1960年代当時、イスラエルはアラブ諸国に配慮する欧米各国の意向で国際的に孤立しつつあり、海外から安定して兵器を購入するのが困難な状況であったためイスラエルは兵器を国産開発する意向を固め、1960年代後期に牽引式の新型155mm榴弾砲の開発をソルタム社に要求した。 これを受けてソルタム社は、親会社であるフィンランドのタンペラ社の協力を受けて新型155mm榴弾砲の開発に着手した。 フィンランドは第2次世界大戦後ソ連の勢力下に置かれたためタンペラ社は自由な兵器の輸出ができず、この状況を打開するために建国後間もないイスラエルに設立した子会社がソルタム社であった。 ソルタム社はタンペラ社が開発した60〜160mmまでの迫撃砲をライセンス生産し、これらを専ら海外に輸出している。 ソルタム社とタンペラ社が共同開発した新型155mm榴弾砲は1968年に試作砲が完成し、「M68」の名称でイスラエル軍に制式採用されて1970年から生産が開始されたが、この155mm榴弾砲M68はタンペラ社がフィンランド軍向けに開発した122mm野砲M60の砲架を活用しており、砲架の脚の先端部に取り付けた車輪4個と油圧ブレーキはそのまま流用しており、ベースプレート付きのスクリュージャッキを下げると砲が発射位置になるところも同じである。 M68は砲身長5,115mm(33口径)、重量9,500kgで、砲身は円形サドルの上に取り付けられて左右に各45度ずつ旋回させることができ、俯仰角は−5〜+70度となっている。 砲弾についてはソルタム社製のものだけでなく、全てのNATO規格の155mm砲弾を使用することができる。 牽引式のM68はイスラエル軍にかなりの数が採用され、1973年に勃発した第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)から実戦に投入された。 またM68は価格が手ごろで高性能なことからイスラエル以外にチリ、フィリピン、シンガポール、タイ、南アフリカ、ミャンマーでも採用されている。 M68の最大射程は通常榴弾を使用して21,000mと、当時イスラエル軍が使用していたフランス製の牽引式155mm榴弾砲M50と比べて格段に延伸されて当時の世界水準をクリアしていた。 また当時、イスラエル軍はM50をアメリカ製のM4中戦車の車台に搭載したM50自走榴弾砲を実戦化していたが、このM50自走榴弾砲はそれまで使用していたAMC105およびM7B1自走榴弾砲が搭載していた105mm榴弾砲よりも射程が改善されていたものの、戦術の変化などもあり1960年代末にはより長射程の自走榴弾砲の装備が求められることなった。 このためイスラエル軍は1970年代初めに、M68をM4中戦車の車台に搭載する新型自走砲の開発をソルタム社に要求した。 この新型自走砲には「L33」の名称が与えられたが、これは主砲であるM68の砲身長比が33口径であることを表している。 L33自走榴弾砲の車台には車体の長いM4A4中戦車と通常サイズのM4中戦車シリーズが両方用いられているが、M50自走榴弾砲がエンジンを車体前部右側に移し上部構造と戦闘室を車台と一体化した形で形成したのに対し、本車の場合は砲塔リングの開口部を埋めてM68を搭載し、この砲を囲むような形で完全密閉式の大きな箱型戦闘室を構成している。 これはオリジナルのM4中戦車の車台になるべく手を加えずに自走砲化しようという意図によるもので、イスラエル軍がM50自走榴弾砲を運用した経験から得た見識であろう。 この特異な構造のためにL33自走榴弾砲はM50自走榴弾砲に比べてかなり背が高く、車台に比較して異様に戦闘室が大きいため外見からはややアンバランスな印象を受ける。 また車体の長いM4A4中戦車ベースの車両では、戦闘室の後方に泥除けを装着した小さな後部フェンダーを張り出しているのに対し、それ以外の車両ではオリジナルの後部フェンダーがそのまま残されている。 いずれの車台もサスペンションはHVSS(Horizontal Volute Spring Suspension:水平渦巻スプリング・サスペンション)が用いられ、履帯も幅広型が使用されているのに加え、エンジンもアメリカのカミンズ社製のVT8-460-B1 V型8気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力460hp)に換装されて走行性能の改善が図られている。 密閉式戦闘室に搭載したことでM68の射界は牽引砲より狭くなっており、俯仰角が−3〜+52度、旋回角が左右各30度ずつとなっている。 砲の俯仰、旋回どちらも動力機構は無く、砲手が手動でハンドルを回して操作する。 戦闘室の前方左側には箱型に張り出した操縦室が設けられ、操縦室の前面と左右側面には防弾ガラスを収めた視察プレートが設けられており、前面のプレートのみ下側にヒンジが設けられ開くことが可能である。 また操縦室の上面には、後ろ開き式の操縦手用ハッチが設けられている。 さらに操縦室の上方にあたる戦闘室前面左側には、砲手用の防弾ガラス内蔵視察プレートが取り付けられている。 戦闘室上面前部には左側に砲手用の後ろ開き式ハッチ、右側に車長用の左右開き式ハッチがそれぞれ設けられている。 車長用ハッチ前方のピントルマウントには、対空/近接防御用の7.62mm機関銃FN-MAGが装備されている。 戦闘室の左右側面中央にはそれぞれ後ろ開き式のドアが設けられており、乗員の乗降に利用される。 戦闘室後面には観音開き式の大型ドアが設けられており、戦闘室上面後部の中央にも観音開き式のハッチを備えている。 射撃時には、この後方に設けられたハッチを全て開くことで作業スペースの拡大を図っているのはM50自走榴弾砲と同様である。 戦闘室の前部は車台のディファレンシャル・カバーより前方まで張り出しており、前面中央には走行時に主砲の砲身を固定する起倒式のトラヴェリング・クランプが設けられている。 また戦闘室後面のドア左右にあたる部分には、パイプを用いた大きなラックが設けられている。 戦闘室内には主砲の砲架下側と左右側面後部にそれぞれ弾薬庫が設けられており、合計60発の155mm砲弾が収められている。 砲架下側の弾薬庫には15〜16発、左右側面の弾薬庫にはそれぞれ22発の155mm砲弾が収容される。 乗員6〜8名は全て戦闘室内に配されており、左側前部に操縦手と砲手が前後に収まり、右前方には車長が位置し、戦闘室の後方には装填手2〜4名と無線手を置いている。 これらの改修によってL33自走榴弾砲は全高3.45mとベースとなったM4中戦車に比べて非常に背が高くなり、戦闘重量も41.5tとM4中戦車から大きく増加したため路上最大速度は36km/hに低下している。 L33自走榴弾砲は1973年初めからイスラエル軍の実戦部隊への配備が開始され、同年に勃発したヨム・キプール戦争から実戦に参加し本格的な運用が開始された。 しかしその後間もなくアメリカからM109 155mm自走榴弾砲や、M110 8インチ自走榴弾砲といった近代型自走砲が導入されたことを受けて1990年代半ばより順次退役が進められ、現在ではほとんどの車両が退役しているものと思われる。 イスラエルはこれら自走榴弾砲の生産数について一切明らかにしていないが、L33自走榴弾砲は200両程度が生産されたものと見られている。 |
<L33 155mm自走榴弾砲> 全長: 8.47m 車体長: 6.47m 全幅: 3.45m 全高: 3.45m 全備重量: 41.5t 乗員: 8名 エンジン: カミンズVT8-460-B1 4ストロークV型8気筒液冷ディーゼル 最大出力: 460hp/2,600rpm 最大速度: 36km/h 航続距離: 260km 武装: 33口径155mm榴弾砲M68×1 (60発) 7.62mm機関銃FN-MAG×1 (1,000発) 装甲厚: 12.7〜63.5mm |
<参考文献> ・「パンツァー2004年2月号 ソルタム社が開発した異色の存在 イスラエルの国産榴弾砲/自走砲」 和田尚夫 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2013年10月号 イスラエル国防軍の現状」 永井忠弘 著 アルゴノート社 ・「ウォーマシン・レポート18 メルカバとイスラエルMBT」 アルゴノート社 ・「世界AFV年鑑 2002〜2003」 アルゴノート社 ・「グランドパワー2006年2月号 イスラエル軍のシャーマン(2)」 箙浩一 著 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(2) 装軌式自走砲:1946〜2000」 デルタ出版 ・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研 ・「世界の装軌装甲車カタログ」 三修社 |