シャーマン・ファイアフライ中戦車
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+開発
第2次世界大戦中、イギリス連邦はレンドリースによって17,181両ものM4中戦車シリーズをアメリカから受領し、1942年10月のエル・アラメイン戦に投入するために、M4A1中戦車を中心とした318両を同年9月に北アフリカ戦線(エジプト)に送り込んだのを皮切りに、第2次大戦の大半においてM4中戦車シリーズを機甲部隊の主力戦車として使用した。
マティルダII歩兵戦車やクルセイダー巡航戦車等のそれまでのイギリス製戦車が、徹甲弾しか撃てない2ポンド(40mm)砲か、榴弾しか撃てない3インチ(76.2mm)榴弾砲のどちらかしか搭載していなかったのに対して、M4中戦車が搭載する37.5口径75mm戦車砲M3は、19世紀末に設計されたフランス製の野戦加農砲をベースとするやや旧式な戦車砲であったが、そこそこの貫徹力の徹甲弾と同じくそこそこの威力の榴弾のどちらもが発射可能で、戦場での使い勝手が極めて良かった。
その上走行性能と機械的信頼性の点でも、M4中戦車はそれまでのイギリス製戦車を凌駕した優秀な戦車であった。
ところが、III号戦車やIV号戦車といったドイツ軍戦車の方も段階的に性能を向上させており、さらに1942年11月に重装甲の新型戦車ティーガーが北アフリカ戦線(チュニジア)に登場するに至って、M4中戦車の75mm戦車砲M3ですら決定的に威力不足となってしまった。
イギリス陸軍は1941年4月より、強力な対戦車砲である17ポンド砲の設計と試作を進めていたが、既存兵器の増産が優先されたためになかなか量産に移されなかった。
しかしドイツ軍の新型戦車ティーガーの出現により、量産の開始が遅れていた17ポンド砲を大慌てで生産し、北アフリカへと送って急場を凌いだ。
この17ポンド砲は口径76.2mm、58.3口径長で、第2次大戦時に同砲用の徹甲弾として最も多用されたAPCBC Mk.VIII(風帽付被帽徹甲弾:重量17kg)が傾斜角30度で命中した場合、射距離500ヤード(約457m)で140mm、1,000ヤードで130mm、1,500ヤードで120mm、2,000ヤードで111mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することができた。
またこの17ポンド砲には1944年8月という早い段階で、今日では徹甲弾の代表的な弾種の1つとなっているAPDS(Armor Piercing
Discarding Sabot:装弾筒付徹甲弾、重量12.9kg)が供給されるようになった。
ただし、当時はAPDSのことをSVDS(Super Velocity Discarding Sabot:高速徹甲弾)と呼んでおり、傾斜角30度で命中した場合射距離500ヤードで208mm、1,000ヤードで192mm、1,500ヤードで176mm、2,000ヤードで161mmのRHAを貫徹することができた。
この数字はドイツ軍のティーガー戦車が装備する56口径8.8cm戦車砲KwK36や、パンター戦車が装備する70口径7.5cm戦車砲KwK42をも上回っていた。
しかし残念なことに、本来ならタングステン・カーバイド製の弾体から同時に分離するはずの装弾筒(Sabot)の各片の分離のタイミングが上手く同調しないという、初期のSVDS(=APDS)全体が抱えていた欠点のせいで、遠距離での命中精度が今ひとつだったため、SVDSは比較的短射程での戦闘に用いられるに留まっている。
17ポンド砲は開発段階から車載化が考えられていたため、砲弾の装薬量が多く砲身長が長い割には砲そのものは軽く作られており、狭い戦車の砲塔に砲尾を収め易いように砲身重量と砲尾重量のバランスを上手く配分して、砲耳位置もかなり後方に寄せられていた。
ところがいざ完成してみると、全周旋回式砲塔に17ポンド砲の搭載が可能な既存のイギリス製戦車が1つも無いという現実に直面した。
これは、17ポンド砲の重量や反動に耐えられる車体が無いということではなく、どのイギリス戦車も単に砲塔リング径が小さ過ぎて、同砲を収めた旋回式砲塔を載せられないということであった。
しかし、前線からは17ポンド砲搭載戦車が欲しいという要望が強く出されていたため、当時最新の巡航戦車としてその開発が進められていた、A27Mクロムウェルのコンポーネントを可能な限り流用して、17ポンド砲を搭載する新型巡航戦車A30チャレンジャーを開発することが決定された。
このような状況下、王立砲術学校(ルールワース駐屯地に所在)所属のジョージ・ウィザリッジ少佐は、ジョージ・ブライティ少佐と共にアメリカ製のM4中戦車の主砲を75mm砲から17ポンド砲に換装することで、できるだけ早く17ポンド砲搭載戦車を戦力化しようという野心的な計画を立案した。
しかしイギリス戦争省は、この計画を非現実的なものとして却下してしまった。
ところが、チャレンジャー巡航戦車には技術的な問題が多々存在し、とてもではないが早期の戦力化など不可能であることが判明したばかりか、戦車ではなく自走砲ながらとりあえず17ポンド砲を搭載する予定のアーチャー対戦車自走砲の実戦配備も、大分未来になると判断された。
その上17ポンド砲にはやや劣るものの、それに準じた威力を有する50口径3インチ戦車砲M7を搭載したアメリカ製のM10対戦車自走砲は、供与の約束こそ取り付けていたものの当時アメリカも自軍への配備を優先しており、イギリス軍に回ってくるのはかなり先になるものと予想された。
そこでウィザリッジ少佐は王立戦車軍団総監レイモンド・ブリッジス将軍に、M4中戦車への17ポンド砲搭載の件を持ち込み、技術的問題の解決も含めた計画の早期実現を請願した結果、とりあえずイギリス陸軍内部で基礎開発を継続することとなった。
M4中戦車に17ポンド砲を搭載しようというウィザリッジ少佐の計画は、単なる思い付きや閃きによるようなものではなかった。
彼は北アフリカ戦線で、機構的にはM4中戦車とほとんど同様のM3中戦車装備の戦車中隊長として活躍したが、負傷しその傷が癒えた後に渡米して、ケンタッキー州フォートノックスのアメリカ陸軍機甲戦訓練所において、自らの実戦での経験をアメリカ軍関係者たちに教示した経験を持っていた。
そして、帰国後は王立砲術学校で自国将兵たちの教育啓蒙活動に携わるようになったが、彼はアメリカでM4中戦車の技術的内容を詳しく学んできており、将来の火力強化に備えてM4中戦車の砲塔リング径がかなり大きく設定されていることを前から良く知っていた。
さらに、3インチ戦車砲M7から派生した57口径76.2mm戦車砲T1(後に砲身長を短縮した改良型が76.2mm戦車砲M1として制式化される)を、75mm砲搭載型M4中戦車のM34砲架に搭載する実験がアメリカで行われていることも知っていたため、同じ口径の17ポンド砲のM4中戦車への搭載も可能と確信していたのである。
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+改修点
M4中戦車の75mm砲を17ポンド砲に換装するにあたって、やはり最大のポイントとなったのは砲塔周りの改修であった。
砲塔そのものに加えられた改修点としてまず挙げられるのが、オリジナルの75mm戦車砲M3に比べて砲尾が大きく後座長も長い17ポンド砲を搭載するため、砲塔後部のバスルを延長した点である。
バスル延長の要領であるが、まず砲塔後部に設けられていたオリジナルの短いバスルをほぼ一面に渡って四角く切り抜き、そこに側面50.8mm、後面63.5mm、上/下面25.4mm厚の圧延防弾鋼板で構成された奥行きのある装甲箱を溶接した。
この箱の中に当時のイギリス軍戦車の標準型無線機であったNo.19型無線機を収容して、砲塔内スペースを確保することで17ポンド砲の搭載を可能としたのである。
新しく設けられたバスルは、もちろん箱とはいっても砲塔内から無線機が操作できるように砲塔との接合面は完全に開放されており、そのうえ上面もネジ止めの蓋となっていて、無線機の整備時等には上蓋をそっくり開け放つことができた。
また、圧延防弾鋼板で作られていることからも分かるようにこの箱には相応の重量があるため、17ポンド砲に対する平衡錘としての機能も兼ねていた。
というのも平衡錘無しでの検証結果によると、17ポンド砲の長大な砲身と重い砲尾のせいで砲塔の前部に極端な荷重が掛かってしまい、傾斜地での砲塔の旋回に支障をきたしたり、砲塔リング部のベアリングの偏磨耗といったトラブルの発生が必至だったからである。
砲塔そのものに加えられたもう1つの大きな改修点は、従来の車長用ハッチに加えて砲塔上面左側に片開き式の装填手用ハッチが設けられたことである。
M4中戦車に関しては以前から、3名の砲塔乗員(車長、砲手、装填手)に対して車長用ハッチ1個しかないことが緊急脱出を滞らせる原因として問題にされていたが、17ポンド砲の大きな砲尾のせいで装填手が車長用ハッチまで辿り着くのが一層困難になったため、新たにハッチが設けられることになったのである。
砲塔左側面後部の空薬莢の排出口兼ガンポートは、アメリカ製のオリジナルのM4中戦車でも防御力強化の一環として溶接で塞いだり、最初からポートを付けなかったりした時期があった。
このポートが塞がれていない砲塔の場合本車でも改修時に溶接で塞いでいたが、結局本家のアメリカ軍が空薬莢処理のためにポートを復活させたように、本車でも巨大な17ポンド砲弾の空薬莢の処理に苦労したため、後期改修車ではポートはそのまま残されている。
肝心の17ポンド砲にも、車載化にあたって幾つかの改修が施された。
1つめは駐退機の位置で、砲身を中心として右上と左下という斜め対称の位置に変更された。
これはいうまでもなく、砲塔前面の開口部を小さくする意図からである。
2つめは揺架に上手く載せるため、砲身基部にスリーブを装着して約20cmほど延長したことである。
3つめは閉鎖機で牽引式では垂直鎖栓だったものを、そのままでは砲塔内の高さに制限があるため90度回して水平鎖栓としたが、これは牽引式火砲の車載化に際してよく採られる措置である。
このような改造を施した17ポンド砲をアメリカ・オリジナルのままのM34A1砲架に搭載し、バースのストゼアット&ピット社が新たに作った防盾と共に砲塔に装着した。
ただし、75mm戦車砲M3架設時には−10〜+25度だったM34A1砲架の俯仰角も、17ポンド砲の砲尾が大きいせいで−5〜+20度に減少している。
また、オリジナルの75mm戦車砲M3の発射速度は公式には20発/分とされていたが、熟練した装填手の手に掛かると23〜25発/分は撃てたのに対して、砲弾重量がぐんと重い17ポンド砲の場合、公式の発射速度は最大で10発/分とされていたものの、砲弾の収納状態によってはこれより1〜3割減少したといわれている。
直接照準機はアメリカ製のM55からイギリス製のMk.3/1に換装されたが、ペリスコープ式照準機はアメリカ製のM38のままで、他に間接照準用のM19水準儀などもオリジナルのまま残された。
なお、当時としては先進的だったM4中戦車の垂直ジャイロ式安定化機構は、75mm砲に比べて17ポンド砲が重いせいで砲架への負担が大きく使用不能となったが、当時の戦車砲の射撃精度と戦術(停止射撃が中心)では、これは大した問題ではなかった。
さらに、これは本車に限らずイギリス連邦軍で使用されたM4中戦車全体に施された改修だが、砲塔の右側面に連装4インチ(101.6mm)発煙弾発射機が装備されていた。
しかしM4中戦車シリーズの後期生産車では、砲塔の装填手席前の天井部に中折式の2インチ(50.8mm)発煙弾発射機M3(イギリス製ながらアメリカ軍でも制式採用)が装備されたため、4インチ発煙弾発射機は装備されなくなった。
上述のような改修が盛り込まれた砲塔は、1943年12月26日には王立造兵廠のウーリッジ工場で実用試験に供されるまでに至っている。
一方車体の方の改修は、75mm砲弾よりはるかに巨大な17ポンド砲弾をいかに多く搭載するかということだけが最大の命題であり、外見の大きな変化こそ生じなかったが、弾薬の搭載位置については大幅な変更が加えられていた。
まず車体右前部の副操縦手席が潰され、併せてその前面に装備されていた車体機関銃も撤去されて、車体機関銃の取り付け開口部は装甲板を溶接して塞がれた。
こうしてできた乗員1名分に相当する空間に、14発の17ポンド砲弾を収納する縦型の砲弾ラックが設置された。
ただし砲弾搭載時の便宜を考慮して、副操縦手用ハッチは可動状態で残された。
この他にも砲塔バスケットの主砲の直下に即用弾として5発、砲手席下のバスケットの床下に20発(寝かせた状態)、砲塔前部の床上に20発(縦置き)、装填手席下の床下に18発(40度の斜め置き)の、合計77発もの17ポンド砲弾を搭載することができた。
また中期以降の改修型では車体後部の下方に、イギリス連邦軍戦車の標準装備となった発煙装置が装備されるようになった。
車体上面後部の機関室上にはトラヴェリング・ロックが設置されており、移動時等に重く長大な砲身がしなって砲架に負担をかけないよう固定できたが、その位置には幾つかのヴァリエーションがあった。
正6時(真後ろ)と6時30分(やや右寄り)の他、後期のM4ハイブリッド型(鋳造車体前部を持つM4中戦車)からの改修車では、車体正面に装着されているオリジナルのトラヴェリング・ロックがそのまま流用されたりもした。
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+生産と部隊配備
砲塔と車体の両方の改修が終わった試作車は1944年1月6日にイギリス陸軍に引き渡され、それから1週間の間にさらに5両の試作車が完成した。
この時期になると、チャレンジャー巡航戦車が大陸反攻作戦までに間に合わないことは明白となっており、17ポンド砲搭載型M4中戦車は、ティーガー戦車やパンター戦車などの強力なドイツ軍戦車に対する切り札として、途端に脚光を浴びる存在となった。
そして「ファイアフライ」(Firefly)という愛称が与えられ、ウーリッジ工場で大車輪の改修作業が始まったのである。
ちなみに日本ではファイアフライといえば「蛍」のことを指すが、イギリスのファイアフライは「土蛍」と呼ばれる肉食性の蟻地獄のような虫で、他の虫に抱き付いて噛み付き、振り回して相手をバラしながら貪り食らうという凶暴な性質を備えている。
ファイアフライ中戦車は戦争省によって2,100両もの調達が認められ、急ピッチでその改修作業が進められた甲斐もあって、1944年6月下旬の時点で288両の本車がノルマンディー戦域で戦っており、それから約1カ月後の7月末までに699両の改修が終了していたという。
さらに1945年1月の段階で1,000両が追加発注され、1945年5月末の時点でアメリカ軍向けの106両(ただし終戦によりキャンセル)等も含めて、合計3,260両ものファイアフライ中戦車が発注されていた。
一方、実際の改修数の方は1944年1月の段階で1,794両、5月末の段階では2,139両が完成していたという。
実戦での運用状況に目を転じてみると、1944年6月末のフランスにはイギリス、カナダ、ポーランドの各機甲部隊合計で338両のファイアフライ中戦車が配備されていたが、これが1944年末になると北西ヨーロッパ戦域に展開した第21軍集団全体で728両に増加している。
また同時期にはイタリア戦線に77両、イギリス本土の訓練部隊に25両のファイアフライ中戦車が配備されていた。
ファイアフライ中戦車はイギリス連邦軍機甲部隊の切り札であったと同時に、敵であるドイツ軍からは最優先破壊目標とされたため、長大な17ポンド砲を75mm砲に見せかけるために主砲の先端部分に淡いグリーンと白の迷彩を施して、ファイアフライであることをカムフラージュした車両が多かった。
また火力ではドイツ軍の重戦車と互角に戦えたものの、装甲防御力では格段に劣っていたため運用に際しては、近距離で不意に遭遇したりしないように気を付けねばならなかった。
このため味方主力の中戦車を前に立てて、火力支援戦車のように慎重に付いて行くことが多かった。
イギリス連邦軍では、M4中戦車シリーズを「ジェネラル・シャーマン」と称していた。
この「シャーマン」という名称は、アメリカの南北戦争において南軍から「悪魔」と恐れられた北軍の名将ウィリアム・T・シャーマン少将に由来する。
M4中戦車シリーズの各型式についてはM4を「シャーマンI」、M4A1を「シャーマンII」、M4A2を「シャーマンIII」、M4A3を「シャーマンIV」、M4A4を「シャーマンV」と称していた。
また武装の違いに関しては75mm戦車砲M3搭載型は接尾記号無し、76.2mm戦車砲M1搭載型を”A”、105mm榴弾砲M4搭載型を”B”、17ポンド砲搭載型を”C”で表し、他にサスペンションの違いを接尾記号無しがVVSS(垂直渦巻スプリング・サスペンション)装備型、”Y”がHVSS(水平渦巻スプリング・サスペンション)装備型という具合に示した。
ファイアフライに改修されたのはイギリス連邦への供給数が一番多かったM4A4が最も多く、次いでM4、M4A1の順であった。
そしてこれらは上記の呼称法に則って「シャーマンVC」(M4A4ベース)、「シャーマンIC」(M4ベース)、「シャーマンIIC」(M4A1ベース)とそれぞれ呼ばれた。
第2次大戦中にアメリカ・メリーランド州のアバディーン陸軍車両試験場で、M4A3ベースのファイアフライ中戦車が試験に供された(イギリス陸軍内部呼称では「シャーマンIVC」)。
これはアメリカ陸軍での本車の採用の可否を判断するためのものだったが、すでに新開発の52口径76.2mm戦車砲M1を装備するT23中戦車の砲塔をM4中戦車シリーズと結合させる計画が始動していたため、結局この時にはファイアフライ中戦車は採用されなかった。
しかしその後アメリカ陸軍は限定的使用を前提として、1945年初頭に改めて106両のファイアフライ中戦車をイギリスに発注したが、これらは終戦によって全てキャンセルされている。
第2次大戦が終結するとイギリス陸軍はセンチュリオン中戦車を主力戦車に、またコメット巡航戦車をその補助に充てることを早々に決めた。
そのためファイアフライ中戦車はベルギー、オランダ、イタリア等、戦後の再建期にあったヨーロッパ各国に供与された他、インド、トルコ、アラブ諸国等にも供与されている。
シャーマン・ファイアフライ中戦車は、M4中戦車シリーズの最後期生産型であるM4A3E8中戦車と並んで、M4中戦車シリーズの最高傑作と評価されている。
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<シャーマンVCファイアフライ中戦車>
全長: 7.85m
車体長: 6.45m
全幅: 2.67m
全高: 2.74m
全備重量: 32.4t
乗員: 4名
エンジン: クライスラーA57 4ストローク30気筒液冷ガソリン
最大出力: 425hp/2,850rpm
最大速度: 40.23km/h
航続距離: 161km
武装: 58.3口径17ポンド戦車砲Mk.IVまたはMk.VII×1 (77発)
12.7mm重機関銃M2×1 (1,170発)
7.62mm機関銃M1919A4×1 (5,000発)
装甲厚: 12.7〜88.9mm
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兵器諸元(シャーマンVCファイアフライ中戦車)
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<参考文献>
・「パンツァー2015年9月号 防禦力と火力でシャーマン戦車の究極を目指したジャンボとファイアフライ」 加賀屋
太郎 著 アルゴノート社
・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著 アルゴノート社
・「パンツァー2002年7月号 ファイアフライとイスラエルのシャーマン戦車」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2005年3月号 パンター vs シャーマン・ファイアフライ」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年2月号 17ポンド砲とその搭載車輌」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2010年5月号 ラッチュ・ブムと17ポンド砲」 坂本雅之 著 アルゴノート社
・「世界の戦車イラストレイテッド29 M4(76mm)シャーマン中戦車 1943〜1965」 スティーヴン・ザロガ 著
大日本絵画
・「世界の戦車イラストレイテッド5 シャーマン中戦車
1942〜1945」 スティーヴン・ザロガ 著 大日本絵画
・「世界の戦車
1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「グランドパワー2004年2月号 シャーマン ファイアフライ 最強シャーマンのすべて」 後藤仁 著 ガリレオ出
版
・「第2次大戦 米英軍戦闘兵器カタログ Vol.3 戦車」 ガリレオ出版
・「グランドパワー2002年1月号 シャーマン
ファイアフライ」 遠藤慧 著 デルタ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
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