M26パーシング重戦車
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T26中戦車
T26E1中戦車
M26(T26E3)重戦車
M26A1中戦車
T26E1-1重戦車
スーパー・パーシング重戦車
T26E4重戦車
T26E5重戦車
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+T26中戦車
第2次世界大戦に入ってアメリカ陸軍は「T1」の試作呼称で重戦車の開発に着手し、1942年4月に「M6重戦車」(Heavy Tank M6)として制式化した。
M6重戦車は装甲貫徹力に優れる50口径3インチ(76.2mm)戦車砲M7を装備し、最大装甲厚101.6mmという強力な戦車であったが、アメリカ陸軍はこの時点ではM6重戦車にあまり必要性を感じなかったため、本国での試験に用いただけで実戦に投入すること無く終わった。
これは、アメリカ陸軍が戦前からの方針に沿って戦車を歩兵の進軍を支援する任務に用い、敵戦車との戦闘には装甲が脆弱な反面、速度と火力に優れる対戦車自走砲を充てていたこともその背景にあった。
しかし、第2次大戦中盤からドイツ軍が強力な火力と装甲を誇るティーガー戦車やパンター戦車を実戦投入すると、アメリカ軍の主力戦車である37.5口径75mm戦車砲M3装備のM4中戦車シリーズはもちろん、M6重戦車と同じ3インチ戦車砲M7を装備するM10対戦車自走砲でも歯が立たないことが判明した。
この頃アメリカ陸軍はM10対戦車自走砲の発展型として、強力な50口径90mm戦車砲T7を搭載するT71対戦車自走砲(後のM36対戦車自走砲)を開発していたが、火力では対等になったものの装甲が非常に脆弱だったため、これらドイツ軍戦車と真っ向から撃ち合っても勝算が無いことは明らかであった。
もちろんM6重戦車の制式化後も重戦車の開発は進められていたが、その主砲はM10対戦車自走砲と同じ3インチ戦車砲で装甲も充分とはいえなかった。
このため1943年半ばに、当時完成したばかりの新型中戦車T23の主砲を90mm戦車砲に換装して火力を強化したタイプと、主砲の換装に併せて装甲の強化も図ったタイプの2種類の改良型がそれぞれ「T25」、「T26」の試作呼称で開発されることになった。
開発のベースとなったT23中戦車は新設計の52口径76.2mm戦車砲M1を装備し、最大装甲厚は88.9mmで車体デザインは全体的に避弾経始が考慮されており、M4中戦車より火力、防御力共に優れた中戦車であった。
ただしT23中戦車が採用したハイブリッド式機関系は信頼性が低く、機動性能の面で問題を抱えていた。
250両が生産発注されたT23中戦車の内50両を切り替える形でT25中戦車が40両、T26中戦車が10両生産されることになったが、問題となるのは主砲の換装と装甲強化に伴う重量増大であり、当初の試算では主砲換装後は自重が30.9tから32.7tに、さらに装甲強化型では36.3tへと増加するとされたが、開発を進めるとさらに455kgほど増大することが判明した。
このため、ただでさえ問題が露呈しているT23中戦車のハイブリッド式機関系では重量増加に対してお手上げとなることは避けることができず、ハイブリッド機関方式をあきらめて通常のエンジンとトルクマティック式変速機に変更することへと計画は改められた。
そしてこの変更に伴い、試作呼称は「T25E1」および「T26E1」に変更されることになった。
この決定により、T23中戦車の生産型を改修の母体として用いることは不可能となったため、T23中戦車は当初の計画どおり250両生産することとなり、あらためてT25E1中戦車40両およびT26E1中戦車10両が新規に生産されることになった。
またT25E1およびT26E1中戦車を開発するのに先立って、T23中戦車のハイブリッド機関方式をそのまま流用したT25およびT26中戦車の試作車が製作されることとなった。
T25中戦車の試作車はクライスラー社傘下のミシガン州ウォーレンのデトロイト工廠で2両が製作され、試作第1号車(車両登録番号30103053)は1944年1月21日にメリーランド州のアバディーン車両試験場に送られ、試作第2号車(車両登録番号30103054)は同年4月20日にケンタッキー州のフォートノックスに送られて、それぞれ試験に供された。
続いてT26中戦車の試作車も2両がデトロイト工廠で製作されることになったが、1944年5月6日に1両のみ試作車を製作するよう計画が変更された。
T26中戦車の試作車(車両登録番号30128307)がいつ完成したかは不明であるが、同年10月28日にフォートノックスに送られて試験が開始された。
T26中戦車の試作車はM36対戦車自走砲と同じく、90mm高射砲M1を戦車砲に改修した50口径90mm戦車砲T7を装備し、車体前面の装甲厚は101.6mmで良好な傾斜角が与えられており、ライバルであるティーガー戦車を火力、防御力の両面で上回っていた。
T26中戦車の砲塔は、T23中戦車の砲塔をベースに主砲の変更に併せて大型化を図ったものであった。
砲塔は防弾鋼の鋳造製で、砲塔後部のバスル左側面に円形のガンポートとその開閉式装甲蓋が新設され、同様にバスル右側面にもラックが追加されていた。
基本的にT25中戦車の試作第2号車の砲塔と同様のものであったが、細部には変化も散見できる。
T26中戦車の足周りは、T23中戦車のトーションバー式サスペンション装備型であるT23E3中戦車のものを踏襲しており、片側6個の転輪と5個の上部支持輪の組み合わせとなっていたが、T26中戦車は装甲の強化に伴って戦闘重量が43.1tに増加したため、接地圧の低減を図るために幅610mmという幅広のT81履帯が新たに開発された。
機関系については、T23中戦車と同じハイブリッド方式が用いられていた。
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+T26E1中戦車
前述のように、T23中戦車のハイブリッド機関方式を通常のエンジンとトルクマティック式変速機に変更し、さらに主砲を90mm戦車砲に換装したタイプが「T25E1」、主砲の換装に加えて装甲の強化も図ったタイプが「T26E1」として開発されることになり、1943年夏に両車の開発がスタートした。
なお、すでに計画が最終段階に入っていた「ノルマンディー上陸作戦」(Operation Neptune:ネプチューン作戦)後に遭遇するであろうティーガー戦車の存在から、試作車の完成を待たずにT25E1中戦車を40両、T26E1中戦車を10両、T23中戦車の発注分から切り替える形で生産することも決まっていた。
T26E1中戦車の車体前面は上部44度、下部37度という良好な傾斜角を備えて避弾経始が図られ、T23中戦車とは異なり上下一体の鋳造製となっており、その後方に配された圧延防弾鋼板部分と溶接された。
車体の装甲厚は前面上部101.6mm、前面下部76.2mm、側面前部76.2mm、側面後部50.8mm、後面上部50.8mm、後面下部19.4mm、上面22.3mm、下面前部25.4mm、下面後部12.7mmとなっていた。
砲塔はT23中戦車と同じく防弾鋼の鋳造製で、装甲厚は前面101.6mm、側/後面76.2mm、上面25.4mm、防盾114.3mmとなっていた。
T26E1中戦車のサスペンションは、T23E3中戦車やT26中戦車と同じトーションバー方式が採用されていた。
足周りは片側6本のトーションバー(捩り棒)と直径66cm、幅11cmの複列式転輪6個、上部支持輪5個、直径65cm、幅22.9cmの誘導輪、13枚歯で直径67.4cmの起動輪で構成されており、履帯はT26中戦車と同じ幅610mmのT81履帯が使用された。
T26E1中戦車の機関系は、ミシガン州ディアボーンのフォード自動車製のGAF V型8気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量18,025cc、最大出力500hp/2,600rpm)に、遊星歯車を用いたジェネラル・モータース社傘下のインディアナ州インディアナポリスのアリソン変速機製の900F2トルクマティック式変速機(前進3段/後進1段)と差動式操向機がパワーパックとして一体化されて、車体後部の機関室に収められた。
この機関系の変更に伴い、機関室上面のレイアウトは前方はT26中戦車と変わらないが、後方の排気グリルはそれまでの横形から台形に変わり、左右それぞれ外側にヒンジを備えた前後分割式に改められた。
1944年2〜5月にかけて要求どおりT25E1中戦車は40両が完成し、同年5〜8月にかけてT26E1中戦車も10両が生産されたものの、これらはいずれも実際に戦場に送られることは無くアメリカ国内での運用試験に供され、一部は訓練に用いられた。
T26E1中戦車は試験中に細かな不具合が露呈したものの、T25E1中戦車と比較して明らかに総合性能で上回っていた。
このため、アメリカ陸軍は1944年6月に実施予定のノルマンディー上陸作戦前にT26E1中戦車の本格的な生産への移行を求めた。
しかし、思わぬところから横槍が入ることになる。
それはまず、ノルマンディー上陸後の連合軍の指揮を執るドワイト・D・アイゼンハワー最高司令官からの反対意見であった。
それを要約すると「装甲強化のために車体サイズをM4中戦車よりも大きくする必要性の欠如」と、「M4中戦車に対する装備が開始された長砲身76.2mm戦車砲でドイツ軍戦車への対抗は充分可能で、90mm戦車砲の必要性は感じない」というものであった。
しかしこれは、その後ノルマンディー上陸後にアメリカ戦車がドイツ戦車に対抗するのは困難という現実が付き付けられることになり、アイゼンハワー最高司令官は自らの発言を悔やむことになる。
さらに加えてAGF(Army Ground Forces:アメリカ陸軍地上軍)からも、T26E1中戦車が導入したトーションバー式サスペンションは、これまで重量がT26E1中戦車の半分以下の戦車にしか用いられていないことから耐久性に難があるとの危惧と、大重量戦車での使用例が無いトルクマティック式変速機もこれまた信頼性の問題があるのではという具申があった。
しかしこれらの指摘は実情とはかけ離れたもので、その後に開発された生産型のT26E3重戦車での問題が無かったことがそれを裏付けている。
しかし、このような指摘を受けたことで直ちにT26E1中戦車の生産を開始することができなくなり、これが本車を本当に必要とした北フランスでの戦闘に間に合わせることを不可能とし、大戦末期に少数のみの実戦参加となってしまった最大の理由である。
ただし、T26E1中戦車(1944年6月に重戦車へと分類変更された)自体も全く問題を生じなかったというわけではなく、このため改良を加えながら試験が続けられ、試験中に生じた問題を段階的に解決し、それらを最初から盛り込んだ車両として1944年秋にT26E1重戦車の生産型第5号車(車両登録番号30103256)から改造する形で、T26E3重戦車の試作車が製作された。
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+M26(T26E3)重戦車
T26E3重戦車は基本的にはT26E1重戦車に準じる車両であったが、砲塔周りを中心として各部に変化が見られた。
まずT26E1重戦車では車長用キューポラよりやや前方に配されていた装填手用ハッチが、T26E3重戦車では位置を後方に下げてほぼ車長用キューポラと並び、ハッチの形状もT26E1重戦車では左右開き式だったものが、T26E3重戦車ではより小型で楕円形の1枚式のものに改められた。
この変化に伴い装填手用ハッチ前部に装着されていたM3発煙弾発射機は姿を消し、ハッチの形状変更により無くなってしまった12.7mm重機関銃M2のマウントが砲塔上面後部中央に新設され、90mm戦車砲T7の砲身先端に砲口制退機が装着された。
さらに主砲の砲架も改良型のT99E2砲架に変更され、後に本車が「M26重戦車」として制式化された際に主砲は「M3」、砲架は「M67」としてそれぞれ制式化されることになる。
T26E3重戦車の試作車を用いた試験の結果が良好だったため、アメリカ陸軍は本車を量産化することを決定した。
T26E3重戦車の生産は、ジェネラル・モータース社傘下のミシガン州のグランドブランク工廠において1944年11月から開始され、同月中に10両が完成し、以後12月に30両、1945年1月に70両、2月に132両が引き渡された。
1945年3月にはデトロイト工廠も生産に加わり、同月中に194両、4月に269両、5月に61両、6月に370両が引き渡された。
その後も本車は急ピッチで生産が進められ、その発注数も最終的に6,000両まで拡大されたが、1945年5月にはドイツが降伏し、唯一戦いを継続していた日本軍相手には従来のM4中戦車シリーズで充分と思われたので、1945年末に2,212両が完成した時点で生産は中止された。
その背景には、M4中戦車と比較して製造コストが14,000ドル近く高いことも影響したと思われる。
それでも1年足らずの期間で2,000両以上の重戦車を送り出した事実は、先進工業国アメリカの力を見せ付けるものといえよう。
ちなみにドイツでは、同級のティーガー戦車を2年で1,400両足らずしか生産できなかったのである。
T26E3重戦車は大戦中の1945年3月に、「M26重戦車」(Heavy Tank M26)として制式化されている。
なお、第2次世界大戦時までアメリカ陸軍には戦車に愛称を付ける習慣が無く、愛称好きのイギリス軍がアメリカからの供与戦車に「スチュアート」(M3/M5軽戦車)、「リー/グラント」(M3中戦車)、「シャーマン」(M4中戦車)と矢継ぎ早に命名しても知らぬ顔だった。
しかし、これらの名前がすっかり有名になったのを見てアメリカ陸軍も考えを改め、このM26重戦車以降は新型戦車に愛称を付けるようになった。
M26重戦車には、第1次世界大戦でヨーロッパ派遣アメリカ軍総司令官を務めたジョン・J・パーシング将軍に因んで「ジェネラル・パーシング」の愛称が与えられた。
M26重戦車の初期生産車では幅610mmのT81履帯が用いられていたが、生産の早い段階で幅584mmのT80E1履帯に変更された。
このT80E1履帯はHVSS(水平渦巻スプリング・サスペンション)を備えたM4中戦車シリーズ後期型に導入されたもので、コンポーネントを共通化して製造・運用コストの低減を図ろうとしたのである。
さらに初期生産車の一部はアバディーン車両試験場とフォートノックスでの運用試験に供され、その結果として車体上面最前部中央に配されているヴェンチレイターの能力不足が指摘されたことを受け、改良型ヴェンチレイターが開発された。
この改良型ヴェンチレイターは換気量が従来の2.5倍に拡大しており、グランドブランク工廠の生産第550号車、デトロイト工廠の生産第235号車より装備された。
なおこの試験の際に、ヴェンチレイターの装備位置は車体前部ではなく砲塔上面後部の方がより効率的との具申が出されたが、すでに生産が進められているM26重戦車への導入は混乱を招くことから、もはや変更は不可能との判断が下されて実ること無く終わり、砲塔へのヴェンチレイター装備は戦後に開発されたM46パットン中戦車からとなった。
前述のように、M26重戦車は1944年11月から試作呼称であるT26E3のままで生産を開始した。
しかし諸般の事情から、主戦場として想定していたヨーロッパ方面に派遣されたのはすでに大勢が決した1945年1月末のことであった。
そして第1陣として20両がベルギーのアントワープに海路輸送され、すでにアメリカ軍により占領されていたフランスとの国境近くの町アーヘンに送られて、オマール・N・ブラッドリー中将率いる第12軍集団隷下の第3、第9機甲師団に配備された。
実戦においてM26重戦車は、ドイツ軍のティーガー戦車やパンター戦車に正面から対抗できる唯一の戦車と高い評価が与えられ、1945年5月のドイツの敗戦までに310両がヨーロッパに送られている。
M26重戦車は大戦中の作戦では1945年3月7日のレマーゲン鉄橋の戦いで有名になったが、最も活躍したのは戦後のことで、1950年6月に勃発した朝鮮戦争へアメリカ軍主力としてM4A3E8中戦車と共に投入され、北朝鮮軍が装備するソ連製のT-34-85中戦車と激しい戦車戦を展開した。
太平洋戦争では1945年6月に沖縄に12両が到着したが、すでに同地での戦闘は終了しており日本軍と砲火を交えるには至っていない。
M26重戦車は戦闘重量42tとライバルであるティーガー戦車より15tも軽量であったが、最大装甲厚は114.3mmとティーガー戦車を上回っており、車体デザインも全体的に避弾経始が考慮されていたため装甲防御力で大きく上回っていた。
また生産に掛かる期間を短縮するため、M26重戦車は車体・砲塔とも防弾鋼の鋳造製となっていた。
主砲はM36対戦車自走砲と同じく50口径90mm戦車砲M3を備え、APCBC(風帽付被帽徹甲弾)を使用した場合砲口初速884m/秒、射距離1,000ヤード(914m)で130mm、2,000ヤードで111mm、HVAP(高速徹甲弾)を使用した場合砲口初速1,204m/秒、射距離1,000ヤードで192mm、2,000ヤードで161mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能であった。
また、M4A3中戦車で採用されたフォード自動車製のGAA V型8気筒液冷ガソリン・エンジンの改良型である、GAF V型8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力500hp)に、前進3段/後進1段の900F2トルクマティック式変速機がカップリングされた動力装置を搭載し、それまでのアメリカ戦車に用いられていた渦巻スプリングに代えてトーションバー式サスペンションを採用したことにより、M26重戦車は不整地でも高速で走行可能であった。
M26重戦車の派生型としては高初速の70口径90mm戦車砲T15E2を搭載したT26E4重戦車、22.5口径105mm榴弾砲M4を搭載した火力支援型のT26E2重戦車(後にM45重戦車として制式化)などがあり、M26重戦車自体は戦後の1946年5月に重戦車から中戦車に分類替えされている。
M26重戦車は戦後に開発されたM46、M47、M48、M60の一連のパットン戦車シリーズの原型となった車両であり、アメリカの戦後の戦車開発において大きな役割を果たした。
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+M26A1中戦車
1948年にM26中戦車の発展型であるM46パットン中戦車が完成し、1949年から生産が開始される運びとなったが、これに併せて既存のM26中戦車の機関系や主砲の換装を実施して、M46中戦車に改修することになった。
しかし改修作業にはそれなりの時間を要するにも関わらず、1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮軍のT-34-85中戦車に対抗可能な戦車数の不足が問題となった。
このため、M26中戦車から改修されたM46中戦車の総数が319両になった時点で一旦改修作業を中止し、M26中戦車の機関系のままで主砲を従来の50口径90mm戦車砲M3から、M46中戦車で導入された改良型の90mm戦車砲M3A1に換装するだけの、泥縄的かつ能力的には完全ではないものの、それなりの戦闘能力を有する戦車を早急に実戦化することができるという、いわば折衷案が採られることになった。
それが、M26中戦車の暫定改良型であるM26A1中戦車である。
その改良骨子となったのはM26中戦車が装備していた90mm戦車砲M3に対して、新型の軽量型単作動式砲口制退機への換装と、その直後への排煙機新設、さらにM67砲架への軽量型駐退スプリングへの換装と俯仰安定化装置の新設であり、この改良型90mm戦車砲は「M3A1」、そして砲架は「M67A1」として制式化された。
そして420両のM26中戦車がM26A1中戦車へと変身し、朝鮮戦争に同じくM26中戦車から改修されたM46中戦車と共に送られ、本格的な実戦参加を果たした。
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+T26E1-1重戦車
M26重戦車に搭載された50口径90mm戦車砲M3は、開発時のライバルと目されたドイツ軍のティーガー戦車が搭載する56口径8.8cm戦車砲KwK36とほぼ同等の性能を備えていた。
しかし連合軍が1944年6月にノルマンディーに上陸した時点では、すでにドイツ軍はより長砲身で装甲貫徹力が強化された71口径8.8cm戦車砲KwK43を備える新型戦車ティーガーIIを戦列化していたのである。
そして実戦に投入されたティーガーII戦車との遭遇により、M26重戦車の90mm戦車砲M3では対抗することは困難と判断され、アメリカ陸軍はこの砲を長砲身化して装甲貫徹力の強化を図った改良型の開発に踏み切った。
これが90mm戦車砲T15でありその口径長は70口径に達する長大なもので、開発作業はニューヨーク州のウォーターヴリート工廠の手で進められた。
その中で最終的にT15E1砲とT15E2砲が試作され、まずT15E1砲がT26E1重戦車の試作第1号車の主砲と換装する形で装着された。
このT15E1砲は、新規に開発されたT30E16 APCR(硬芯徹甲弾)を使用した場合砲口初速1,143m/秒、M26重戦車が使用するT33
APCBC(風帽付被帽徹甲弾)を使用した場合でも砲口初速は975.4m/秒に達し、射距離2,600ヤード(2,377m)でパンター戦車の前面装甲板を貫徹することが可能だった。
ただしいずれの砲弾も全長は1.27mと長く、そのままではT26E1重戦車の砲塔内への収容はもちろん、床下へ収めることも困難だったため、砲弾は弾頭と薬莢を分けたいわゆる分離方式に改めることになった。
この分離式砲弾を射撃できるよう、T15E1砲の薬室などに変更を加えたものがT15E2砲であった。
最初に試作されたT15E1砲をT26E1重戦車の試作第1号車に装備するのに際しては、射撃時に生じる大きな後座量への対処として砲塔上面に長いコイル・スプリング(螺旋ばね)を装着して、シリンダーを主砲の砲身と結合することでその対処とした。
写真でも分かるようにかなり不細工なスタイルとなったが、これで射撃は問題無く実施することができたという。
そして、1945年1月に改造作業を終えたT26E1-1重戦車(これはこの車両の砲塔側面に「T26E1-1」と書かれていたため、あくまでも便宜上そう呼称するが、実際の試作呼称は「T26E1」のままであった)は早速試験に供されたが、同年3月には「T26E4」の試作呼称で2両の改造が求められ、ひとまず1,000両の生産が承認されて計画はさらに前進することになった。
やはりその影には、ドイツ軍のティーガーII戦車の存在があったものと思われる。
なお、完成したT26E1-1重戦車の試作車のうちT15E1砲を搭載した試作第1号車(車両登録番号30103292)は、後述するT26E4重戦車の試作車で用いられた2本のスプリングをそれぞれ金属製のチューブに収容したものに換装された上で、北ヨーロッパに展開していたアメリカ陸軍第3機甲師団第635戦車駆逐大隊に送られて実戦試験に供された。
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+スーパー・パーシング重戦車
70口径90mm戦車砲T15E1を搭載したT26E1-1重戦車の試作第1号車は、1945年3月15日にドイツに展開していたアメリカ陸軍第3機甲師団に届けられ、同師団の整備大隊の手で整備が実施されたが、この時に彼らは独自の装甲強化を加えることにした。
これが、スーパー・パーシング重戦車のルーツである。
火力では充分ティーガーII戦車に対抗できるT26E1-1重戦車であったが、装甲に関しては充分とはいえず、このため鹵獲したパンター戦車の80mm厚前面装甲板を切断し、主砲防盾前面に溶接した。
加えて車体前面にも上下に分けた形で、強い傾斜角となるよう上下共に2枚ずつ装甲板を溶接したが、これもパンター戦車の前面上下装甲板から切断したものが用いられたようである。
そして車体機関銃の射撃を可能とするため、パンター戦車のボールマウント式機関銃架の鋳造製装甲ブロックが切除されてその孔を流用したが、装甲板が足りなくなったために上方部分は上から装甲板を溶接しており、このため少々不恰好な段差や隙間が生じることになり、いかにも現地製作車らしい雰囲気を漂わせることになった。
さらに作業の便を図って、車体前面には吊り下げ用のアイプレート2枚と円形リング1枚が溶接されている。
この装甲強化に伴い、T26E1-1重戦車の試作第1号車は「スーパー・パーシング」と呼称されるようになった。
これで火力、装甲ともティーガーII戦車に匹敵する戦車を得た第3機甲師団は、隷下の第635戦車駆逐大隊(牽引式の90mm対戦車砲T8とその牽引車T5E2を装備)にスーパー・パーシング重戦車を送り込み、前線に投入した。
しかし時すでに遅く、ティーガーII戦車と遭遇する機会の無いままに終戦を迎えている。
そして唯一のスーパー・パーシング重戦車は、本国に帰還すること無く戦後間もなくドイツのカッセルに設けられた集積場に送られ、そこでスクラップとなって姿を消した。
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+T26E4重戦車
1945年3月に発注された、70口径90mm戦車砲T15を搭載するT26E4重戦車の試作車2両は、オハイオ州クリーヴランドのウェルマン工業の手で改造作業が行われた。
その試作第1号車は基本的にT15E1砲を装備したT26E1-1重戦車に準じるものであったが、主砲は分離式砲弾を用いるT15E2砲に換わり、砲塔上面に装着された駐退機構のスプリングはやや直径を減じて2本とし、金属製のチューブに収容するスタイルに改められた。
もちろん、後座量のさらなる減少も図られていたのであろう。
加えて主砲の俯仰機構の強化や砲塔旋回リングへのロック機構の新設、強化型砲架T119への換装、砲塔後面への平衡錘の装着、弾薬庫の変更という改良も盛り込まれていた。
続いて改造されたT26E4重戦車の試作第2号車は写真が残されており、車両登録番号が30119907と判明しているのでM26重戦車の生産型から改造されたことが分かる。
T26E4重戦車は、長砲身90mm戦車砲の搭載により車体サイズとのバランスが整ったスタイルに変身し、M26重戦車に比べてかなり強そうな印象を与えて見る者に畏怖さえ感じさせた。
なお、弾薬庫の変更によりT26E4重戦車は車内に54発の分離式砲弾を収容でき、主砲の右側に装着された照準望遠鏡も射撃時の衝撃に耐える強化型M71E4に換装された。
また砲架の変更に伴い主砲の俯仰角は−10〜+20度と若干減少したが、対戦車戦闘ではほとんど問題とはならなかったようである。
当初は1,000両の生産が考えられていたT26E4重戦車であったがドイツ、そして日本の降伏により必要性が無くなったため、25両のみがグランドブランク工廠に発注されて生産が開始された。
T26E4重戦車の生産型第1号車は1947年1月からアバディーン車両試験場において試験を開始し、試作車で砲塔上面に装着されていた駐退装置は、ようやく砲塔内に収められることになり姿を消した。
しかし試験では分離式砲弾装填の煩雑さが指摘され、戦車の砲弾は従来どおりの一体式が望ましいとの判断が下された。
完成した25両のT26E4重戦車は、部隊に配備されること無くアバディーン車両試験場とフォートノックスでの試験に供され、一部は射撃標的として用いられたという。
このため本車には制式呼称は与えられず、生産は行われたものの最後まで試作呼称のT26E4のままであった。
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+T26E5重戦車
アメリカ陸軍はノルマンディー上陸後の市街戦などに供するため、M4A3中戦車の装甲強化型に関する開発を1944年に入って間もなく開始し、M4A3E2ジャンボ突撃戦車として具現化した。
そして北フランスでの戦闘に投入すると期待した以上の働きを見せたことを受け、当時開発の最終段階に入っていたT26E3重戦車をベースとする装甲強化型を開発することが決定した。
この際に求められたのは車体前面の装甲厚を108mmに、砲塔全周を203.2mmとするもので、M4A3E2突撃戦車の場合は車体の装甲強化は増加装甲板を装着し、砲塔は専用の装甲強化型を用いたが、T26E3装甲強化型では車体、砲塔とも新規に製作された。
この装甲強化によりT26E3装甲強化型の戦闘重量は43tに達すると試算されたので、接地圧低減を図ってT80E1履帯の外側エンドコネクターを幅127mmに拡大した専用のものに改めた。
これは、M4A3E2突撃戦車に装着された延長型コネクター「ダックビル」(Duckbill:アヒルのくちばし)と同じ発想だが、より延長された専用のものとなっていた。
このためサイドスカートとフェンダーの間に延長部を追加していることも、T26E3重戦車との外見的変化である。
そして1945年1月18日付で、T26E3重戦車の生産ライン上で10両の装甲強化型を完成させることが通達され、2月8日には「T26E5」の試作呼称が付与された。
しかし3月29日付で装備委員会からさらに各部の装甲厚を増大させ、生産数も27両に増やすことが求められた。
この要求に従いT26E5重戦車の車体前面の装甲厚は上部が152.4mmに、下部が101.6mmとされ、下部の傾斜角は37度から36度とわずかに変化することになった。
同様に砲塔は前面が190.5mmに、側面が88.9mmとされ、砲塔後面は後述する主砲防盾の重量増大に伴って、重量バランスを取るための平衡錘とするため127mmとされた。
主砲防盾の装甲厚は279.4mmとT26E3重戦車の約2.5倍に強化され、形状も改められている。
また主砲防盾の装甲強化に伴って、主砲の重心位置調整のため防危板に27kgの錘が装着された。
加えて砲塔リングの前部には、弾片などがリング内に侵入することを防ぐため跳弾ブロックが新設され、主砲防盾のサイズ拡大により開いた際の干渉を避けて、正/副操縦手用ハッチ後方部の幅が若干短縮されたことも変化の1つである。
これら各部に対する装甲強化によりT26E5重戦車の戦闘重量は46.4tへと増大し、前述の延長型エンドコネクターを装着してもその接地圧は195kg/cm2という大きな値となってしまった。
しかしエンジンの出力増大などは不可能と判断され、最終減速機のギア比を1:3.95から1:4.47に変更することでお茶を濁した。
このため路上最大速度は20マイル(32.19km)/h、巡航速度も25マイル(40.23km)/hと、T26E3重戦車と比べると走行性能に劣る車両となってしまったことは否めない。
T26E5重戦車は1945年6月にはデトロイト工廠で生産が開始され、その生産型第1号車(車両登録番号30150824)は7月からアバディーン車両試験場で試験に供された。
しかし、機関系を変更せずに4.5tも重量が増大したために当然ながらその走行性能は不充分なもので、すでに大戦が終了したことも手伝い当初に予定していた27両の生産のみに留まり、完成した車両も部隊に引き渡されること無く各種試験に従事しただけであった。
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<T26重戦車>
全長: 8.09m
車体長:
全幅: 3.51m
全高: 2.77m
全備重量: 43.1t
乗員: 5名
エンジン: フォードGAF 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 500hp/2,600rpm
最大速度: 45.0km/h
航続距離: 121km
武装: 50口径90mm戦車砲M3×1 (70発)
12.7mm重機関銃M2×1 (550発)
7.62mm機関銃M1919A4×2 (5,000発)
装甲厚: 12.7〜114.3mm
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<T26E1重戦車>
全長: 8.25m
車体長:
全幅: 3.513m
全高: 2.779m
全備重量: 39.6t
乗員: 5名
エンジン: フォードGAF 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 500hp/2,600rpm
最大速度: 48.28km/h
航続距離: 161km
武装: 50口径90mm戦車砲M3×1 (70発)
12.7mm重機関銃M2×1 (550発)
7.62mm機関銃M1919A4×2 (5,000発)
装甲厚: 12.7〜114.3mm
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<M26重戦車>
全長: 8.649m
車体長: 6.327m
全幅: 3.513m
全高: 2.779m
全備重量: 41.892t
乗員: 5名
エンジン: フォードGAF 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 500hp/2,600rpm
最大速度: 48.28km/h
航続距離: 161km
武装: 50口径90mm戦車砲M3×1 (70発)
12.7mm重機関銃M2×1 (550発)
7.62mm機関銃M1919A4×2 (5,000発)
装甲厚: 12.7〜114.3mm
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<M26A1中戦車>
全長: 8.649m
車体長: 6.327m
全幅: 3.513m
全高: 2.779m
全備重量: 41.892t
乗員: 5名
エンジン: フォードGAF 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 500hp/2,600rpm
最大速度: 48.28km/h
航続距離: 161km
武装: 50口径90mm戦車砲M3A1×1 (70発)
12.7mm重機関銃M2×1 (550発)
7.62mm機関銃M1919A4×2 (5,000発)
装甲厚: 12.7〜114.3mm
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<T26E4重戦車>
全長: 10.30m
車体長: 6.327m
全幅: 3.513m
全高: 2.779m
全備重量: 43.5t
乗員: 5名
エンジン: フォードGAF 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 500hp/2,600rpm
最大速度: 40.23km/h
航続距離: 161km
武装: 70口径90mm戦車砲T15E2×1 (54発)
12.7mm重機関銃M2×1 (550発)
7.62mm機関銃M1919A4×2 (5,000発)
装甲厚: 12.7〜114.3mm
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<T26E5重戦車>
全長: 8.649m
車体長:
全幅: 3.76m
全高: 2.779m
全備重量: 46.4t
乗員: 5名
エンジン: フォードGAF 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 500hp/2,600rpm
最大速度: 32.19km/h
航続距離: 161km
武装: 50口径90mm戦車砲M3×1 (70発)
12.7mm重機関銃M2×1 (550発)
7.62mm機関銃M1919A4×2 (5,000発)
装甲厚: 12.7〜279.4mm
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兵器諸元(M26重戦車)
兵器諸元(T26E4重戦車)
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<参考文献>
・「パンツァー2013年2月号 アメリカのTシリーズ試作戦車(12) T23中戦車/T24軽戦車/T25中戦車シリーズ」
大佐貴美彦 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年3月号 アメリカのTシリーズ試作戦車(13) T25/T26中戦車シリーズ」 大佐貴美彦 著
アルゴノート社
・「パンツァー2013年4月号 アメリカのTシリーズ試作戦車(14) T26中戦車シリーズ/T28突撃戦車」 大佐貴美彦
著 アルゴノート社
・「パンツァー2009年1月号 M26パーシング戦車の開発、構造と戦記」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「パンツァー2006年10月号 アメリカ陸軍 T25/T26試作中戦車」 中川未央 著 アルゴノート社
・「パンツァー2016年7月号 アメリカのT25/26試作中戦車」 大佐貴美彦 著 アルゴノート社
・「パンツァー2000年4月号 アメリカのM26パーシング戦車」 水野靖夫 著 アルゴノート社
・「パンツァー2009年5月号 M26誕生秘話」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2015年3月号 M26重戦車シリーズ(1) M26/M46の開発と構造&派生型」 後藤仁 著 ガリレ
オ出版
・「グランドパワー2015年4月号 M26重戦車シリーズ(2) M26/M46の戦歴&M47の開発と構造」 後藤仁 著
ガリレオ出版
・「世界の戦車(1)
第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「グランドパワー2002年11月号 M26重戦車パーシング(1)」 後藤仁 著 デルタ出版
・「グランドパワー2002年12月号 M26重戦車パーシング(2)」 後藤仁 著 デルタ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「世界の戦車イラストレイテッド19 M26/M46パーシング戦車
1943〜1953」 スティーヴン・ザロガ 著 大日
本絵画
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