兵廠やその他関連企業の雇用も確保できて一石二鳥であった。 こうしてMBT-80計画は、ATRの製作のみでキャンセルされることとなったのである。 なお、2両製作されたMBT-80のATRの内、ATR-1は2010年に個人のコレクターに買い取られ、ATR-2はボーヴィントン戦車博物館の展示品として余生を過ごしている。 先のGSR3574に続いて1980年7月半ば、国防省はFV4030/3に一部変更を加えたものをFV4030/4「チャレンジャー」(Challenger:挑戦者)としてイギリス陸軍の次期MBTとして制式採用し、243両を調達すると表明した。 チャレンジャー戦車は1983年2月1日に最初の先行生産型が王立造兵廠のリーズ工場からロールアウトしたが、最初に完成した4両が先行生産型として分類されている。 その後、最初の生産型であるチャレンジャーMk.1が1983年〜85年1月にかけて109両、2番目の生産型であるチャレンジャーMk.2が1985年1月〜86年11月にかけて155両、最後の生産型であるチャレンジャーMk.3が1986年12月〜1990年1月にかけて156両完成しており、生産型チャレンジャー戦車の総生産数は420両となる。 なお、チャレンジャー戦車の生産を行っていた王立造兵廠は1986年7月にヴィッカーズ社によって買収され、ヴィッカーズ・ディフェンス・システムズ(VDS)社に改組されたため、以降の生産はVDS社が担当している。 高性能だが高価なMBT-80に代わって、急遽イギリス陸軍の次期MBTとして採用されたチャレンジャー戦車は、当初その性能に疑問符が付けられていたが、1991年2月の湾岸戦争地上戦では1両の損失も無く200両以上のイラク軍戦車を撃破するという大活躍を見せており、優れた性能を備えていることを証明した。 |
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+構造
MBT-80戦車は開発期間の短縮を図るためにチーフテン戦車の基本設計を踏襲しており、転輪数や車内配置などは同一となっていた。 MBT-80戦車の最大の特徴は、MVEEが西側で初めて実用化に成功した「チョーバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲を採用したことで、このために外観はチーフテン戦車と大きく変化し、いかにも将来型MBTといった直線的なスタイルにまとめられる予定であった。 チョーバム・アーマーはMBT-80戦車の車体前面の上部と下部、車体側面の前部、そして砲塔の前面と側面に導入される予定であったという。 チョーバム・アーマーは圧延防弾鋼板の空間装甲の内部に、金属製のマトリックスに格納されたハニカム構造のセラミック板を多数敷き詰めた構造になっているといわれており、HEAT(対戦車榴弾)や対戦車ミサイルの成形炸薬弾頭が発生させる超高圧・高熱のジェット噴流に対して非常に高い防御力を発揮する。 またセラミック自体が極めて固い物質であるため、徹甲弾などの運動エネルギー(KE)弾に対しても通常の装甲板より高い防御力を発揮する。 ドイツのレオパルト2戦車や日本の90式戦車などが採用しているタイプの複合装甲の場合、ハニカム構造のセラミック板を圧縮応力を加えた状態でチタン合金のマトリックスで拘束しているが、それに比べるとチョーバム・アーマーはKE弾が命中した際にセラミック板が割れ易く、KE弾に対する防御力は劣るといわれる。 MBT-80戦車のエンジンは、チーフテン戦車に採用されたレイランド自動車製のL60 垂直対向6気筒多燃料液冷ディーゼル・エンジン(出力750hp)より大幅に出力が向上した、ロールズ・ロイス社製の「コンドー」(Condor:コンドル)CV12-1200TCA V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力1,200hp)が搭載される予定であった。 CV12エンジンは当初1,500hpの出力を発揮することを目指していたが、実際には1,200hpを発揮するのが精一杯だったため、ひとまず1,200hp級のエンジンとして完成させる方針に切り替えられた。 CV12エンジンは、MBT-80戦車に代わってイギリス陸軍の次期MBTとなったチャレンジャー戦車にも採用されたが、結局CV12エンジンの出力は1,200hpで頭打ちになり、チャレンジャー戦車は予定された機動力を発揮できず、路上最大速度56km/hと戦後第3世代MBTの中ではかなり鈍足の車両となってしまった。 このあたりがイギリスのエンジン開発技術の限界であり、その後もCV12エンジンを上回る出力の戦車用エンジンを国内開発できなかったため、続くチャレンジャー2戦車でも引き続きCV12エンジンが採用されることとなった。 なお、CV12エンジンの生産を行っていたシュルーズベリーのロールズ・ロイス・ディーゼル社が、1984年にピーターボロのパーキンス発動機に吸収合併されたため、現在はパーキンス発動機がCV12エンジンの生産とアフターサービスを手掛けている。 一方MBT-80戦車の変速・操向機は、チーフテン戦車に搭載されたDBE社製のTN12半自動変速・操向機の発展型である同社製のTN37全自動変速・操向機が採用される予定であった。 TN12変速・操向機は超信地旋回ができず、操向装置もレバー式で操作が難しかったが、TN37変速・操向機は超信地旋回が可能で、操向装置も乗用車と同じハンドル式に変更されたため操縦が容易になっている。 MBT-80戦車のサスペンションは、ホルストマン・ディフェンス・システムズ(HDS)社とMVEEが共同開発した油気圧式サスペンションが採用される予定であった。 これは油圧でサスペンションを上下に伸縮させることが可能であり、車体高を自由に変更することができるが、日本の74式戦車や90式戦車のように車体を任意の角度に傾ける機能は備えていない。 MBT-80戦車の主砲は、チーフテン戦車が装備する王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲L11A5の改良型EXP-28M1(資料によってはM13Aとも)、もしくはRARDEにおいて新規開発される110mm滑腔砲のいずれかを搭載する予定であった。 MBT-80戦車が途中で開発中止になったためあくまで想像であるが、110mm滑腔砲は試験における評価が芳しくなかったことから、もしMBT-80戦車が実用化されていたらチャレンジャー戦車と同様、やはり120mmライフル砲が主砲に選定されていた可能性が高いと思われる。 ちなみにEXP-28M1は、ソ連で発展した鋼の精錬技術であるエレクトロスラグ溶解法を西側で最初に導入した画期的な戦車砲であった。 MBT-80戦車のFCSは、全天候下での使用が可能なチャレンジャー戦車のFCSより高度なものが搭載される予定で、この高性能FCSがMBT-80戦車の開発・製造コストを高騰させる最大の原因になったといわれている。 また展望式で、車長の操作により左右各90度の旋回半径を備える熱映像式照準機が砲塔上面右側に配され、砲塔内の右前方に配された砲手席の直上にも、展望式で安定装置付きのレーザー照準機が、それぞれバー&ストラウド工業により開発される予定であった。 |
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<参考文献> ・「パンツァー1999年7月号 イギリスが戦車王国の面目をかけて開発したチャレンジャー1戦車」 野木恵一 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2007年3月号 シール・イランからチャレンジャーへ」 三鷹聡 著 アルゴノート社 ・「世界のAFV 2021〜2022」 アルゴノート社 ・「グランドパワー2016年7月号 チャレンジャー主力戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版 ・「徹底解説 世界最強7大戦車」 齋木伸生 著 三修社 ・「新・世界の主力戦車カタログ」 三修社 ・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」 コーエー |