M15対空自走砲
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+概要
アメリカ陸軍兵器局は1941年9月から、54口径37mm対空機関砲M1A2 1門と、12.7mm重機関銃M2 2挺を装備するM42複合砲架を、M2ハーフトラックの車体に搭載したT28対空自走砲の開発に着手した。
この複合砲架のアイデアは、まず12.7mm重機関銃から放たれた曳光弾の飛跡によって対空砲を目標航空機へと指向し、曳光弾が命中し始めた時点で37mm対空機関砲の射撃を開始し、撃墜を確実にするというものであった。
この37mm対空機関砲は、12.7mm重機関銃M2と同じくジョン・モーゼス・ブラウニング技師が設計したもので、1926年にブラウニングが亡くなった後しばらく放置されていたが、アメリカ陸軍で「M1」、海軍で「AN-M4」として採用された。
37mm対空機関砲M1は改良型のM1A2と共に、コネティカット州ハートフォードのコルト火器製作所で7,278門が生産された。
なお、強力なドイツ軍の航空戦力に対抗するため、アメリカ軍はより多くの対空機関砲を必要としており、さらに威力の高いスウェーデンのボフォース社製の56.3口径40mm対空機関砲L/60を、コルト社より大規模な生産設備を持つ、ミシガン州オーバーンヒルズのクライスラー社の手でライセンス生産することになった。
しかし、L/60のライセンス生産型である56.3口径40mm対空機関砲M1は生産準備に手間取ったため、同砲の生産が軌道に乗るまで、37mm対空機関砲M1/M1A2は全戦域で使用された。
37mm対空機関砲M1A2は40発/分以上の実用発射速度を有し(最大発射速度は120発/分)、12.7mm重機関銃M2は2挺で1,100発/分(最大)を発射できた。
しかし、当時防空兵器の開発を管轄していた沿岸砲兵委員会は、同時期に開発が進められていた12.7mm重機関銃M2を4連装で装備するT60機関銃架を、M2ハーフトラックの車体に搭載したT37対空自走砲の方を気に入ったため、T28対空自走砲の開発は1942年4月に中止された。
ところが同年6月中旬になって、アメリカ陸軍機甲本部は準備段階に入った北アフリカ上陸作戦に備えて、機甲部隊に随伴できる対空車両の開発を兵器局に要求した。
このためT28対空自走砲の開発が再開されることになり、ベース車体をより兵員室の容積が広いM3ハーフトラックに変更したT28E1対空自走砲に発展した。
アメリカ陸軍はT28E1対空自走砲に臨時制式を与え、1942年6〜8月にかけてアラバマ州バーミンガムのオート・カー社で80両が生産された。
完成したT28E1対空自走砲はチュニジアに派遣されたアメリカ軍に配備され、1943年まで現地で戦った。
T28E1対空自走砲は3カ月の間に78機のドイツ軍機を撃墜する戦果を挙げ、複合砲架システムの有効性を実証した。
カセリーヌ峠の戦いではドイツ軍機39機撃墜を報告しているが、そのほとんどはJu87シュトゥーカ急降下爆撃機であった。
北アフリカにおけるT28E1対空自走砲の成功に気を良くしたアメリカ陸軍は、1942年10月に本車を「M15複合自走砲」(Combination Gun Motor Carriage M15)として制式化し、さらに600両を追加発注した。
追加発注分のM15対空自走砲は1943年2〜4月にかけてオート・カー社で生産され、M15対空自走砲の総生産数は680両となった。
なお追加発注分の車両には、北アフリカ戦で得られた戦訓を基にした改良が加えられた。
T28E1対空自走砲は、砲操作員の防護が考慮されていなかった点が部隊から不評であったため、生産再開前に砲操作員を防護する箱型の防盾が開発され、追加発注分の車両に装着された。
また従来は水冷銃身であった12.7mm重機関銃M2も、戦場での給水の問題から追加発注分の車両では空冷銃身に変更された。
しかし、防盾や車載装備の追加による重量増加のためにM3ハーフトラックのシャシーは限界に達し、M15対空自走砲は故障が多発した。
このため、M15対空自走砲に軽量化を図った新型のM54複合砲架を採用するなどの改良が図られることになった。
改良型は1943年8月12日に「M15A1複合自走砲」(Combination Gun Motor Carriage M15A1)として制式化され、同年9月に量産が承認された。
M15A1対空自走砲は、1943年10月〜1944年2月にかけて1,652両がオート・カー社で生産された。
なお生産中に部隊から、新型のM54複合砲架は操縦手席の誤射事故を誘発する設計になっているとのクレームの声が上がったため、生産途中から誤射防止のガードレールが装着されるようになった。
さらに改修キットが用意され、すでに配備済みのM15A1対空自走砲に対しても、野戦修理デポでガードレールの装着が行われた。
1944年の時点では、アメリカ陸軍の各機甲師団は1個対空砲兵中隊を持ち、M15対空自走砲とM16対空自走砲をそれぞれ8両ずつ装備していた。
加えて軍および軍団直轄部隊として対空砲兵大隊が置かれ、M15対空自走砲とM16対空自走砲が各32両ずつ装備され橋梁、司令部、鉄道連接点といった価値の高い施設の防備に当たった。
しかしすでにドイツ空軍が弱体化していたため、対空自走砲の対空戦闘機会はほとんど発生しなかった。
その結果、対空自走砲は地上戦闘の火力支援に駆り出されることが多くなったが、M15対空自走砲の装備する37mm対空機関砲は地上戦闘でも大きな威力を発揮した。
なおM15/M15A1対空自走砲の内、レンドリース供与に回されたのはわずかに100両だけで、全てソ連へと送られた。
M15A1対空自走砲はM16対空自走砲と共に、第2次世界大戦終了後もアメリカ陸軍に残り、1950年6月に勃発した朝鮮戦争で使用された。
その後、多くのM15A1対空自走砲が「MAP」(Military Assistance Program:軍事支援プログラム)に従って西側友好国に供与され、日本の陸上自衛隊にも98両のM15A1対空自走砲が供与された。
陸上自衛隊のM15A1対空自走砲は、1990年までに全て退役している。
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<M15対空自走砲>
全長: 6.007m
全幅: 2.489m
全高: 2.642m
全備重量: 9.072t
乗員: 7名
エンジン: ホワイト160AX 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 147hp/3,000rpm
最大速度: 72.42km/h
航続距離: 322km
武装: 54口径37mm対空機関砲M1A2×1 (240発)
12.7mm重機関銃M2×2 (3,400発)
装甲厚:
6.35〜12.7mm
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<M15A1対空自走砲>
全長: 6.007m
全幅: 2.489m
全高: 2.642m
全備重量: 9.072t
乗員: 7名
エンジン: ホワイト160AX 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 147hp/3,000rpm
最大速度: 72.42km/h
航続距離: 322km
武装: 54口径37mm対空機関砲M1A2×1 (200発)
12.7mm重機関銃M2×2 (1,200発)
装甲厚:
6.35〜12.7mm
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<参考文献>
・「パンツァー2002年2月号 陸自の車輌・装備シリーズ M15A1/M16対空自走砲」 田村尚也 著 アルゴノート
社
・「パンツァー2005年11月号 M3ハーフトラック・シリーズ(2) そのバリエーション」 吉田直也 著 アルゴノート社
・「パンツァー2003年2月号 M3ハーフトラック改造の対空車輌」 水梨豊 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年7月号 陸上自衛隊の対空車輌の変遷」 柘植優介 著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年8月号 ハーフトラック改造の対空自走砲」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2012年12月号 ハーフトラック改造の対空車輌」 平田辰 著 アルゴノート社
・「パンツァー2005年11月号 陸上自衛隊 M15A1自走対空砲架」 アルゴノート社
・「パンツァー2015年12月号 陸上自衛隊 対空装備の半世紀」 アルゴノート社
・「陸自車輌50年史」 アルゴノート社
・「第2次大戦 米英軍戦闘兵器カタログ Vol.2 火砲/ロケット兵器」 稲田美秋/箙浩一 共著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2006年11月号 M2/M3ハーフトラック(3)」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(3)
装軌/半装軌式戦闘車輌:1918〜2000」 デルタ出版
・「第2次大戦
イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「世界の戦車イラストレイテッド32 M3ハーフトラック
1940〜1973」 スティーヴン・ザロガ 著 大日本絵画
・「自衛隊歴代最強兵器
BEST200」 成美堂出版
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