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M53 155mm自走加農砲





●開発

1945年にM40 155mm自走加農砲とM43 8インチ(203mm)自走榴弾砲を実戦化したアメリカ陸軍は、早くも同年半ばからこれらの後継となる新型自走砲の研究に着手した。
この研究を基に翌46年7月、軽量化を図った新型の155mm加農砲および8インチ榴弾砲を装備する自走砲を新規開発することが決定され、デトロイト戦車工廠が開発を担当することになった。

この際開発期間と開発コストの削減を図って、当時のアメリカ陸軍の主力MBTであったM26パーシング中戦車の足周りを流用することや、M26中戦車用に開発された新型パワーパック(後にM46パットンI中戦車に採用されたもの)を搭載することが要求され、さらに調達・運用コストを削減するために155mm加農砲搭載型と8インチ榴弾砲搭載型の車体と砲架を共通化することが求められて開発がスタートした。

なおデトロイト戦車工廠をM26中戦車の後継となる新型中戦車T40(後のM46中戦車)の開発に専念させるため、新型自走砲の開発は途中からパシフィク・カー&ファウンドリー社に引き継がれた。
この新型自走砲の開発と並行して軽量化を図った新型の45口径155mm加農砲T80と25口径8インチ榴弾砲T89、およびこれらを搭載するT58砲架の開発も進められた。

アメリカ陸軍とパシフィク・カー&ファウンドリー社との間で新型自走砲の開発契約が結ばれたのは1948年4月9日であったが、この際の契約は実物大モックアップの製作までであった。
続いて1950年4月13日に155mm加農砲T80装備型の試作車の製作契約が結ばれ、翌51年4月11日に8インチ榴弾砲T89装備型の試作車の製作も発注された。
このように開発作業が分割して発注されたのは、戦後の国防予算縮小の流れが影響している。

この時点で155mm加農砲T80装備型は「T97」、8インチ榴弾砲T89装備型は「T108」の試作名称が与えられ、T97自走加農砲の試作車は1952年4月に、T108自走榴弾砲の試作車は同年7月にそれぞれパシフィク・カー&ファウンドリー社のレントン工場をロールアウトし、アメリカ陸軍に引き渡されて試験に供された。
当時朝鮮戦争の最中だったこともあってT97自走加農砲が30両、T108自走榴弾砲が70両発注され、最初の生産型は早くも同年8月に完成している。

当初、T97自走加農砲とT108自走榴弾砲の試作車はいずれも砲身先端に砲口制退機が装着されていたが後に取り外され、生産型では最初から未装備とされた。
両自走砲の生産は1955年4月まで続けられ、それぞれ「M53 155mm自走加農砲」と「M55 8インチ自走榴弾砲」の制式名が与えられてアメリカ陸軍と海兵隊に配備が行われた。

しかし両自走砲とも運用においてトラブルが多発したために全面的な改修が実施されることになり、1955年7月より改修作業に着手し翌56年11月までに全車の改修を完了した。
この改修が行われていた1956年初めに、アメリカ陸軍は保有するM53自走加農砲を全てM55自走榴弾砲に改造することを決め、改修作業の際にM53自走加農砲の主砲を8インチ榴弾砲に交換してM55自走榴弾砲に変身させることになった。

もっともこれは陸軍のみであり、海兵隊ではM53自走加農砲の運用を続けている。
後継のM107 175mm自走加農砲とM110 8インチ自走榴弾砲が実戦化されたことに伴い、M53自走加農砲とM55自走榴弾砲は1960年代の初めにはアメリカ陸軍と海兵隊から退役したが、一部の車両は西ドイツ、ベルギー、イタリアなどに供与された。


●構造

M53自走加農砲とM55自走榴弾砲は主砲、主砲固定用のトラヴェリング・クランプ、主砲弾薬ラックのレイアウトが異なるだけで基本的には同一規格の車両であった。
車体は新設計のものが用いられたがパットン戦車シリーズの車体を前後逆にしたような構造になっており、機関系と足周りはM47パットンII戦車およびM48パットンIII戦車のものが流用されていた。

パワーパックは初期型ではM47戦車と同じコンティネンタル社製のAV-1790-5B V型12気筒空冷ガソリン・エンジン(出力810hp)と、アリソン社製のCD-850-4クロスドライブ式自動変速機(前進2段/後進1段)の組み合わせ、後期型ではM48戦車と同じAV-1790-7B V型12気筒空冷ガソリン・エンジンとCD-850-4Bクロスドライブ式自動変速機の組み合わせが用いられた。

また操縦装置も初期型ではM47戦車と同じレバー式であったが、後期型ではM48戦車と同じハンドル式に変更されている。
なおM55自走榴弾砲の内2両は後にエンジンに燃料噴射装置を装着する改良が施され、この改修型には「M55E1」の名称が与えられた。

M53自走加農砲とM55自走榴弾砲の車体は前面が1インチ(25.4mm)、その他の部分が0.5インチ(12.7mm)厚の圧延防弾鋼板を溶接して構成されており、車内レイアウトは車体前部がパワーパックや燃料タンクを搭載した機関室、車体後部が限定旋回式の大型密閉砲塔を搭載した戦闘室とされ、砲塔の内部に6名の乗員が全て収容された。

両自走砲とも機関室上面の中央に4分割式の点検用ハッチ、その左右に空気吸排出用のルーヴァーが設けられていたが、エンジンに燃料噴射装置を装着したM55E1自走榴弾砲ではルーヴァーの位置が点検用ハッチの前後に変更されている。
起動輪は前方、誘導輪は後方に配置されており、接地長を長くして射撃時の安定性を高めるために誘導輪は接地式となっていた。

M47戦車と同じく転輪は片側6個、上部支持輪は片側3個で、起動輪と第1転輪の間には履帯の張度を調整するための小さな支持輪が設けられていた。
サスペンションはトーションバー方式で第1、第2転輪にはショック・アブソーバーが取り付けられていた。
履帯は584mm幅のもので試作車と初期の生産車ではT80E6履帯が用いられたが、生産の早い段階でT84E1履帯に変更されている。

砲塔は0.5インチ厚の圧延防弾鋼板を溶接して構成されており、密閉式であったもののNBC防護は考慮されていなかった。
操縦手は砲塔内左側前方に位置し、操縦手の頭上には後ろ開き式の円形ハッチが設けられていた。
操縦手用ハッチの周囲には前に3基、左に1基のM17ペリスコープが設けられており、周囲の視界を得られるようになっていた。

砲塔内右側前方には砲手が位置し、砲手の頭上にはM100パノラマ式照準機とM13またはM13B1ペリスコープが左右に並んで設けられていた。
また近接目標に対して直接照準射撃を行う場合には、砲身右側に取り付けられている支持架を用いてM99直接照準機を装着するようになっていた。

砲手の後方には車長が位置し、車長の頭上には6基のヴィジョンブロックを備えた車長用キューポラが設置されていた。
車長用キューポラの中央には後ろ開き式の円形ハッチが設けられていたが、このハッチにはM15A1ペリスコープが取り付けられておりハッチの中央部はペリスコープごと全周旋回できるようになっていた。

車長はハッチの中央部をM15A1ペリスコープごと旋回させることで、全周を視察することができるようになっていた。
また車長用キューポラの前部には必要に応じて12.7mm重機関銃M2を装備する銃架を取り付けることができ、車内には12.7mm機関銃弾900発が収納されていた。

砲塔内後部の左右には主砲弾薬のラックが設けられておりM53自走加農砲では左右各10発ずつ計20発、M55自走榴弾砲では左右各5発ずつ計10発の主砲弾薬を収納するようになっていた。
砲塔内には操縦手、砲手、車長の他に3名の装填手が搭乗し、両自走砲とも主砲の発射速度は1発/分となっていた。
両自走砲とも主砲は砲塔内前方中央に設置されたM86砲架に搭載されており、砲の可動範囲も同じであった。

砲の旋回角は左右各30度ずつ、俯仰角は−5〜+65度となっており駆動は油圧による動力式であった。
M53自走加農砲に搭載された45口径155mm加農砲M46が使用する弾薬はM101榴弾(重量43.2kg、砲口初速640m/秒)、M104発煙弾(重量43kg、砲口初速853m/秒)、M104化学弾(重量43kg、砲口初速640m/秒)で最大射程はM101榴弾を通常装薬で発射した場合17,012m、強装薬を用いた場合23,456mとなっていた。

M55自走榴弾砲に搭載された25口径8インチ榴弾砲M47が使用する弾薬はM106榴弾(重量90.9kg、砲口初速594m/秒)、M246化学弾(重量103.5kg、砲口初速594m/秒)などで最大射程はM106榴弾を発射した場合14,638mとなっていた。
両自走砲とも化学弾が用意されていたがこれは神経ガス、糜爛性ガス、窒息性ガスなどの有毒化学剤を炸薬と共に充填したもので、冷戦時代に開発された自走砲ならではの装備であった。


<M53 155mm自走加農砲>

全長:    9.715m
車体長:   7.909m
全幅:    3.581m
全高:    3.469m
全備重量: 45.36t
乗員:    6名
エンジン:  コンティネンタルAV-1790-5B/7B 4ストロークV型12気筒空冷ガソリン
最大出力: 810hp/2,800rpm
最大速度: 56.33km/h
航続距離: 241km
武装:    45口径155mm加農砲M46×1 (20発)
        12.7mm重機関銃M2×1 (900発)
装甲厚:   12.7〜25.4mm


<参考文献>

・「パンツァー2003年5月号 1950年代のアメリカ軍重自走砲 M53/M55/T162」 中島有希男 著  アルゴノー
 ト社
・「パンツァー2001年7月号 アメリカ陸軍のM53/M55自走砲車」 水野靖夫 著  アルゴノート社
・「パンツァー2010年12月号 M53 155mm自走カノン砲」 吉村誠 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2007年1月号 155mm自走砲M40と戦後の自走重砲」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2022年2月号 アメリカ軍自走砲(戦後編)」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(2) 装軌式自走砲:1946〜2000」  デルタ出版
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版


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