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+開発前史
アメリカ陸軍は第2次世界大戦末期の1945年1月末に、何とか実戦への投入が間に合ったM26パーシング重戦車(1946年5月に重戦車から中戦車に分類替え)を、ほぼそのままの形で近代化改良したM46パットン中戦車を1949年に実用化し、最初の戦後第1世代MBT(主力戦車)として運用を開始した。 続いて、車体と砲塔を新設計のものに改めた新型中戦車T42の開発に取り組んだが、折しも1950年6月に朝鮮戦争が勃発したため、T42中戦車は早急な戦力化が求められることとなった。 このためT42中戦車は砲塔のみ新設計で、車体はM46中戦車のものを流用した暫定型MBTとして開発されることになった。 こうして急ピッチで開発が進められたT42中戦車は、「M47パットン中戦車」として制式化されて1951年4月から生産が開始された。 なお1950年11月7日にアメリカ陸軍が、従来の戦車分類に用いていた軽、中、重といったカテゴリーを改め、主砲による分類に変更したため、以後は「90mm砲戦車M47」と呼称が改められた。 M47戦車は朝鮮戦争の影響で開発期間を充分取れなかったため、新たに導入したステレオ式測遠機に深刻な不具合を抱えており、また後継のT48戦車の開発が順調に進んだこともあって、早々にアメリカ陸軍から退役し、退役後は西側の友好国に広く供与された。 M47戦車の後継となるT48戦車の開発は1950年12月から開始され、朝鮮戦争が休戦する直前の1953年5月まで各種試験に供された。 そして、試験終了と同時に「90mm砲戦車M48パットン」として制式化され、既存のM46、M47戦車に代わってアメリカ陸軍の主力MBTの座に就いた。 一方、ライバルのソヴィエト連邦は1950年から、パットン戦車シリーズが装備する90mmライフル砲を上回る威力を持つ、56口径100mmライフル砲D-10Tを装備するT-54中戦車の本格量産に着手した。 当時、ソ連を中心とする東側陣営の機甲戦力は、アメリカを中心とする西側陣営を数で大きく凌駕していたが、東側陣営の主力MBTであったT-34-85中戦車は大戦中に開発された旧式戦車であり、パットン戦車シリーズを保有するアメリカ陸軍は質的優位を保っていた。 しかし、東側陣営がT-54中戦車シリーズの大量生産を行った結果、西側陣営は数的にも質的にも機甲戦力で劣勢に立たされる事態となった。 これに危機感を抱いたアメリカ陸軍は1954年に、パットン戦車シリーズの後継となるT95戦車の開発に着手した。 T95戦車は、パットン戦車シリーズとは大幅にコンセプトの異なる、全く新規設計の戦後第2世代MBTであり、そのスタイルはソ連製MBTの影響を強く受けており、様々な新機軸を採り入れた意欲的な戦車であった。 しかし、それだけに開発には長い期間を要し、また開発が失敗に終わるリスクも抱えていた。 このため、アメリカ陸軍はT95戦車が失敗した場合の保険として、パットン戦車シリーズの基本設計を受け継いだ手堅い新型MBTを、「XM60」の呼称で1956年11月に開発着手した。 そして案の定、様々な新機軸を盛り込んだT95戦車の開発は遅々として進まず、それに対し、XM60戦車は1959年に実用化できる目処が立ったため、同年3月に「105mm砲戦車M60」として制式化されて生産が開始された。 M60戦車は、イギリスの王立造兵廠がセンチュリオン戦車の火力強化用に、1959年に開発したばかりの105mmライフル砲L7をベースに、ニューヨーク州のウォーターヴリート工廠で小改良を加えた、51口径105mmライフル砲M68を装備しており、T-54中戦車シリーズの前面装甲を遠距離から貫徹することが可能であった。 一方これに対し、ソ連陸軍も新開発の55口径115mm滑腔砲U-5TSを装備する、T-62中戦車の生産を1962年から開始し、東西両陣営による戦車開発のシーソーゲームが激しさを増した。 当時はまだ、T-62中戦車の具体的な性能について分かっていなかったこともあり、アメリカ陸軍はT-54中戦車の主砲口径を上回るM60戦車の実戦化を果たした矢先に、さらに大口径の主砲を備える新型MBTをソ連陸軍が実戦化した事実に動揺の色を隠せなかった。 当時、T-62中戦車が装備する115mm滑腔砲U-5TSは、L7系105mmライフル砲を上回る対装甲威力を持つと過大評価されていた(実際は、L7の方がU-5TSよりかなり威力は上であった)。 このままでは再び西側陣営が質、量共に、東側陣営に対して機甲戦力で劣勢に立たされる事態となりかねず、アメリカ陸軍は早急に、T-62中戦車を上回る性能を持つ新型MBTを開発する必要性を強く認識し、1962年から次期MBT開発計画に着手した。 そして時を同じくして、戦後初の国産MBTであるレオパルト戦車を実戦化させたばかりの西ドイツ陸軍も、T-62中戦車に対抗できる性能を持つ次期MBTの開発計画を進めようとしていた。 当然ながら、新型MBTの開発には莫大なコストを必要とするため、両国で共同開発の形を採ればコスト削減に繋がるであろうとの判断から、かつては敵同士として戦った両国が1963年8月にタッグを組み、新型MBTの共同開発に取り組むことになった。 そしてその具現として完成したのが、「MBT-70(Main Battle Tank 70)/KPz.70(Kampfpanzer 70)」と呼ばれる新世代MBTであった。 MBT-70/KPz.70は、スウェーデン陸軍のStrv.103戦車が先鞭を付けた油気圧式サスペンションを導入して、任意に車体高を調節できるという当時としては先進的な機構を実現し、通常弾と対戦車ミサイルの射撃が可能な152mmガン・ランチャーを主砲として採用するなど、それまでの戦車とは一線を画する革新的な戦車として開発が進められたが、アメリカ陸軍と西ドイツ陸軍の設計思想の対立や、高額なコストなどの問題でまず1969年末に西ドイツが計画からの離脱を表明し、次いでアメリカも1970年1月に計画の中止を公表して、計画は終焉を迎えた。 そしてアメリカ、西ドイツの両国とも、独自に新型MBTの開発に取り組むことになった。 MBT-70戦車の開発に失敗したアメリカ陸軍であったが、すでにソ連陸軍がT-62中戦車よりさらに大口径の125mm滑腔砲を装備し、成形炸薬弾に対する防御力を大幅に強化した複合装甲を備える戦後第3世代MBT、T-64戦車シリーズを実戦化していたため、これに対抗できる性能を備えた新型MBTの開発が急務となっていた。 このため、開発期間の短縮とコスト削減を図ってMBT-70戦車の開発ノウハウを取り込み、一部のコンポーネントをグレードダウンした新型MBTを、「MBT-70廉価版」なる呼称で開発を続け、後に「XM803」の試作呼称を与えたが、試験の結果は決して満足のいくものではなかった。 さらに加えて陸軍内にも、このXM803戦車に対して否定的なグループも数多く存在しており、陸軍自体が152mmガン・ランチャーに対する興味を無くしたことも手伝い、結局1971年末にXM803戦車の開発中止が通達された。 |
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+XM815戦車の開発
そして、新たな発想に基づく新型MBTの開発が決定され、ここからM1エイブラムズ戦車の歴史が幕を開けることになる。 XM803戦車の開発中止により、アメリカ陸軍の次期MBTに関する検討を進める組織として、ケンタッキー州エリザベスタウン所在のフォート・ノックスの施設内で1972年2月に設立されたのが、「MBTTF」(Main Battle Tank Task Force:主力戦車タスクフォース)であり、その長にはウィリアム・R・デソブリー少将が任じられた。 そしてMBTTFは、ミシガン州ウォーレンのデトロイト工廠内に本部を置く、「TACOM」(Tank-automotive and Armaments Command:戦車・自動車・武器司令部)からの技術的な支援を受けて、新型MBTに関する策定作業を進め、8種類の基本案をまとめて提出した。 これらの案を受けてアメリカ陸軍機甲部門は、1972年2~8月にかけて詳細な検討を実施し、5種類に案を絞り込んだ。 そして以後の作業は、同年9月にデトロイト工廠内に設立された「MBTPM」(Main Battle Tank Project Manager:主力戦車計画マネージャー)と、アラバマ州ハンツビル所在のレッドストーン工廠内に本部を置く、「AMC」(U.S. Army Materiel Command:アメリカ陸軍資材司令部)に委ねられることになった。 そして9月に入るとM48戦車、M60戦車シリーズの開発メーカーである、ミシガン州スターリングハイツのCD(クライスラー・ディフェンス)社と、MBT-70戦車、XM803戦車の開発を手掛けた、ミシガン州デトロイトのGM(ジェネラル・モーターズ)社の両社との間に、新型MBTの基本研究に関する契約が結ばれて、計画はさらなる段階へと移行した。 CD社は、同社の手になるM60A1戦車の発展型として新型MBTの研究を進め、一方GM社は、開発が中止されたXM803戦車を母体とする新型MBTの研究を進めたが、何のことは無い、いずれも自社が開発した戦車を新型MBTの下敷きとしていたのである。 なお両社共に、新型MBTの研究に際してはMBTTFからの技術支援が行われ、当初「XM815」の試作呼称が与えられていたが、期日自体は不明なものの1973年後半に「XM1」と改称されている。 話が前後するが、1972年2月25日にフォート・ノックスで開かれた、TACOMとMBTTFの次期MBTに関する最初の会議の席で、TACOMにより作成された「LK10322」と称する基本案の図面が提示された。 この案は、M60戦車シリーズに装備されている105mmライフル砲M68を搭載し、サスペンションも同様にトーションバー(捩り棒)方式を採用していたが、エンジンはペンシルヴェニア州ウィリアムズポートのアヴコ・ライカミング発動機製の、AGT-1500ガスタービン・エンジン(出力1,500hp)を導入していた。 加えて成形炸薬弾への対策として、砲塔の周囲を空間装甲としていたのが目立つ特徴で、その内容積は15.3m3とされていた。 この数字はM60A1戦車の18.4m3と、ソ連陸軍のT-55中戦車の12m3のほぼ中間の値であり、ある程度は小型化が図られていたということなのだろう。 また、この時点では戦闘重量はまだ煮詰まってはおらず、34~57tとかなり不確定な値しか示されていなかった。 ただしその装甲厚は、前面は120mm徹甲弾の直撃に耐えられるものの、それ以外は23mm徹甲弾までの対応力しかなく、これは第2次大戦時のM4シャーマン中戦車よりも貧弱な装甲ということになる。 ただし装甲板自体は、メリーランド州アバディーンの「BRL」(Ballistic Research Laboratory:弾道研究所)において研究が進められていた、異なる素材をサンドイッチ状とした、いわゆる複合装甲の導入が当初から考えられていた。 導入部分は車体前面のみであったが、通常の防弾鋼板よりもはるかに高い耐弾性(特に成形炸薬弾に対して)を備えることになった。 この複合装甲の導入はガスタービン・エンジンの搭載と併せて、やはり一種の革新性を備えていたことは間違いあるまい。 いずれにせよこの段階において、早くもガスタービンをパワープラントに用いることが検討されていたのである。 このLK10322案は、TACOMにおいて1972年4~5月にかけて改良が盛り込まれ、車体はオリジナルと変わらないが、砲塔は側面の傾斜角が後方に向けて5度強められ、右側面のみ上方への傾斜角が14度から20度に改められたが、これは内容積の拡大が目的だったのだろう。 加えて車長用キューポラは背が低められた新型に換わり、車長用の機関銃は7.62mmに、主砲の同軸機関銃は12.7mmにそれぞれ変更された。 これらの変更は重量の軽減が目的といわれ、詳細は不明だが各部にも重量軽減策が採られており、試算によるとこれらの変更により、戦闘重量は3.2tほど軽減されたという。 さらに時期は明らかではないが、この変更に遅れて車体長が6.86mから6.99mに延ばされて、燃料タンクがオリジナルの1,136リットルから1,325リットルへと大型化された。 この車体延長に伴い、戦闘重量は約272kgほど増大するとの試算が出ている。 さらに前述したように、オリジナルではパワープラントとしてAGT-1500ガスタービン・エンジンと、インディアナ州インディアナポリスのGM社アリソン変速機部門製の、XHM-1500自動変速・操向機の使用が考えられていたが、改良案ではXM803戦車と同じ、アラバマ州モービルのTCM社(テレダイン・コンティネンタル自動車)製の、AVCR-1100 V型12気筒空冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジンと、アリソン社製のX-1000自動変速・操向機の搭載も考慮することが求められた。 これは、ガスタービン・エンジンが失敗した際の保険と思われる。 そして1972年6月20日付でMBTTFは、TACOMに対して3回目となるさらなる重量の軽減を求め、これを受けてTACOMでは72案に及ぶLK10322の改良案をまとめて提出した。 その詳細は不明だが一部の選択項目は判明しており、主砲は国産の105mmライフル砲M68、イギリスで新たに開発される110mm滑腔砲、西ドイツのラインメタル社製の120mm滑腔砲から選択することになっていた。 FCS(射撃統制装置)はXM803戦車からの転用、もしくはM60A1戦車からの転用とするが、XM803戦車から転用する場合は車長用の昼/夜間照準機の廃止を、M60A1戦車から転用する場合は、砲塔に搭載される熱映像暗視装置とFCSを電子的に統合するとされた。 またパワープラントについては、国産2種と西ドイツ製1種の3種類の組み合わせの、いずれかを選択するようになっていた。 その内訳は、AVCR-1100エンジンとアリソン社製のX-1100自動変速・操向機、もしくは西ドイツのDB(ダイムラー・ベンツ)社製のDB1500 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジンと、同国のレンク社製のHSWL354自動変速・操向機、もしくはAGT-1500エンジンと、XHM-1500-2変速・操向機の組み合わせである。 そして、サスペンションはトーションバー式もしくは油気圧式、履帯は、M60戦車シリーズと同じ国産のT142履帯、もしくは西ドイツのディール社製、または新開発の71cm幅軽量型履帯のいずれかを選択することになっていた。 この、TACOMによりまとめられた72種に及ぶLK10322第3次改良案だが、この間にもMBTTFはCD社、GM社と協力しながら研究を続けており、15種に及ぶ様々な案がまとめられた。 そして、TACOMのまとめた72種類の改良案に続く形で、73~80案はGM社が、81~83案はCD社がそれぞれ提出し、残る84~87案はM60A1戦車を母体とするCD社の改修案であった。 これを受けた機甲部門はTACOMが提出した72種の改良案から、まずイギリス製110mm滑腔砲と西ドイツ製120mm滑腔砲を、まだ開発途上という点を考慮して選択肢から外し、AGT-1500ガスタービン・エンジンも、リスクが多いとの判断からこれまた外されている。 さらに、TACOMが提出した72案に対する検討作業が進められた結果、16案までに絞り込まれたが、パワープラントに関してはこの時点においてまだ決定されていなかった。 候補として残ったのは、TCM社製のAVCR-1100空冷ディーゼル・エンジンと、アリソン社製のX-1100自動変速・操向機、西ドイツのDB社製のDB1500液冷ディーゼル・エンジンと、レンク社製のHSWL354自動変速・操向機の2種類の組み合わせである。 しかしGM社が提出した8種の案の内2案では、TACOM案で外されたにも関わらずAGT-1500ガスタービン・エンジンと、X-1100変速・操向機のパワープラントが採用されていた。 他の6案については、1案がDB1500液冷ディーゼル・エンジンとHSWL354変速・操向機を選択し、2種の案ではAVCR-1100-3B空冷ディーゼル・エンジンと、X-1100変速・操向機が選ばれていたのに加え、3種はミシガン州デトロイトのGM社デトロイト・エンジン部門製の、8V-71T V型8気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン2基と、X-1100変速・操向機の組み合わせが採用されていた。 なお、いずれの案でも105mmライフル砲M68が主砲として選ばれ、サスペンションは強化型トーションバー方式が採用され、その戦闘重量は42.4~60.4tと試算されていた。 このGM社から提出された8種の案を検討した機甲部門は、まず8V-71TおよびAGT-1500エンジン搭載案を除外し、続いて42.4tと60.4t両案も除いて最終的に、AVCR-1100-3B空冷ディーゼル・エンジンと、X-1100変速・操向機をパワープラントとして搭載した50.5t案が選ばれた。 これに対するCD社の案は、3案いずれもAVCR-1100空冷ディーゼル・エンジンと、X-1100変速・操向機の組み合わせが選ばれており、戦闘重量は各案共に43.7tと試算されていた。 そして、1972年8月3日に機甲部門とAMCの会議が開かれて、この席である程度の防御力を犠牲にしても、XM815戦車の戦闘重量は44.2tを上限とすることが決定された。 この決定を背景としてMBTTFは、GM社とCD社の両社との間で試作車開発に関する契約を結び、同年10月にその契約が効力化された。 この開発に際して、GM社は「400K」と「500K」と称する2案をまとめ上げ、その単体コストは40万ドルと50万ドルとの試算を提出した。 共に105mmライフル砲M68を主砲として、トーションバー式サスペンションを備えて基本形は酷似していたが、400K案が転輪を片側6個としたのに対し、500K案では片側7個で車体長が若干ではあるが異なり、パワープラントも400Kが、8V-71T液冷ディーゼル・エンジン2基と、X-1100変速・操向機を備えていたのに対して、500KではAVCR-1100-3B空冷ディーゼル・エンジンと、X-1100変速・操向機を選ぶなど、各部に変更が見られた。 また400Kでは、砲塔前面装甲板を圧延防弾鋼板の溶接式としていたのに対し、500Kでは、材質などは変わらないが周囲の全てを空間装甲式としており、同様に車体前面装甲板も400Kの1枚式に対して、500Kでは空間装甲式としているなどかなりの差が生じていた。 加えて500Kでは将来の発展を考慮し、砲架を120mm砲への換装も可能としていたことは特筆に値しよう。 これらの違いにより戦闘重量は、400Kの場合は46.9tで500Kは49.6tと試算されていたが、これは以前に決定された重量制限44.2tをいずれも上回っていた。 なお、そのエンジン出力は400Kが1,200hp、500Kが1,450hpで、履帯はいずれも61cm幅の同型とされていた。 一方、ライバルであるCD社はこの開発契約の締結に伴い、8種類の基本案をまとめて提出した。 これらの案は、いずれも主砲として105mmライフル砲M68を備えるのはGM社と同じだが、1案では砲塔の左右側面に、カリフォルニア州カルヴァーシティのヒューズ航空機製の、BGM-71 TOW対戦車ミサイルの発射機を装着しており、さらに2案では口径を105mm砲の内径に合わせた、ミシガン州ディアボーンのフォード航空宇宙製の「シレイラ(Shillelagh:棍棒)II」対戦車ミサイル、もしくは開発中の「スウィフティー」(Swifty:素早い)対戦車ミサイルの射撃が可能な、105mmガン・ランチャー型のM68を装備していた。 これらガン・ランチャー方式の対戦車ミサイルに関する詳細は不明だが、オリジナルのMGM-51シレイラ対戦車ミサイルと比べると、飛翔時間で約50%、飛距離で約25%増大していることから、飛翔速度が向上したことは明らかだろう。 このCD社の8案は、戦闘重量こそ44.2~51.4tとGM社案と大差無かったが、極めて常識的な乗員配置が採られているのが特徴であった。 いずれの案も操縦手を車体前部中央に配置し、砲塔内に主砲を挟む形で右側に砲手と車長が、左側に装填手がそれぞれ位置していた。 砲塔周囲の装甲板は空間装甲式とされ、車体前部の装甲板は通常の1枚板の溶接式と、空間装甲式の2種が用意されていた。 いずれの案でも主砲弾薬は砲塔後部のバスルに集中して収められ、バスルの上面にあたる砲塔上面装甲板には、左右に円形でボルトで固定された装甲板を配して、弾薬が誘爆した際にこの部分が吹き飛ぶことで、爆風と火炎を上方に逃がすという機構(ブロウオフ・パネル)が導入されていたことは特筆に値しよう。 また主砲の同軸機関銃として、ユタ州オグデンのブラウニング火器製作所製の12.7mm重機関銃M2と、カルヴァーシティのヒューズ・ヘリコプターズ社製の、20mm機関砲ブッシュマスターの2種が用意されていた。 FCSについては、コストの増大を避けてか新規開発ではなく、M60A3戦車向けとして開発された機材を母体に改良を加え、これに「TINTS」(Turret Integrated Night Thermal Sight:砲塔統合型熱映像暗視装置)を組み合わせることで、全天候下での戦闘を可能とするとされていた。 同様にパワープラントは、DB1500液冷ディーゼル・エンジンの発展型である、西ドイツのMTU社(Motoren und Turbinen Union:発動機およびタービン連合企業)製の、MB873Ka-500 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジンもしくは、AVCR-1100空冷ディーゼル・エンジンの発展型である、AVCR-1360-1 V型12気筒空冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン、AGT-1500ガスタービン・エンジンのいずれかを用い、これにX-1100変速・操向機を組み合わせるとされた。 サスペンションについては詳細が明らかにされていないが、先進型トーションバー式と油気圧式の導入が考えられていたようである。 また、砲塔上面右側に設置された背の低い車長用キューポラは、装備されている7.62mm機関銃と共に全周旋回することが可能となっており、車長が身を乗り出すこと無く、車内から安全に7.62mm機関銃を射撃できるようになっていた。 この両社によりまとめられた基本案とは別に、TACOMは以前のLK10322の改良案を、「LK10352」の研究呼称でまとめる作業を開始し、その中から最初に車体長を計画案の6.99mから、機関室部分を15.2cmほど延ばして7.14mとすることで燃料タンクの拡大を図り、収容量を1,136リットルから1,325リットルに増大させた。 次いで車体前面下部の傾斜角を55度から60度に、砲塔側面の傾斜角も30度にそれぞれ変更し、併せて各部の装甲強化も図られたので、その戦闘重量は46.9tに達するものと試算された。 さらに1972年8~9月にかけて、LK10352案に対するさらなる改良が加えられた。 これは装甲板をそれまでの圧延防弾鋼板から、防弾鋼板とセラミックを積層したいわゆる複合装甲に改めるというもので、この複合装甲に関する研究はBRLに委ねられた。 XM815戦車は従来の防弾鋼板による装甲板の場合、T-62中戦車が装備する115mm滑腔砲のAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)の射距離800mまで、および、口径81mmの成形炸薬弾までの耐弾性に限定されていた。 しかし複合装甲を導入した場合、115mm滑腔砲のAPFSDSでは全ての射距離で貫徹不能、成形炸薬弾では口径127mmまでの耐弾性を備えるものとされた。 加えて、車体前面の傾斜角も上部が以前の65度から35度に、下部が60度から70度に改められ、操縦室の拡大を図って、車体前部が64mmとわずかではあるが延ばされたことも変化の1つである。 また砲塔はほぼそのままとされたが、主砲弾薬を収める後部バスル部が後方に30.1cm延ばされて、さらなる弾薬の収容が可能となった。 これから分かるように、バスル内に収まる主砲弾薬は常識的な車軸に対して垂直ではなく、車軸に対して並行に収容されていたわけである。 加えて、主砲の同軸機関銃は12.7mm重機関銃M2から20mm機関砲ブッシュマスターに、車長用キューポラに装着する7.62mm機関銃は12.7mm重機関銃にそれぞれ変更された。 そしてこれらの変更により、これまた試算ではあるがその戦闘重量は53.2tを超えるとされた。 計画当初の44.2tを上限とする方針は、いつの間にか消えてしまったことになる。 TACOMによるLK10352案に関する改修はこれだけには留まらず、10月から翌73年1月にかけて重量に関するさらなる分析が進められ、その期日は不明だが実物大木製モックアップが製作された。 またこのモックアップの完成と時を同じくして、BRLにより研究が進められていた複合装甲も完成し、TACOMにより分析作業が行われている。 さらに主砲弾薬の配置に関して、2種の提案が出された。 1つは自動弾薬取り出し装置を備えて、主砲弾薬を砲塔後部のバスルと車内に収めるもので、もう1つは砲塔のバスルを短縮し、主砲弾薬はバスルと戦闘室内に収めるというものだった。 まず最初の案だがこれは主砲弾薬40発を搭載し、その内18発を即用弾として、25.4mm厚で弾薬取り出し用のドアを備えたアルミ合金製の防火壁で仕切られ、自動弾薬取り出し装置により1発ずつが装填されるが、これは試作に終わったXM803戦車と同様のスタイルであった。 残る主砲弾薬22発の内16発は、操縦手席の左右に置かれた円筒形の25.4mm厚アルミ合金製で、1発ずつを取り出せるサイズの、開閉式蓋を備えるカバーが装着された弾薬庫に8発ずつが収められ、残る6発は砲塔バスケットの床上に、50.8mm厚の通常鋼板を用いた弾薬庫を設けて収められた。 これに対して第2案は自動弾薬取り出し装置を採用せずに、バスル部分の全長を短縮しながら主砲弾薬の収容数を同じく18発として、前面にスライド式のドアを備えるアルミ合金製の仕切り板が装着された。 加えて操縦手席の左右にそれぞれ11発を収め、スライド式のドアを装着した弾薬庫に収容された。 つまり、いずれの案も40発の主砲弾薬を搭載するわけである。 続いて、砲塔バスル部を完全に廃止する案もまとめられたが、この場合は、操縦手席の左右にそれぞれ14発の主砲弾薬を収める弾薬庫を置き、残る12発は砲塔バスケットの床上に弾薬庫を設けて、立てた状態で収められた。 即用弾は12発と少ないものの、いずれも主砲弾薬は砲塔リングよりも下方に置かれているので、耐弾性という面では前2案よりも有利だった。 なおいずれの場合も、砲塔前部は後方に向かって30度の傾斜角が与えられ、上方に向かって40度の傾斜が付けられた。 同様に砲塔側面の傾斜角は、前方から後方に向かって35度から25度へと変化しており、砲塔後面は40度、砲塔上面は傾斜角0度の平面とされていた。 また砲塔リング径は2.16mとされたが、XM815戦車に関する砲塔リング径の具体値が示されたのは、この時点が最初となった。 さらに、それまでの一般的な車長用キューポラに換えて「低姿勢ステイション」と称する、メリーランド州ハントバレーのAAI社(Aircraft Armaments Inc:航空機武装社)製の12.7mm重機関銃M85を、車内からの操作で射撃可能なマウントに装着して一体化した新型キューポラが、砲塔上面右側に搭載された。 このキューポラには後ろ開き式のハッチが装着されていたので、車長が身を乗り出して射撃を行うことも可能であった。 またキューポラの周囲には6基のペリスコープが内蔵され、車長は全周の視界を得ることができた。 主砲の同軸機関銃には20mm機関砲ブッシュマスターが用いられ、車長席の前方に配された砲手席には、レーザー測遠機と電子的に結合された昼/夜間照準機が設けられていたが、この機材で得られた情報は車長席にも伝達された。 この新たな砲塔案がまとめられたのと時を同じくして、車体にもまた変更が加えられた。 これは車体前面の傾斜角を上部35度、下部70度とし、サイドスカートを前後に延長して起動輪と誘導輪の保護とするするもので、パワープラントはAVCR-1360空冷ディーゼル・エンジンと、X-1100自動変速・操向機の組み合わせとされていた。 また転輪は片側6個として66cm幅の履帯を使用し、「チューブ・オーバー・バー」と称するサスペンションが採用されていた。 このサスペンションの詳細は不明であるが、転輪アームに直接強化型の油圧式ショック・アブソーバーのようなものを装着するのではないかと推測される。 なお第1、第2案の場合は、戦闘重量は54.1tをわずかに上回ると試算され、軽量化が図られた第3案でも51.4tと、計画中にどんどん重量が増大していったことが分かる。 そして第1案は実物大モックアップが製作されたが、計画時の図面とは各部に変更が見られた。 また、先に製作されたモックアップでは砲手席に昼/夜間照準機を備えていたが、この第2次モックアップでは砲塔の右側に位置を変え、車体上面前部に設けられている操縦手用ハッチは、砲塔が前方を指向した際には砲塔底面との間隔がわずか10.2cmしかなく、操縦手の乗降に際しては砲塔を旋回する必要があった。 さらに砲塔上面は、第1次モックアップの平面から前後共にわずかな傾斜角が与えられ、側面に向かっても5度ずつの傾斜が与えられた。 その頂点高は2.54cmと極めて少ないが、防御上で利点があるとされていた。 このモックアップの審査後にTACOMは呼称を「LK10372」と改めて、同時に図面も提出された。 さらに、1973年2月にはまたもや改良案が図面化され、「LK10379」の呼称が与えられた。 両案を比べるとそのアウトラインは大差無かったが、まず砲塔後部のバスル部が姿を消し、接地長の拡大を図って車体長が7.47mから7.62mに延長され、それに伴って転輪が片側1個ずつ新設された。 この変化に伴い、40発を搭載する主砲弾薬は全て砲塔リング下に設けられた弾薬庫に収められ、主砲同軸の20mm機関砲ブッシュマスターは、砲塔左側面後部に張り出しを設けて装備位置を変え、主砲防盾の前後長は30.5cmから96.5cmへと大きく拡大された。 さらに、5度の傾斜角が与えられていた砲塔側面後部は垂直に改められたが、これは車長席の作業スペースを広げるために採られた措置で、砲塔左側面に20mm機関砲の張り出しを新設することも考慮したものといわれる。 また、砲塔側面の装甲板はLK10372案と同様に空間装甲とされ、その傾斜角も左側35度、右側20度と変わらない。 ただし砲塔前面の後方への傾斜角は、30度から40度に変更された。 車体部分の変化は前述に加えて、車体前面の傾斜角が上下共に55度に変わり、サスペンションは改良型のチューブ・オーバー・バーに変更された。 これらの変更により、LK10379案の戦闘重量は54.1tをわずかに下回ると試算され、さらに重量が増加した。 しかし、その重量増加への対処としてLK10379案の見直し作業が行われた結果、燃料の搭載量を1,325リットルから1,136リットルに減じることで、戦闘重量を52.3t以下に抑えることができたという。 このLK10379案が図面化された翌月にTACOMは、XM815戦車に対する第8案で最後の案となるLK10382案の図面を完成させた。 基本的にはLK10379案の改良でその外見も酷似していたが、各部に変化も散見できた。 まず車体前面の傾斜角が上部35度、下部70度に変わり、この変更によって車体長は38.1cm短縮され、LK10372案よりもさらに短い7.3mとなり、転輪数は片側6個に戻った。 この変更は、重量軽減を目的としたことは明らかだろう。 その結果として戦闘重量は約408kg減るものと試算され、さらに車体高も107cmから102cmとわずかではあるが減少し、砲塔リング径も2.16mから2.11mと短縮されたのに併せて、車体幅も3.51mから3.43mとこれまたわずかではあるが減り、重量軽減に貢献することになった。 また床板地上高も25.4mm増加して45.7cmへと変わり、その数字は不明だが機関室床板の装甲厚も減らされたという。 砲塔リング径の縮小以外、砲塔はほぼLK10379案を踏襲していたが、左側面に装着されていた20mm機関砲ブッシュマスターは廃止され、併せて、砲塔上面に開口されていた空薬莢排出口も姿を消した。 この車体と砲塔に加えられた様々な変更により、その戦闘重量は51.4~52.3tと試算されており、ひとまず重量軽減には成功したことになる。 その後1年ほどXM1戦車(前述のように、期日は不明だがこの間にXM815戦車から呼称が変更された)に関する記述は残されていないようだが、1974年4月に入るとアメリカ陸軍は、「我々はこの戦車が、最大限の能力を発揮できるであろうことは何ら危惧はしていないが、設計が単体コストの面で行き詰っているようで、契約を交わす前にその設計とコストに関して、もう一度会議を行う必要があるだろう」との見解を、文章の形で明らかにした。 計画当初は、XM815戦車の単体コストは約40万ドルと見積もられていたが、計画が進められた1972年の時点でその単体コストは50万7,700ドルへと跳ね上がっており、アメリカ陸軍としてはその高額なコストにより計画が中止された、XM803戦車の轍は踏みたくないというのが本音だったのであろう。 当時の主力MBTであるM60A1戦車の場合は単体コストが33万9,000ドル、その改良型M60A3戦車では43万2,000ドルであったのに対し、開発中止となったXM803戦車の単体コストは61万1,000ドルに膨れ上がった。 今後開発が進むにつれて、XM1戦車の単体コストが上昇することは容易に想像が付いたため、XM803戦車のように計画中止という最悪な事態を避けるためには、何としてもコストの低減を図る必要があった。 ソ連陸軍が強力なT-64戦車シリーズの増産を着々と進めている状況で、当時のアメリカ陸軍は機甲戦力において質、量共に明らかに劣勢に立たされており、もし新型MBTの開発に失敗すれば大きな痛手を被ることは必至であった。 |
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+M1戦車の開発
このような紆余曲折を経ながらも1974年5月にはCD社、GM社の両社との間に、さらなる開発に関する契約が結ばれ、6月28日付でCD社との間に総額6,899万9,000ドルで、GM社との間に総額8,796万9,000ドルで、それぞれ開発続行と試作車製作に関する契約が締結され、XM1計画はさらに一歩前進することになった。 なお、この契約に際してはアメリカ陸軍から基本要求が出されており、それを以下に記す。 1.性能面で現時点の主力MBTであるM60A1戦車を、全ての面で凌駕すること 2.整備性と稼働率、そして各コンポーネントの耐久性向上 3.生産数を3,000両として試算した場合、その単体コストは50万7,790ドルを上限とする 4.試作車1両と走行試験用のリグ1組、射撃試験用の車体と砲塔それぞれ1セットを製作する 以前の開発を背景としながらCD社がまとめたXM1案は、主砲として105mmライフル砲M68を用い、砲塔内に車長、砲手、装填手の3名を配し、車体前部中央に操縦手席を配するという常識的なレイアウトが採られ、車長用キューポラには12.7mm重機関銃M2が、装填手用ハッチには7.62mm機関銃もしくは40mm擲弾発射機がそれぞれ装着された。 また、詳細は不明だが砲安定装置を簡易型とすることで、より高度な2軸式安定装置と比べて90%の精度を確保しながら、約3,000ドルのコスト削減に繋がるとしていた。 主砲弾薬は砲塔後部のバスルに収容され、弾薬庫部分の前面にスライド式のドアを備えた防火壁を装着して前方部分と仕切り、弾薬庫上方にあたる砲塔上面には、弾薬誘爆時の爆風と火炎を上方に逃がすための、「ブロウオフ・パネル」と称する吹き飛ばし式の外板をボルトで固定して備えていた。 また車体と砲塔の前面には複合装甲が用いられ、サイドスカートの前部は誘導輪をカバーする形にまとめられた。 サスペンションは当初、油気圧式のチューブ・オーバー・バー式が用いられていたが、早い段階で常識的なトーションバー式に改められている。 またパワープラントは、同社のフィリップ・W・リター工学博士に率いられたチームの研究成果を背景として、MBTTFからリスクが高いとの理由で否定されたAGT-1500ガスタービン・エンジンと、X-1100自動変速・操向機の組み合わせとされた。 AGT-1500ガスタービン・エンジンは、候補に挙げられていた同じ出力1,500hpのAVCR-1360空冷ディーゼル・エンジンと比べてはるかに軽量で、最大出力に達する時間も大きく短縮されるというメリットを備えていた。 さらにはディーゼル・エンジンが使用する軽油や、ヘリコプター向けのDF-1およびDF-2燃料を使用することができ、必要に応じてガソリンでさえ使用することができたが、この場合25時間の運転時間でオーバーホールを必要とするため、実際にガソリンを用いることはまず無いが共用性の面でも優位に立っていた。 これに対するGM社のXM1案はというと、主砲は同じく105mmライフル砲M68を備えるが、砲塔の左側面に車内操作式の20mm機関砲ブッシュマスターを装備し、右側面には車長と砲手の照準機材を装備していた。 また操縦手席は車体前部中央に配され、パワープラントはMBT-70戦車とXM803戦車に搭載された、AVCR-1100エンジンの出力強化型であるAVCR-1360空冷ディーゼル・エンジンと、X-1100自動変速・操向機の組み合わせを採用しており、第1、第2、第6転輪はミシガン州カラマズーの国立ウォーター・リフト社の手になる、油気圧式サスペンションが用いられ、残る第3、第4、第5転輪には強化型トーションバー式サスペンションが使用されていた。 1973年7月初めに、XM1計画のマネージャーを務めるロバート・J・ベアー少将とBRLは、CD社とGM社の手で開発が進められていたXM1戦車への導入を図って、イギリスの「MVEE」(Military Vehicles and Engineering Establishment:軍用車両・工学技術研究局)が1960年代末に実用化した新世代複合装甲、いわゆる「チョバム・アーマー」(Chobham Armour:MVEEが所在する地名に因んだ名前)に関する技術の移譲を求めたが、さすがにイギリス側はそれを承認することは無かった。 ただしその情報は、すでにある程度ではあるが1965年と68年にアメリカ側も入手しており、1968年にはチョバムのMVEE施設を見学に訪れたほどで、結局これらの情報をベースとしてBRLとCD社、GM社はそれぞれ独自に複合装甲の開発を進め、1974年1月にはCD社、GM社共にXM1戦車に導入する複合装甲の最終設計を終了したとの報告を出し、車体と砲塔用の複合装甲板が製作されて、アバディーン車両試験場での射撃試験に供されている。 そしてこのアメリカが独自に開発した複合装甲は、後に「バーリントン・アーマー」と呼ばれることになる。 両社が共にXM1戦車の開発を進めていた1974年10月に、イスラエルから1973年10月の第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)における様々な戦訓が提供されたことを受け、計画案には数多くの改良が盛り込まれることになった。 その最大の変化は20mm機関砲ブッシュマスターに換えて、主砲同軸の7.62mm機関銃が復活した点である。 この変更に伴い車内スペースが拡大され、主砲弾薬の搭載数が40発から55発へと増やされることになった。 また複合装甲の導入により、イギリス陸軍が当時開発を進めていた新型戦車「チャレンジャー」(Challenger:挑戦者)に、砲塔前面形状が類似することになったのも変化の1つである。 ただし、CD社の改良案は以前の形状を各部に色濃く残していたのに対し、GM社の改良案では車体と砲塔共にかなり形状が変化することになった。 そして1976年初めには複合装甲板の試作品が完成し、また時期を同じくして走行試験用の試作リグが製作されて、同年1月初めに試験走行に供された。 さらに両社共に1月末までに試作車が完成し、1976年1月31日~5月7日にかけてアバディーン車両試験場において、第1次開発/運用試験(DT/UT-I)と呼ばれる各種試験に供されている。 そしてこの試験中の2月3日に、アメリカ陸軍の新型戦車XM1としてマスコミへの公開が行われた。 両社のXM1試作車による試験では、CD社の試作車はガスタービン・エンジンを採用したことで加速性に優れるが、それ以外は両社の試作車の性能は同等と判断された。 またフォート・ノックスとテキサス州キリーンのフォート・フッドで行われた、戦闘状況の想定も含んだ2週間に及ぶ運用試験の結果は明らかにされていないが、1976年7月には両社共に全規模開発フェイズに関する契約を結び、実用化を目指してさらなる改良が盛り込まれることになった。 話が前後してしまうが、アメリカがXM1戦車の開発を進めていた1974年に、前述のMBT-70/KPz.70戦車の開発中止により一度袂を分かった西ドイツが、その後独自に開発を進めていた新型戦車「レオパルト(Leopard:豹)2」を、アメリカに対し次期MBTとして採用することを提案してきた。 ただしその単体コストは、1975年におけるドル換算率で100万ドルと極めて高く、当時アメリカが試算していたXM1戦車の75万ドルを大きく上回っていた。 このため西ドイツ側は主砲を、自国のラインメタル社製の44口径120mm滑腔砲Rh120から、アメリカ製の105mmライフル砲M68に換装し、各部に簡易化を図って単体コストを削減したレオパルト2AV戦車を急遽開発して、アメリカに採用を提案した。 なお接尾記号の”AV”は、”Austere Version:廉価版”の頭字語とされるが、”American Version:アメリカ版”の意味も含まれていたようである。 そして完成したレオパルト2AV戦車は、アメリカ空軍のC-5ギャラクシー大型輸送機で空輸され、1976年9~12月にかけて、アバディーン車両試験場でXM1戦車との比較試験に供された。 この試験前にあたる1975年7月22日付で、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアのFMC社は、アメリカにおけるレオパルト2AV戦車の工学技術的な問題と、生産コストに関する研究契約を受注している。 その試験の詳細は明らかにされていないが、それでもFCSはXM1戦車をやや上回るが価格もまた高額であり、さらに主砲弾薬の操作性や装甲防御力、主砲の俯仰速度などはXM1戦車より劣ると判断されたことが伝わっている。 結局、レオパルト2AV戦車はアメリカ陸軍に採用されること無く終わったが、その開発ノウハウはそのまま生産型レオパルト2戦車に活かされた。 また当初、新型MBTの主砲として105mmライフル砲M68を推していたアメリカ陸軍であったが、1976年10月28日付で105mmライフル砲に加えて、120mm滑腔砲の搭載が可能なようにXM1戦車の砲塔設計を改めるようにとの通達を出しているが、すでにこの時点でCD社案が優位に立っていたことは間違いないようで、それから間もなくアメリカ陸軍は最終的に、CD社の手になるXM1戦車を次期MBTとして採用することを決定した。 そして1976年11月12日に、「FSED/PEP」(Full-Scale Engineering Development/Producibility Engineering and Planning:全規模技術開発/生産性検証)なる計画呼称で、CD社との間に1億9,620万ドルでFSED(全規模技術開発)車11両の製作契約が結ばれた。 ただしこの時点において、その単体コストは計画当初の42万2,000ドルから75万4,000ドルへと大きく跳ね上がっており、一時はアメリカ陸軍もAVCR-1360空冷ディーゼル・エンジンへの換装も計画した。 しかし、エンジン換装によるコスト削減効果は期待していたほど大きくならず、結局AGT-1500ガスタービン・エンジン搭載のままで生産を進めることとされた。 このFSED車11両は全車がデトロイト工廠で製作され、完成したFSED車は1978年2月から引き渡しを開始し、7月には全車が勢ぞろいした。 そしてFSED第1号車が引き渡された2月より、第2次開発試験(DT-II)の呼称でアバディーン車両試験場における試験が開始され、翌79年9月まで試験が続けられた。 なお、FSED車の製作前にCD社から提出された基本図では、FSED車は油気圧式サスペンションを用いることになっていたが、実際に完成した車両では試作車と同様、トーションバー式サスペンションが採用されていた。 これは油気圧式サスペンションの信頼性への不安と、コストの上昇を避けるためであろう。 このDT-IIと並行する形で第2次運用試験(OT-II)が、場所をテキサス州エルパソのフォート・ブリスに移して、1978年2月~79年9月にかけて実施された。 なお、試験が続けられている最中の1978年4月~79年2月にかけて、第3機甲騎兵連隊第2大隊の戦車乗員がフォート・ブリスに派遣されて、試験に参加している。 そしてフォート・ブリスでの試験終了後に、3両のFSED車がデトロイト工廠に戻されてオーバーホールが実施された後、1979年6月にフォート・ノックスに送られて機甲&技術局(A&EB)の管理下に、第6騎兵連隊第2騎兵大隊H中隊に所属する乗員の手で、「RAM-D」(Reliability,Availability,Maintainability-Durability:信頼性、稼働性、整備性-耐久性)と称する総合的な試験に供された。 この試験では、機械的故障を発生すること無しに438kmの走行が求められたが、実際には無故障で525kmの走行を記録した。 当初はCD社から派遣された技術者たちによる整備を受けていたが、この記録は同じH中隊の乗員たちの手で整備され、1979年8月に実施された試験でのことだったという。 一方、フォート・ブリスで実施されていたOT-II試験においては、地勢的な問題から土埃が多く、このためにエンジン故障が多発した。 このため、フィルターのシールを改良型に換装することでこの問題の解決が図られたが、このフィルター換装により、前述のフォート・ノックスにおけるH中隊の記録が達成されたのであろう。 またフォート・ブリスでの試験では、走行中に履帯が外れるという問題も発生した。 このため少々強引な手法ではあるが、起動輪の周囲に円形の履帯脱落防止板をボルトで固定し、加えて起動輪の前方にあたる車体側面には、走行中に起動輪の中央に溜まってくる土塊を排除するための泥掻き板が溶接され、履帯脱落の問題解決が図られた。 そしてこの改修を受けた後、FSED車によるフォート・ブリスでの試験が1979年10月から再開されている。 また、その時期は不明だがDT-II試験の一環として、アバディーン車両試験場で生残性に関する公開演技が、FSED第11号車(PV11)を用いて実施された。 これは弾薬と燃料を全量搭載して、様々な弾種による射撃や車体下面での地雷爆発などが行われ、この地雷爆発では一部のサスペンションが破損したものの、問題無く自力走行ができたという。 これらの試験が続けられていた1979年5月7日に、1979年度会計予算においてまず110両のLIRP(Low Initial Rate Production:低率初期生産型)の生産契約が結ばれ、CD社の管理下に置かれていたオハイオ州のライマ陸軍戦車工場での生産が開始された。 そして、最初の生産車2両は1980年2月28日に引き渡され、その式典の席で「エイブラムズ」(Abrams)の愛称が与えられた。 この「エイブラムズ」という愛称は、第1次大戦終了後にアメリカ陸軍に入隊して第2次大戦、朝鮮戦争を経て最終的に大将まで上り詰め、1972年に陸軍参謀総長の座に就いたクレイトン・W・エイブラムズに因むものであった。 彼は第2次大戦中のバルジの戦いなどで目覚ましい活躍を見せ、かのパットン将軍から「最高の戦車指揮官」と称賛されている。 また彼はXM1計画の最大の推進者であり、本車の実用化に多大な貢献をした人物でもあった。 なお、エイブラムズ氏は1974年に死去しているので、代わって彼の妻が式典に参加している。 XM1戦車の最初の生産車が引き渡された1カ月後の1980年3月からは、「DT-III」の呼称でアバディーン車両試験場や、アリゾナ州のユマ海兵隊航空基地、フロリダ州のエグリン空軍基地、アラスカ州のコールドレジオン試験センター、そしてニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル試射場と移動し、様々な環境下で同年9月までRAM-D試験が継続して行われた。 このRAM-D試験終了後は、休む間もなくフォート・ノックスとフォート・フッドで、翌81年5月までOT-III試験に供されたが、このフォート・フッドでの試験は第2/第5騎兵大隊と第27整備大隊の手で実施され、より本格的な運用試験となった。 そしてLIRPとして発注された110両に続いて、1980年度会計予算で352両のXM1戦車が発注されて生産が開始され、1981年2月17日には「105mm砲戦車M1エイブラムズ」として制式化された。 ピーク時にはその月産生産量は30両に達し、その後追加発注が繰り返された結果、その生産数はM1A0~A2の各型合わせて2000年までに9,748両を数えることになった。 M1戦車シリーズの生産は、CD社傘下のライマ陸軍戦車工場とデトロイト工廠で進められ、その工場別各年度における生産数は下表のようになっている。
表から分かるように、M1戦車シリーズの生産はライマ陸軍戦車工場が約2/3の6,306両、デトロイト工廠が約1/3の3,442両を担当している。 また、年間生産数は結構ばらつきがあることが分かるが、これはM1戦車シリーズの心臓である、AGT-1500ガスタービン・エンジンを製作しているアヴコ・ライカミング社の生産が滞って、当初の予定通りにエンジンを引き渡すことができなかったためである。 またM1戦車シリーズの各型式の生産内訳は、基本型であるM1戦車が2,374両(内11両はFSED車)、その改良型であるIP-M1(Improved Performance M1:能力強化型M1)戦車が894両、主砲を120mm滑腔砲に換装したM1A1戦車が4,796両、ヴェトロニクス(車両用エレクトロニクス)を強化したM1A2戦車が72両(内10両は試作車とFSED車)の計8,136両が、1993年初めまでにアメリカ陸軍と海兵隊向けとして生産された。 なお、1982年3月に3億4,850万ドルでCD社を買収した、ヴァージニア州レストンのジェネラル・ダイナミクス社は、CD社の社名をGDLS(General Dynamics Land Systems)社と改め、ライマ陸軍戦車工場とデトロイト工廠は1982年2月から、GDLS社の管理下でM1A1戦車の生産を開始した。 そして1988年末には、M1A2戦車のFSED車10両の製作契約が結ばれて製作が開始され、1992年3月から引き渡しが始められた。 さらに、同年4月には62両のM1A2戦車の生産契約が結ばれて、以後の生産はM1A2戦車に切り替えられている。 これから分かるように、M1A2戦車のアメリカ陸軍向け生産はわずか62両で終了し、以後は後述する輸出車両の生産に切り替えられ、デトロイト工廠での生産が1991年で終了した後、エジプトやサウジアラビアなどへの輸出車両の生産はライマ陸軍戦車工場のみで進められ、輸出型M1A1/A2戦車を2,307両生産した。 またM1戦車シリーズの単体コストについては、生産開始当初のM1戦車が75万ドルだったのに対し、主砲を120mm滑腔砲に換装したM1A1戦車では211万2,000ドルと3倍近く価格が上昇し、1990会計年度におけるその年間維持費用は77,346ドルとの記録が残されている。 M1戦車シリーズの生産は主砲換装型のM1A1戦車と、その発展型であるM1A2戦車で終了し、以後の型式はM1戦車とM1A1戦車からの改造車ということになる。 |
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+IP-M1戦車の開発
様々な紆余曲折を経ながらも、1980年から生産が開始されたM1エイブラムズ戦車であったが、生産開始から間もなく、M1戦車に対する2種類の改良計画が開始された。 その1つは、120mm滑腔砲の導入や本格的なNBC防護機材の装備、装甲強化といった改良を盛り込んだM1E1計画で、これが後のM1A1戦車の開発に繋がる。 このM1E1計画と並行して進められたのが、主砲はそのままでさらなる戦闘能力の向上を目的とする、装甲強化などを盛り込んだIP-M1計画である。 その開発状況からも分かるように、IP-M1戦車は主砲やNBC防護機材などはそのままとされたが、装甲強化を始めとしてコンポーネントの多くをM1E1戦車と共用していた。 IP-M1戦車はまず、最終減速機のギア比をM1戦車の4.30:1から4.667:1に改め、ガヴァナーを調節して最大速度を、M1戦車の45マイル(72.42km)/hから41.5マイル(66.79km)/hに減じた上で、第2、第7転輪アームに装着されている油圧式ショック・アブソーバーの油圧を、3,000psiから3,500psiに強化したのに加え、砲塔後面には側面と同様に金属製の支柱と薄板を組み合わせ、その周囲に金網を張ったラックが装着されて、個人装備収容の便が図られた。 なおこのラックは、必要に応じて取り外すことが可能である。 また前述のように装甲の強化が実施されたが、具体的にどの程度、装甲防御力が向上したかは明らかにされていない。 なお、IP-M1戦車の生産型第1号車は1984年10月に引き渡され、1986年5月までに総数894両が完成している。 |
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+車体の構造
M1戦車の基本レイアウトは、それまでの各種アメリカ戦車に準じるというよりも、近代型戦車の始祖であるフランスのルノーFT軽戦車のセオリーに則っており、車体前部に操縦室を配して、車体中央部を全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室とし、車体後部にパワープラントを収めるという、極めて常識的なスタイルにまとめられている。 操縦室の中央部には、操縦手席が配置されている。 操縦手席の直上部分にあたる上面装甲板には三角形の開口部が設けられて、ペリスコープ3基を備える操縦手用ハッチが装着されている。 操縦手用ハッチは一旦上方に持ち上げてから、右に回転して開くという方式が採られているが、これはM1戦車の砲塔サイズが大きく、ハッチの上方にオーバーハングしてしまうためで、通常用いられる側方に開く方式が採れなかったのである。 このスタイルからも分かるように、操縦手の乗降は少々難はあるものの、砲塔を前方に向けた位置で何とか可能となっている。 また少々面倒かつ窮屈ではあるが、砲塔を後方5時方向に指向させて、砲塔上面左側の装填手用ハッチから車内に入り、砲塔バスケットの隙間から操縦手席に進むことも可能である。 操縦手用ハッチに装着されているペリスコープは、いずれも等倍で3基合わせての前方視野は120度だが、その型式は不明である。 また中央のペリスコープは夜間の走行に際して、熱映像式の等倍で視野角35×45度の、暗視用ペリスコープを装着することができる。 なお中央のペリスコープのみ、2基のワイパーが装着されている。 操縦手用の座席は6.35mm厚、重量49.9kgのアルミ合金製である。 座席はリクライニング式で上下高の調節もでき、備えているペリスコープを用いて視界を得るのに加えて、操縦手用ハッチを開き、直接外部の視界を得ることも可能である。 また座席表面にはクッションが張られ、居住性の改善を図っている。 さらに操縦手席の右後方には、消火剤としてハロン1301を3.5リットル収めた消火器が立てて装着されており、赤外線式の火災検知センサーと組み合わせることで、1回に付き0.0002秒、ハロン1301ガスが自動的に噴射される。 また操縦手席の左側に備えるハンドル操作でも、消火剤を噴射することができる。 同様の自動消火装置は砲塔部にも収められており、乗員の生残性を向上させている。 なおアメリカ戦車の多くは、操縦室の床下に脱出用ハッチを備えているが、M1戦車はXM803戦車と同じく脱出用ハッチが用意されていない。 これは車内の気密性を高めるためと思われるが、実はM1戦車は本格的な対NBC能力を備えてはおらず、M13A1除染フィルターを内蔵するM25A1顔マスクを被るだけで、息苦しさと暑さという劣悪な環境下で、NBC汚染地帯における戦闘を継続しなければならなかった。 ただしM15A2化学剤検知装置と、AN/VDR放射性降下物検知装置、そして浄化液1.42リットルを収めるABC M11ボトルが戦闘室内に収められ、汚染度の状況探知と非常時の対処は可能である。 しかし、車内の気圧を高めることで外気の侵入を防ぐ加圧装置は備えず、車内の空気を清浄に保つ外気除染フィルターも未装備なので、対NBC能力は不充分だったことは間違いない。 また操縦に関しては、M60戦車シリーズと同様のT字形ハンドルが用いられており、ハンドルの左右には出力調整装置が配され、バイクと同じ感覚で操縦することができ、操縦手のワークロード軽減に貢献している。 ハンドルは最大25度まで左右に振ることができるので、方向角の調節も容易い。 また、グリップ部分を前方に回すことで出力調節ができ、最大60度まで回すと最大速度となる。 またT字形ハンドルの右側にあたる壁面には、電気系統の警告灯とリセットスイッチが上部に配され、T字形ハンドルの基部中央には変速レバーが設けられて、右に進めると順にニュートラル、前進、ニュートラル、後進となり、ニュートラル位置でノブを回すと、左右の履帯がそれぞれ逆に駆動してその場で回転する、超信地旋回を行うことができる。 さらに、変速レバーの左右には車内通話用のスイッチが備えられ、被っている戦闘車両乗員(CVC)ヘルメットが内蔵するスピーカーと、インターカムで車内通話ができる。 さらに、後述するX-1100自動変速・操向機の採用により、操縦手の前方には中央に走行ブレーキ、右に駐車ブレーキが配されているだけに過ぎない。 アクセルペダルが姿を消したことで、若干ではあるが操縦手の居住性が向上したことは間違いないだろう。 なお駐車ブレーキ後方にはその解除レバーが、操縦手席の左側には消火器の噴射ハンドルがそれぞれ配されている。 操縦手席の左右には燃料タンクが収められ、その上方には燃料注入口と、それぞれ斜め前方に開く注入蓋が装着されている。 この操縦室の左右に置かれた燃料タンク単体での収容量は不明で、機関室内の燃料タンクと合わせて1,874リットルの燃料が収められているが、この数字は歴代アメリカ戦車の中でも群を抜いている。 また、操縦手用ハッチ前方にあたる車体最前部には、前照灯とブラックアウト灯が並べて装着され、その直前の左右端には生産時に必要となる車体の吊り下げ用フックが、前面下部左右には牽引用フックがそれぞれ溶接されている。 同様に車体後面の左右には、円形の尾灯とそのカバーが配されているが、第2次大戦中のドイツ戦車で多用された防空型管制灯(ノーテクライト)のように、尾灯表面に細いスリットを備えたカバーが装着されている。 車体左右には、履帯の上面を完全に覆うフェンダーが装着されており、その外端には7分割された複合装甲製のサイドスカートが装着されているが、フェンダーと固定されているのは最前部と最後部のみで、2番目は前方に、3番目は後方に、5番目は後方にそれぞれ開くことができ、足周りに関する整備の便を図っている。 加えて3~6番目までのサイドスカートは、フェンダーに装着された可動基部に結合されることにより、上方に跳ね上げることも可能である。 これも、整備の便を考慮したものであることは明らかだろう。 なお、第2次大戦中は大半のアメリカ戦車が、フェンダー上に車外装備品を装着していたが、M1戦車の場合は小銃弾や弾片などによる被害を避けるために、一切装着されていないことが目を引く。 また、通常時はサイドスカートに隠れて見えないが、車体側面には計6個のスカート用の支柱が、それぞれ4本のボルトで固定されている。 |
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+機関室とパワープラントの構造
M1戦車の車体後部には、パワープラントを収容した機関室が配置されており、車体中央部の戦闘室とは防火壁で隔離されている。 機関室上面は、収容するAGT-1500ガスタービン・エンジンが上方に大きな排気ダクトを装着しているため、接触を避けて防火壁部分から後方に傾斜部を設けて、一段持ち上げられた形状にまとめられている。 そして、機関室内の中央部に置かれたAGT-1500エンジンの、左右にあたる袖板の上には燃料タンクが収められて、操縦室内左右の燃料タンクと合わせて1,874リットルの燃料が収容されている。 これは、当時のアメリカ陸軍の主力MBTであったM60A1戦車の1,460リットルや、試作に終わったMBT-70戦車、XM803戦車の収容量1,514リットルと比べるとかなり増大しているが、ディーゼル・エンジンよりもはるかに燃料消費量が大きなガスタービン・エンジン導入が、その原因なのは明らかだろう。 なおこの燃料タンクの配置に従い、機関室後方の左右側面には燃料注入口が配され、いずれも後ろ開き式の注入蓋が装着されている。 なおこの燃料タンクは、右のタンク前方にバッテリーを収容する関係から、左右で形状が異なっている。 また左側燃料タンクの前方にあたる上面には、機関室内への空気導入を目的としてグリルが設けられている。 同様に、機関室上面中央の取り外し式点検用パネルの左前方には、エアクリーナーへの外気取り入れダクトが、右前方にはエンジンへの空気取り入れダクトが、それぞれ配されている。 右側燃料タンクの前方には6個の12Vバッテリーが収容されているため、取り外し式で前後に分割された点検用パネルが装着されており、さらに右側燃料タンクとエンジンの間に空間を設けて、この部分にあたる上面には前後に分かれて、後方部分に装着されているヒンジにより右に開く点検用パネルが装着されている。 この点検用パネルは燃料の誘爆に備えて、ブロウオフ・パネルとしても機能するようである。 また車体後面中央の、大きな排気用開口部の内壁は車体側面板がそのまま用いられており、車体側面装甲板との間に間隔を有する空間装甲の形が採られているが、空間装甲の効果を意図したというよりも、製作上の都合からこのようなレイアウトが採られたようである。 その機関室内壁後端部の左右上端には、一体化する形で吊り下げ用のアイプレートが設けられている。 さらに、その下方にあたる車体後面の左右には牽引フックが溶接され、加えてその中央にあたる部分には、牽引用ピントルがボルト4本で固定されている。 M1戦車のエンジンは、アヴコ・ライカミング社が開発したAGT-1500ガスタービン・エンジン(1,500hp/3,000rpm)が用いられ、このエンジンの後方にアリソン社が開発した、X-1100-3B自動変速・操向機(前進4段/後進2段)が結合されている。 AGT-1500ガスタービン・エンジンの単体重量は1,147kgで、最後までエンジン候補として競ったTCM社製の、AVCR-1360 V型12気筒空冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(1,475hp/2,800rpm)が約2,000kgだったのと比べると、同等の出力でありながら半分近く軽量にまとめられたが、これはガスタービン・エンジンならではのメリットだろう。 なお変速・操向機や、ラジエイターなどの補機類を全て装着したパワーパック状態での重量は、約3,856kgとされている。 このガスタービン・エンジンの搭載により、他を圧する大容量の燃料タンクを備えながらも、その航続距離は整地で275マイル(443km)と、M60A1戦車の300マイル(483km)を40kmほど下回る値になってしまった。 しかし反面その加速性は高く、戦闘重量約55tのM1戦車が32km/hに達するまでに要する時間は、わずか7秒といわれる。 また整地での最大速度は45マイル(72.42km)/h、不整地でも30マイル(48.28km)/hと、列強の戦後第3世代MBTの中でもトップクラスの走行能力を備えている。 ただし利点ばかりではなく、最大の問題は燃料消費量が極めて大きいことで、例えばM60A1戦車が搭載するTCM社製の、AVDS-1790-2A V型12気筒空冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(750hp/2,400rpm)が、1.61kmの整地走行に要する燃料が6.5リットルなのに対し、M1戦車に搭載されたAGT-1500ガスタービン・エンジンの燃料消費量は37.9リットルと、桁外れに大きな消費量となってしまったのは否めない。 X-1100-3B自動変速・操向機のギア比は、1速5.877:1、2速3.021:1、3速1.891:1、4速1.278:1で、後進は1速8.305:1、2速2.354:1とされ、単体重量は約1,950kgで、エンジンよりも重いことが分かる。 またエンジンの左右から、前部に冷却ファンを収めたダクトが後方に延ばされて、後端にオイルクーラーが装着されている。 このオイルクーラーは車体後面装甲板も兼ねており、変速・操向機の直後は装甲板を設けずにそのまま開口されて、変速・操向機の上方からダクトを介して、排気ガスを車外に放出するという構造が採られている。 この排気用開口部には細い薄板を組み合わせ、内部にフィルターを収容したグリルが装着されており、その左右に位置する変速・操向機のオイルクーラーは左が主、右が副とされ、加えて左側オイルクーラーの外側には、エンジンのオイルクーラーが一体化されており、この結果として、左側の方が右側よりも左右幅が倍になっている。 なお、エンジン用のオイル容量は26.5リットルと判明しているが、変速・操向機用は不明である。 車体後面装甲板には、それぞれに外開き式の点検用ドアが装着されているが、熱気を逃がすためにそれぞれのドアには、排気口の開口部に装着されたダクトと同様に、薄い鋼板を組み合わせて内部にフィルターを収めたグリルとなっている。 なお、これらのフィルターは当然ながら異物の混入防止ではなく、専用の探知機材による発見率を下げるため、熱気と赤外線の放出を低減するためのものである。 このため、異物混入を防止するためのフィルターとは、当然ながら材質は異なるものと思われるが、その実態は不明である。 変速・操向機はエンジン後端に直結され、左右に走行装置とブレーキ、そして最終減速機を経て起動輪に動力が伝達される。 実際に履帯を駆動する起動輪は、直径68.1cmで周囲に11枚の履帯と噛み合う歯を備え、生産当初は走行時に履帯が外れるという事故が多発したために、起動輪の周囲に円形の履帯脱落防止板をボルトで固定して、その対処としていた。 しかし生産中の分析により、変速・操向機の搭載位置が数cm前方にずれていたため、履帯の脱落が発生したことが判明し、オリジナルの設計図面に従い位置を改めることで、脱落問題は解決されたという。 なお、燃料という可燃物が収められている機関室には、操縦室や砲塔と同様に赤外線を用いた検知センサーを介し、センサーが熱を検知することで作動する自動噴射式の消火器が2本収められている。 |
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+足周りの構造
M1戦車は開発当初、試作に終わったMBT-70戦車やXM803戦車と同様に、油気圧式サスペンションを用いることも検討されたが、結局試作車では常識的なトーションバー式サスペンションが採用された。 このトーションバーの直径は7.6cmで全長213cm、重量19.7kg、最大65度までの作動角を備え、そのトラベル長は38.1cmに達する。 この数字はM60A1戦車の18.2cmの倍以上と大きく、不整地における走行能力の向上に一役買っていることは間違いないだろう。 なおトーションバーは、保護を目的にアルミ合金製で直径8.9cm、全長178cm、0.23mm厚で重量44.9kgの防護カバーで周囲が覆われている。 トーションバーに結合されたそれぞれの転輪アームには、軽量化を目的にアルミ合金を素材に用い、周囲にゴム縁を備える直径63.5cm、幅13.2cmで重量10.9kgの鋳造製転輪が、片側7個取り付けられている。 また最前部には、履帯の張度を調整するための油圧式前後調節機構を備える誘導輪が配されているが、専用のものではなく転輪がそのまま流用されている。 第1、第2、第7転輪アームには油圧式のショック・アブソーバーを備え、上方には履帯を支えるアルミ合金製で、ゴム縁を備えない上部支持輪が片側2個取り付けられている。 なおこの上部支持輪は、試作車では片側3個が配されていた。 M1戦車に採用されたT156履帯は、M60戦車シリーズに用いられたT97履帯の改良型であり、アメリカの戦車では一般的なダブルピン式のものである。 ただし一体式ではなく、センターガイドを中心に左右に分かれ、表面に防滑用の山形モールドが施されたゴムブロック一体型の、いわゆるダブルブロック式となっている。 そのサイズは幅63.5cmでピッチ長19.4cm、片側78枚の履板で構成され、その全長は15.1mで接地長は4.57m、床下地上高47cmとなっている。 |
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+砲塔の構造
M1戦車の車体中央部は戦闘室となっており、上方に全周旋回式の砲塔が搭載されている。 この砲塔内には、主砲の105mmライフル砲と7.62mm同軸機関銃の右側前方に砲手、その後方に車長がそれぞれ位置し、主砲を挟む形で車長の反対側には装填手が配されている。 砲塔の装甲は、前面と側面がバーリントン・アーマーと呼ばれる複合装甲、その他の部分は圧延防弾鋼板の溶接構造となっている。 なお砲塔リングの直径は2.16mで、前述した開発時代のリング径と同一の値となっているが、これが車体サイズとの兼ね合いから決定された最大値だったのだろう。 砲塔リング部の下方には、5本の支柱で結合されたアルミ合金製で12.7mm厚、重量130kgの砲塔バスケットが固定され、右側の前後に砲手と車長の、左側に装填手の座席とその支柱がそれぞれ設けられている。 なお砲塔バスケットの床には、スライド式のカバーを備える角形の開口部が用意され、床上に置かれた各種電気配線類が装着された、分岐管基部の点検に供される。 アメリカ戦車の多くは、砲塔の駆動に油圧装置が用いられているが、M1戦車でも電気式のモーターにより油圧機構を駆動することで、それぞれが独立して砲塔の旋回と主砲の俯仰が行われる。 砲塔の旋回速度は極めて素早く、全周旋回に要する時間はわずか9秒で、砲塔旋回用モーターと主砲俯仰用モーターはFCSと連動しており、安定装置を介して目標追尾状況の場合は、18.8度/秒の速度で目標を指向することが可能である。 また、-9.5~+20度の俯仰角を備える主砲の俯仰速度は6.35度/秒だが、モーターが故障した場合には、砲手席に用意された俯仰角の微調整用ハンドルを用いて、手動で俯仰操作を行うことが可能である。 その場合は101.6度/秒以上と、動力式をはるかに上回る値となっている。 なお油圧機構の駆動に供されるオイルは、長さ76.2cm、幅33cm、高さ58.4cm、重量13.2kgのアルミ合金製オイルタンクに収容されて、砲塔バスケットの上に置かれるが、その容量自体は明らかにされていない。 砲塔内の前部右側に位置する砲手席には、目標の照準に供する様々な機材が配されている。 その中核となるのは、砲手席の前面に設けられている倍率9.5倍で視野角6.2度と、倍率3倍で視野角16度、そして等倍で視野角18度を任意に切り替えることが可能な主照準装置(GPS)と、後述する可視光線と赤外線を選択でき、赤外線を用いた場合は倍率9.8倍で視野角12.5度と、倍率3倍で視野角120度を選択できる熱映像装置(TIS)、そして照準装置の機械的な故障時の対処として、倍率8倍で視野角8度の光学式副直接照準望遠鏡が用意され、加えてGPSにはレーザー測遠機が組み込まれ、目標までの距離を正確に測定することが可能である。 また、これら各種機材はコンピューターを介してFCSに組み込まれ、砲塔の後面に備える支柱状の風センサーが測定した、外気温度や風速と風向、車体の傾斜角度といった各種データを自動的に分析し、最適の射撃データを電子的に砲手に伝達するのに加えて、同じ情報を車長が共有することを可能としている。 その結果として、初弾命中率は約95%という高い命中精度を得るという。 なお、レーザー測遠機の精度はM60A3戦車と同等で、最大8,000mで10m前後の誤差が生じるといわれる。 また、熱映像装置は2軸式の安定装置に装着され、可視光線を選ぶと倍率3倍と10倍に切り替えが可能で、倍率3倍を選んだ場合は120度の視野角を得ることができ、最大1,500mまで視認することができる。 夜間戦闘に供する場合は、波長8~14μmの長波赤外線を用い、映像としてディスプレイで表示することができ、その最大視認距離は4,000mといわれる。 なお前述した風センサーだが、1970~80年代末まで多くのMBTの標準装備として多用された。 しかし1990年代に入ると、忘れられた存在となった。 その理由は、確かに周囲の大気状況を知り、それを射撃データとして用いるのは大きなメリットがあるかも知れないが、問題はその射撃距離で、2,000~3,000m先の目標を狙うというにも関わらず、装備する風センサーでは自車の周囲しか測定することができないのは明らかで、敵戦車が存在する遠距離における大気状況を測定することなど不可能だったからである。 それでも近接戦闘には役立つとの判断からか、M1A1/A2戦車でも装備は続けられている。 砲手用の主照準機は、砲手席の直上にあたる砲塔上面に開口部を設けて車外に出され、周囲は装甲箱でカバーされるのに加えて、前方の開口部には左右開き式の装甲蓋を装着することで、走行時における不用意な破損などを防いでいる。 また、直接照準機として使用される副照準機は、主砲同軸機関銃の直下にあたる主砲防盾に開口部が用意されている。 砲手席にはこれらの各種照準機材に加えて、前方に設けられたパネルの操作で弾種の選択や、主砲と同軸機関銃の選択、ディスプレイの映像を照準機と熱映像装置から選択、通常とドリフトのモード切り替えなどを行う。 さらに、右側に配されたパネルの操作により、照準機や熱映像装置の感度調節と、熱映像装置の白黒反転、データ表示モードの変更などを行う。 砲手はこの操作パネルを駆使して目標の発見と追尾、そして射撃を実施するというハードな任務が必要とされる。 砲手席の後方に位置する車長席はM1戦車シリーズの場合、「CWS」(Commander's Weapon Station:車長用武装ステイション)と称されている。 砲手用の座席が固定式で高さを変更できないのに対し、車長用の座席は必要に応じて3段階の昇降が可能で、前方に配された各種機材の操作に加え、車外に半身を乗り出して周囲の状況の視察や警戒、そして機関銃の射撃操作を行うことを可能としている。 なお、車長用の座席はアルミ合金と鋼材で作られており、昇降機構などを合わせた重量は47.2kgと結構重い。 また、CWSという立派な呼称が与えられていることからも分かるように、見た目こそ昔の旋回式キューポラと何ら変わりないように感じるが、実際には、電気式モーターを用いた動力旋回機構が導入されている。 CWSは周囲に8基のペリスコープを収め、円形の後ろ開き式ハッチを備えるのに加えて、キューポラの前方には機関銃マウントが装着され、12.7mm重機関銃M2が搭載されている。 この機関銃は車長による手動操作の場合は、個人差や熟練度などである程度の差はあるものの、機関銃マウントがキューポラのリング部分を、44.5度/秒以上の速度で旋回することができるが、砲塔と同様に標準装備されている動力駆動用の電気モーターを用いた場合は、100度/秒で旋回することができる。 なお、機関銃の俯仰は手動で-10~+65度の俯仰角を備え、射撃精度には難があるものの対空射撃も可能である。 また機関銃マウントの中央部には、倍率3倍で視野角20度の車長用照準機(TCS)が、下方に設けられた開口部から突出しているが、これとは別に車内にも、砲手席に設けられているGPSに結合される光学式の延長部から、砲手と同じ照準情報を得ることができ、必要に応じて車長席に用意されている、車長が主砲の照準と射撃を砲手に代わって行うことができる、オーバーライド機構とその操作機材を備えている。 これらの装備に加えて、ジャイロを介した主砲安定装置とFCSを電子的に統合することで、当時のアメリカ陸軍の主力MBTであったM60A3戦車と比較して、はるかに高い射撃精度を得ることに成功した。 そして、最後の乗員となる装填手は砲塔内の左後方に位置して、バスル部分に収められた主砲弾薬の装填を行い、バスル内左右に22発ずつ分けて収容されている即用弾を全て撃ち尽くしたら、砲塔バスケット床板に置かれたラックに収容された3発の予備弾をまず使用する。 そして最後は、砲塔バスケット右側の袖板上に置かれた、8発の予備弾を収めたラックから弾薬を装填する。 つまり、主砲弾薬の搭載数は合わせて55発ということになる。 この装填手の配置に伴い、砲塔上面の左側には車長用キューポラと隣接する形で、円形の斜め右後方開き式で全周旋回式のペリスコープを備える、装填手用ハッチが設けられている。 ハッチの基部には機関銃マウントのスライド式リングが装着され、7.62mm機関銃M240をマウントに載せて全周旋回させることが可能だが、実際には車長用キューポラとの位置関係から、その旋回範囲は270度に限定される。 一方、7.62mm機関銃の俯仰角は-35~+65度と、車長用の12.7mm重機関銃を上回っている。 即用弾として、左右のバスル内にそれぞれ22発が収められた主砲弾薬は、被弾による誘爆の危険性への対処として、砲塔前部とは油圧で左右にスライドする鋼板製の扉で仕切られている。 そして、砲塔バスケット内に設けられた駆動用スイッチを装填手が膝で操作することで、扉を開閉するというユニークな機構が採られている。 この機構の一環として、バスル上方にあたる砲塔上面には「ブロウオフ・パネル」と称する、誘爆に際して吹き飛ばされることで爆風と火炎を車外に逃がし、砲塔内への侵入を防ぐ役目をするパネルが装着されている。 このブロウオフ・パネルは砲塔の上面3カ所に開口部を設けて、その開口部にボルトで固定され、他の砲塔上面と同等の防弾性を備えながら爆発への対処としている。 なお、装填手の熟練度によりその装填速度には差が生じるが、平均して7発/分前後の装填が可能といわれる。 また、車長と砲手の座席は砲塔バスケット内に設けられているが、装填手の座席は砲塔リングの後方左側に装着されている。 M1戦車の砲塔側面には、内側開き式の雑具箱が標準装備されており、この雑具箱はアルミ合金製で結構なサイズにも関わらず、その重量はわずか17kgに過ぎず、運動エネルギー弾に対する耐弾性は無いに等しい。 ただし雑具箱自体が空間装甲として機能するため、成形炸薬弾に対しては一定の耐弾性が見込める。 また砲塔上面への乗降の便を図って、雑具箱の周囲には金属支柱と薄板を組み合わせた手摺が装着されている。 加えて、砲塔側面に装着された雑具箱の前方には、66mm発煙弾を6発収容する、蜂の巣状の発煙弾発射機M250を標準装備としている。 M250発煙弾発射機の前方への射角は、5度から55度まで10度ずつ分かれており、射距離30mでの煙幕効果を得ることができる。 発煙弾の射撃操作は、車長席のパネルに設けられている2個のスイッチを用いて行い、左右いずれかの1個を押すと両側の3発が、2個を同時に押すと両側の一斉発射が可能である。 なお、アメリカ海兵隊が装備するM1A1戦車の場合は、陸軍とは異なり、それぞれ66mm発煙弾を収める発射機8本を一組として基盤に装着した、M257発煙弾発射機が用いられている。 この変化に伴い、飛翔距離は同一だが発煙弾の射撃は両側4発ずつと、両側一斉発射を選択でき、前方への射角は5度から52度まで10度ずつ分かれており、陸軍のM250発煙弾発射機とはわずかな違いが生じている。 発煙弾発射機から発射できる弾薬としてはL8A1/A3発煙弾と、真鍮箔を収めたM76チャフ弾、そしてM82訓練弾が用意されている。 主に使用される発煙弾は射撃後8秒前後で発煙を開始し、敵の視界を奪うのに加えて赤外線にも効果的で、L8A1ならば2分間の、L8A3なら4分間の煙幕効果が持続する。 またM76チャフ弾は赤外線に対して効果を発揮するが、その効果は45秒しかないといわれる。 なお砲塔内には、前述した主砲弾薬55発に加えて、12.7mm重機関銃弾900発、7.62mm機関銃弾10,000発(同軸用)、1,400発(装填手用)がそれぞれ収められている。 加えて66mm発煙弾24発と、個人用の火器として5.56mm自動小銃M16A2と、30発入り弾倉7個、手榴弾8個が収容されている。 |
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+武装の構造
M1戦車の主砲に採用された105mmライフル砲M68A1の原型となったのは、イギリスの王立造兵廠が1959年に開発した105mmライフル砲L7である。 ソ連陸軍が1950年から本格量産を開始したT-54中戦車に対抗するため、当時のイギリス陸軍の主力MBTであったセンチュリオン戦車シリーズが装備する、王立造兵廠製の66.7口径20ポンド(83.4mm)ライフル砲Mk.IIを、砲架の改修無しに交換できるよう設計されていたのがL7の特徴である。 アメリカはL7のライセンス生産権を購入して、ウォーターヴリート工廠の手で若干の改良を加えたものを「M68」として制式化し、M60戦車に搭載した。 M68は、基本的な構造と性能はL7に準じるが、閉鎖機を水平鎖栓式から垂直鎖栓式に改め、排煙機も独自のものを用いているのが変更箇所となっている。 その後改良されたM68E1を経て、その制式版M68A1に発展し、M1戦車に搭載された。 105mmライフル砲M68A1の諸元は、砲身長5.35m(51口径長)、総重量1.13t、ライフリング数28条で垂直鎖栓式閉鎖機を備え、重量18.6kgのM392A2 APDS(装弾筒付徹甲弾)や、重量17kgのM735 APFSDS、重量は不明だが、M735の弾芯をタングステンから劣化ウランに換えたM735A1とM774、その弾芯長延長型のM833、重量21.2kgのM393A1 HEP(粘着榴弾)、重量21.8kgのM456 HEAT、重量11.4kgのM416 WP(白燐弾)、重量21.8kgのM490 TP(訓練弾)などが主要弾種として用意されている。 タングステン弾芯を備えるM735 APFSDSを用いた場合、砲口初速1,501m/秒、最大射程3,000m、射距離2,000mで318mmの均質圧延装甲板を貫徹することが可能である。 なおAPFSDSは、アメリカ陸軍では1978年末より引き渡しが始められた弾種であり、1980年代末からは、劣化ウラン弾芯を備えた通称「DU(Depleted Uranium:劣化ウラン)弾」の引き渡しが進められた。 アメリカ陸軍は現在、従来用いていたタングステン弾芯のAPFSDSに換えて、DU弾芯を持つAPFSDSを主用しているが、これはタングステンが希少金属であるため調達コストが非常に高いのに対し、DUは原子炉を稼動させた際に発生する廃棄物であるため、調達コストが安いことが大きな理由である。 装甲貫徹力についても、自己先鋭化現象を起こすDUはタングステンを約10%上回り、さらにDU弾は焼夷性が高いため、敵戦車の装甲を貫徹した際に車内を高温化し、燃料や弾薬の二次爆発を引き起こす効果がある。 このように、良いことずくめのように思われるDU弾だが、放射性廃棄物でかつ、毒性を持つ重金属であるDUを弾芯に用いているため、乗員の健康を損ない、環境を汚染する問題が指摘されている。 しかしながら、タングステンは非常に高価であると同時に、政治的に対立している中国が埋蔵量の多くを握っているため、安定して入手するのが困難という理由もあり、アメリカ陸軍はDU弾を主用せざるを得ない状況である。 M1戦車は試作段階から、外気温や射撃などで生じる熱温度変化による砲身の歪みを測定し、射撃データとして用いる砲口照合装置を標準装備している。 一方M1戦車の副武装については、砲塔上面右側の車長用キューポラに、ブラウニング社製の12.7mm重機関銃M2を1挺、主砲同軸と砲塔上面左側の装填手用ハッチに、ベルギーのFN社製の7.62mm機関銃FN-MAGを、ネヴァダ州リノのUSオードナンス社が改良した7.62mm機関銃M240を1挺ずつ装備している。 アメリカの著名な銃器設計家である、ジョン・M・ブラウニングによって設計された12.7mm重機関銃M1921シリーズを基に、アメリカ陸軍省の手で開発された12.7mm重機関銃M2は、1933年に陸軍に制式採用されて以降、実に90年以上に渡り各種AFVに搭載されて運用が続けられているが、性能的に完成の域に達しているため、現在でも充分通用する威力を備えている。 M33通常弾を使用した場合、銃口初速887m/秒、有効射程2,000m、最大発射速度635発/分となっている。 一方7.62mm機関銃M240は、それまでアメリカ陸軍戦車の主砲同軸機関銃として使用されてきた、国産の7.62mm機関銃M60E2や、7.62mm機関銃M73を置き換えるため、ベルギー製の7.62mm機関銃FN-MAGをベースに、1977年に開発された主砲同軸機関銃である。 通常弾を使用した場合、銃口初速905m/秒、有効射程1,800m、最大発射速度950発/分となっている。 |
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+複合装甲の構造
それまでのアメリカ戦車の車体構造は、圧延防弾鋼板の溶接接合が一般的であったが、M1戦車はM48戦車で試験的に導入された複合装甲を、全面的に採用した最初の生産型アメリカ戦車でもある。 M1戦車で用いられた複合装甲「バーリントン・アーマー」(Burlington Armour:バーモント州もしくは、ノースカロライナ州の都市名に因んだ名前と思われる)はBRLの協力を得ながら、1960年代にイギリスから伝えられてきた「チョバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲の情報を加味し、CD社で開発されたものが用いられている。 その装甲厚自体は当然ながら明らかにされていないが、車体前面と砲塔の前/側面に複合装甲が導入されているものと推測されている。 各国の戦後第3世代MBTの標準装備となっている複合装甲の構造に関しては、軍事研究者らによって様々な説が伝えられてはいるものの、実際には複合装甲自体が高度な軍事機密であるため、いずれも推測の域を出ない。 M1戦車の複合装甲に関する一般的な説では、2枚の防弾鋼板の間にセラミックを挟み込んだ構造になっていると推定されている。 セラミックを挟み込む2枚の防弾鋼板には、いわゆるDHA(Dual Hardness Armour:二重硬度装甲)の概念が応用される。 敵の砲弾が直接衝突する表面側には、硬度の高いHHA(High Hardness Armour:高硬度装甲板)を、運動エネルギーを受け止める裏側には、延性に富んだRHA(Rolled-Homogeneous Armour:均質圧延装甲板)を配置しているものと推測される。 なおセラミックには様々な組成のものが存在するが、M1戦車の複合装甲に用いられているセラミックは、比較的安価なアルミナ(Al2O3)系のものが適用されていると推測される。 その理由は、M1戦車の単体コストには非常に厳しい制約が課せられていたためである。 M1戦車の複合装甲の物理的な厚さについては、最も厚い砲塔前面と車体前面で300mm前後と推定される。 M1戦車に用いられている複合装甲の、防弾鋼板部分の厚さは表裏合計で約125mmと推測されており、残りの175mmがセラミック層の厚さということになる。 M1戦車の複合装甲の具体的な防御力については、徹甲弾などのKE(運動エネルギー)弾に対してはRHA換算で350mm、HEAT(対戦車榴弾)や対戦車ミサイルなどのCE(化学エネルギー)弾に対しては、RHA換算で750mmと推定されている。 ちなみに、M1戦車とほぼ同時期に実用化された西ドイツ(当時)陸軍のレオパルト2戦車も、同様に2枚の防弾鋼板でセラミックを挟み込んだ構造の複合装甲を、車体と砲塔の前面に導入しているが、初期のレオパルト2戦車(A0~A3)の防御力はM1戦車とほぼ同等で、KE弾に対してRHA換算で400mm、CE弾に対してRHA換算で700mm程度と推定されている。 しかし、第5生産バッチ以降のレオパルト2A4戦車では、KE弾に対してRHA換算で700mm、CE弾に対してRHA換算で1,000mmと大幅に防御力が向上している。 同様の素材を用いている複合装甲でこれだけ防御力に差が生じた理由は、M1戦車では弱拘束セラミック複合装甲を用いているのに対し、レオパルト2戦車では強拘束セラミック複合装甲を採用しているためである。 セラミック複合装甲のKE弾に対する防御効率は、セラミックの拘束状態によって大きく左右される。 例えばセラミックと防弾鋼板の間に隙間があったり、セラミックが充分に拘束されていなかったりすれば、KE弾に対する高い防御効率は期待できない。 すなわちM1戦車の複合装甲が、2枚の防弾鋼板の間にセラミックのピースを落とし込むような、単純な構造であったとすれば、靱性が低く衝撃に弱いセラミックは、持ち前の高い硬度を活かす前に割れてしまうのである。 これに対し強拘束セラミック複合装甲は、ハニカム(6角形)構造に加工したセラミックを、チタン合金などの高強度材料のマトリクスで圧縮応力を掛けて拘束したセルを、びっしりと何層も重ねて防弾鋼板の箱の中に配置した構造になっている。 こういう構造にすることで封入されたセラミックが割れるのを防ぎ、高い硬度を活かしてKE弾の侵徹を阻害できるようにするのである。 なお、初期のレオパルト2戦車の防御力が低かった理由については、強拘束セラミック複合装甲は製造コストが非常に高いため、コスト低減のために装甲厚を薄くしていたのではないかと推測される。 また、初期のレオパルト2戦車はM1戦車と同様に、弱拘束セラミック複合装甲を採用していたと主張する研究者も存在する。 一方でセラミック複合装甲は、CE弾に対しては非常に高い防御力を発揮する。 これは、CE弾が装甲板を穿孔するメカニズムに深く関係している。 CE弾が装甲板に命中すると超高速の金属ジェットを発生させ、このジェット噴流の高い運動エネルギーに晒された部分の装甲板を超高圧状態にする。 超高圧状態になった部分の装甲板は機械的強度を無視する形で擬似流体化され、ジェット噴流のエネルギーで内側に吹き飛ばされて装甲板を穿孔されてしまう。 そしてこの開口部からは、数千度の超高温の爆風および砲弾の破片が車内に噴き込み、乗員を殺傷し搭載されている弾薬を誘爆させる。 このジェット噴流の発生を促す働きを、「モンロー/ノイマン効果」と呼ぶ。 またモンロー/ノイマン効果は速度と無関係であるため、CE弾の飛翔速度を大きくする必要が無く、比較的簡単な装置から発射することが可能である。 このようにCE弾は、通常の防弾鋼板製の戦車にとっては非常に厄介な代物である。 しかしセラミック複合装甲にCE弾が命中した場合、CE弾の金属ジェットは表面の防弾鋼板を簡単に穿孔するものの、セラミックに到達した時点でセラミック特有の効果がその穿孔を阻害する。 特有の効果とはセラミック、ガラス(ガラスセラミック)などの高強度の物質に対しては、金属ジェットは小さな孔しか形成することができないことである。 それに加えてセラミックやガラスの場合、穿孔された際に生じる破片が大きなサイズに留まるため、後続の金属ジェットと干渉し、侵徹孔内に再度押し戻されてしまう現象が発生する。 この効果のために、セラミック複合装甲はCE弾に対する防御力が高いのである。 1973年のヨム・キプール戦争においてイスラエル陸軍の戦車は、アラブ諸国軍が装備するソ連製の9M14マリュートカ対戦車ミサイルや、RPG-7携帯式対戦車無反動砲によって大きな損害を受けた。 後にイスラエルからアメリカにもたらされたヨム・キプール戦争の戦訓から、M1戦車は対戦車ミサイルや携帯式対戦車兵器への対策を重視して、セラミック複合装甲を導入したのである。 なお、M1戦車と同様に弱拘束セラミック複合装甲である、チョバム・アーマーを導入したイギリス陸軍のチャレンジャー戦車は、車体の前面だけでなく側面前部にも複合装甲を使用しているが、M1戦車はコスト低減のために車体の側/後面は圧延防弾鋼板を用いている。 複合装甲を導入しているM1戦車の車体前面の傾斜角は公表されていないが、試作段階の傾斜角と同様に前面上部が35度、下部が70度程度ではないかと推測されている。 一方、M1戦車は砲塔の傾斜角も公表されていないが、砲塔前面は車体前面上部と同じ35度と推定されており、複合装甲自体の厚さも同じであると思われる。 なお前述のように、1980年にM1戦車の生産が開始されて間もなく、IP-M1とM1E1と呼ばれる、M1戦車の2種類の能力向上計画がスタートしている。 この2つの計画はコンポーネントの多くが共用されており、後に登場するM1A1戦車と同等の装甲強化が図られていた。 IP-M1/M1E1戦車の複合装甲の厚さと、具体的な防御力については公表されていないが、最も厚い車体と砲塔の前面の厚さが325mm、KE弾に対してRHA換算で400mm、CE弾に対してRHA換算で1,000mmの防御力を備えると推測されている。 M1戦車の複合装甲と比較すると厚さが25mm増加しているが、封入されているセラミックの厚さに変化は無く、それを挟む防弾鋼板の厚さが増している。 KE弾に対する防御力はさほど向上していない反面、CE弾に対する防御力が大幅に向上していることから、M1戦車と同様に弱拘束セラミック複合装甲の構成で、セラミック自体の材質が改良されている可能性が高い。 |
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+派生型
M1戦車シリーズの車体を流用した派生車両は何種類か開発が計画されたが、ベースとなるM1戦車自体が非常に高価な車両であるため、派生車両の価格も当然高額になり、これが原因で大半が開発中止となった。 さらに、それ以前の主力MBTとして多用されたM48/M60戦車シリーズからの派生車両が、すでに数多く存在していたというお家事情もあったので、M1戦車ベースの派生車両はあまり多くは生産されなかった。 ●M104ウルヴァリーン重突撃橋 河川や幅の広い対戦車壕などを通行する際に、欠かせない存在が架橋戦車であり、M1戦車の車体を流用する各種派生車両の中でも、最新の計画がこの「HAB」(Heavy Assault Bridge:重突撃橋)である。 その開発は1994年初めにTACOMとGDLS社との間に、総額2,600万ドルで39カ月間に渡る基礎研究と開発、そして試作車2両の製作に関する契約が成されたことで開始された。 HABの開発に際してGDLS社は、開発コスト削減と期間短縮を目的として、独自の戦車橋を自社で一から新規開発するのではなく、ドイツのMAN社(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)が、レオパルト2戦車の車体を流用して開発した、PSB(”PSB”は装甲高速橋:Panzerschnellbrückeの略語)-2「レグアン」(Leguan:イグアナ)架橋戦車が搭載する、スライド式の戦車橋をM1戦車の車体に移設したものとして開発を進めた。 M1A2 SEPv2戦車の車体を流用した試作車2両は、1996年6月から試験に供された。 それまで「AVLB」(Armored Vehicle Launched Bridge:架橋装甲車両)として用いられてきた、M60A1戦車をベースとするM60 AVLBが備える戦車橋が、全長19.2m、有効架橋長18.3m、全幅4m、最大通行重量54.4t、通行可能な最大速度25マイル(40.23km)/hだったのに対し、試作されたM1A2 SEPv2戦車ベースの車両では、戦車橋の全長26m、有効架橋長24m、最大通行重量63.5tと、いずれも拡大されていたのが特徴である。 試験の結果は問題無かったようで、1996年末にはGDLS社との間に6両の追加発注契約が結ばれたが、この際に「HAB」(重突撃橋)なる呼称が与えられている。 HABはシャシーや足周り、そしてパワープラントなどはM1A2 SEPv2戦車と変わらなかったが、車体は専用のものが新規開発され、車内に分割展張ユニット(LPU)と呼ばれる油圧式機材が収められ、その上方に前後スライド式の「MLC70」と称する戦車橋が装着された。 ちなみに、「MLC」は”Military Load Class:軍用荷重クラス”の頭字語であり、MLC70は最大重量63.5t(70アメリカトン)までの通行が可能なことを表す。 なお生産中に戦車橋は、通行可能重量が77t(85アメリカトン)に増大した強化型MLC85に変更されている。 加えてLPUが故障した場合への対処として、エンジンから動力を抽出して戦車橋を駆動する油圧ポンプも、緊急時のバックアップ機材として搭載されている。 戦車橋の展張に際しては、まず下方に位置し前方部分となる橋が前方にスライドし、伸び切った時点で後方部分を支えている支柱が後方に倒れて、後方の橋前端部を前方の橋後端部と結合する。 この状態で、車体後部に装着された支柱を前方に押し出すことで架橋が行われるが、その展張に要する時間は前後端部分を結合するまでが3分未満で、前方に結合された橋部分を繰り出して架橋するまで2分、つまり5分以内で架橋作業を終えるという。 またM1A2戦車で導入された、データリンクなどの各種電子機材はそのまま踏襲され、NBC防護装置と自動消火装置も搭載されているが、武装は一切備えていない。 自衛用の機材は1基のM250発煙弾発射機と、エンジンの排気ガスにオイルを吹き付けて煙幕を発生する機材を備えており、車内には操縦手と操作員2名が搭乗する。 アメリカ陸軍は、このHABをM104「ウルヴァリーン」(Wolverine:クズリ)として制式化し、当初M60 AVLBの更新を目的として465両の導入を計画した。 この計画に従い、まずLIRP 29両を1億600万ドルで発注して、完成した車両は1999年8月~2001年12月にかけて引き渡された。 しかしその後に、戦車などの戦闘車両装備数縮減へ方針が切り換えられたのに加えて、その高額なコスト自体も問題視されたことで、結局2003年10月までに44両(43両とする資料もある)が引き渡された時点で、HAB計画自体がキャンセルされてしまった。 ●M1074統合突撃橋システム 前述のように当初の計画とは裏腹に、少数生産に終わったM104ウルヴァリーンHABであったが、M1戦車シリーズと行動を共にして任務に当たる架橋戦車の必要性は依然として存在しており、このため2012年にアメリカ陸軍は再び、M1戦車をベースとした新たな架橋戦車を求め、GDLS社および、ヴァージニア州アーリントンのレオナルドDRS社の2社との間で、「XM1074 JABS」(Joint Assault Bridge System:統合突撃橋システム)なる呼称で、開発と試作車2両ずつの製作に関する契約が結ばれた。 両社の試作車は2014年に引き渡されて試験に供されたが、「JABS」という呼称が示すように試験はアメリカ陸軍と海兵隊の手で実施されている。 その背景には2005年に海兵隊がイギリスから、チャレンジャー2戦車向けとして開発された「タイタン」(Titan:ギリシャ神話に登場する巨神族)戦車橋22セットの購入を画策して、独自に装備するM1A1戦車への搭載を計画したものの、諸般の事情により計画が中止されたことがある。 このため海兵隊も新たな架橋戦車が必要となり、海兵隊向けと陸軍向けの架橋戦車を統合する形で、2010年から研究が開始されたのがこのJABSである。 前述のように2012年にGDLS、レオナルドDRSの2社との間で、試作車2両ずつの製作契約が結ばれて開発は本格化し、2014年にはこの試作車を用いた試験が、アラバマ州のアニストン陸軍補給廠において開始された。 JABSの開発に際してはコスト節減に主眼が置かれており、その主装備となる戦車橋はM60 AVLBが備える戦車橋の改良型とされ、試作車の最大通行重量は72.6t(80アメリカトン)で、アメリカ陸軍と海兵隊が装備する車両の通行に際しては、何ら問題は無かった。 このため、M104 HABが装備するスライド式の戦車橋とは異なり、前後に分割された橋部分を広げながら前方に押し出して架橋する、いわゆるシザーズ式の戦車橋が用いられている。 またその最大通行重量は86.2t(95アメリカトン)と、試作車よりも拡大されている。 ただしその呼称は、アメリカトンに準じて「MLC95」とされた。 また車体には、予備装備として保管状態にあったM1A1戦車が用いられるが、改造に際してパワープラントやサスペンションには、M1A2 SEPv2戦車のコンポーネントが流用されている。 車内には戦車橋を駆動する油圧装置、そして2名の乗員が収められ、戦車橋の有効架橋長は18.3mと、M104 HABに搭載されたMLC70を大きく下回るが、その架橋作業に要する時間は10分と倍以上になった。 アニストン陸軍補給廠における試験の結果、2016年8月にレオナルドDRS社の車両がJABS計画の勝者に選ばれ、「M1074 JABS」として制式化される運びとなった。 そして、アメリカ陸軍は337両(後に297両に削減された)、海兵隊は29両のJABSを同社に生産発注し、2017年からまず海兵隊向けのJABSの生産が開始され、2019年に全車の引き渡しを終了した。 続いて陸軍向けのJABSの生産が開始され、2030年5月までに全車の引き渡しが完了する予定になっている。 2024年の段階で、144両のJABSが引き渡し済みである。 また現在オーストラリア陸軍が18両、ポーランド陸軍が17両のM1074 JABSを導入することを決定している。 ●M1パンサーII地雷探知・除去車 アメリカ陸軍は第2次大戦時より、戦車の前部に地雷処理機材を装着した地雷処理戦車を多用してきたが、この「パンサー(Panther:豹)II」MDCV(Mine Detection & Clearing Vehicle:地雷探知・除去車)もまた、その流れに沿った車両であり、M1戦車シリーズ初の派生車両として1990年代初めから配備が行われた。 車体には、砲塔を取り外したIP-M1戦車が充てられ、車体前面に地雷を処理するローラー方式(MCRS)と、プラウ(Plow:鋤)で地面を掘り起こすいわゆるプラウ方式(AMMAD)の、2種の処理機材が装着された。 砲塔の有無を除いて、ここまでは通常の地雷処理戦車と変わらないが、パンサーIIの特徴は、車内に乗員を収めること無くその操縦を、ラップトップ式のコンピューターを用いる遠隔操作式としたことで、その誘導電波到達距離は800mとされている。 ただし、車内の操縦装置などはそのまま残されており、車長と操縦手の2名による乗員操作も可能としていた。 取り外された砲塔部分は円形の装甲板で塞がれ、中央部には円形の張り出し部分が設けられ、その上面に車内操作式の7.62mm機関銃を装着し、後ろ開き式のハッチを備える、全周旋回が可能な車長用キューポラが配されている。 また張り出し部の左右にあたる上面には、M250発煙弾発射機を備えるのは戦車型と変わらない。 また両方式共に駆動装置は無く、プラウ式の場合地雷の処理に際しては、まず乗員もしくは操作員の手により、プラウの前端部を地面に差し込む必要があった。 ただし、パンサーIIの製作数はわずか6両にしか過ぎず、それも新規生産ではなくて、全てがIP-M1戦車からの改造車であった。 なお接尾記号の”II”を省略し、単純に「パンサー」と呼ばれる場合も多いようである。 IP-M1戦車の砲塔を外す形で製作されたパンサーIIであったが、やはり武装が無いというのは何かと不便なことはいうまでもなく、このためより堅実な方式として、通常型のM1戦車シリーズの前部に装着する地雷処理機材が開発され、キットの形で部隊に配布された。 このキットはローラー式とプラウ式の2種類が存在し、並行して開発が進められたようである。 まずローラー式だが、これは前述のパンサーII向けとして開発された、車体前方に金属製のパイプを用いた固定基部に、17枚のローラーを装着する形式とは異なり、左右に延ばされた金属製のパイプにそれぞれ5枚のローラーを装着するという、はるかに単純なスタイルが採られた。 考えてみれば、地雷に接触することで破壊するローラーは当然ながら、左右の履帯部分のみをカバーすれば良いわけで、中央部分は無駄という判断によるのはいうまでもなかろう。 左右それぞれのローラー部分は幅1.12mの地雷処理が可能で、触発型地雷に加えて磁気感応型地雷への対処も可能である。 ただしローラー自体の強度は脆弱で、実際の地雷を使用した試験では、地雷2基を処理した時点でローラー交換を必要としたという。 また車体とローラーを固定するパイプは276セットが、ローラー部分は195セットがそれぞれ発注され、各中隊あたり1両に対して装着が行われた。 なお、この地雷処理機材を装着した車両の場合は、処理作業中での地雷爆発に際して砲身への被害を避けるため、砲塔を前方に向けた状態で作業を行うことは厳禁されている。 一方、プラウ式処理キットは車体の前面に基部を装着し、その左右端にそれぞれ6枚のブレイド(Blade:刃)を備えるプラウを装着するもので、それぞれのプラウ重量は3,150kgで、それぞれが履帯前方部分にあたる1.47m幅の地雷処理を、10km/hの速度で実行する。 使用に際しては、地雷処理部分の前方100mの地点でプラウを45.7cm地面に差し込み、この状態で前進することで地雷を掘り起こすわけである。 ローラー式と同様にプラウ式の場合も、地雷処理中に砲塔を前方に向けることは禁じられている。 なおプラウ式の発注数に関しては、明らかにされていない。 ●M1グリズリー戦闘機動車 1990年代初めにアメリカ陸軍は、M1戦車シリーズの各種派生型の装備を求め、その計画から誕生したのが、「グリズリー」(Grizzly:ハイイログマ)CMV(Combat Mobility Vehicle:戦闘機動車)と名付けられた工兵車両である。 その呼称からでは想像が付かないかも知れないが、実態は戦車などの戦闘車両の行動を妨害するため、敵が道路などに設置した様々な障害物や、地勢上の障害などの排除を目的としており、その期日に関しては不明だが試作車2両が発注され、1995年には完成して試験に供された。 この試作車は、予備装備として保管状態にあったM1戦車から改造され、外見的な変化は砲塔の撤去に加えて、車体前面に左右で分割された片側幅4.5mのドーザーを装着した点だが、改造に際してM1A1戦車と同様にNBC防護機材が導入されていた。 その詳細は不明だが、車体中央部の戦闘室内にはドーザーを駆動する油圧装置が収められ、砲塔リング部分は円形の装甲板で塞がれた。 そして、車内操作式の12.7mm重機関銃もしくは40mm自動擲弾発射機を装着する、全周旋回式の車長用キューポラが取り付けられていた。 またキューポラの前方にあたる車体上面には、オリジナルのM250発煙弾発射機とは異なる、12本で構成された専用の発煙弾発射機が装着されていた。 車体の右側には、前方を支点として左右に旋回する起倒式アームが装着され、基部の後方で分割することで、左右いずれでも使用することを可能としていた。 そしてアームの先端にはバスケットを装着でき、自らが備えるドーザーが盛り上げた土を、左右に廃土することができた。 また、アームは吊り下げ機材としての使用もでき、最大約6.3tの吊り下げ能力を備えていた。 乗員は車長と操縦手の2名で、障害物を排除するドーザーの操作は操縦手が担当して、1時間で300m2の障害物除去が可能といわれる。 また、廃土に際しては1時間で80m2の処理が可能で、その総重量は6.3tに達した。 さらに地雷除去もその任務としており、その場合は約21分で600mの啓開が可能であった。 さらに、車体後面の右側にはAPU(補助動力装置)を標準装備しており、エンジンを駆動すること無く全ての機材に対する電力供給を可能としていた。 当初、アメリカ陸軍は保管状態にあったM1戦車を母体として、366両のグリズリーCMVを導入することを計画していたが、その高額な改修コストと維持費用が問題視され、2001年に計画はキャンセルされてしまった。 |
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M1戦車シリーズの輸出状況 1980年からアメリカ陸軍向けの生産が開始されたM1戦車シリーズは、1984年から海外への輸出を開始して以後、2024年までに約3,000両が海外向けとして販売されている。 NATO諸国軍の標準MBTと呼べる存在であるレオパルト2戦車シリーズには及ばないものの、それを上回る高価なMBTなのでこの販売実績は立派であろう。 以下、M1戦車シリーズの輸出実績について列記する。 ●エジプト 海外において、M1戦車シリーズを初めて購入したカスタマーがエジプトであり、1984年に両国間の合意がまとめられた。 ライセンス生産権がエジプトに譲渡されて、1988年からM1A1戦車のライセンス生産が開始された。 当初の発注数は555両(524両とする資料もある)だったが、その後段階的に発注数が増加して、2015年までに総数1,130両が完成した。 ただしライセンス生産とはいっても、完全に全てのコンポーネントがエジプト国内で生産されたわけでは無く、ライマ陸軍戦車工場で砲塔と車体用装甲板が製作(生産全体の39%)されてエジプトに送られ、最終組み立てを行うというスタイルが採られている。 また車長用のCWSと装填手用ハッチは、アメリカ国内のマスキーゴン施設で製作(生産全体の12%)され、同様にサスペンションはスクラントン施設(24%)で、一部の電子機材はタラハシー施設(5%)で、 各種配線類とその接続は王立ヴァリー企業(17%)で、砲手用主照準機はアニストン陸軍補給廠(3%)でそれぞれ製作されている。 これから分かるように、全ての機関系や大半の電子機材、そして武装はアメリカ国内で製作されており、ノックダウン生産に近い形のライセンス生産であった。 ●サウジアラビア エジプトに続いて、M1戦車シリーズを導入したのは石油王国のサウジアラビアで、1992年にまず315両のM1A2戦車がGDLS社に発注された。 これはアメリカ陸軍へのM1A2戦車の配備開始と同時期であり、アメリカ政府が自軍の装備更新よりも、中東最大の産油国であるサウジアラビアに対する政治的配慮を優先させたことが分かる。 ただし、実際の引き渡しは1993年からのことで、以後1996年までに全車が引き渡されている。 さらにサウジアラビアは2006年にGDLS社に対し、同国が保有するM1A2戦車の「SEP」(System Enhancement Package:システム拡張パッケージ)改修を要求し、同年中に両国政府の間で合意が成され、サウジアラビア(Saudi Arabia)の頭文字を採って「M1A2S」の呼称で、改修作業をアメリカ国内で進める一方で、さらにアメリカ陸軍が保管状態としている58両のM1A1戦車を、M1A2S戦車と同規格に改修して購入し、2016年夏までに改修されたM1A2S戦車の受領を完了した。 この数字を合わせると、サウジアラビアが保有するM1A2S戦車の総数は373両となるが、別の資料では保管状態にあったM1A1戦車からM1A2S戦車に改修された数を15両としているので、その総数は330両となる。 話が前後してしまうが、2012年春からM1A2S戦車の引き渡しが開始され、加えてサウジアラビアは2013年1月にも、保管状態に置かれている69両のM1A2戦車をM1A2S仕様への改修を要求し、さらに2016年にも153両の改修を求め、アメリカ政府もこれを承認した。 なおM1A2S戦車を始めとする、輸出仕様のM1A2戦車は本国仕様のものより性能がダウングレードされた、いわゆるモンキーモデルと呼ばれるものである。 本国仕様のM1A2戦車は、複合装甲と砲弾の弾芯にDU(Depleted Uranium:劣化ウラン)を使用しているが、これらDUを用いた兵器はアメリカ・エネルギー省の管轄下にあり、輸出規制の対象となっている。 またDUを含む複合装甲は、「グリーングレープ」(Green Grape:緑のブドウ)という最高機密プログラムで保護されており、同盟国といえどその機密情報にアクセスすることはできない。 このため輸出仕様のM1A2戦車の複合装甲は、初期のM1A1戦車と同じ弱拘束セラミック複合装甲(第2世代バーリントン・アーマー)で、砲弾もタングステン弾芯のM829 APFSDSしか使用できず、第2/第3世代DU装甲を搭載し、DU弾芯のM829A3 APFSDSを使用できる本国仕様に比べて、攻撃力、防御力共に大きく劣る。 ●クウェート 中東有数の産油国であるクウェートは、1990年8月にイラク軍による侵攻を受け同国の支配下に置かれたが、1991年1~2月の湾岸戦争において、アメリカ軍を中心とする多国籍軍の活躍でイラクの支配から逃れることができた。 その後クウェートは、膨大なオイルマネーを背景として軍事力の大幅強化に乗り出し、その一環として1993年にGDLS社に対して218両のM1A2戦車を発注した。 これらの車両は1994~97年にかけて引き渡しが行われたが、全ての車両がライマ陸軍戦車工場で新規生産されており、SEP改修が導入されていない初期型のM1A2戦車である。 もちろん輸出仕様のモンキーモデルであり、複合装甲は第2世代バーリントン・アーマー、砲弾もタングステン弾芯のものにダウングレードされている。 ●オーストラリア 西側陣営で初めてM1戦車シリーズを導入したのがオーストラリアで、2005年に同国政府はアメリカ政府に対して59両のM1A1SA戦車の購入を求めた。 これは、当時オーストラリア陸軍で運用されていた、ドイツ製のレオパルト1AS戦車(レオパルト1A3戦車のオーストラリア陸軍仕様)の旧式化を背景としたもので、アメリカ政府はこれを承認して2006年に全車が引き渡された。 このオーストラリア向けのM1A1SA戦車は新規生産ではなく、アメリカ陸軍が保管していたM1A1戦車をSA仕様に改修したものである。 また2010年には、M1A1SA戦車の市街戦における防御力を強化するため、「TUSK」(Tank Urban Survival Kit:戦車市街戦生残性キット)を購入したが、その数は明らかにされていない。 さらに2016年には、保有するM1A1SA戦車に対するSEPv2もしくはSEPv3への改修を要求し、アメリカ国内において改修作業が進められたが、どちらの仕様が導入されたかに関しては不明である。 なお、M1A1SA戦車は元々アメリカ州兵向けに開発されたM1A1戦車の改良型であり、M1A2戦車で導入されたデータリンク・システムをM1A1戦車に導入したもので、M1A2戦車の廉価版というべきものである。 |
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M1戦車全長: 9.766m車体長: 7.917m 全幅: 3.658m 全高: 2.885m 全備重量: 54.431t 乗員: 4名 エンジン: アヴコ・ライカミング AGT-1500 ガスタービン 最大出力: 1,500hp/3,000rpm 最大速度: 72.42km/h 航続距離: 443km 武装: 51口径105mmライフル砲M68A1×1 (55発) 12.7mm重機関銃M2×1 (900発) 7.62mm機関銃M240×2 (11,400発) 装甲: 複合装甲 |
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IP-M1戦車全長: 9.766m車体長: 7.917m 全幅: 3.658m 全高: 2.885m 全備重量: 55.338t 乗員: 4名 エンジン: アヴコ・ライカミング AGT-1500 ガスタービン 最大出力: 1,500hp/3,000rpm 最大速度: 66.79km/h 航続距離: 443km 武装: 51口径105mmライフル砲M68A1×1 (55発) 12.7mm重機関銃M2×1 (900発) 7.62mm機関銃M240×2 (11,400発) 装甲: 複合装甲 |
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参考文献・「グランドパワー2004年9月号 初心者のための装甲講座(番外編) M1戦車シリーズの複合装甲の推定と拘束セラミック複合装甲の能力」 一戸崇雄 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2018年7月号 M1エイブラムス(1)」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2018年9月号 M1エイブラムス(2)」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後~現代編」 デルタ出版 ・「パンツァー2016年11月号 ステップアップするアメリカ海兵隊のM1A1」 家持晴夫 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2018年2月号 特集 現用MBTの覇者 M1エイブラムス」 岩本三太郎 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2007年7/8月号 特集 M1エイブラムス」 柘植優介/竹内修 共著 アルゴノート社 ・「パンツァー2010年3月号 新時代のニーズに対応するM1戦車」 三鷹聡 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2024年3月号 最強戦車(M1エイブラムス)の黄昏」 三鷹聡 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2015年7月号 進化するM1戦車の徹底解剖」 荒木雅也 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2004年11月号 M1戦車 その開発・試作・採用」 アルゴノート社 ・「ウォーマシン・レポート12 M1戦車シリーズ」 アルゴノート社 ・「世界のAFV 2021-2022」 アルゴノート社 ・「現代最強戦車の極秘アーマー技術」 ジャパン・ミリタリー・レビュー ・「新・世界の主力戦車カタログ」 三修社 |
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