+概要
ドイツ陸軍当局の重戦車への指向に対して、A7V突撃戦車とKヴァーゲン重戦車の設計者であるヨーゼフ・フォルマー自身は軽戦車により興味を示していた。
彼は軽戦車の方が小回りが利いて柔軟な運用が可能で、またドイツの限られた資源の中で大量生産するにも向いていると考えていた。
この軽戦車開発に最終的にゴーサインが出たのは、イギリス陸軍が中戦車Mk.Aホイペットをデビューさせたからであった。
フォルマーの提案した「LK.I」(Leichte Kampfwagen I:I号軽戦車)は、騎兵部隊向けの戦車として試作することが認められ試作車は1918年に完成した。
LK.I軽戦車は非常にユニークな設計の車両で、開発・製造コストを抑えるためにシュトゥットガルトのダイムラー自動車製の自動車シャシーを流用して戦車に誂えられていた。
車内レイアウトは自動車そのままで車体前部が機関室、車体後部が操縦室と一体になった戦闘室となっており、起動輪や誘導輪も自動車の部品が流用されていた。
車体は自動車のボディを装甲板に置き換えたようなものだったが前後に長細く、これは超壕能力を重視したためであった。
面白いのは自動車式に車体前面が、冷却空気取り入れのためのスダレ状の装甲板になっていたことである。
戦闘室の左右側面には、これも自動車式の乗降用ドアが設けられていた。
装甲厚は8mmで、戦闘重量は7tであった。
ただ一方で武装の装備方法は非常に近代的で、従来のドイツ戦車のように車体に限定旋回式に武装を装備するのではなく、戦闘室上部に搭載された全周旋回式砲塔に、カールスルーエのDWM社(Deutsche
Waffen und Munitionsfabriken:ドイツ武器弾薬製作所)製の7.92mm液冷重機関銃MG08を1挺装備していた。
LK.I軽戦車の乗員は車長、銃手、操縦手の3名となっていた。
エンジンは出力60hpのダイムラー自動車製ガソリン・エンジンが搭載され、後方に置かれた起動輪を駆動させた。
革新的だったのは、操向が後軸のディファレンシャル・ブレーキ式になったことである。
足周りは小転輪が多数並んだもので、サスペンションについての詳細は不明である。
それでも軽量で充分な接地長があったため、不整地走行能力はそれほど悪くはなかったと思われる。
ちなみに、路上最大速度は12km/hとなっていた。
LK.I軽戦車の完成を受けてドイツ陸軍は改めて、軍の要求を採り入れた改良型の製作をフォルマーに求めた。
これに応じてフォルマーが設計した改良型が、「LK.II」(Leichte Kampfwagen II:II号軽戦車)である。
LK.II軽戦車は基本的な設計コンセプトはLK.I軽戦車と変わらなかったが、細部に多くの変更点があった。
LK.I軽戦車で車体前面に設けられていた空気取り入れ口は防御上の弱点となることから、LK.II軽戦車では被弾確率の低い車体上面前部に移された。
そして車体のデザインも工夫され、LK.I軽戦車の非常に単純な箱型から避弾経始を考慮した傾斜面の組み合わせに変更された。
装甲厚は最大14mmに強化され、戦闘重量も8.9tに増加した。
足周りについては基本的には変わらなかったが、起動輪が駆動軸から直接動力を取るのではなく特殊なギア・トレインが取り付けられるようになった。
また超壕能力を向上させるため、前部の履帯の立ち上がり部分がより高く持ち上がったものになった。
LK.II軽戦車のエンジンは、LK.I軽戦車より出力の低い55hpのダイムラー自動車製ガソリン・エンジンが搭載されたが、路上最大速度はLK.I軽戦車の12km/hから18km/hへと逆に向上していた(異説あり)。
これは当時としては相当の性能で、イギリス戦車より高速で路外機動性も優れていた。
LK.II軽戦車は1918年6月に2両の試作車が完成し、軍による運用試験が行われた。
この結果は満足行くもので、ドイツ陸軍は580両のLK.II軽戦車を量産発注した。
なおLK.II軽戦車の生産型では火力の強化を図って、武装がベルギー製の26口径5.7cmゾコル加農砲に変更された。
武装が変更されたことに伴い、試作車の全周旋回式砲塔に代えて生産型では戦闘室を上に向かって延長して砲室を構成し、ここに5.7cmゾコル加農砲を限定旋回式に搭載した。
また乗降用ドアの位置やデザイン、車体装甲板の取り合わせも試作車から一部変更された。
なお資料によっては、LK.II軽戦車は試作車では固定戦闘室に5.7cmゾコル加農砲を限定旋回式に搭載していたが、射撃時の反動に車体が耐えられなかったため、生産型では代わりにエッセンのクルップ社製の3.7cm戦車砲を装備することになったと記述しているものも存在する。
この資料では、LK.II軽戦車は生産型の内2/3を固定戦闘室に3.7cm戦車砲を搭載するタイプ、残りの1/3をLK.I軽戦車と同様に、全周旋回式砲塔に7.92mm重機関銃を装備するタイプとして製作する予定だったとしている。
LK.II軽戦車の派生型としては、シャシーを流用したAPC(装甲兵員輸送車)を製作することが構想されていた。
このAPC型は戦車型の後部戦闘室を完全密閉式の兵員室に改装しており、内部に6名分のベンチシートが設けられていた。
そして乗降用には車体上面に2個の外開き式ハッチ、車体後面に観音開き式の大型ドアを備えていた。
武装は、兵員室前面に7.92mm重機関銃MG08が装備されていた。
しかし結局LK.II軽戦車は派生型も含めて、1918年11月の第1次世界大戦終了時までに生産型は1両も完成しなかった。
なおLK.II軽戦車の発展型として、「LK.III」(Leichte Kampfwagen III:III号軽戦車)と呼ばれる車両も設計されていた。
このLK.III軽戦車では自動車シャシーの流用は止められ、完全に新設計のシャシーが用意されていた。
このシャシーではエンジンは後部に置かれ、戦闘室と砲塔は前部に置かれていた。
武装はLK.II軽戦車と同じ5.7cmゾコル加農砲で、後に2cmベッカー航空機用機関砲に変更する予定であった。
LK.III軽戦車は1,000両が量産発注されていたが、試作車が完成する前に第1次世界大戦が終了してしまった。
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