+概要
フランスを占領したことにより、300両以上がドイツ軍の装備となった万能装軌式牽引車ロレーヌ37Lは、車体中央部に機関室を配し、その前後に操縦室と貨物室を設けるという、サイズはともかく、自走砲のベース車台としては誠に理想的なレイアウトを採っており、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の46口径7.5cm対戦車砲PaK40を搭載するマルダーI対戦車自走砲、同社製の28口径10.5cm軽榴弾砲leFH18や、エッセンのクルップ社製の17口径15cm重榴弾砲sFH13を搭載する自走榴弾砲など多くの自走砲に転用された。
本車も、ロレーヌ37L装甲輸送・牽引車から改造された自走砲の1つであるが、現在に至るもその詳細がほとんど不明の車両である。
残された数少ない写真を見るとこの車両は、フランスのベッカー特別生産本部(ドイツ陸軍兵器局パリ支局の工場の通称)で製作された、ロレーヌ37Lに10.5cm軽榴弾砲leFH18を搭載した自走榴弾砲に用いられたのとそっくりな、オープントップ式戦闘室を搭載していたことが分かる。
この戦闘室が10.5cm自走榴弾砲用に製作されたものを流用したのか、あるいはコピーする形で新規に製作されたのかは不明である。
本車はそれ以外の部分も、10.5cm自走榴弾砲と基本的に同一であったが、大きく異なるのは主砲として、ソ連軍から鹵獲した22.7口径122mm榴弾砲M-30(M1938)を装備していた点である。
M-30は脚や車輪などを外し、戦闘区画内の前部に架台を設けて砲架ごと搭載されていた。
この砲は1938年から開発が始められ、1939年にソ連軍に制式採用された軽榴弾砲で、口径こそ異なるものの、実質的にはドイツ軍の10.5cm軽榴弾砲leFH18に相当する。
使用する装薬によりその最大射程は前後するが、最大射程は11,800mに達した。
122mm榴弾砲M-30は、第2次世界大戦におけるソ連軍の主力軽榴弾砲として用いられ、鹵獲したドイツ軍も、「12.2cm sFH396(r)」の鹵獲兵器呼称を与えて多数使用している。
ドイツ軍は野砲の不足が深刻だったため、鹵獲したM-30用に122mm砲弾の生産まで行っている。
M-30は、牽引型の場合の砲の旋回角は左右各24.5度ずつで、俯仰角は-3~+63.5度となっていたが、自走砲型の写真を見る限り俯仰角はともかく、旋回角はほとんど無いに等しかったと思われる。
本車は他のロレーヌ37Lベースの自走砲と同じく、戦闘室内の後部に主砲弾薬庫を設けていたが、弾薬の大型化に伴い、10.5cm自走榴弾砲よりも弾薬搭載数は減ったはずである。
本車がどういう経緯でいつ頃製作されたのかは不明であるが、1両のみ製作された特殊改造車であり、1944年4月17日付で編制された第32装甲列車に組み込まれて貨車に載せられ、フランス南部のリヨンを中心として展開していた。
その後、9月8日にサン・ヴェランで連合軍に鹵獲されている。
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