+概要
M18 76mm対戦車自走砲は、アメリカ陸軍が1942年4月よりM10 3インチ対戦車自走砲と並行して開発を開始した軽対戦車自走砲である。
本車は当初「T49」の試作呼称が与えられ、ジェネラル・モータース社の子会社であるミシガン州デトロイトのビューイック社の手で1942年中頃に試作車が完成したが、この車両はクリスティー式サスペンションを持つ小型車体に、37mm戦車砲を装備する全周旋回式砲塔を搭載したものであった。
しかし、北アフリカ戦線でドイツ軍戦車と交戦したイギリス軍戦車が火力不足に苦しんだ戦訓から火力の強化が望まれたため、同じ車体にM4中戦車と同じ37.5口径75mm戦車砲M3を搭載した試作車T67が1942年後半に製作され試験を受けた。
続いて1943年1月には、サスペンションをトーションバー(捩り棒)式に改めた新規設計の車体に、新型の52口径76.2mm戦車砲M1を搭載した試作車T70の設計が開始された。
トーションバー式サスペンションは、鹵獲したドイツ軍のIII号戦車に採用されていたものを参考にビューイック社がアメリカで初めて完成させた技術であった。
当時戦雲急を告げる状況で、ドイツ軍の新型戦車ティーガーIの登場もあったことから、気が早いことにT70対戦車自走砲がまだ設計段階にあった1943年1月に、アメリカ陸軍は1,000両もの大量発注を行っている。
そして早くも1943年7月にT70対戦車自走砲の先行量産が開始され、1944年2月には「M18 76mm自走加農砲」(76mm Gun Motor
Carriage M18)として制式採用されるに至った。
M18対戦車自走砲は、当初アメリカ陸軍が構想した対戦車自走砲の姿を最も忠実に具現したものといえた。
装甲厚は車体主要部で0.5インチ(12.7mm)、最大厚の砲塔前面でも1インチ(25.4mm)と、自走砲として必要最小限のものとして戦闘重量を37,557ポンド(17.036t)に抑え、信頼性の高いトーションバー式サスペンションの足周りと、M4中戦車と同じニュージャージー州パターソンのライト航空産業製のR-975-C1
星型9気筒空冷ガソリン・エンジン(出力400hp)を組み合わせて、路上最大速度50マイル(80.47km)/hの機動性能を発揮させた。
これは、第2次世界大戦時における装軌式車両としては最速の値である。
生産型第1350号車以降は、出力増大型のR-975-C4エンジン(出力460hp)を搭載している。
そしてM4中戦車シリーズの後期型に装備されたのと同じ、長砲身の76.2mm戦車砲M1を搭載した強力なパンチ力は、まさにヒット・エンド・ラン兵器の有るべき姿を示すものに見えた。
主砲の76.2mm戦車砲M1は、弾頭重量7kgのM62 APC(被帽徹甲弾)を砲口初速792m/秒で発射し、射距離500mで100mm、1,000mで90mmの直立したRHA(均質圧延装甲板)を貫徹できた。
これらの性能は、M10対戦車自走砲に搭載された高射砲改造の50口径3インチ(76.2mm)戦車砲M7とほぼ同等であった。
M18対戦車自走砲の構造は、車体外板の形状といいオープントップの砲塔形状といい、M10対戦車自走砲やその発展型であるM36 90mm対戦車自走砲と非常に良く似ていたが、大きさがM10/M36対戦車自走砲と比べて相当に小さいため、対戦車自走砲としてアンブッシュ戦術を実施するのに適していた。
なお、本車に搭載された76.2mm戦車砲M1にはM1A1、M1A1C、M1A2の3種類がある。
M1A1CとM1A2では砲身先端に砲口制退機が装着されており、M1A2では砲身内部のライフリングの間隔を詰めて長射程時の弾道の安定性が高められていた。
76.2mm砲弾の携行数は徹甲弾、榴弾、煙幕弾合計で45発である。
「ヘルキャット」(Hellcat:あばずれ、性悪女)という非公式の愛称が与えられたM18対戦車自走砲は、1943年7〜12月に812両、1944年1〜10月に1,695両の合計2,507両がビューイック社で生産され、1944年6月のノルマンディー上陸作戦以降の北西ヨーロッパ戦線や、1944年1月のアンツィオ上陸作戦後のイタリア戦線で戦車駆逐大隊の主力装備として活躍した。
戦車駆逐大隊は3個中隊で編制され、合計36両のM18対戦車自走砲を装備していた。
なおM18対戦車自走砲の派生型として、「M39汎用装甲車」(Armored Utility Vehicle M39)が開発されている。
これは本車の最大の特徴である高速性能・低姿勢に着目し、砲塔を外して装軌式装甲車としたもので、兵員輸送車、牽引車または偵察車として使えた。
M39汎用装甲車は、1945年3月までに640両が生産されている。
またM18対戦車自走砲の火力強化を図って、50口径90mm戦車砲M3を装備するM36対戦車自走砲の砲塔をそのまま搭載したスーパー・ヘルキャット対戦車自走砲が試作されており、試験の結果は良好だったが第2次世界大戦の終結と共にキャンセルされ、量産には至らなかった。
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