●開発 1960年代の初め、西ドイツとアメリカの間で新型MBTを共同開発しようという動きが起こった。 当時西ドイツ陸軍は装備していた約1,000両のアメリカ製M47、M48戦車の更新用としてレオパルト戦車の後継MBTの開発を計画していたが、アメリカ陸軍もM60戦車の後継MBTの開発計画をスタートさせようとしていた。 戦車の開発には多大なコストが掛かるため、開発コストの低減のために両国は新型MBTを共同開発することを決定し、1963年8月1日に開発協定が締結された。 同年末には両国間の基本仕様もまとまり、細かい調整を行った後の1964年9月から本格的な開発が行われることになった。 この計画は1970年代に配備する新型MBTを共同開発しようというもので、西ドイツでは「Kpz.70」(Kampfpanzer 70)、アメリカでは「MBT70」(Main Battle Tank 70)の名称が与えられることになった。 Kpz.70/MBT70は、西ドイツとアメリカの戦車技術の総力を挙げて作る当時として世界最高のMBTを目指していた。 特に西ドイツ側はMaK、クラウス・マッファイ、ラインメタル、ヘンシェルなどほぼ全ての戦車関連メーカーがコンソーシアム(共同企業体)を作り、アメリカのジェネラル・モータース社と共に開発作業に当たった。 Kpz.70/MBT70は戦闘重量50t級のMBTで油気圧式サスペンションを備え、主砲は自動装填装置付きの152mmガン・ランチャー、FCS(射撃統制装置)にはレーザー測遠機や赤外線映像システムも組み込まれていた。 さらに副武装として、20mm機関砲が砲塔上に装備されていた。 乗員は3名で、操縦手も含めた全員が砲塔内に入るように設計されていた。 試作車は1966年に完成し、試験と改良が行われた。 しかしKpz.70/MBT70はあまりに高度かつ多様な要求を盛り込み過ぎたため複雑過ぎ、重量過大で技術的、コスト的に問題が生じていた。 1968年にはKpz.70/MBT70の1両当たりの単価は、レオパルト戦車の2倍になることが見込まれた。 それに加えて、西ドイツ側とアメリカ側の要求仕様の相違点が目立つようになってしまった。 このため皮肉なことにKpz.70/MBT70が名称を採ったまさにその年の1970年1月、開発計画は中止されることとなった。 その結果両国は別々に自分の好きなように新型MBTを開発することになり、アメリカではXM815戦車(後のM1エイブラムズ戦車)の、西ドイツではレオパルト2戦車の開発が始められた。 とはいうものの、レオパルト2戦車の開発作業は実はKpz.70/MBT70の正式中止以前に始められていた。 これは試験開発と称されていたが、両国の協定がKpz.70/MBT70以外の戦車の開発を禁じていたからである。 事実上の協定違反だが、あまりの野心作のKpz.70/MBT70のリスクを考えれば当然だったともいえる。 こうした開発の端緒となったのが、ポルシェ社が1965年に提案したレオパルト戦車の性能向上計画であった。 これは、Kpz.70/MBT70用に製作されたコンポーネントを使用してレオパルト戦車の性能向上を図ろうというもので、ポルシェ社によって研究開発が行われた。 この車両は、「フェルゴルデーター・レオパルト」(Vergoldeter Leopard:金メッキしたレオパルト)という名称で呼ばれていた。 ポルシェ社の契約は1967年に切れたが、この頃にはすでにKpz.70/MBT70の前途が怪しいのは関係者には充分分かっていた。 このため、フェルゴルデーター・レオパルト計画はこのまま進行させることになった。 この時主契約社となったのはミュンヘンのクラウス・マッファイ社で、ポルシェ社は車体の開発、ヴェクマン社は砲塔の開発に加わることとなった。 なお正確な時期は不明だが、この車両はフェルゴルデーター・レオパルトから「カイラー」(Keiler:雄の猪)に名称が変更されている。 カイラーは戦闘重量40t級のMBTで主砲にはラインメタル社が開発していた51口径105mm滑腔砲を搭載し、FCSにはレーザー測遠機が組み込まれていた。 エンジンは、MTU社によってMB872 V型10気筒液冷ディーゼル・エンジンが開発されることになっていた。 エンジン出力は1,200hp見当で、出力/重量比は30hp/t程度となっていた。 カイラーの試作車は、1969~70年にかけて2両(ET01、ET02)が製作された。 Kpz.70/MBT70計画の終わりが確実になった1969年末、西ドイツ国防省防衛技術調達局は何とか開発計画の成果を一部でも回収しようとプランを練った。 これはKpz.70/MBT70用のコンポーネントをカイラーに組み込もうというもので、「イーバー」(Eber:雄豚)と呼ばれたが実車は製作されず計画だけに終わった。 1970年初めにヘルムート・シュミット国防相(後の第5代首相)は、カイラーにKpz.70/MBT70用にMTU社で開発されたエンジンを組み込んでさらに研究を進めることを求めた。 カイラー計画は次の段階としてすでに10両の試作車の製作が予定されていたが、これに追加して7両が発注されることになった。 再び主契約社となったのは、クラウス・マッファイ社であった。 試作車は1972~74年にかけて製作されたが、実際完成したのは車体が16両(第12号車体は製作されず)に砲塔が17基であった。 試作車の全体デザインはレオパルト戦車後期型のレオパルトA4戦車に似ていたが、車体はより前端が尖りエンジン・グリルが車体側面後部から車体後面に移されていた。 転輪や履帯はKpz.70/MBT70用のもの、上部支持輪にはレオパルト戦車のものが流用された。 エンジンはKpz.70/MBT70用に開発されたものを小改良した、MTU社製のMB873 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,500hp)が採用されていた。 変速機はカイラーに用いられたZF社製の4HP-400から、レンク社製のHSWL354に変更されていた。 これらの車体、砲塔は一部は軟鋼製、一部は防弾鋼板製で主砲、補助動力、走行装置等に幾つかのヴァリエーションがあり、試験を通じて車両が熟成されていったのが分かる。 例えばPT11(試作第11号車体)とPT17車体は油気圧式サスペンションが取り付けられており、主砲はT10(試作第10号砲塔)までが105mm滑腔砲でT11砲塔からは120mm滑腔砲となった。 またT11砲塔のみKpz.70/MBT70と同様、副武装に20mm機関砲が装備されていた。 この武装については、さらに別のプランもあった。 それはKpz.70/MBT70用の152mmガン・ランチャーを装備するもので、これに従い通常の戦車砲搭載型がレオパルト2K(Kanone:加農砲)、ガン・ランチャー搭載型がレオパルト2FK(Flugkörper:ミサイル)と呼ばれるようになっていた。 しかしレオパルト2FKは実用性およびコスト的理由から、1971年中には開発中止となってしまった。 レオパルト2戦車の試作車を使用した試験は1972年夏~1974年春にかけてトリアーの第41試験所で車体、グレディングの第81試験所で照準システムとエレクトロニクス、メッペンの第91試験所で砲塔と武装、さらにミュンスターの第2戦闘兵科学校では部隊運用試験が行われた。 試験は順調に進んだが、問題が無いわけではなかった。 それは試作車の戦闘重量が当初の予定より増加し、51.5tに達してしまったことである。 このためヴェクマン社によって、重量を1.5t減じた砲塔が設計された。 この砲塔は「スピッツモイゼ」(Spitzmäuse:トガリネズミ)砲塔と呼ばれ、基線長式のEMES-13光学式測遠機が取り付けられていた。 EMES-13は基線長が350mmと小型で、砲塔前面に取り付けることができた。 しかし、せっかくの軽量化砲塔を吹き飛ばす出来事が起きた。 1973年10月に勃発した第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)である。 この戦争で不用意に突進したイスラエル軍戦車部隊は、エジプト軍歩兵が装備する旧ソ連製の9M14マリュートカ対戦車ミサイルとRPG-7対戦車ロケットで大損害を受けたのである。 戦車の分厚い装甲板を簡単に穿孔してしまう成形炸薬弾の威力はイスラエル軍に多大なショックを与え、一時は勘違いの戦車無用論まで出てきた。 しかしこの戦争で本当の教訓となったのは、戦車の防御力強化の必要性だった。 成形炸薬弾という新たな脅威に対抗するにはレオパルト2戦車の軽量化など論外で、逆にレオパルト2戦車の装甲を強化して60t級MBTとすることが認められた。 ちょうどこの頃、成形炸薬弾に対して有効な「複合装甲」(Composite Armour)といわれる技術が開発されつつあった(通常の運動エネルギー弾にもある程度有効だが、特に成形炸薬弾に有効)。 このため、これを組み込んだ新型砲塔が製作されることになった。 この砲塔はT14砲塔を改造して製作されており、T14mod.(第14号砲塔改良型)と呼ばれた。 レオパルト2戦車の試験は1975年2~3月にはカナダのキャンプ・シャイロで寒冷地試験が、同年4~5月にはアメリカのアリゾナ州ユマで熱帯地試験が行われた。 これらの試験では-30℃の寒冷地や+45℃の熱帯地でのエンジンの実用性や走行試験、射撃試験等が行われた。 これらの試験が北アメリカ大陸で行われたのは、単に西ドイツ国内に適当な試験場が無かっただけのことである。 しかしこうした試験が行われる前に、またレオパルト2戦車の設計に影響する出来事が起こった。 Kpz.70/MBT70開発計画の中止で一旦関係が切れたアメリカが、再び西ドイツとのMBTの共同開発に興味を取り戻したのである。 これは、アメリカが開発を進めていたXM1戦車(後のM1エイブラムズ戦車)の生産コストがかなり高くなると予想されていたことと、開発の遅れから戦力化がレオパルト2戦車よりかなり遅れると予想されたためである。 1973年中に両国間でMBTのコンポーネントの共通化に関して意見が交換され、1974年12月には新型MBT開発に関する政府間協定が結ばれた。 これに基づいてレオパルト2戦車とXM1戦車との仕様の共通化と、アメリカ陸軍によるレオパルト2戦車の試験が行われた。 その結果問題となったのは、レオパルト2戦車の装甲防御力の不足やFCSが複雑で高価過ぎることなどであった。 これを受けてアメリカ陸軍とこれまでの試験結果による西ドイツ陸軍の要求に合わせて、レオパルト2戦車の改良が行われることになった。 改良型は、「レオパルト2AV」と呼ばれた。 ”AV”は”Austere Version:簡易型”の略号だが、実際は決して廉価版というわけではない。 レオパルト2AV戦車は、車体2両(PT19、PT20)に砲塔3基(T19、T20、T21)が製作された。 これらは、1976年には完成した。 レオパルト2AV戦車の車体には成形炸薬弾に対して有効な「中空装甲」(Spaced Armour)が採用され、砲塔はT14mod.砲塔をベースとした複合装甲を採り入れた角張ったものとなった。 FCSについては西ドイツ陸軍は当時実用化されたレーザー測遠機を採用するつもりであったが、この機材には完全な信は置いておらず光学式の基線長式測遠機も併用することにしていた。 しかしアメリカ陸軍が無駄な冗長性を嫌ったため、基線長式測遠機は廃止されてしまった。 アメリカにはT19砲塔を搭載したPT19車体と、砲塔の無い(代わりにダミー・ウェイトを搭載)PT20車体が送られたが、T19砲塔にはXM1戦車の仕様に合わせて105mmライフル砲が装備されており(後に西ドイツに返送後、120mm滑腔砲に換装された)、FCSもアメリカのヒューズ社製のシステムが搭載されていた。 レオパルト2AV戦車の試験は、メリーランド州のアバディーン車両試験場で1977年3月まで行われた。 その結果レオパルト2AV戦車とXM1戦車は火力と機動力では拮抗しているが、防御力はXM1戦車の方が勝っていると評価された。 結局アメリカ陸軍は国産のXM1戦車を次期MBTに選び、レオパルト2AV戦車は採用されなかった。 なお2両のレオパルト2AV戦車は西ドイツに返送され、西ドイツでの追加試験に用いられた。 1977年9月、最終的に西ドイツ陸軍はレオパルト2AV戦車を次期MBTとして採用することを決めた。 制式化にあたって名称はAVを除いた「レオパルト2」とされ、従来のレオパルト戦車は「レオパルト1」と呼ばれることになった。 レオパルト2戦車の生産発注は1,800両に上り、5つのバッチに分けて生産されることになった。 クラウス・マッファイ社(現クラウス・マッファイ・ヴェクマン社)が主契約社とシステム・マネジャーとなり、MaK社(Maschinenbau Kiel:キール機械製作所、現ラインメタル・ラントズィステーム社)が副契約社となった。 両社の生産配分はクラウス・マッファイ社が55%、MaK社が45%とされた。 また、ヴェクマン社が砲塔製作に関して全責任を負った。 主砲の120mm滑腔砲は、ラインメタル社が生産した。 またFCSは試作車で用いられた西ドイツ製のものに代えて、生産型ではアメリカのヒューズ社製のものが採用されることになった。 |
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●構造 レオパルト2戦車の車体は、新型の複合装甲と従来の防弾鋼板を溶接して組み立てられた当時としては最新のものであった。 車体の装甲厚については、今のところ公表されていない。 レオパルト2戦車に導入された複合装甲については現在でも詳細は不明だが、防弾鋼板の箱の中にチタン合金で拘束したセラミック板をハニカム構造に何層も敷き詰めた構造になっているのではないかと推測されている。 セラミックは第4次中東戦争で威力を発揮した対戦車ミサイルや対戦車ロケットの成形炸薬弾頭に対して大きな防御力を発揮するため、レオパルト2戦車以外にもアメリカのM1A1エイブラムズ戦車やイギリスのチャレンジャー戦車など多くの戦後第3世代MBTの複合装甲に採用されている。 またセラミックは非常に硬度が高いという特長を持っているが、反面靭性が低いため衝撃に対して脆いのが欠点である。 このため、セラミックは徹甲弾などの運動エネルギー弾に対する防御力はそれほど高くない。 しかし、レオパルト2戦車の複合装甲に使用されているセラミック板は圧縮応力を掛けた状態でチタン合金の外殻で拘束されているため、M1A1戦車やチャレンジャー戦車の複合装甲に使われている無拘束のセラミック板に比べて衝撃を受けても破壊し難く、持ち前の高い硬度を活かして運動エネルギー弾に対しても高い防御力を発揮できる。 このようにレオパルト2戦車の複合装甲は通常の防弾鋼板に比べて非常に優れた防御力を備えているが、複合装甲はかなり厚みがあり重量も嵩むため全ての部分に使用することはできない。 このため、レオパルト2戦車は被弾確率の高い砲塔の前/側面と車体の前面にのみ複合装甲が用いられていると考えられている。 レオパルト2戦車の複合装甲の具体的な防御力については、後期生産型であるレオパルト2A4戦車の場合砲塔前面でRHA(均質圧延装甲板)換算で運動エネルギー弾に対して700mm、成形炸薬弾に対して1,000mmと推測されている。 ちなみにM1A1戦車の砲塔前面の複合装甲の防御力はRHA換算で運動エネルギー弾に対して400mm、成形炸薬弾に対して1,000mmと推測されており、運動エネルギー弾に対する防御力に大きな差がある。 複合装甲と並んで成形炸薬弾頭に有効な装甲が、装甲板を間隔を空けて複数配置した中空装甲といわれるもので、レオパルト2戦車の車体側面にはこれが採用されているようである。 なお車体側面には装甲スカートが取り付けられているが、この前半部分は厚みのあるものが使用されておりこれも複合装甲といわれている。 この部分は輸送時など車幅を減少させたい時は、車体上に跳ね上げることができるようになっている。 車内レイアウトは車体前部が操縦室および主砲弾薬庫、車体中央部が砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室という一般的なものである。 操縦手席は車体前部右側にありシートは高さ調整が可能で、高位置にすれば直接ハッチから顔を出して操縦することが可能である。 操縦手席の上部には、右側に開くスライド式ハッチが設けられている。 ハッチ上と左には3基のペリスコープがあり、前方140度の視界が得られる。 このうち中央のものは、夜間操縦用にパッシブ赤外線式夜間映像ペリスコープに交換可能である。 操縦手席の左側は主砲弾薬の収容スペースになっており、27発収容の弾薬ラックが設けられている。 車体中央部の戦闘室上には、120mm滑腔砲を装備した全周旋回式砲塔が搭載されている。 前作のレオパルト1戦車の砲塔は避弾経始を重視して曲面で構成された平べったいものだったが、レオパルト2戦車の砲塔は垂直に立った平面装甲板で構成された角張った形状になっており、今までの戦車と全く異なるその砲塔形状を目にした人々は衝撃を受け、「レオパルト2戦車は避弾経始を捨てた!」などといわれてかなり話題になった。 この独特な砲塔形状は、複合装甲が採用されたことが大きく影響している。 複合装甲は曲面に加工することが困難で、装甲材を何層も重ねた構造になっているためかなり厚みがある。 このためレオパルト2戦車の砲塔は全て平面で構成されており、内部スペースが減少することを避けるために外周部の装甲板に傾斜を付けなかったのであるが、別に避弾経始を捨てたというわけではなく上から見ると傾斜装甲板になるようなデザインにされている。 またレオパルト2戦車に用いられている拘束セラミック複合装甲は、M1A1戦車やチャレンジャー戦車などの無拘束セラミック複合装甲に比べて避弾経始による防御力の影響をあまり受けないため、このことも砲塔デザインの違いに影響していると思われる。 複合装甲の取り付け部位は砲塔の前面と側面と推定されており、その他は中空装甲となっている。 砲塔の装甲厚は、車体と同様に公表されていない。 砲塔内乗員は従来通り3名で主砲を挟んで右側前方に砲手、その後方に車長、左側に装填手が位置する。 砲塔上面右側には車長用キューポラがあり、キューポラの周囲には6基のペリスコープが配置されている。 またキューポラの前部にはCZ(カール・ツァイス)社製のPERI-R17車長用パノラミック・ペリスコープ(倍率2倍/8倍の切り替え式)が設けられており、必要な場合砲手にオーバーライドして照準することができる。 砲塔上面左側には円形の装填手用ハッチがあり、左斜め前向きにペリスコープが設けられている。 ハッチの周囲には、対空機関銃取り付け用のリングマウントが設けられている。 装填手席の左側側面には小型の左開き式長方形ハッチがあり、砲弾の積み込みと空薬莢の排出に使用される。 ただし、このハッチは生産途中で廃止されている。 メインの砲手用照準機はクルップ・アトラス・エレクトロニク社(現ラインメタル・ディフェンス・エレクトロニクス社)製のEMES-15で、主砲防盾右側に取り付けられている。 この装置は光学照準機、レーザー測遠機、熱線暗視装置を一体化したもので、FLT-2射撃統制コンピューターとリンクされている。 光学照準機は倍率15倍、レーザー測遠機は近赤外線レーザーを使用し9,990mまで誤差10mでの距離測定が可能である。 熱線暗視装置はCZ社製のWBG(Warmebildgerat:熱赤外線画像装置、レオパルト2A1戦車から装備)で、目標の熱を捉えて画像化するパッシブ式装置である。 またサブの砲手用照準機として、主砲と同軸にCZ社製のFERO-Z18テレスコープ(倍率8倍)も装備されている。 なお照準装置は3つのジャイロスコープで安定化されており、車体の運動に関わり無く目標を追い続けることができる。 照準装置から送られた目標データを基に射撃統制コンピューターで主砲の弾道計算が行われ、主砲を目標に自動的に追従させるようになっているためレオパルト2戦車は走行間射撃でも高い命中精度を発揮できる。 レオパルト2戦車の主砲は、西側の戦後第3世代MBTの標準武装となったラインメタル社製の44口径120mm滑腔砲Rh120が採用されている。 Rh120の性能は射距離2,000m以上で新世代のソ連製MBTを撃破するのが目標とされていたが、実際その性能は1991年の湾岸戦争地上戦で同砲(改修型のM256)を装備したアメリカのM1A1戦車により証明されている。 なお「滑腔砲」(Smoothbore Gun)というのは、砲身内壁にライフリングの無いスムーズな砲身を持つ砲である。 従来の「ライフル砲」(Rifled Gun)では、砲身内壁に刻まれた「ライフリング」(Rifling)という螺旋状の溝に弾丸を噛み合わせて回転させることで弾丸を安定して飛翔させるようになっていた。 しかしライフル砲には不都合もあり、より強力な戦車砲として滑腔砲が開発されたのである。 滑腔砲がライフル砲に勝る理由には、最近の戦車用運動エネルギー弾の発達がある。 現在、戦車用運動エネルギー弾で主流となっている減口径弾は弾芯に劣化ウランやタングステンといった非常に硬い金属を使うが、それをより速く遠くまで飛ばすには細長い方が有利である。 しかしライフル安定の場合、あまり弾丸を細長くすると安定して飛翔させることができなくなってしまうのである。 他にも砲身の磨耗が少ないことや砲身を肉薄にできる、ライフリングの抵抗を無くせるなど理由はあるが、最大の理由はより細長い弾丸を使用することによる装甲貫徹力の向上である。 滑腔砲はライフリングが無いので、弾丸には特別な安定手段が必要である。 そのため使われるのが、安定翼を使って飛翔時の安定を得る弾丸である。 レオパルト2戦車の主砲弾薬として使われているのは、APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)とHEAT-MP(多目的対戦車榴弾)である。 APFSDSは、砲の口径は120mmあるのに弾芯の直径は32mmしかない。 それを撃ち出すために、「サボ」(Sabot:分離装弾筒)が取り付けられているわけである。 APFSDSが発射されるとサボを固定している緊塞バンドが空気抵抗で切れ、サボが弾芯部分から分離して安定翼の付いた弾芯部分のみが目標へ飛んでいく。 レオパルト2戦車が1987年から運用しているラインメタル社製のDM33 APFSDSは砲口初速1,650m/秒、射距離1,000mで499mm、2,000mで459mmのRHAを貫徹することが可能である。 一方、HEAT-MPは成形炸薬弾と破片効果榴弾の両方の機能を兼ね備えている便利な化学エネルギー弾で、装甲目標と非装甲目標のどちらにも使用可能である。 レオパルト2戦車が運用しているラインメタル社製のDM12A1 HEAT-MPは砲口初速1,140m/秒、装甲目標に使用した場合射距離に関わらず600~700mm厚のRHAを穿孔可能である。 レオパルト2戦車の主砲弾薬の搭載数は42発で、この内27発が操縦手席左側の弾薬ラック、15発が砲塔後部のバスル内に収容されている。 この砲弾は燃尽薬莢と呼ばれる薬莢そのものが燃えてしまうもので、発射後は金属の底部しか残らない便利な構造となっている。 なお砲塔後部のバスルは乗員区画とは隔壁で仕切られており、バスル上面には被弾誘爆時に自動的に吹き飛んで爆風を逃がすブロウオフパネルが設けられていて乗員の安全が図られている。 副武装としては、主砲同軸と対空用にラインメタル社製の7.62mm機関銃MG3が1挺ずつ装備されている。 対空機関銃は、車長または装填手用ハッチ周囲のリングマウントに装備される。 また砲塔の左右側面後部には、各8基ずつ77mm発煙弾発射機が装備されている。 さらに乗員の携行用に、手榴弾と9mm機関短銃MP2(イスラエルのIMI社製のUZIの改良型)も車内に収容されている。 車体後部の機関室は、防火隔壁によって戦闘室と分離されている。 エンジンは、MTU社製のMB873Ka-501 90度V型12気筒多燃料液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジンが採用されている。 排気量は47,600cc、出力は1,500hp/2,600rpmである。 このエンジンは現用の戦車用ディーゼル・エンジンとしては最高級の性能を誇っており、高過給、高速回転、良好な圧縮比を備え、コンパクトで信頼性、耐久性に優れたエンジンである。 変速機は、レンク社製のHSWL354/3自動変速機が採用されている。 この変速機はトルク・コンヴァーターを使った流体機械式で、ギアは前進4段/後進2段で電気油圧制御でスムーズな変速が可能である。 操向装置にも流体を使用したハイドロスタティック式操向装置が使用されており、無段階のスムーズな旋回が可能となっている。 変速機はエンジンと一体化したパワーパックとしてまとめられており、非常にコンパクトに仕上げられている。 サスペンションは伝統的なトーションバー式サスペンションを採用しているが、そのトラベル長は上限350mm、下限175mmと全部で525mmという大きな値となっている。 なお第1、第2、第3、第6、第7転輪にはダンパーが取り付けられているが、このダンパーはロータリー・ダンパーと呼ばれる新型で効率の高いものとなっている。 転輪はゴム縁付きの複列式転輪で片側7個となっており、片側4個の上部支持輪と組み合わされている。 履帯は定評あるディール社製のダブルピン/ダブルブロック式、ゴムブッシュ付き履帯である。 これらによってレオパルト2戦車は、現用のMBTの中でも最高級の機動力を実現している。 ちなみにレオパルト2戦車の路上最大速度は72km/h(実際は90km/h以上出せるという)、燃料搭載量は1,200リッターで路上航続距離は550kmである。 その他特殊装備としてはスノーケル装置があり、車長用キューポラ上に筒状のカニングタワーを付ければ最大4mの潜水走行が可能となっている。 エンジン火災に備えてフロンガスによる消火装置も装備されているが、これはレオパルト2A4以降はより性能の高いものに改良されている。 NBC防護装置、無線装置、冷暖房装置も全て完備されている。 |
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●生産 レオパルト2戦車は、正規の量産に入る前に3両の先行生産型が製作された。 第1号車は1978年10月11日に完成したが、この車両は新造車体にT21砲塔を組み合わせたものだった。 この車両はミュンスターの第2戦闘兵科学校に送られ、1979年初めまで部隊運用試験が行われた。 残りの2両も続いて完成し、1979年初めまで受領試験と最終試験が行われた。 4両目、すなわち最初の生産型のレオパルト2戦車は1979年10月25日に正式に西ドイツ陸軍に引き渡された。 生産型のレオパルト2戦車は当初1,800両が発注され、5つのバッチに分けて生産された。 この内第1バッチが原型のレオパルト2戦車で第2、第3バッチがレオパルト2A1戦車、第4バッチがレオパルト2A3戦車、第5バッチがレオパルト2A4戦車である。 ちなみにレオパルト2A2戦車は第1、第2バッチの車両を第3バッチと同じ仕様に改良したものを指す。 レオパルト2戦車の最初の生産分である第1バッチは、1979年末~1982年3月にかけて380両が生産された。 決められた生産配分に従いクラウス・マッファイ社が209両を生産し、MaK社が171両を生産している。 最初の6両はミュンスターの戦車学校に送られたが、それ以降は実戦部隊への配属が進んだ。 これらの車両は第I軍団(北ドイツ)の戦車部隊に、M48A2G戦車を代替して配備された。 最初に配備されたのは第1機甲師団の第31、第33、第34戦車大隊、第3機甲師団の第81、第83、第84戦車大隊などである。 一部レオパルト1戦車を装備していた部隊では、玉突き式にレオパルト1戦車が追い出されて機甲擲弾兵師団の戦車大隊に移動し、そこのM48A2G戦車を代替している。 第2バッチは1982年3月~1983年11月にかけて450両が生産され、「レオパルト2A1」と呼ばれた。 生産配分はクラウス・マッファイ社が248両、MaK社が202両であった。 第1バッチからの最大の改良点としては、アメリカのテキサス・インストゥルメンツ社製の統合型熱線暗視装置が装備されたことが挙げられる。 第1バッチでは、テレフンケン社製のPZB200熱線暗視装置が便宜的に主砲防盾上に搭載されていた。 この装備によって夜間/昼間問わず、レオパルト2戦車の戦闘力が大幅にアップされた。 その他にも細かい変更点が多く砲塔後端の棒状の横風センサーの廃止、燃料補給口が機関室上面から車体左右袖部上面に移動、砲塔側面に車内と通信するためのインターコム取り付けのためのソケットの増設、車体後部のワイアー取り付け具の向きが変わりワイアー長が5mになった、車長用サイトの装甲カバーの形状が角張ったものになった、弾薬収納ラックの改良などである。 第3バッチは、1983年11月~1984年11月にかけて300両が生産された。 生産配分はクラウス・マッファイ社が165両、MaK社が135両であった。 第2バッチとの相違点はごくわずかで、車長用サイトの高さが5cm上がり車長用キューポラのカバープレートが角張った形になった、車体袖部のNBC防護装置収納部にカバーが取り付けられるようになった等である。 また第2バッチのレオパルト2戦車から熱線暗視装置が搭載されるようになり夜間戦闘能力が大幅に向上したため、第1バッチの車両にもこの装置を搭載して性能向上を図ることになった。 併せて横風センサーの廃止、燃料補給口の移動、車長用サイトの高さ変更、車長用キューポラのカバープレートの形状変更など第3バッチに準じる改修を施すことになり、第2バッチの車両も改修の対象とされた。 改修作業は1984年からスタートし、1987年に最後の車両の改修が終わった。 この改修を受けた第1、第2バッチのレオパルト2戦車は「レオパルト2A2」と呼ばれるようになった。 続く第4バッチはレオパルト2A2の改修と並行して生産されたもので、1984年12月~1985年12月にかけて300両が生産され「レオパルト2A3」と呼ばれた。 生産配分はクラウス・マッファイ社が165両、MaK社が135両である。 第3バッチとの最大の相違点は無線機がイギリスのAMS(Advanced Music Systems)社製のSEM80/90ディジタルVHF無線機に変更されたことで、それに合わせてアンテナが短くなっている。 その他の変更点は排気口のカバーの桟が左右水平のものから放射状のものに変更された、砲手用に可変式のチェストサポートが取り付けられたこと等である。 またちょうど第4バッチの就役と時を同じくして、西ドイツ陸軍に新しいグリーン、ブラウン、ブラックの3色迷彩が導入されている。 なおレオパルト2戦車の砲塔左側面には弾薬補給用の長方形の小ハッチが設けられていたが、試験の結果ここに敵弾が命中すると若干緩みが出てNBC防護に影響することが分かった。 このため、この部分は後にプレートを溶接して塞がれるようになった。 当初の計画では最後のバッチとなるはずだったのが、第5バッチである。 第5バッチは1985年12月~1987年3月にかけて370両が生産され、「レオパルト2A4」と呼ばれた。 生産配分はクラウス・マッファイ社が190両、MaK社が180両である。 第4バッチとの相違点は新しい消火システムが導入されて乗員の生存性が向上したこと、対空機関銃リングの変更、照準機カバーなど細かな点だけである。 ただし生産途中からもう少し目立つ変更が加わり、上部支持輪の位置が変更されている。 また砲塔左側面の弾薬補給用ハッチは、後期の生産分では初めから省略されるようになった。 なおレオパルト2A4のうち最後の1両は、「KVT」(Komponentenversuchsträger:コンポーネント試験車両)と呼ばれるレオパルト2改良計画のテストベッドとして使用された。 本来レオパルト2戦車の生産は第5バッチまでで終わるはずだったが、第5バッチの生産終了後の1987年6月に150両の追加発注が行われ、第6バッチとして1988年1月~1989年5月にかけて生産された。 タイプはレオパルト2A4のままで、生産配分はクラウス・マッファイ社が83両、MaK社が67両である。 第5バッチとの相違点はメインテナンス不要の新型バッテリーが採用されたこと、ディール社製の570FT履帯の採用、クロウム、亜鉛を含まない塗料の採用、警告ライトが操縦手にも見える位置に移動したこと等で、さらに後期の車両では装甲スカート前半の箱型部分の形状が変更されている。 なお、砲塔左側面の弾薬補給用ハッチは初めから省略されていた。 さらに、1989年5月~1990年4月にかけて100両が生産されたのが第7バッチである。 やはりタイプはレオパルト2A4のままで、生産配分はクラウス・マッファイ社が55両、MaK社が45両である。 この第7バッチは、第6バッチ後期の車両と全く同じである。 1991年1月~1992年3月にかけて75両が生産されたのが、第8バッチである。 やはりタイプはレオパルト2A4のままで、生産配分はクラウス・マッファイ社が41両、MaK社が34両である。 この第8バッチでは、少しは目に付く変更点がある。 それは、装甲スカートの後半部分が6枚に分割されるようになったことである(初期は元のまま)。 その他は細かい点で、砲塔側面の発煙弾発射機のベースプレートの形状が変更された程度である。 なお後期の車両からは砲身に歪みを検知するためのボアサイト・ミラーが取り付けられるようになったが、これは既存の車両にも後から取り付けられている。 なお第8バッチの内の2両は、レオパルト2A5戦車の原型となった「TVM」(Truppenversuchsmuster:部隊試験サンプル)と呼ばれるテストベッドに用いられた。 最後のレオパルト2戦車がドイツ陸軍に引き渡されたのは1992年3月19日のことで、総生産数は2,125両に上った。 この間、既存のレオパルト2戦車も順次グレードアップが図られている。 主なものはSEM80/90ディジタル無線機の搭載、ディール社製の570FT履帯への換装などで、こうした改修を受けた結果全てのレオパルト2戦車は、厳密には若干の相違はあるもののレオパルト2A4と呼ばれるようになった。 レオパルト2戦車はドイツ陸軍以外にも、EU諸国を中心に多くの国で採用されている。 オランダ陸軍は第2バッチのレオパルト2A1戦車と同じ仕様の車両を、「レオパルト2NL」の名称で1983年に445両導入した。 レオパルト2NL戦車は発煙弾発射機や操縦手用の暗視装置付きペリスコープ、無線機などをオランダ製のものに変更しており、車載機関銃もドイツ製のMG3からベルギー製のFN-MAGに変更している。 また後にディール社製の570FT履帯への換装など、レオパルト2A4戦車と同じ仕様に改修されている。 1984年にはスイス陸軍が、第5バッチのレオパルト2A4戦車と同じ仕様の車両を「Pz.87」の名称で380両導入した。 Pz.87戦車は車載機関銃がスイス製のMG87に変更されており、無線機もアメリカ製のAN/VCR12に変更されている。 1991年末にソヴィエト連邦が崩壊したことで冷戦が終結したためドイツ陸軍は戦車の定数の削減を進めることになり、余剰になったレオパルト2A4戦車は海外に売却されることになった。 まずデンマーク陸軍が57両の中古のレオパルト2A4戦車を導入し、続いて2002年1月にはポーランド陸軍が128両(後に123両を追加発注)、同年9月にはフィンランド陸軍が124両を導入している。 さらにトルコ陸軍が339両、チリ陸軍が132両、シンガポール陸軍が96両の中古のレオパルト2A4戦車をドイツから導入した。 またオランダ陸軍も戦車の定数削減で余剰となったレオパルト2NL戦車を海外に売却しており、オーストリア陸軍が114両、ノルウェイ陸軍が57両、カナダ陸軍が80両の中古のレオパルト2NL戦車を導入している。 |
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<レオパルト2A4戦車> 全長: 9.668m 車体長: 7.722m 全幅: 3.70m 全高: 2.48m 全備重量: 55.15t 乗員: 4名 エンジン: MTU MB873Ka-501 4ストロークV型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル 最大出力: 1,500hp/2,600rpm 最大速度: 72km/h 航続距離: 550km 武装: 44口径120mm滑腔砲Rh120×1 (42発) 7.62mm機関銃MG3×2 (4,750発) 装甲: 複合装甲 |
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<参考文献> ・「世界の戦車イラストレイテッド24 レオパルト2主力戦車 1979~1998」 ウーヴェ・シネルバッハー/ミヒャエル・ イェルヒェル 共著 大日本絵画 ・「パンツァー2019年12月号 特集 レオパルト2配備40周年(1)」 古峰文三/星野誠一/藤井岳 共著 アルゴ ノート社 ・「パンツァー2011年2月号 レオパルト2 その30年に渡る発展の軌跡(1)」 竹内修 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2000年2月号 最初の第3世代MBT レオパルト2」 小林直樹 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2017年8月号 レオパルト2とその発展」 毒島刀也 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2021年3月号 レオパルト2開発史(4)」 高橋賢一 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2021年4月号 レオパルト2開発史(5)」 高橋賢一 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2021年6月号 レオパルト2開発史(7)」 高橋賢一 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2021年7月号 レオパルト2開発史(8)」 高橋賢一 著 アルゴノート社 ・「ウォーマシン・レポート22 レオパルト2戦車 そのメカニズムとバリエーション」 アルゴノート社 ・「グランドパワー2005年1月号 レオパルト2 (1)」 一戸崇雄 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2005年2月号 レオパルト2 (2)」 一戸崇雄 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2005年4月号 レオパルト2 (3)」 一戸崇雄 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2005年5月号 レオパルト2 (4)」 一戸崇雄 著 ガリレオ出版 ・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社 |
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