+概要
ジョン・V・カーデン卿と共に、1923年にチャーツィーでカーデン・ロイド・トラクターズ(CLT)社を創業し、カーデン・ロイド豆戦車シリーズの開発に携わったヴィヴィアン・G・ロイドは、1928年3月にCLT社が軍需産業大手であるウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社に吸収合併されたことにより、カーデン卿と共にヴィッカーズ社に移籍した。
しかし、カーデン卿が1935年に航空事故で死去した後、ヴィッカーズ社の経営陣とロイドの関係は悪化し、1938年9月にロイドはついにヴィッカーズ社を去り、自分の会社であるヴィヴィアン・ロイド社を創業した。
ロイドは、従来のブレンガン・キャリアやユニヴァーサル・キャリア等より、さらに安価な装軌式キャリアを開発してイギリス陸軍に売り込むことを計画し、1939年8月に、自身の名前を冠した「ロイド・キャリア」の試作車をイギリス戦争省に披露した。
早速、ロイド・キャリアはイギリス陸軍による評価試験に供され、満足すべき性能を示したためヴィヴィアン・ロイド社に対して200両が生産発注された。
戦争省はその後もロイド・キャリアの大量発注を行ったが、ロイドの会社は生産設備の規模が小さく大量生産を行うことが不可能だったため、生産はより大規模な設備を持つ別の会社に委託された。
ロイド・キャリアの生産の中心を担ったのはアメリカのフォード自動車と、バーミンガムのウーズレイ自動車で、この2社だけで13,000両を生産した。
他にも3つの自動車メーカーがロイド・キャリアの生産に携わり、第2次世界大戦終結までの総生産数は26,000両に達している。
前述のようにロイド・キャリアは元々、より安価に装軌式キャリアを生産することを狙って開発された車両で、シャシー、エンジン、変速・操向機などはフォード自動車製の民間向け2tトラックから流用し、履帯、懸架装置はブレンガン・キャリアのものを使用していた。
後のウィンザー・キャリアと同様に2輪一組のボギー2基を持った足周りになっていたが、より狭い間隔でボギーを配していた。
なおロイド・キャリアは、他の装軌式キャリアのように戦闘に使用することは全く考慮されておらず、車体は非装甲となっており固有の武装も持っていなかった。
このため本車は専ら物資、人員の輸送車両として運用された。
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