M103戦車
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+T43戦車
第2次世界大戦終了直後の1945年9月7日に、ドイツの首都ベルリンにおいて連合軍代表部隊の合同記念軍事パレードが挙行されたが、このパレードに参加したソ連軍のIS-3重戦車を目にした西側の将軍たちは強い衝撃を受けた。
IS-3重戦車は、ソ連軍がIS-2重戦車の後継として開発したもので、1945年5月から部隊への引き渡しが開始されたばかりの新鋭重戦車であった。
IS-3重戦車の最大の特徴は、車体と砲塔のデザインに避弾経始が徹底的に考慮されていたことで、最大装甲厚がIS-2重戦車の倍近い220mmに達していたにも関わらず、戦闘重量はほぼ同じ46tに収められていた。
主砲は、IS-2重戦車と同じく43口径122mm戦車砲D-25Tを装備していたが、この砲は、第2次世界大戦で米英軍戦車が苦戦したドイツ軍のパンター戦車や、ティーガー戦車を遠距離から撃破できる威力を持っていた。
この軍事パレード以降、IS-3重戦車の脅威は西側軍事筋の脳裏にくっきりと焼き付けられ、アメリカやイギリスは、この戦車に対抗するための新型重戦車の開発に狂奔することになる。
アメリカ陸軍は1948年8月に、新たなコンセプトに基づいた軽、中、重各種戦車の開発計画をスタートさせたが、新型重戦車については、このIS-3重戦車を遠距離から撃破できる性能を持つことが求められた。
当初のプランは、当時ミシガン州ウォーレンのデトロイト工廠の手で開発が進められていたT34重戦車をベースとしながら、車体長の短縮を図り各部に増加装甲を装着して、新型の軽量型120mm戦車砲を装備するというものであり、試算では戦闘重量58tとなるとされていた。
1948年12月1日、この新型重戦車は「T43」の試作呼称で開発が決まり、基本仕様がまとめられた。
これによると、砲塔リング径はT34重戦車と同じ80インチ(2,032mm)とされたが、乗員は車体機関銃手と装填手1名が減って4名となり、転輪もT34重戦車の片側8個から7個に減らされた。
エンジンはT34重戦車と同様、アラバマ州モービルのコンティネンタル自動車製の、AV-1790 V型12気筒空冷ガソリン・エンジン(出力810hp)が用いられたが、その発展型としてスーパーチャージャーを装着し、出力を1,040hpに増大した強化型エンジンの搭載も考慮されていた。
変速・操向機もT34重戦車と同じく、インディアナ州インディアナポリスのGM(ジェネラル・モータース)社アリソン変速機部門製の、クロスドライブ式自動変速・操向機CD-850(前進2段/後進1段)が用いられ、履帯の幅は71cmで接地圧は4.56kg/cm2と計算された。
主砲の軽量型120mm戦車砲は、ユタ州オグデンのブラウニング火器製作所製の12.7mm重機関銃M2を同軸装備としてT140砲架に載せられており、3基の駐退復座機を備えていた。
さらに砲塔の左右側面に張り出しを設けて、砲塔内からの操作が可能な同社製の7.62mm機関銃M1919A4E1をそれぞれ収め、砲塔の上面には対空用として12.7mm重機関銃M2が装備された。
主砲は動力により旋回と俯仰が行われ、測遠機、直接照準機、見越し角計算機、展望式照準望遠鏡などから成るFCS(射撃統制装置)を備え、自動装填装置を装備することになっていた。
また車体前面上部の装甲厚は5インチ(127mm)で、58度の傾斜角を有していた。
この基本案にはさらなる改良が加えられることになり、車体は当時開発が進められていたT48中戦車(後のM48パットン戦車)と同様の鋳造製の舟形形状に変更され、砲塔もまた、同等の耐弾性を備えながら重量軽減が図られた半球状のものに改められた。
1949年10月から実物大モックアップの製作に入り、同年12月には審査が行われて、1950年4月24日にはT43重戦車の基本仕様が公表された。
これによると、砲塔リング径は85インチ(2,159mm)に拡げられ、乗員は車長、砲手、操縦手、装填手2名の計5名とされたが、装填手が2名に増えたのは自動装填装置の開発が思うように進まず、導入を取り止めたためである。
車体前面上部の装甲厚は5インチのままだったが、傾斜角は60度に増え、戦闘重量は55tに減少していた。
また、主砲の駐退復座機は常識的な2本配置に改められ、同軸機関銃は主砲の左右に装着され、7.62mmもしくは12.7mm機関銃の装備が予定されていた。
砲塔の左右側面の7.62mm機関銃は廃止され、砲手用バックアップとして潜望式の照準機が新たに装備された。
1950年11月7日、アメリカ陸軍は従来の戦車分類に用いていた軽、中、重といったカテゴリーを改め、主砲口径による分類に変更した。
これに従ってT43重戦車も、「120mm砲戦車T43」(120mm Gun Tank T43)と呼称が変化している。
もっともこれは呼称だけで、その内容は重戦車そのものであった。
1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発したことに伴い、T43戦車は早急な実戦化が求められ、同年12月にはミシガン州オーバーンヒルズのクライスラー社に対して、80両のT43戦車の製作が発注された。
その後発注数は300両に増えたが、この中には試作車6両も含まれていた。
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+T43E1戦車
朝鮮戦争の勃発により開発に拍車がかけられたT43戦車は、1951年6月には試作第1号車がメリーランド州のアバディーン車両試験場に到着した。
この試作車は、以前に製作された実物大モックアップとはかなり異なっており、車体、砲塔共に大きな変化が見られた。
加えて試作第4号車以降には、クライスラー社独自の改良が加えられており、このため呼称も「T43E1」と改められることになった。
試作第3号車までは、主砲に60口径120mm戦車砲T122を用いていたが、第4号車以降は改良型の120mm戦車砲T123に変更されており、さらなる装甲貫徹力の向上が図られた。
120mm戦車砲T123では駐退復座機が4本に増え、砲架は以前と同じT140が用いられたが、試験の結果信頼性に難があることが判明したため、1952年7月17日付で新型のT154砲架への換装が決まった。
またこの砲架の換装に併せて、主砲も砲架に適応する120mm戦車砲T123E1に変更され、併せて車両自体も「T43E1」と呼称が変更されている。
鋳造製の大型砲塔の上面後部中央には、M47パットン戦車で用いられた、5基の視察ブロックを内蔵して前部に固定式ペリスコープを備えた車長用キューポラが設けられており、砲塔右側面には乗降用の梯子が、左側には対空用の12.7mm重機関銃のマウントがそれぞれ取り付けられていた。
車長用キューポラの左側には大きな円形ヴェンチレイターが装備され、その前方には装填手用ハッチが設けられていた。
また試作第1号車では、砲塔の左側面に円形のガンポートを装備していたが、第2号車以降では防御上の見地から廃止されてしまった。
砲手は、主砲の右側に装着された直接照準機を用いて照準を行い、車長席にはM14基線長式測遠機が装備された。
車体前部中央に位置する操縦手席は、上部に回転式ハッチを備え、前方にはT36ペリスコープが3基装備されていたが、第5〜第59号車ではT25ペリスコープに変更され、第60号車以降ではT26ペリスコープに替わった。
また操縦手用ハッチは、最初の60両ではM48戦車と同じ小型のものが用いられたが、第61号車からはM48A1戦車で採用された大型のものに変更されている。
さらに生産の早い段階で、操縦手用ハッチの上部には回転式赤外線ペリスコープT41が装備された。
試作車では、車体前部のライトにコの字形のガードを備えていたが、生産型ではこのガードが円形に変わり、砲塔右側面の乗降用梯子も廃止された。
同様に試作車では、機関室前方に設けられているマフラーの左右に変向板が立てられていたが、生産型では廃止されている。
さらに生産型では、車長用キューポラがクライスラー社の手になる新型の背の低いものに変更された。
これは、M48戦車の初期生産車で用いられたものと同じものであり、前部に12.7mm重機関銃のマウントが設けられ、砲塔内からの射撃が可能であったが、再装填に際してはハッチを開く必要があった。
これにより、砲塔左側の機関銃マウントは廃止されている。
加えてヴェンチレイターは、砲塔左後方に張り出しを設けてこの部分に収容され、砲塔上面後方左右に立てられていたアンテナも、砲塔後面中央と右後方に張り出しを設けて取り付けるという方式に改められた。
また試作車では、操縦手用ハッチの左右に暖房用ヒーターの排気管が突出していたが、試験の結果、操縦手がハッチを開けて車外に顔を出した場合、排気が操縦手の顔に当たってしまうことが判明したため、カーブしながらフェンダー端まで伸びる排気管が追加された。
そして生産型では排気管は右側のみに変更され、その形状も単純な直線に変わっている。
T43E1戦車の初期生産車では車体後面に、走行中に主砲の砲身を固定する2本の起倒式トラヴェリング・クランプが装着されていたが、試験の結果安定性に難があったため、機関室後方にさらに起倒式のアームが追加された。
1953〜54年にかけて、デラウェア州のクライスラー社ニューアーク工場において、300両のT43E1戦車が完成した。
1953年5月には、試作第6号車と生産型である第8号車が試験のために朝鮮へ送られ、1954年10月までに2両合わせて7,030kmを走破し、主砲弾を176発射撃している。
この際に提出された報告書では砲塔と主砲、弾薬、FCSなどの問題が指摘され、CONARC(Continental Army Command:アメリカ陸軍司令部)の標準装備としては不適切とされてしまった。
この結果、CONARCはT43E1戦車の配備を取り止め、1955年8月には保管状態とすることが決定された。
しかし、検討の結果1955年11月に資材資格報告局は、CONARCが問題としている98カ所の改良を提案する運びとなった。
この中には、砲塔操作装置やFCSの換装が含まれる大掛かりな改修であったが、1956年2月に承認され、4月26日に「120mm砲戦車M103」(120mm
Gun Tank M103)として制式化された。
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+M103戦車
M103戦車は、60口径120mm戦車砲M58(T123E1)の左右に同軸機関銃として、7.62mm機関銃M1919A4E1を装備しており、M89砲架(T154砲架)に載せていた。
車長用キューポラは、一部に改良が加えられたM4キューポラに替わり、車内操作式の12.7mm重機関銃M2はそのまま残されていた。
パワーパックは、コンティネンタル社製のAV-1790-5C V型12気筒空冷ガソリン・エンジン(出力810hp)と、アリソン社製のCD-850-4クロスドライブ式自動変速・操向機(前進2段/後進1段)の組み合わせとなり、T43E1戦車の生産型で廃止されたマフラー左右の変向板が復活している。
保管状態にあった74両のT43E1戦車が改修を受けてM103戦車に変身し、6両は改修を受けないまま様々な試験に供された。
1958年1月には、西ドイツに展開する第899戦車大隊にM103戦車が配備され、同大隊は1958年5月に「第2重戦車大隊」と改称された。
これは、通常の中戦車装備の戦車大隊と区別するものといわれ、6個小隊から成る中隊4個で編制されていた。
各小隊はM103戦車を3両、ジープ1両を装備し、大隊としてのM103戦車の配備数は72両となっていた。
つまり、M103戦車のほとんどを同大隊が受領したことになる。
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+M103A1戦車
CONARCはさらにT43E1戦車の砲塔操作装置とFCS、機関系を新型に換装することを命じ、当初「T43E2」の呼称で3両の改修が求められたが、1954年4月22日に2両に減らされ、その第1号車は1956年2月にアバディーンに、第2号車は同年6月にケンタッキー州のフォート・ノックスにそれぞれ送られた。
T43E1戦車では砲塔にバスケットを備えていなかったが、T43E2戦車では新たにバスケットを装備し、砲塔駆動装置も油圧式から電動式に改められた。
主砲右側の同軸機関銃は廃止され、M102直接照準機に加えて間接式望遠照準機が、補助照準機としてその位置に装備されたのに加え、車長用の基線長式測遠機が新型のM15に替わった。
このM15測遠機はM6弾道コンピューターとリンクされ、砲手席の上部の潜望式照準機も新型のT44E1に変更された。
車長用キューポラは、一部が改良されて旋回式から固定式となり、12.7mm重機関銃M2も車内操作式ではなく、ハッチを開いて射撃するという通常のものに変わった。
また、120mm戦車砲M58の砲口に装着された平衡錘を兼ねる爆風変向機の孔が廃止され、砲口の直後に設けられている排煙機に固定される方式に改められた。
また新たにT字形の爆風変向機が開発され、T43E2戦車に装着して試験が行われたが、発射後に煙が横に流れて次弾の照準の妨げとなることが判明したため、装備は見送られている。
フォート・ノックスで作成された報告書はCONARCに提出され、要求を満たしているとの判断が下されたものの、アメリカ陸軍はT43E2戦車を採用すること無く終わった。
しかしアメリカ海兵隊がT43E2戦車の導入を決定し、219両のT43E1戦車をE2仕様に改造することが決まり、1957年6月13日に「M103A1戦車」として制式化された。
1958年7月までに改修作業は完了し、海兵隊の3個戦車大隊にM103A1戦車が配備された。
そして陸軍へも1959年2月より、72両のM103A1戦車が海兵隊から貸し出されることになった。
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+M103A2戦車
その後、1961年6月5日にアメリカ海兵隊に対して、ディーゼル・エンジンを装備するM60スーパー・パットン戦車の配備が開始されたことを受け、M103A1戦車の近代化改修が開始された。
まず2両が改修に回され、次いで1961年10月4日には1両が追加されたが、これらの車両には「M103A1E1」の呼称が与えられ、機動力、航続距離、射撃精度の向上を中心とする改修が実施された。
まずエンジンが、コンティネンタル社製のAVDS-1790-2A V型12気筒空冷スーパーチャージド・ディーゼル・エンジン(出力750hp)に換装され、併せて変速・操向機も、CD-850-6クロスドライブ式自動変速・操向機に変更された。
このパワーパックの換装により、路上航続距離はM103およびM103A1戦車の80マイル(129km)から、300マイル(483km)へと大きく向上を見せ、機関室上面のレイアウトがM60戦車と酷似したものに変化し、車体後面もグリルが設けられた観音開き式のドアに改められた。
この変更に伴い、トラヴェリング・クランプは機関室上面後端に位置を変え、板形の単純なものに替わった。
また機関室左右のフェンダー上には、エア・クリーナーが新たに装着された。
車長用の測遠機は、基線長式から合致式のXM24(後に制式化されて「M24」と改称)に換装され、弾道コンピューターもM14の改良型M14E1(後に制式化され「M14A1」と改称)に替わり、新たにHEAT(対戦車榴弾)の射撃も可能となった。
砲手の直接照準機もメトリック式のM102Cに換装され、夜間戦闘用としてキセノン探照灯が防盾上部に装備された。
足周りでは、サスペンションの負荷軽減を図って第2、第5上部支持輪が廃止され、上部支持輪が片側6個から4個に減らされた。
また同様に軽量化を目的として転輪と上部支持輪が、アルミニウム合金を用いたM60戦車のものに一部改修を加えたものに換装された。
併せて履帯も、新型のT107履帯に変更された。
1962年8月の会議において、M103A1戦車をA1E1仕様に改修することが決定され、さらに3両のM103A1E1戦車への改修が行われたが、この追加改修分は先の試作車とは異なり、後に「M103A2戦車」として制式化されている。
加えて、M103A1戦車から153両がA1E1仕様に改造されることになり、1962年12月13日に「M103A2戦車」として制式化されたが、最初に改修された2両以外は、上部支持輪は以前同様に片側6個のままとされていた。
さらに1986年度予算で、52両のM103A1戦車がA2仕様に改修されることが決まり、最終的に208両がM103A2戦車となった。
しかし航続距離こそ大幅に伸びたものの、M103A2戦車の路上最大速度は23マイル(37.01km)/hと、当時海兵隊に配備が進められていたM60A1戦車の路上最大速度30マイル(48.28km)/hと比べて、機動力が大きく劣っており、さらにM60A1戦車に比べてM103A2戦車は車体が大柄で重量も重いため、運用上の制約が大きいことも現場から不評であった。
このため、M103戦車シリーズは1973年を最後に海兵隊より退役した。
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<M103戦車>
全長: 11.392m
車体長: 6.985m
全幅: 3.759m
全高: 3.226m
全備重量: 57.04t
乗員: 5名
エンジン: コンティネンタルAV-1790-5C 4ストロークV型12気筒空冷ガソリン
最大出力: 810hp/2,800rpm
最大速度: 40.23km/h
航続距離: 129km
武装: 60口径120mmライフル砲M58×1 (33発)
12.7mm重機関銃M2×1 (1,000発)
7.62mm機関銃M1919A4E1×1 (5,250発)
装甲厚: 25.4〜254mm
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<M103A1戦車>
全長: 11.392m
車体長: 6.985m
全幅: 3.759m
全高: 3.226m
全備重量: 57.04t
乗員: 5名
エンジン: コンティネンタルAV-1790-5C 4ストロークV型12気筒空冷ガソリン
最大出力: 810hp/2,800rpm
最大速度: 40.23km/h
航続距離: 129km
武装: 60口径120mmライフル砲M58×1 (38発)
12.7mm重機関銃M2×1 (1,000発)
7.62mm機関銃M1919A4E1×1 (5,250発)
装甲厚: 25.4〜254mm
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<M103A2戦車>
全長: 11.24m
車体長: 6.985m
全幅: 3.759m
全高: 3.226m
全備重量: 58.061t
乗員: 5名
エンジン: コンティネンタルAVDS-1790-2A 4ストロークV型12気筒空冷スーパーチャージド・ディーゼル
最大出力: 750hp/2,400rpm
最大速度: 37.01km/h
航続距離: 483km
武装: 60口径120mmライフル砲M58×1 (38発)
12.7mm重機関銃M2×1 (1,000発)
7.62mm機関銃M1919A4E1×1 (5,250発)
装甲厚: 25.4〜254mm
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兵器諸元(M103戦車)
兵器諸元(M103A2戦車)
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<参考文献>
・「パンツァー2013年7月号 アメリカのTシリーズ試作戦車(17) T41軽戦車/T42中戦車/T43重戦車シリーズ」
大佐貴美彦 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年7月号 アメリカ最後の重戦車 M103ファイティング・モンスター」 城島健二 著 アルゴノー
ト社
・「パンツァー2014年5月号 M103A1重戦車 ファイティングモンスター」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2016年2月号 アメリカ最後の重戦車 M103ファイティング・モンスター」 アルゴノート社
・「パンツァー2006年11月号 M103重戦車の開発とメカニズム」 白石光 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2014年5月号 最後のアメリカ重戦車 M103シリーズ」 箙浩一 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年3月号 第2次大戦後のアメリカ軍重戦車」 箙浩一 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年10月号 ソ連軍重戦車(3)」 古是三春 著 デルタ出版
・「世界の戦車(2)
第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「徹底解剖!世界の最強戦闘車両」 洋泉社
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研
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