ロレーヌ・シュレッパー(f) 4.7cm対戦車自走砲
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+開発
1930年代に入るとフランス陸軍は、広く運用していた装軌式装甲牽引車ルノーUEの旧式化が目立ってきたことに加えて、車体サイズが小柄過ぎて運用上の難点があるため、後継車両に関する策定作業を開始した。
このフランス陸軍の計画に応じて、リュネヴィルのロレーヌ社は1935年から新型の装軌式装甲牽引車の開発に着手し、1937年4月初めには完成した試作第1号車が試験に供された。
この試作車は兵員や貨物の輸送などをその主任務としていたため、車体中央部に機関系を収めてその前方に操縦室を配し、車体後部を貨物や兵員などを収容する貨物室にするというユニークなレイアウトが採られていた。
試作車による試験において、ロレーヌ社の新型牽引車は4tという大重量と牽引時の機動性低下が問題視されたものの、反面サスペンション機構は高く評価されたという。
そしてより大出力のエンジンに換装して試験に供され、1937年後期に「Tracteur de ravitaillement pour chars 1937 L」(戦車補給用牽引車1937L)の制式呼称でフランス陸軍に採用することが承認された。
ロレーヌ37L装甲輸送・牽引車は1938年に78両、100両、100両の3度の発注が行われ、続いて1939年にも100両、74両、100両の3度の発注が行われて総発注数は552両となった。
1939年9月に第2次世界大戦が勃発したことにより、フランス陸軍は機甲師団の数を増大させることを決定し、最終的にロレーヌ37Lの発注数は1,012両まで増加した。
この発注数をロレーヌ社だけで生産するのは不可能だったため、ベジエのフーガ社もロレーヌ37Lの生産に参加することになった。
さらに、ドイツとの戦端が開かれた際を危惧して、1939年初期にスペインとの国境近くの町バニェール・ド・ビゴールに新たな工場を建設することが決定されたが、この工場が稼働を開始したのはフランス降伏後で、ヴィシー政権下でドイツ側に内緒で約150両のロレーヌ37Lが生産された。
ロレーヌ37Lの生産はドイツ軍がフランスに侵攻した1940年5月以降も継続され、同年6月22日にフランスが降伏した時点でその総生産数は約480両に達していた。
フランスの降伏によりドイツ軍は300両以上のロレーヌ37Lを接収し、「ロレーヌ・シュレッパー(f)」の鹵獲兵器呼称を与えたが、本車は歩兵の輸送に供するには速度が遅く、ドイツ軍戦車との共同運用は難しいのに加え、貨物搭載量も810kgと極めて少ないとの判断から、少数が弾薬運搬車として部隊で使用された以外はそのまま保管状態にしてしまった。
しかし1940年末に、第33戦車補充大隊がロレーヌ37Lのユニークな車体レイアウトに注目し、貨物室の前部に架台を新設した上で、これまたフランスから鹵獲した53口径47mm対戦車砲SA37(鹵獲兵器呼称:4.7cm PaK181(f))の脚や車輪などを外し、砲架と防盾ごと搭載して簡易型対戦車自走砲を製作した。
その改造数はわずか数両に過ぎなかったが、本車の特徴でもあるユニークな車体レイアウトが、自走砲のベース車台として用いるには最適との判断が下され、以後、様々なロレーヌ37Lベースの自走砲が開発されることに繋がった。
また、ロレーヌ37Lの車体レイアウトはドイツ軍の自走砲開発に大きな影響を与えており、これ以降に開発されたドイツ軍自走砲の多くが本車と同様の車体レイアウトを採用することになる。
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+構造
本自走砲のベース車台として用いられたロレーヌ37L装甲輸送・牽引車は、前述のように車体中央部に機関系を収めてその前方に操縦室を配し、車体後部を貨物室にするというユニークなレイアウトにまとめられ、車体は前面のみが防弾鋼の鋳造で、その他の部分は防弾鋼板のリベット接合構造となっていた。
装甲厚は前面が12mm、側/後面が9mm、上/下面が6mmとなっており、小火器弾の直撃や榴弾の破片に耐える程度の防御力しか備えていなかったが、本車は戦闘車両ではないためこの程度で充分とされた。
全長4.20m、全幅1.57mとルノーUE装甲牽引車よりは大きいが、総じて小柄な車両であることは間違いなく、その戦闘重量も6.05tと軽戦車の半分近くにまとめられていた。
車体中央部に配された機関室内には、パリのドライエ社製のタイプ135 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量3,556cc、出力70hp)が収められ、前進5段/後進1段の機械式手動変速機と組み合わされていた。
しかし車体重量に比してエンジンがアンダーパワーであり、このため路上最大速度は35km/hと牽引車両としては不充分な数字ではあるが、行動を共にするフランス軍戦車の速度もこれまた遅かったために、さほど問題視されることは無かったようである。
また足周りは片側6個の直径43cmのゴム縁付き転輪、片側4個のゴム縁付き上部支持輪、前部の起動輪、後部の誘導輪で構成されていた。
転輪は2個ずつボギーで連結され、ボギー上方に装着されたリーフ・スプリングで懸架されていた。
本車のサスペンションは大変シンプルな方式であったが、反面非常に頑丈で信頼性が高かった。
履帯は220mm幅の鋳造製で、片側109枚の履板で構成されていた。
一方、本自走砲の主砲に採用された47mm対戦車砲SA37は、それまでフランス軍が主力対戦車砲として用いていた25mm対戦車砲SA34の後継として、1937年に制式化されたものである。
1934年にサン・ドニのオチキス社が開発した25mm対戦車砲SA34は口径こそ小さいものの、72.4口径長と非常に長砲身だったためそこそこの対装甲威力を備えていた。
しかし、フランス軍はこの砲がやがて威力不足になるのではないかと危惧し、APX社(Atelier de Construction de Puteaux:ピュトー工廠)に後継の新型対戦車砲の開発を依頼したのである。
こうして完成した47mm対戦車砲SA37は、APC(被帽徹甲弾)を使用した場合砲口初速855m/秒、射距離200mで80mm、550mで60mmのRHA(均質圧延装甲板/傾斜角25度)を貫徹することが可能で、当時としては非常に優れた性能を備えていた。
しかし47mm対戦車砲SA37の量産は遅れ、1940年の独仏戦でのフランス軍の対戦車部隊の主力火砲は、25mm対戦車砲SA34およびその改良型SA37が占め、47mm対戦車砲SA37は少数が使用されたに過ぎなかった。
ただし、47mm対戦車砲SA37はまだ装甲が薄かったドイツ軍戦車に対してその威力を誇示し、一矢を報いる活躍を見せた。
フランスの降伏後、47mm対戦車砲SA37は多くがドイツ軍に接収され、「4.7cm PaK181(f)」の鹵獲兵器呼称を与えられて運用された。
そして、大戦後期においても二線級部隊を中心に使用され続けたのである。
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<ロレーヌ・シュレッパー(f) 4.7cm対戦車自走砲>
全長: 4.20m
全幅: 1.57m
全高:
全備重量:
乗員: 4名
エンジン: ドライエ・タイプ135 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 70hp/2,800rpm
最大速度: 35km/h
航続距離: 137km
武装: 53口径4.7cm対戦車砲PaK181(f)×1
装甲厚: 6~12mm
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<参考文献>
・「グランドパワー2020年8月号 ドイツ軍のロレーヌ37L改造車輌(1)」 山本敬一 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年12月号 ドイツ軍捕獲戦闘車輌」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
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