+概要
1943年11月20日に敢行されたタラワ強襲上陸作戦において、アメリカ軍が初めて敵前強襲上陸任務に投入した装軌式上陸用車両LVT(アムトラック)は同作戦の成功に大きな貢献を果たしたが、同時にLVT1、LVT2共に海岸の水際に各種の火器と共に待ち構える敵を前にした揚陸活動に従事するには、防御力が全く不充分であることもまた明らかになった。
ベティオ島で使われたLVTは操縦室の上部構造に簡易に増加鋼板を取り付けてはあったが、これとて正規の防弾鋼板ではなく日本軍の九三式13mm機銃はおろか、強装弾を発射する九二式7.7mm重機関銃の掃射にも撃ち抜かれてしまうことが多かった。
実は、基本的に非装甲のLVTの運用にこのようなことが生ずるであろうことは、予想されない事態でもなかった。
アメリカ海兵隊と共に太平洋での反攻作戦を担うこととなるアメリカ陸軍では、1942年中から「T33」の呼称の下に装甲型LVT2の製作を発注していたが、これは基本的には操縦室上部構造、機関室上面等の重要箇所を0.25インチ(6.35mm)〜0.5インチ(12.7mm)厚の防弾鋼板で構成したものであった。
「LVT(A)2」の呼称で制式採用された装甲型LVT2は、1943年後期〜1944年にかけて450両が生産され、アメリカ陸軍に引き渡された。
一方、アメリカ海兵隊の方はタラワの戦訓に大慌てで生産ライン上のLVT2を急遽、装甲化することに決定した。
海兵隊側の装甲型LVT2は呼称こそ「LVT2」のままだったが、事実上陸軍のLVT(A)2と同様に、操縦室上部構造等のパーツを防弾鋼板で作ったものに交換したものだった。
こちらは、アメリカ海兵隊向けに1,000両が生産された。
LVT(A)2あるいは海兵隊向けの装甲型LVT2と以前のLVT2との外見上の違いは、操縦室上部構造の前面の2つの視察窓のうち右側のものが塞がれ、左側の視察窓に開閉式装甲カバーが取り付けられたこと(以前はアクリルガラス付きカバーだった)、上部構造の上面に2枚の装甲ハッチが設けられ、操縦手側のハッチには視察用ペリスコープが取り付けられた点であった。
また上部構造両側面の視察窓も廃止された他、機関室上面のグリル上に装甲カバーの盛り上がりが見られるのも特徴である。
重要パーツ部分の装甲化により、戦闘重量が従来のLVT2より1,900ポンド(0.862t)増えて32,800ポンド(14.878t)となったLVT(A)2および装甲型LVT2は、1944年以降における上陸作戦で運用された。
その際、部隊の現地改造により搭載機関銃に射手を防護するための防盾が追加されたり、火焔放射機や45口径37mm機関砲M4(P-39エアラコブラ戦闘機用)を搭載した火力支援車に改造されたりして、上陸部隊のワークホースとして愛用され、またほぼ同時期に開発された武装型LVT(アムタンク)のベースにもされている。
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