+概要
ハンガリー陸軍は、戦車部隊にとって大きな脅威である航空攻撃への対処として、戦車に随伴できる機動力と装甲防御力を兼ね備えた対空車両の必要性を早くから認識しており、この任務に使用する車両候補として、スウェーデンのランツヴェルク社がL-60軽戦車の車台をベースに1934年に開発したL-62対空自走砲を1939年に購入し、試験の結果1940年に、40M「ニムロード」(Nimród:狩人)としてライセンス生産することを決めた。
40Mニムロード対空自走砲の生産は、ブダペストのMÁVAG社(Magyar Királyi Államvasutak Gépgyára:ハンガリー王立鉄道機械製作所)で行なわれ、第1生産ロットとして1941~42年にかけて46両が生産された。
さらに第2生産ロットとして89両が追加発注され、1943~44年にかけて生産された。
合計で135両が完成した40Mニムロード対空自走砲は、ハンガリー陸軍の快速師団などに配属されて東部戦線にも投入され、主武装である56.3口径40mm対空機関砲36Mの高い威力を活かして対空・対地戦闘に活躍した。
この40Mニムロード対空自走砲の唯一の派生型としてMÁVAG社が開発したのが、43M「レヘル」(Lehel:古代マジャール人の首長)装甲兵員輸送車である。
この車両は40Mニムロード対空自走砲の砲塔を撤去し、戦闘室となっていた車体中央部を改設計して、装甲板で囲った兵員室を設けていた。
兵員室内には、左右に各4名ずつ計8名の兵員が座れるベンチシートが備えられていた。
固有の武装は無く、兵員の携行火器が唯一の武装であった。
装甲厚は6~20mmと、40Mニムロード対空自走砲よりも若干強化されていた。
ただし、当時の兵員輸送車両の常として兵員室はオープントップ式となっており、飛来する砲弾の破片や航空機の攻撃に対する兵員の防御に問題があった。
エンジンは、40Mニムロード対空自走砲と同じもの(ドイツのビューシンクNAG社製のL8V/36TR V型8気筒液冷ガソリン・エンジンと、これをブダペストのガンズ社でライセンス生産したVGT107
V型8気筒液冷ガソリン・エンジンの両者が挙げられている)が搭載された。
本車は40Mニムロード対空自走砲より戦闘重量が300kg減少しているので、出力/重量比は向上しているはずなのだが、なぜか路上最大速度は40Mニムロード対空自走砲の50km/hから46.5km/hに低下している。
路上航続距離は同じで、225kmである。
なお43Mレヘル装甲兵員輸送車の派生型として、装甲救急車型の「レヘルA」と装甲工兵車型の「レヘルS」の2種類を開発することも計画されていたが、戦況の逼迫により実用化には至らず、MÁVAG社が戦車の生産に追われていたため装甲兵員輸送車型についても、試作車が製作されただけで量産には至らなかった。
|