LVT(A)1水陸両用戦車
|
|
+開発
1943年11月のタラワ環礁ベティオ島に対する、装軌式上陸用車両LVT(アムトラック)を使用した強襲上陸作戦は、作戦目的を立派に達成したとはいうものの、アメリカ海兵隊は3,000余人もの死傷者を出すと共に、投入されたアムトラック125両(LVT1 75両、LVT2 50両)の内の90両が失われるという大損害を出した。
これは、艦砲射撃や空爆が討ち漏らした日本軍の水際陣地からの砲火によるものがほとんどで、決してアムトラックという兵器の欠陥によるものではなく、むしろアムトラックが使用されなかったら、作戦による損失は圧倒的物量と兵力を投入したアメリカ軍といえども、耐え難い規模に上ったろうことが明白だった。
むしろアムトラック部隊が被った大損失が示したのは、敵前上陸に際して兵員を上陸させるアムトラック群に随行して、その行動に対して直接火力支援する水陸両用車両が必要であるということだった。
こうした事態が起こることはすでに、最初のアムトラックであるLVT1が実用化される1941年から予測されており、アムトラックをベースに火砲を搭載する支援用車両の開発が着手されていた。
この種の車両を最初に試作したのは、ローブリング親子がLVT1の原型となったアリゲイターを軍用化する際に協力した企業で、自動車用の歯車部品メーカーであるイリノイ州シカゴのボーグ・ワーナー社であった。
ボーグ・ワーナー社がアメリカ海軍艦艇局の発注で、LVT1の後継車両として1941年に試作した「モデルA」は、前作のLVT1をベースにしたものだったが、車体中央部の貨物・兵員室に着脱式の砲塔搭載デッキの取り付けを可能としており、そこに37mm戦車砲を装備するM3軽戦車の砲塔を搭載するようになっていた。
車体前部の操縦室上部構造も装甲化され、この前部に副武装としてユタ州オグデンのブラウニング火器製作所製の7.62mm機関銃M1919A4を2挺装備した。
この車両は、兵員や装備を搭載して敵軍支配下の海岸に殺到するLVTの中に、任意に必要な数の火力支援用LVTを混成させることを可能にするという意欲的なプランといえ、砲塔を搭載したモデルAの姿は水陸両用戦車といって良いものだった。
しかし足周りやパワープラント、車体の基本構造はLVT1のものを踏襲しており、アメリカ海軍側はそれまでの運用経験からLVT1の運用寿命の限界を感じていたこともあって、「後継車両としては量産するに及ばず」との評価が下され制式採用されなかった。
一方、アメリカ海兵隊は日本軍が守備する島嶼への揚陸作戦の際、日本軍戦車が水際で反撃する事態を憂慮しており、上陸部隊に対戦車能力を持たせることを強く要望していた。
そこで、当時ボーグ・ワーナー社と並んでLVT1の後継車両を開発していた、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアのFMC社(Food Machinery Corporation:食品・機械企業)に対し、完成したLVT2をベースに重機関銃を上回る口径の火砲を搭載した、火力支援用LVTの試作を発注した。
FMC社が1942年秋に完成させた試作車は、装甲化された操縦室上部構造を持つLVT(A)2の貨物・兵員室部分に、操縦室上部構造と同じ高さに立ち上げたデッキを取り付け、その上にM5軽戦車から流用した37mm戦車砲M6装備の砲塔を搭載したものだった。
流用されたM5軽戦車の砲塔は、後部の無線機搭載スペースとされていたバスルを省いており、砲塔の左右後部にはそれぞれ、近接防御用の7.62mm機関銃M1919A4装備の旋回銃座が設けられていた。
1943年に入って「LVT(A)1」(Landing Vehicle Tracked (Armored) 1:装軌式上陸用車両(装甲型)1号)として制式採用された本車は、なぜか運用試験後の量産開始が遅れたため(一説には、当時はまだアメリカ軍がこの種の車両の切実性をあまり認識していなかったためといわれる)、流血の上陸作戦となったベティオ島の戦いには間に合わず、同島占領直後の1943年12月からようやく量産が開始された。
なおLVT1やLVT2は、部隊内ではしばしば「水陸両用トラクター」(Amphibian Tractor)の略語である「アムトラック」(Amtrac)と呼ばれており、これに倣ってLVT(A)1も、「水陸両用戦車」(Amphibian Tank)の略語である「アムタンク」(Amtank)と一般に呼称されるようになった。
この「アムタンク」という呼称の方が、本車の本質をよく言い当てている。
LVT(A)1は、まさにアメリカ軍初の水陸両用戦車なのである。
|
+構造
前述したようにLVT(A)1は基本的に、LVT(A)2あるいはLVT2の車体中央部の貨物・兵員室を覆うように密閉デッキを設け、そこにM5軽戦車の砲塔を搭載したものである。
車体の各部は0.25インチ(6.35mm)〜0.5インチ(12.7mm)厚の圧延防弾鋼板で構成されていたが、底面だけは軟鋼板が用いられていた。
各部の装甲厚は車体前面上部/下部が0.25インチ、戦闘室前面が0.5インチ、車体/戦闘室側面が0.25インチ、車体後面上部/下部が0.25インチとなっていた。
砲塔は圧延防弾鋼板の溶接構造となっており、装甲厚は砲塔前面1.5インチ(38.1mm)、側/後面1.25インチ(31.75mm)、上面0.5インチ、防弾鋳鋼製の主砲防盾は最大2インチ(50.8mm)の装甲厚があった。
LVT(A)1の主武装に、37mm戦車砲M6を装備するM5軽戦車の砲塔システムが用いられたのは、前述したようにアメリカ海兵隊側が本車に対戦車能力を要求したため、対装甲威力の高い高初速砲を搭載する必要性が生じたことと、そのような既存の武装システムの中でM5軽戦車の砲塔が、LVTの浮航性能を損なわない範囲で装備化が可能な手頃なものだったからである。
37mm戦車砲M6は53.5口径長の高初速砲で、装甲貫徹力は射距離500mで62mm、同1,000mで46mm(いずれも直立したRHA(均質圧延装甲板)に対するもの)と、各国で採用されていた口径37mmの戦車砲・対戦車砲の中では最も強力なものだった。
また大口径砲に比べて、軽量な37mm砲弾は装填手に掛かる負担が少なかったため、発射速度は15〜20発/分に達した。
砲塔は動力旋回式(電気・油圧式)で、主砲の指向を安定化するM7ジャイロ式安定装置を装備していた。
これは、浮航途上の海岸近くの水面から支援射撃をする際、命中精度を高めるために役立った。
主砲防盾には、M5軽戦車と同様にブラウニング社製の7.62mm機関銃M1919A5を同軸装備し、砲塔内には砲手と装填手を兼ねた車長の2名が搭乗した。
戦車砲塔を搭載しても、元々の貨物・兵員室部分に充分な余裕スペースがあったので、砲塔の左右後部にはそれぞれ7.62mm機関銃の旋回銃座が設けられた。
この副武装は、実際の戦闘において非常に重宝された。
というのはアムタンクは揚陸部隊の着岸後、内陸部100ヤード(91.4m)まで部隊の前進を火力支援することになっていたが、その際に、肉薄攻撃を掛けてくる日本軍歩兵をなぎ倒す有力な防御銃火となったからである。
LVT(A)1の後期生産車ではこうした経緯を踏まえ、当初は機関銃前面に備えられた防盾のみだった機関銃手の防護措置を改善し、銃座の周囲全体に渡って防弾板を施すようにされた。
LVT(A)1の操縦室はLVT(A)2とほぼ同様の構造で、操縦室内左側の操縦手席の前面には開閉式クラッペ(開放時の視察装置無し)が設けられ、戦闘時以外の操縦手の視界はここから得るようになっていた。
戦闘時には、操縦室上面のハッチに設けられたペリスコープで車外視界を得た。
同様のペリスコープ付きハッチは、操縦室内右側の副操縦手席の上面にも設けられていた。
副操縦手は無線通信手も兼ねており、操縦室の右前方に無線アンテナが設けられていた。
なおLVT(A)1の後期生産車では、戦訓に基づいて近接防御火力を増強するため、副操縦手席前面に視察スリットと、7.62mm機関銃M1919A4を装備するボールマウント式銃架を設置するようになった。
本車の標準的な乗員数は6名(車長兼装填手、砲手、後部機関銃手2名、操縦手、副操縦手兼無線手)となっていた。
以上の改修を経て、LVT(A)1の戦闘重量は32,800ポンド(14.878t)に達したが、これは兵員や貨物を搭載したLVT(A)2の戦闘重量とほぼ同じで、機動性能も同様の水準を保つことができた。
LVT(A)1は1942年中に製作された試作車3両を含め、1944年までに合計510両が生産され、この内328両がアメリカ陸軍に引き渡され、アメリカ海兵隊は182両を装備した。
なおLVT(A)1については、同盟国に対するレンドリース供与は行われなかった。
|
+戦歴
タラワ攻略におけるアメリカ海兵隊の多大な犠牲(それでもアムトラック無しだったら、揚陸作戦時の死傷者数は作戦の成否に関わる規模に膨れ上がったのは間違いないが)は、戦場報道を通じてアメリカ国民に強い衝撃を与えた。
その結果、敵前揚陸作戦の在り方が全面的に見直され、システム的に急速な改善が図られることとなった。
上陸部隊最前線で重要な役割を担うアムトラック部隊についても、運用と機能面で改善されることになり、その具体化の1つが直接支援車両としてのLVT(A)1の配備であった。
1943年12月から本格的な量産が開始されたにも関わらず、その月だけで総生産数の半分以上にあたる288両も生産されたアムタンクLVT(A)1は、タラワでの惨劇からわずか3カ月後に敢行されたマーシャル諸島のクェゼリン環礁攻略戦で初投入されることになった。
1944年1月31日〜2月6日にかけて行われたクェゼリン環礁(日本軍の防御の主要拠点は、岩礁の回廊と連絡道路で繋がれたロイ島とナムル島)に対する攻略作戦は、アメリカ太平洋戦域総司令官チェスター・ニミッツ海軍大将が発動した「燧発銃作戦」(Operation
Flintlock)の端緒と位置付けられるもので、タラワ攻略後に日本軍が島嶼防備を強化する時間を与えないため、実行が急がれたものだった。
タラワ環礁攻略の教訓から、アメリカ軍は上陸作戦前の艦砲射撃や艦載機による空爆の指揮管制システムを改善し、その規模を増すと共に、攻略対象であるロイ島・ナムル島を射程に収めることが可能な小島をあらかじめ占領し、ここに海兵隊所属の野砲(75mmおよび105mm榴弾砲)を配置して、前線部隊の要請に応えて正確で痒い所に手が届くような支援砲火を保証するものとした。
この作戦は1月31日に実施され、ロイ島近くの4つの小島を守備する60名の日本軍部隊を殲滅し、海兵隊は砲兵陣地の構築に成功した。
その他に、上陸部隊と共に揚陸して直接支援する戦力として、装甲化したアムトラックやアムタンク(LVT(A)1)を投入、さらに後続させて強力な装甲と火力を備えたM4中戦車を上陸させる戦術を確立した。
このために、珊瑚岩礁を走り難かった平滑な履帯が改良型のものに交換されたり、ある程度の水深の中を支障無く走行できるように、上陸作戦用として特化した改修が戦車に施された。
敵前上陸作戦のシステム全体の改善の一部としてLVT(A)1の配置があったわけであるが、クェゼリン攻略にあたっての任務は重大であった。
アムタンクを含む装軌式上陸用車両の投入数は、ロイ島・ナムル島攻略を担う第4海兵師団で計329両に上り、タラワ作戦の時の数(125両)の2.6倍にも達した。
その編制は下表の通りで、LVT(A)1は第1アムタンク大隊(または第1装甲アムトラック大隊と呼称)に配備されていた。
第4海兵師団配属のアムトラック部隊 |
第4アムトラック大隊 |
LVT2×100両 |
第10アムトラック大隊 |
LVT2×100両 |
第11アムトラック大隊A中隊 |
LVT2×30両 |
第1アムタンク大隊 |
LVT(A)1×75両
LVT2×14両 |
アメリカ海兵隊のアムタンク大隊の標準的な編制はLVT(A)1が65両とされていたので、クェゼリン攻略に充てられた第1アムタンク大隊は、支援の歩兵を載せたLVT2を含めて増強されていたといえる。
なお、アムタンク大隊1個の65両は大隊長車の他、16両から成る中隊4個から成っており、各中隊は5両編制の小隊3個と中隊長車で構成された。
第1アムタンク大隊は、1944年2月1日に敢行されたロイ島の2つの上陸区画(海兵隊の作戦便宜上、南岸部を「レッド2ビーチ」、「レッド3ビーチ」の2つに区画し、強襲部隊を割り振った)と、ナムル島の上陸区画(「グリーン・ビーチ」、さらに第24海兵連隊の第3大隊の上陸区画を「グリーン1」、第2大隊のそれを「グリーン2」と区分)に対して、それぞれに上陸第1波として配置された。
LVT(A)1は海岸から50ヤード(約46m)地点まで接近し、一斉に37mm戦車砲と7.62mm機関銃の砲火を開いて、LVT2に分乗する上陸部隊のために、日本軍の水際防御陣地を一時的に制圧する任務を担うことになっていた。
上陸部隊に対してはアムタンクの他に、LVT2に多連装ロケット弾発射機を搭載した臨時の火力支援車両や、ごく近距離から援護射撃をするための駆逐艦2隻、機関砲や重機関銃を搭載した砲艇5隻が直接支援を行うようになっていた。
タラワでの流血の上陸作戦に比べると、改善された艦砲射撃(堅固な構築物を貫徹・破壊するために榴弾と共に徹甲榴弾を使用)や艦載機の空爆、それに前記の援護部隊および上陸部隊のアムトラックによる機動化がシステムとして完成に近い域に達していたため、ロイ島とナムル島の攻略作戦は、それよりはるかに少ない犠牲と時間(死傷者200名前後、2日間)で成功させることができた。
さらに日本側の守備兵力がベティオ島よりも少なかった上に、火力が劣弱(多くがロイ島に作られていた海軍航空基地の地上要員を含む総兵力2,920名で、うち正規の戦闘要員は第61警備隊分遣隊の400名、12.7cm連装高射砲4基、37mm速射砲2門、20mm高射機関砲11挺、13mm重機関銃13挺)であったことも犠牲を少なくする要素ではあった。
しかし、それと共に艦砲射撃や空爆の効果が低く、守備兵力と陣地の大部分が健在のまま上陸部隊を迎え撃ったベティオ島のケースと比べれば、第2海兵大隊の戦闘区域で発見された400名の日本軍将兵の死体の内、事前の艦砲射撃や空爆による死亡が250名に上るとの調査報告があるなど、上陸作戦支援システムによる効果が確認できるのは明白であった。
実際、日本軍は事前の艦砲射撃と空爆により司令システムを完全に麻痺させられ、分散した兵力をもって組織的に反撃することが不可能になってしまっていた。
こうした中でアムタンクLVT(A)1の奮戦も、海兵隊員にとって心強いものであったのは確かだった。
アムタンクは、上陸橋頭堡が確保された後に到着するM4中戦車やM5軽戦車が現れる以前、海岸に取り付いた海兵隊員の盾となり、日本軍の防御砲火を身に集めながら反撃を行った。
またほぼ同時にアメリカ陸軍第7歩兵師団は、アムタンクを投入して環礁南端のクェゼリン島への上陸作戦を敢行した(1944年2月1日)。
この作戦を支援したのは陸軍の第708臨時編制アムトラック大隊で、特別にアムタンクLVT(A)1(79両)とアムトラックLVT(A)2(46両)、LVT2(49両)を混成していた。
この時は、事前の艦砲射撃の効果もあって日本軍は組織的な抵抗を行えず、上陸部隊はほぼ無傷だった。
アムタンクは、海岸まで200ヤード(約180m)の距離から砲艇と共に弾幕を張り、生き残った日本軍の水際陣地を殲滅した。
第708臨時編制アムトラック大隊は、引き続き2月17日に実施されたエニウェトク環礁のエンゲビ島、パーリィ島、エニウェトク島へのアメリカ海兵隊の上陸作戦を支援した。
その際、LVT(A)1は海岸の水際陣地殲滅のための火力発揮の他、若干の野砲火力を保持したまま残存した日本軍守備隊の反撃から上陸部隊の進撃を援護するため、上陸後に海岸から100ヤード内陸まで進出し、その後は補給拠点としての海岸橋頭堡を守備するために用いられた。
クェゼリン、エニウェトク両環礁の攻略戦は、タラワ攻略のそれに比べて損失を大幅に減らしたのが特徴だった。
特にアムトラック大隊の損失は激減し、例えばアメリカ陸軍第708臨時編制アムトラック大隊の場合、これらの全ての作戦過程を通して戦死24名、負傷16名に留まった。
タラワにおけるアメリカ海兵隊の第2アムトラック大隊の損失、戦死63名、負傷103名に比べるなら、死傷者数にして1/4以下である。
これらの結果は、アメリカ軍が島嶼揚陸作戦のシステムを全体としてより完成させていったこと、海岸強襲戦術においては、アムタンクの実用化が大きく貢献したためといえる。
しかし、実戦の中で有効性を発揮したとはいえ、LVT(A)1の主武装である37mm戦車砲は日本軍が各所に構築した機関銃巣や山砲、速射砲等の掩蔽陣地を破壊するにも、集合して白兵突撃してくる日本兵の集団を制圧するにも榴弾の威力が不足していることが分かった(37mm榴弾の弾頭重量は860g)。
元々、37mm戦車砲を装備したM5軽戦車の砲塔がアムタンクの主武装システムに選ばれたのは、海上での浮航能力を重量増大で阻害しないためであった。
また日本軍戦車の反撃に対処するため、対装甲威力の高い手頃な火砲を当局が要求したこともあった。
しかし、実際にアムタンクが日本軍戦車と対決する機会はほとんど無かったため、37mm戦車砲はアムタンク大隊の将兵の不満を募らせるだけのものとなった。
クェゼリン環礁での実戦経験は、アメリカ軍により陣地破壊力のある火砲の搭載がアムタンクにとって必要であることを認識させるに至ったが、LVT(A)1の開発メーカーであるFMC社はこの頃すでにアメリカ軍の要請に基づいて、対戦車能力に優れるLVT(A)1と行動を共にし、敵の陣地や歩兵を制圧するための大口径榴弾砲を搭載した火力支援型のアムタンクの開発を進めていた。
この新型アムタンクは後に「LVT(A)4」(Landing Vehicle Tracked (Armored) 4:装軌式上陸用車両(装甲型)4号)として制式化され、1944年3月から量産が開始された。
LVT(A)4は当初はLVT(A)1と併用することが構想されていたが、やがてアメリカ軍は榴弾威力の高いLVT(A)4の方が実用性が高いとして、アムタンクの生産を同車に一本化することに方針転換した。
しかしLVT(A)1の運用も、1945年の沖縄戦まで引き続き行われた。
|
<LVT(A)1水陸両用戦車>
全長: 7.95m
全幅: 3.251m
全高: 3.073m
全備重量: 14.878t
乗員: 6名
エンジン: コンティネンタルW-670-9A 4ストローク星型7気筒空冷ガソリン
最大出力: 262hp/2,400rpm
最大速度: 40.23km/h(浮航 11.27km/h)
航続距離: 201km(浮航 121km)
武装: 53.5口径37mm戦車砲M6×1 (104発)
7.62mm機関銃M1919A5×1 (6,000発)
7.62mm機関銃M1919A4×2
装甲厚: 6.35〜50.8mm
|
<参考文献>
・「パンツァー2008年7月号 太平洋戦線で日本軍と戦ったアメリカ海兵隊のLVT水陸両用装軌車(2)」 高橋昇
著 アルゴノート社
・「パンツァー2024年9月号 水陸両用部隊の火力支援車輌 LVT(A)-1/(A)-4」 遠藤慧 著 アルゴノート社
・「パンツァー2022年6月号 Landing Vehicle Tracked Photo Album」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2000年2月号 イギリス装甲兵車の発達」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年11月号 武装型LVTシリーズ」 大竹勝美 著 アルゴノート社
・「世界の戦車イラストレイテッド15 アムトラック 米軍水陸両用強襲車両」 スティーヴン・ザロガ 著 大日本絵
画
・「世界の戦車メカニカル大図鑑」 上田信 著 大日本絵画
・「グランドパワー2004年1月号 アメリカ軍の装軌式上陸車輌-LVTシリーズ(3)」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 米英軍戦闘兵器カタログ Vol.4 装甲戦闘車輌」 ガリレオ出版
・「アメリカ・イギリス陸軍兵器集 Vol.2 装甲戦闘車輌」 ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(3) 装軌/半装軌式戦闘車輌:1918〜2000」 デルタ出版 ・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
|
関連商品 |