1960年代後期にイスラエル軍は、それまで使用していたフランス製の牽引式155mm榴弾砲M50の後継となる新型牽引式155mm榴弾砲の開発をソルタム社に要求し、これを受けてソルタム社は親会社であるフィンランドのタンペラ社の協力を受けて開発に着手した。 この新型155mm榴弾砲は1968年に試作砲が完成し、「M68」の名称でイスラエル軍に制式採用されて1970年から生産が開始された。 155mm榴弾砲M68はタンペラ社がフィンランド軍向けに開発した122mm野砲M60の砲架を活用しており、砲架の脚の先端部に取り付けた車輪4個と油圧ブレーキはそのまま流用しており、ベースプレート付きのスクリュージャッキを下げると砲が発射位置になるところも同じである。 M68は砲身長5,115mm(33口径)、重量9,500kgで、砲身は円形サドルの上に取り付けられて左右に各45度ずつ旋回させることができ、俯仰角は−5〜+70度となっている。 砲弾についてはソルタム社製のものだけでなく、全てのNATO規格の155mm砲弾を使用することができる。 M68はイスラエル軍にかなりの数が採用され、1973年に勃発した第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)から実戦に投入された。 M68の最大射程は通常榴弾を使用して21,000mと、従来のM50と比べて格段に延伸されて当時の世界水準をクリアしていた。 続いてソルタム社はM68を改良発展させた新型155mm榴弾砲の自主開発に着手し、1975年に開発が完了して「M71」の名称が与えられた。 M71は砲身長がM68の33口径から39口径(6,045mm)に延長されており、そのため射程も通常榴弾を用いた場合で最大23,500mとM68から12%も向上した。 しかも、RAP(ロケット補助榴弾)を使用すれば最大射程は30,000mにも達した。 また他国で開発された牽引式155mm榴弾砲のほとんどが補助動力装置を備えていたのに対し、M71は前作のM68と同様に補助動力装置を一切付けないことで驚くべき低価格を実現していた。 さらに基本設計が良くできていたのでジャミングがほとんど起こらず、調整も楽なので大きな故障はめったに起こらなかったらしい。 そのためM71は1970年代後半から世界各国へ輸出され、非常に好評を博した。 砲尾の閉鎖機メカニズムは半自動式でラマーは機械式であったが、砲の仰角を最大にした状態でも砲弾の装填が可能であった。 もちろんM68と同様にNATO規格の全ての155mm砲弾を使用でき、これには照明弾と発煙弾も含まれる。 また一方でソルタム社は1970年代初めにイスラエル軍の要請で、M68をアメリカ製のM4中戦車の車台に搭載した自走榴弾砲の開発に着手している。 この車両は「L33 155mm自走榴弾砲」としてイスラエル軍に制式採用され、1973年初めから部隊配備が開始されて同年10月に勃発したヨム・キプール戦争から実戦に参加している。 L33自走榴弾砲で経験を積んだソルタム社は、1970年代にM71を搭載した自走榴弾砲の砲塔システムを「M72」の名称で自主開発している。 通常の自走榴弾砲が車台と砲塔が一体のシステムとなっているのに対し、M72砲塔システムは砲塔部分のみで自走榴弾砲としてのシステムが完結しており、専用の車台を必要とせず様々な車両に搭載して自走砲化することが可能であった。 M72砲塔システムはアメリカのM48/M60戦車や西ドイツのレオパルト1戦車など、戦後に世界各国で開発された大半のMBTの砲塔リングに取り付けられるユニバーサルなものになっていた。 またソルタム社はM72砲塔システムを輸出用のみならず、L33自走榴弾砲の後継車両としてイスラエル軍に売り込むことを開発当初から計画していた。 イスラエル軍は初期の主力MBTであったM4中戦車シリーズの後継として、1960年代に入ってイギリスからセンチュリオン戦車シリーズを多数導入していたため、ソルタム社はこのセンチュリオン戦車の車台に搭載することを前提に砲塔システムの開発を進めた。 当初はM68を主砲に用いる予定であったが、改良型のM71が完成したため途中からM71を搭載する計画に変更された。 M72砲塔システムの主砲は最大射程23,500m、360度旋回可能であり、俯仰角は−3〜+65度であった。 発射速度は持続射撃で2発/分、バースト射撃で4〜5発/分で、乗員は砲塔内に車長、砲手、装填手2名、車体に操縦手の計5名となっていた。 砲塔の旋回は電動ポンプ駆動の油圧装置が利用されたが、主砲はM71とほとんど変わらないためメカニズムの多くが手動で、他国の自走榴弾砲と比べると安価ではあったが性能的には見劣りしたのも事実である。 もっとも砲塔にはNBC防御に備えるフィルター等の装置も設けられ、ユーザーの要求があれば他の部分も自動化することも可能といわれていたが、結局イスラエル軍には採用されず海外に輸出された実績も無いようである。 しかしその後、フランスのGCT155や南アフリカのT6など他国でも自走榴弾砲の砲塔システムが開発されており、これらを採用した国も現れているためソルタム社の狙い自体は間違っていなかったといえよう。 |
<参考文献> ・「パンツァー2004年2月号 ソルタム社が開発した異色の存在 イスラエルの国産榴弾砲/自走砲」 和田尚夫 著 アルゴノート社 ・「グランドパワー2006年2月号 イスラエル軍のシャーマン(2)」 箙浩一 著 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(2) 装軌式自走砲:1946〜2000」 デルタ出版 |